プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
こちらもどうぞ→ https://note.com/nana_horoiwa

cookで思い出したこと

2019-09-16 08:31:35 | あれこれ
cookの後書きを読んだり、
小麦粉セラピーをやってみたり、
神田橋條治先生のことを思い出したり
していたら、昔、不登校の子どもたちと
溜まり場的なことをやっていた時のことを
思い出した。

それは初めは駒込のマンションの一室を
使わせてもらってやったりしてて、
プリメイラでもやってたことがあるのだけど、
学校に行っていない子どもたちの昼間の居場所、
という感じになっていた。
そこにくる女子たちは、よくクッキーを作ったり、
焼き菓子を作ったりしていた。
お菓子作りが始まると、
学校に通い出したりするなぁ、
と思いながら見ていたのを思い出す。

初めと終わりがあって、
完成が見れて、
自分の手や指先から作り出されるもの。
しかも、完成品は可愛くておいしい。
主婦たちが結構、大変な仕事をこなしながら、
元気なのは、日々、クリエイティブなせいかもしれない。

神田橋先生は研修会かなんかで遠くから
見たことがある程度に知っているのだけれど、
「具体的になんと言うか」を伝えていてすごかった。
「言葉」って相手に大きな影響を与えるよなぁと思ったり。
同じ言葉を使えばいいってもんではないのだけれど、
そういう言葉の裏に流れる気持ちの持ちよう的なところが
とても印象深い。

ハワイに来て以来、自分の言葉づかいや気持ちの持ちようが
センシティブ過ぎて、弱過ぎで、ダメダメなんじゃないかと
かなり凹んでいた。
配慮し合う文化から、
欲しいものを欲しいと言い、
言いたいことはズケズケ言い、
「それは困る、どうしてくれるんだ」という
コミュニケーションが結構、当たり前の文化が
(つまり、そう言わなければ踏みつけられっぱなし、
放って置かれっぱなしになりかねないということ)
思っていた以上にこたえた。

「あなたはセンシティブ過ぎる」
「未成熟なんじゃない?」
「目立ちたがり屋さんなのね」
「日本で仕事してる方がいいんじゃない?」
などなど、暮らしぶりや子育てにもあれこれ。
喧嘩しているわけじゃなく、普通の会話で
こういったことを言われる。

多くは愚痴っぽい話になったとき
こういったコメントが返ってくる。
ネガティブ・ケイパビリティというか
ネガティブ・トレランスが低い文化というのかな。
ポジティブで前向きで、目標と意欲を持ち、
いつも元気であることがいいのだ、的な。
悲しみや落ち込み、傷つき、凹みに対して、
かなり否定的で、そういうものは持つべきではない、
自分の中で処理できないことは未熟なこと、といった
雰囲気がたちこめる。
こういった風土と
抗うつ剤の売り上げがむちゃむちゃ高いことと、
関連があるかもしれない。
周り中全てがそうというわけではないけれど、
そういうやりとりに慣れてなかった。

久しぶりに神田橋先生の言葉づかいを読んで、
なんかホッとした。
そんでもって、ある時、
「そうだ、センシティブでも、まあいいんだよな」
と思えた本があったことを思い出し再読。
大友良英・稲葉俊朗著
「見えないものに、耳をすます〜音楽と医療の対話〜」

稲葉さんとは何回かお会いしたことがある。
彼のお人柄が偲ばれる、じんわりと効いてくる本。

Buddha Day に「天のしずく」上映会

2019-04-14 23:41:29 | あれこれ
4月8日の花祭りをハワイではBuddha Dayと呼んで、
大きなイベントが日系の寺院で開かれる。
それに合わせて、
料理研究家の辰巳芳子さんの
ドキュメンタリーフィルム、
「天のしずく」の上映会を開いた。
英語名が「Drops of Heaven 」。

午前、午後でスタッフも入れて
60人を超える方がいらしてくれた。
小学生のお子さんから80を超える方まで、
男性の姿もチラホラ。

そして、多くの方から
「素晴らしい映画だった」と
フィードバックをもらった。
たくさんの人から
「見せたい人がいる」と
コメントをもらった。

思い切って借りてきて良かった!

このドキュメンタリーは内容が濃い。
一年の巡りを追い、
食ベること、食べ物、
料理すること、生きること、
死ぬこと、愛、ケアすること、
などについて、たくさんの
インスピレーションを与えてくれる。

それが、言葉だけではなく、
振る舞い、行動、ものごしで
伝わってくる。

友人が
「ななさんがやろうとしていることが
これでわかった」と言ってくれた。
とっても嬉しかった。








絵本の絵ってすごいなぁ

2019-03-18 20:29:43 | あれこれ
ルーティンとして、英語の絵本を
毎日のように見ている。
先日は図書館に行って、
目についた絵本をはじから借りてきた。

ブログ用に表紙を写真に撮ってアップしながら
「これはすごいなぁ」と心から感心した。
写真がとても魅力的。
つまり、写った絵が魅力的なのだ。

思えばプロのイラストレーターやアーティストが
子どもたちに向けて
「伝われ!」と渾身のエネルギーで
描いているわけで、魅力的でないはずがない。
限られたスペースにギッシリ詰まってる。
それが、次から次へと現れるのだから、
絵本、美しいわけだ。

なんだか、とっても得した気分。
挿絵が気になった日本語の絵本も借りてきて、
内容もさることながら、
絵を楽しく見ている。

次なるルーティンを探すブログ

2019-03-03 07:25:31 | あれこれ
坂口校長先生からメールが来て、
次なるルーティンをあれこれ考えながらブログ書いてみては?的な
ご提案があり、なるほどそれは面白いかもしれないので、
やってみることにする。

ルーティン化すべきではないかと
予々(おお、これでかねがねと読むのね)考えているのは、
英語の勉強。

ファーストフライディという、ちょっとした
お祭りが毎月第1金曜日にチャイナタウン近辺であり、
ステート美術館に仲間と遊びに出かけるのが恒例になっている。
一昨日は、隣りにいたおじ様が「韓国人?」って声かけてきて、
話し始めたら、夫と同じ大学に通っていたことがあると判明。
ここら辺までの話はできる。

けれども、もうちょっと込み入った、
例えば、坂口校長先生がツイッターで呟いて、
それに乗って、毎日、ブログを書いているのだよとか、
ゴールを設定するとか、何かのためにやるとか、
そういうところから外れて何かをやろうとしているとか、
お寺の活用に関心があって、お金かけないでふらりとみんなで
集まれる場を作ろうとしているみたいな、
漠然としたことを話そうとすると
(日本語でも、人にわかってもらいにくいし)
途端に、何と言っていいやら。
なるほど、自分の中でも人に伝える言葉になってない
からなのかもしれないなぁ。

目的のはっきりしない英語の勉強ってできるのかな。
やること自体が目的、みたいな。
結果(例えばTOEFLの点数とか)を重視しないで
例えば、毎日英語の絵本を1冊読む、とか面白いかもしれないなぁ。
ルーティンってそういうことなのかもなぁ。

というわけで、英語の絵本を探したらこれがあった。
小田まゆみさんのところに伺った時に手に入れた
Random Kindness & Senseless Act of Beauty












ルーティン、1ヶ月続けてみた

2019-03-02 05:53:08 | あれこれ
1月の終わり、ふと、見つけてしまった
坂口恭平校長率いるルーティン学校。
途中、書くことないなぁとか思いながらも、
無理にでも1ヶ月。
続けるとルーティンがかなり身につく。
毎日、ブログのページを開けて、
とにかく何かを書く。
携帯の写真のファイルを開いて
気にいった写真を選ぶ。

あれ、これってハワイ報知に
いた頃の作業と似てるな。
記事は共同のニュースからだし、
写真はロイターから取ってくるんだったけど。
早朝にやってるのも同じだ。

以前、言葉は溢れるように出てきた。
それこそ本が書けるほど。
今、私の言葉は枯れ井戸状態だ。
恐る恐る発する。
ピアノで新しい曲を練習をしているときに、
自分の指が次にどこに行くのか探る、
思った通りの音かな、間違ってるかな
みたいな、指がうろうろするような覚束なさ。

そんな感じで言葉を発している。
それは英語という新しい言葉が入ってきたからなのか、
英語で話そうとしてたくさんの
「あ、うまく言えない」という経験をし過ぎたせいなのか、
ただの老化現象なのか、
はたまた、移住ショックによるトラウマ・グリーフ反応なのか
全てが混じっているのか判然としないのだけれど、
「どもる身体」状態なのだと
とても納得できる。

このルーティンを始めて、
なるほどそういうことが起こっているのかと
自分の状態がわかってきた。
そろそろ、校長先生から
次なるお言葉が来ないかなぁ、
と思いながら、
「書く」ことに向けてくれて、
ありがとうと思ってる。

門前市を成すほど、何をしにお寺に?

2019-02-28 08:47:13 | あれこれ
3月10日、パロロ本願寺でやるSpring Ohigan Festival。
その中の多家良市、アイディアを出した篤さんのイメージは
楽市楽座だった。
そんなわけで、のぼりもわざわざ、
日本のお店にお願いして作った特注品。
さおだけも無いので、日本で買って、
飛行機に載せるのに苦労したとか。

お寺の可能性についていろいろ考えているのだけれど、
そもそも、人々は何をしにお寺に行くのだろうか。
ググったらお参りの意味とは? が出てきた。
お願いごとをしに行くと書いてある。
お寺は、そこでお願いごとをすると
世界を司る何ものかのもとに、
そのお願いが届く、と思える場所ということだ。

お寺は彼岸と此岸をつなぐ、
アクセスポイントみたいなところなのかな。
something great がいると思われる場所や、
亡くなった人がいると思われる場所など、
彼岸なるところにメッセージが伝わる場所、
というような。

そうか、お坊さんたちは国家安寧的な大きな
お願いごとを祈り続けるっていう役割を
担ってたわけだしねぇ。
お願いを伝えて、叶えてもらえるお坊さんたちに
私のお願いも届けてくれるように頼めば、
一緒に届くかも的な。

もっともっと昔は
お坊さんたちが集まって学んだり修行したりする場として
あったと思うのだけど、
(今もそういうお寺もいっぱいある)
寂聴さんの法話会みたいな感じで
お坊さんになりたいわけじゃないけど、
お話聞いたり、学んだりしたい人も集まってきて、
人がいっぱい来るようになったのかなぁ。
人気の説法師とかいたのかなぁ。

そういえば、薬師寺のお坊さんで人気のある方が
いらしたなぁ。ググったら、高田好胤さんでした。

だとしたら、パロロ本願寺にいろんなゲストを
お招きして、ワークショップしたり、講演会したり
っていうのは、お寺の本来の機能の一つでもある。

昨日はまた、ご住職ノリさんの手によるカレーうどんを
パロロ食堂でご馳走になり、一緒に居合わせたひろ子さんと
「みんなでご飯を食べる会」を1ヶ月に1回ぐらいで
開けるといいねぇと話が弾みました。
ご住職のお人柄で場が開けたり、人が集まったり。

4月14日(日)には「天のしずく」の映画上映会を企画しています。
英語名はDrops of Heaven。辰巳芳子さんのドキュメンタリー。
楽しみです。

「寺カフェ」やって帰ってきたら、1日飛んじゃった?

2019-02-23 00:55:53 | あれこれ
パロロ本願寺での寺カフェ。
第2回が今日でした。
差し入れをたくさんいただき、
お昼はご住職のノリさんが
お魚を焼いて、味噌汁を作ってくれて
みんなでいただき、
椅子ヨガを楽しんで、
また、お茶を飲み。

寺カフェを閉じたところで、
今度はパロロでのイベントで
お世話になった方たちとの
慰労会的宴があり。

お友達を連れて来てくださって、
初めましての方とお友達になったり、
いらした方々がお互いに
知り合いになったり、
イベント情報など共有したり、
次なるイベントのアイデアを
ご提案いただいたり。

お寺でワイワイしているうちに、
いろんなことが生まれ出てくる。
なんとも、面白い時間。
いらしてくださった皆様、
美味しい差し入れをしてくださった皆様、
場所を使わせてくださった皆様、
ドネーションをくださった皆様、
ありがとうございます。

また、来月、やりますね!




「命灯会」一緒に悼む

2019-02-12 07:25:42 | あれこれ
震災の年、9月に一人、10月に一人、
親しかった友人を亡くした。

この数年間、毎年のように、
同年代の友人が亡くなっている。
死は人ごとではない。

9日にパロロ本願寺を会場にして、
命灯会を行った。
たくさんの方にいらしていただき、
たまたま、被災地からハワイを訪れていた方も
ご一緒でき、お声を聞くことができた。

「忘れられてしまうことが悲しい」
という声を聞いて、どうしたらこの災害を
後世に伝えられるだろう、と考えて始まったという
「ともしびプロジェクト」。
お寺で廃棄されるロウソクを回収し、
再生してブルーに染められ
作られたキャンドルに
1本を今を生きられなかった命のために、
1本を今を生きる命のために灯す。

亡くなった人に思いをはせ、
自分が生きてるっていうことを意識する時間。
日常に紛れてしまいがちな時をロウソクの
灯りの中でゆっくり過ごせる。

フェイスブックでは見かけているけれど、
生身で会うのが久しぶりな友だちたちと
会える機会ともなった。
来月、3月10日にもパロロ本願寺で
「命灯会」があります。

photo by Atsushi Takebayashi

わだかまるものとネガティブケイパビリティ

2019-02-11 07:28:26 | あれこれ
ルーティン11日目にして
書きたいことが浮かばない。
校長先生、行き詰まりました!
と思いながら、なぜに? と

多分、わだかまるものがあるから。
わだかまるものを瞬殺することもできる
「気にしない、気にしない!」
「関係ない、関係ない!」
「どうしようもないことだし」
これでおさまっていれば、まあ、
それも一つの手。

ただ、ホントーに気にならなくなっていて、
ホントーに関係ないと思っていて、
どうしようもないことだったと
諦めがついていれば、
わだかまらない。
わだかまってるってことは、
意識に上ってくるほどには、
気がかりなことである、ということ。

今年のお題、ネガティブケイパビリティを
涵養すること、との関連で言えば、
この「わだかまり」が何なのか目の前に据えて、
何が起こっているのか、
じわじわと見ていくことにしよう。

気仙沼からお客様

2019-02-07 08:06:42 | あれこれ
震災をきっかけに気仙沼に移り住んだ
杉浦恵一さんが来ている。
9日にパロロ本願寺で
お話会と命灯会をしてくれる。

彼はヒッチハイクで
いろんなところに行くという
面白いことをやっていて、
震災が起きたとき、
東北でお世話になった人たちの
ことが心に浮かび、動き始めたという。

そして、愛知県に住んでいたにも関わらず、
そのまま気仙沼に移住。
キャンドルプロジェクトを立ち上げたり、
派を超えた仏教イベントのきっかけにも
なる命灯会を始めたり、
数年前からはシェアオフィスの運営をしたりと、
面白い動きをいっぱい。

たまたまマカハのちえみさん宅で
タッキー先生の「からだ占い」や
池末みゆき先生のライアーの会があったので、
お連れして、西側も堪能していただくことが
できたのではないか、と思われます。

今日は伝統あるハワイの日本人コミュニティの
勉強会である木曜午餐会でお話くださる予定。
たくさんの人がいらっしゃいますように!


inter being というあり方

2019-02-03 08:53:37 | あれこれ
多分、20歳ぐらいの頃、
男の子の運転する車に乗りながら
「バイクに乗って並走するような関係が好きだ」
というようなことを話したことがある。

そうは言っても送り迎えしてもらえるのは
楽チンで、心地よく、威張りながら甘え、
バイクの免許は取らず、
周りにライダーがいっぱいいたので、
実際にはタンデムばかりだったのだけど。

それぞれが自分のやりたいことに没頭したり、
行きたいところに出かけたりしながら、
それでも独りぼっちというわけではない、
みたいな状態について、
何かいい言葉がありそうなんだけどなぁ
とずっと思っていたら、
ティクナットハンの本を読むようになって
見つけたのがinter being。

それぞれ、自分のこと、好きなことをしているわけだけど、
無関係ではない的な。
そういうわけで、(どういうわけだ?)
その人らしいbeingをしている人を
見ると嬉しくなり、ワクワクする。
そして、私なりのbeingってどんなかなと、
また、自分に戻ってくる。

全然、違うことを書こうと思って始めた
今日の日課、カレシ、カノジョができつつある
子どもたちを横目で見ながら、こんな話になった。

定年後とルーティン その3

2019-02-01 09:26:18 | あれこれ
ルーティンについて考えていたのは、
「定年後」について考えていたから。
縁あって、定年後について考える仕事をしている。

自分自身、日本での仕事を辞めてハワイに来て、
「ああ、定年後ってこういう感じなんだな」と実感した。
初めの数ヶ月は決まったことをやらないで済むので、
なんとなくワクワク。
だけど、途中から落ち着かなくなった。
だいたい、知り合いもいなけりゃ、言葉も通じないのだ。
もう、買い物に行くのも嫌になりだしていた。
コレまで、何も考えなくてもどこに何が売ってるか、
欲しいものがどこにあるか自動的に見つけることができた。

ところが、ハワイ移住後、欲しいものがどこにあるか
わからない。使い方の分からない、元気のなさそうな野菜が
並んでいることにがっくりし、スライス肉の厚さにびっくりし、
値段の高さにため息をつく日々。
日本にいるときの感覚で買い物をしていたら破産する。
全てが0から、という生活は、
それこそ肉はここ、野菜はこの店とか、バス用品はここ、洗剤はここ、
というように「いつもの」ができるまで、やたらとエネルギーを使う。
例えば液体の入ったボトルを見て、
シャンプーなのか、台所用なのか、ハンドソープなのか判明するのに、
しばし時間がかかる。
パッと見て「これこれ」っていう感じにならない。
それでもって、買い物に行くだけで、
何をしたというわけでもないのに、
やたらと疲れていた。

多分、定年後、
「いつもの何か」ができるまで、疲れるのだと思う。
「仕事してるわけじゃないのに、なぜ?」と
思うかもしれないが。

仕事に行く必要がなくなった、
という喪失感だけではなく、
次なる生活のルーティンが出来上がるまでの、
心理的エネルギーの消費ということを考えると、
うつ的になってもおかしくないよな、
なんてことに気がついた。

う〜ん、ルーティン学校、奥が深いぞ。



師匠ってこういうことね*ルーティン その2

2019-01-31 12:05:54 | あれこれ

ウィリアム・マクレイヴン 氏についてのブログ
を見て、
確かに「少なくともコレはやった」と思えることは
とてもいいな、と思っていた。

ルーティン学校。
校長先生がいて、時々覗くと、
先生も日課に取り組んでいるのがわかって、
バーチャルな関係でもなんだかやってみるか、
というようなものが湧いてくる。

Twitterで、10才の少女が毎日漫画を描くと
語られ365日後に、成果を見せ合おうと
アジられていると、それがもしかしたら、
彼流の物語であったとしても、不思議に
あら、私も頑張ろうかな、という気になる。

例えば、コレがだれか違う人で、
本当にどこかの学校の校長先生だったりしても、
こんな風な「私もやってみよ〜」って
思うかと考えると、そうでもないので、
「すごい頑張ってる人だよなぁ」とか、
「素敵だなぁ。面白いなぁ」
という人であることが大事っていうことになる。

きっと「先生」っていう役割は
ここにあるのだろうなぁ。
そういえば、内田樹氏も「師」について、
似たようなことをおっしゃってた気がする。
学費を払い込んだ時点で、
すでに師と仰いでしまっているので、
月に1回のメールでやりとり
というのでも励みになるのだなぁ。

どうでもいいことだが、
子どものころ、ベッドメイクをしなくちゃいけなくて、
(その頃、ゴムの入ったシーツとかなくて、
ただただ、大きい四角いシーツをピチッと畳み込むって
いうのが下手くそだったこともあり)
それが嫌なあまり、今もお布団で寝ているのですが。

ルーティンということ

2019-01-31 08:00:34 | あれこれ
最近また、Twitterに戻ってきた。
フェイスブックでの濃厚な関係をちょっと離れて、
全く知らない人の声がサラサラと流れていくのを、
距離を持って見るのも楽しい。

数日前、Twitterにログインしたら、
坂口恭平さんが
「ルーティン学校をやります」
というようなことをつぶやいていた。

おお、これは面白い! と思って
リンク先に飛ぶと、売り出し中。
ホノルルマラソン(10キロね)に
申し込む手続きをしていたので、
お財布が手元に出ていた。
そんな偶然が重なり、つい、申し込んだ。
そしたら、その後で30人限定となって、
「え、私、その中に入っちゃったのかな?
私のような者が入っちゃっていいのかな?」
てな状況で。

そんでもって、ちょっとしたら
坂口校長先生からメールが届いて。
ドキドキしてしまった。

いろいろ、考察があるのだが、
それは後ほど書くとして、
私は自分の日課の一つを
「朝飯前にブログを書くこと」にした。

そういう訳で、毎日、騒がしいと思うけど、
ちょっと頑張ってみる。


お世話になりました「児童心理」

2019-01-17 09:55:51 | あれこれ
ツイッターで児童心理が休刊と知って、
とても残念。
紙媒体が難しいのかな、
先生方が忙しくて、
雑誌を読む時間、ないのかな。

その時々のトピックが分かりやすく、
しかも実践に応用しやすく解説されている雑誌。
いつも〆切破りでご迷惑をかけながら、
何回か書かせていただいた。

ハワイに移住してからも
お仕事をいただいて、
とっても嬉しかった。

これまでの中で特に「愛」をテーマに
連載させてもらったことは、
自分一人だったら、絶対に書こうと
思わなかった内容で思い出深い。

いろいろ、お世話になりました。
ありがとうございます。