プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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5年4ヶ月

2016-07-19 21:55:45 | あれこれ
アラモアナブルバードを走って、
サラトガ通りに入り、
カラカウア通りを走りながら、
違和感が無くなってきたなぁと。

5年4ヶ月。
震災の年の3月に引っ越したので、
同じ年数がたっている。

多くの人から「震災のせいで?」と聞かれる。
たまたま、3月で娘の中2が終わるので、
それに合わせて引っ越すことに決めていた。
ちょっと迷ったけれど、予定を変更しなかった。

ワイキキを運転しながら「なんで、こんなところ
走ってるんだろう」と現実感がずっと無かった。
それが、5年を過ぎたあたりから「ふつー」になった。

震災がきっかけで移住した人にとっても、
もしかしたら、移住先が「自分のところ」な感じに
なってきている時期かもしれない。

昨日、お話をうかがった福島のラジオで長く
アナウンサーをなさっていた大和田新さんが言っていた。
日系二世と一世とのギャップがあると聞いたけれど、
震災後、福島から移住した人にも同じようなことが言えると。
親たちは「帰る」という感覚があるけれど、
子どもたちにとって、すでに今、居るところが
自分の「帰る」ところ、という感覚になってきていて、
親と子どもとで感覚にギャップがある、と。

子どもたちも、こっちがホームな感じになってるのかなぁ。
息子にとっては人生の約1/3、娘にとっては約1/4がこっち
ということになってきているんだものねぇ。
親の感覚とはまた、違ってきているだろう。
不思議だ。

目標設定が苦手なわけ

2016-07-17 20:42:39 | 著書
ハワイ報知のカパラマ雑記は
編集部員が回り持ちで書いている。
木曜日にprintingされる
金曜日issue号が担当なので
だいたい、水曜日に書いている。

この間のカパラマ雑記に
「全ては”たまたま”だと感じている」
と書きながら、
だから目標設定が苦手なんだなぁと
ふと、わかった気がした。

たまたま、ここに住み、
たまたま、仕事があって、
たまたま、なんとか生活できている
ありがたいこと

もしかしたら内戦の地に生まれてたかもしれないし
自家用ジェットを持ってたかもしれないし
ホームレスだったかもしれないし
緑色の目だったかもしれない

なので「自分の努力でやっている」感が低い。
頑張っていないわけではないのだが、
「何かを目標」にして頑張るということが少ない。
小学校の頃から「夏休みの目標」を立てては、
達成できずにがっかりする、ということを
繰り返しすぎたせいもあるのだが、
「目標」に向けて邁進するのが苦手なのだ。

それでも、案外、欲しいものは手に入る
たまたま「それ」が自分のところに回ってくる
来るものこばまず、
去るもの追わず

まあ、いつもこんなに
あっさり行くわけでもないのだけど。
そんな感じ。

なので、目標やゴールを設定する方法が
「効く」とわかっていても、
なんとなく、避けてきた
その理由が、なんかわかった気がしたので、
まだ、半分解明中なのだが、
ちょっと書いておくことにした

カパラマ雑記より〜「小さき声のカノン」

2016-07-06 15:28:06 | 著書
小さき声のカノン-選択する人々(英題Little Voices from Fukushima)」
というドキュメンタリー映画をパロロ本願寺で見た。
監督は鎌仲ひとみさん。
彼女の名前は震災のころに「ミツバチの羽音と地球の回転
という名前のドキュメンタリーで知っていた。
映画も見ていないのにどういうわけか、
「反原発の活動家」という
こわもてのイメージが私の中に出来上がっていた。
彼女の映画を紹介するレビューを読んで、
勝手に思い込んでいたらしい。

今回、しっかりドキュメンタリーを見て、
直接監督の話を聞く機会に恵まれ、
これが思い込みだったことに気づいた。
映画は淡々と事実を追い、そこで暮らす人々の
「小さき声」を丁寧に追っている。
存在しているけれども、見過ごされている出来事を。

ネットや雑誌から得た情報のみで、勝手に私の中に、
いろんな思い込みが作られている。
実物にちゃんと出会うこと。
自分で体験すること。
これが基本だ。