cookの後書きを読んだり、
小麦粉セラピーをやってみたり、
神田橋條治先生のことを思い出したり
していたら、昔、不登校の子どもたちと
溜まり場的なことをやっていた時のことを
思い出した。
それは初めは駒込のマンションの一室を
使わせてもらってやったりしてて、
プリメイラでもやってたことがあるのだけど、
学校に行っていない子どもたちの昼間の居場所、
という感じになっていた。
そこにくる女子たちは、よくクッキーを作ったり、
焼き菓子を作ったりしていた。
お菓子作りが始まると、
学校に通い出したりするなぁ、
と思いながら見ていたのを思い出す。
初めと終わりがあって、
完成が見れて、
自分の手や指先から作り出されるもの。
しかも、完成品は可愛くておいしい。
主婦たちが結構、大変な仕事をこなしながら、
元気なのは、日々、クリエイティブなせいかもしれない。
神田橋先生は研修会かなんかで遠くから
見たことがある程度に知っているのだけれど、
「具体的になんと言うか」を伝えていてすごかった。
「言葉」って相手に大きな影響を与えるよなぁと思ったり。
同じ言葉を使えばいいってもんではないのだけれど、
そういう言葉の裏に流れる気持ちの持ちよう的なところが
とても印象深い。
ハワイに来て以来、自分の言葉づかいや気持ちの持ちようが
センシティブ過ぎて、弱過ぎで、ダメダメなんじゃないかと
かなり凹んでいた。
配慮し合う文化から、
欲しいものを欲しいと言い、
言いたいことはズケズケ言い、
「それは困る、どうしてくれるんだ」という
コミュニケーションが結構、当たり前の文化が
(つまり、そう言わなければ踏みつけられっぱなし、
放って置かれっぱなしになりかねないということ)
思っていた以上にこたえた。
「あなたはセンシティブ過ぎる」
「未成熟なんじゃない?」
「目立ちたがり屋さんなのね」
「日本で仕事してる方がいいんじゃない?」
などなど、暮らしぶりや子育てにもあれこれ。
喧嘩しているわけじゃなく、普通の会話で
こういったことを言われる。
多くは愚痴っぽい話になったとき
こういったコメントが返ってくる。
ネガティブ・ケイパビリティというか
ネガティブ・トレランスが低い文化というのかな。
ポジティブで前向きで、目標と意欲を持ち、
いつも元気であることがいいのだ、的な。
悲しみや落ち込み、傷つき、凹みに対して、
かなり否定的で、そういうものは持つべきではない、
自分の中で処理できないことは未熟なこと、といった
雰囲気がたちこめる。
こういった風土と
抗うつ剤の売り上げがむちゃむちゃ高いことと、
関連があるかもしれない。
周り中全てがそうというわけではないけれど、
そういうやりとりに慣れてなかった。
久しぶりに神田橋先生の言葉づかいを読んで、
なんかホッとした。
そんでもって、ある時、
「そうだ、センシティブでも、まあいいんだよな」
と思えた本があったことを思い出し再読。
大友良英・稲葉俊朗著
「見えないものに、耳をすます〜音楽と医療の対話〜」
稲葉さんとは何回かお会いしたことがある。
彼のお人柄が偲ばれる、じんわりと効いてくる本。
小麦粉セラピーをやってみたり、
神田橋條治先生のことを思い出したり
していたら、昔、不登校の子どもたちと
溜まり場的なことをやっていた時のことを
思い出した。
それは初めは駒込のマンションの一室を
使わせてもらってやったりしてて、
プリメイラでもやってたことがあるのだけど、
学校に行っていない子どもたちの昼間の居場所、
という感じになっていた。
そこにくる女子たちは、よくクッキーを作ったり、
焼き菓子を作ったりしていた。
お菓子作りが始まると、
学校に通い出したりするなぁ、
と思いながら見ていたのを思い出す。
初めと終わりがあって、
完成が見れて、
自分の手や指先から作り出されるもの。
しかも、完成品は可愛くておいしい。
主婦たちが結構、大変な仕事をこなしながら、
元気なのは、日々、クリエイティブなせいかもしれない。
神田橋先生は研修会かなんかで遠くから
見たことがある程度に知っているのだけれど、
「具体的になんと言うか」を伝えていてすごかった。
「言葉」って相手に大きな影響を与えるよなぁと思ったり。
同じ言葉を使えばいいってもんではないのだけれど、
そういう言葉の裏に流れる気持ちの持ちよう的なところが
とても印象深い。
ハワイに来て以来、自分の言葉づかいや気持ちの持ちようが
センシティブ過ぎて、弱過ぎで、ダメダメなんじゃないかと
かなり凹んでいた。
配慮し合う文化から、
欲しいものを欲しいと言い、
言いたいことはズケズケ言い、
「それは困る、どうしてくれるんだ」という
コミュニケーションが結構、当たり前の文化が
(つまり、そう言わなければ踏みつけられっぱなし、
放って置かれっぱなしになりかねないということ)
思っていた以上にこたえた。
「あなたはセンシティブ過ぎる」
「未成熟なんじゃない?」
「目立ちたがり屋さんなのね」
「日本で仕事してる方がいいんじゃない?」
などなど、暮らしぶりや子育てにもあれこれ。
喧嘩しているわけじゃなく、普通の会話で
こういったことを言われる。
多くは愚痴っぽい話になったとき
こういったコメントが返ってくる。
ネガティブ・ケイパビリティというか
ネガティブ・トレランスが低い文化というのかな。
ポジティブで前向きで、目標と意欲を持ち、
いつも元気であることがいいのだ、的な。
悲しみや落ち込み、傷つき、凹みに対して、
かなり否定的で、そういうものは持つべきではない、
自分の中で処理できないことは未熟なこと、といった
雰囲気がたちこめる。
こういった風土と
抗うつ剤の売り上げがむちゃむちゃ高いことと、
関連があるかもしれない。
周り中全てがそうというわけではないけれど、
そういうやりとりに慣れてなかった。
久しぶりに神田橋先生の言葉づかいを読んで、
なんかホッとした。
そんでもって、ある時、
「そうだ、センシティブでも、まあいいんだよな」
と思えた本があったことを思い出し再読。
大友良英・稲葉俊朗著
「見えないものに、耳をすます〜音楽と医療の対話〜」
稲葉さんとは何回かお会いしたことがある。
彼のお人柄が偲ばれる、じんわりと効いてくる本。