プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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Mouna Farm Arts and Culture Village

2018-04-29 15:30:00 | Life in Hawaii
Mouna Farm のMounaとはサンスクリット語でinner silenceの意味だそうだ。
内なる静寂 かな?
ここを訪れると、いつも食べ物が出てくる。
え? いいの? 一緒に? という感じで、
嬉しいんだけど、
なんとなく身の置き所がないような
落ち着かなさを感じていた。

今回も主のSooriyaさんがクスクスにいろんなスパイスと
野菜を入れて料理したものと
すっごい美味しい紅茶でもてなしてくれた。
「辛いよ〜」って言いながら出してくれたお料理は
とっても辛いけどさっぱり、美味しい辛さ。
お忙しいだろうのになぁ。

初めて訪れたというのに、
当然のように落ち着いて、
ニコニコ食べてる若者が
妙にうらやましい。

若者はSooriyaさんに尋ねる。
「どうして、みんなに食事をふるまうのですか?」
「食べ物はとても大事な物だからね。ここではみんなで分けあって食べるんだよ。
give,give,giveして、何も見返りを期待していなかったのだけれど、
ここが与えられたんだ」とも。
「私もあなたも別々のものではない、つながっているんだ」
といったことも。ところどころ英語がわからないのがもどかしい。
でも、トランスパーソナル的。
トランスパーソナル的なものにアンビバレントなのだけど、
だれが物語るかで、これが
飲み込めたり、飲み込めなかったりする。
もちろん、彼の話はするする入ってくる。

Sooriyaさんはスリランカ生まれ。
21歳の時、お父さんがお母さんの目の前で殺害された。
インドに亡命して、ネパールやヨーロッパで暮らし、
30年ほど前にハワイで暮らし始めた。
石や木を使った彫刻から今は銅板作家として
ハワイの人間国(州)宝。
Waianae Coast Comprehensive Health Center
専属アーティストでもある。
そこには、彼の作品がふんだんに使われている。

彼の略歴の中で父を殺害された怒りと悲しみで、
その後数ヶ月、感覚が無くなってしまったとある。
ヒンズー教のサドゥとなり、何も所有することなく、
寺から寺をめぐって暮らし、ある日、同行していた
サドゥのブレッシングを受けているときに
怒りがあふれだし、許しへとつながった、とも。

そうか、そういうことだったのか。
ここはKids Hurt Too Hawaiiの子どもたちに
通じるところのようだ。
大きなgriefと怒りとlove。

だれかをご案内しているつもりが、
自分が案内(ガイド)してもらうことになる。
まったくもって、あなどれない。
「みっけ!」の本のように、
あら、こんなところに! って感じで
いろんな物が日々の中に布置してある。
ありがとう!

若者とマカハへ

2018-04-29 12:01:31 | Life in Hawaii
書くことは頭をすっきりさせるのにとっても役立つ。
いろいろ、感じたり考えたりしたことはあっという間に消え去り、
私自身、くるくると変わってしまうので、
言語化してどこかに置いておけることはありがたい。

さて、食事の後別れた若者。
次の日、ちえみさんのところにお連れすることになった。
先週あたりから、ちえみさんのところに行きたいなぁと
思っていたこともあり、staycationするいい理由ができた。

その前に立ち寄ったパロロ本願寺で、
あつしさんにも会い、若者はシュノーケリングとフィンを
貸してもらい、イルカに出会えるかもしれないポイントも
しっかり伝授されていた。

マカハでは到着そうそう、
みんなで調理したエビに冷めないうちにと、
シャンパンを飲み飲み、かぶりつき、
夕日に間に合うように(お酒を飲まない若者の運転で)
ビーチまで降り、夕日と砂浜を堪能した後、
ポイニョッキとステーキとワイン、
そしてカンツォーネを
楽しんだのだった。

明朝、Makua Beachへ。
若者はシュノーケリング。
海をぼっと見ていると何かが跳ねている。なんと、イルカ!
一旦戻ってきた若者にそのことを告げると、もう一度沖に向かって泳ぎだす。
イルカツアーのボートも繰り出してきた。
結構な沖合で、一緒に行ったリエさんと
「大丈夫かなぁ」と心配しながら待ってたら、
若者はしっかりイルカとホヌのビデオを撮って、帰ってきた。

続いて、訪れたのはMouna Farm。
このファームにはいろんな人といろんな機会に訪れ、
いつも不思議な感じがする。
初めて訪れたのは鎌仲さん、岩田さんとだ。
だれが彼女たちにここを紹介したのかは知らないのだが、
私は運転手としてくっついて行った。
以前からこの場所のことは聞いていて、
鎌仲さんたちとお邪魔したときには、
このファームの主人、スーリアさんのことや
彼とハワイとのつながりが、
よくわからなかった。
それから数回訪れ、とっても素敵なところだということは
よくわかっていたのだが、なんというか、
その全体像がよく見えなかった。
いま、ハワイ東海インターナショナルカレッジの平和教育の一貫で訪れたり、
リンダ先生(この方とも不思議にいろんなところで
つながってるのだけど)やちえみさんと訪れたり、
里地帰さんのコンサートを聞きに訪れたり。
これまで何回か、あやふやな訪問者として、おじゃましていた。

(つづく)

お金のこと

2018-04-28 12:57:58 | 考えたこと
田中さんから伺った、
坂口恭平氏をグーグルしてみる。
それはそれは、とってもいろんなことをしていて、
一体、この方のどこからとっつけばいいんだろうと
思ったのだけれど、
これが最近、感じたり考えたりしていることに
とっても近くて、なんだか嬉しかった。

昔、義理の母の不動産関連の仕事を手伝っていたとき、
会社に税務調査の人がいらしたことがある。
その時に感じたのは
「人が何か頑張ったり仕事したりするのはお金が欲しいからだ」
という前提の元に調査をするんだなぁ、ということ。
「一番、自分が儲かるようにと考えるはずだ」
という前提も。
そんなに疑いの目で見続けて疲れないかなぁとか。

そしてハワイに来てからというもの、
仕事もせずにボランティア三昧をしていて、
ボランティア先から収入を得るどころか、
寄付貧乏になっているというのに、
「あれだけ一生懸命になってやってるのは、
たくさんお金をもらってるに違いない。
よっぽど何かいい思いをしているに違いない」
と思われたりすることがあった。

お金はあるに越したことはない。
もちろんいっぱいもらえたら嬉しい。
でも、お金のやりとりの無いところで
お金を目的とするのでは無いところで
動くなにものかにとってもひかれるのだ。

あっちもこっちもつながるハワイ

2018-04-27 18:31:54 | Life in Hawaii
8時頃にハレクラニホテルに到着。
実はそのとき、若者が一緒にいた。
面白いことをしている人で、
説明をしようと思うと、たっぷり時間がかかる。
でも、ここには何かあると
つま先を突っ込んで知り合いになった。

なりゆきでこの若者もフラを見に。
なんと、彼もフラを踊ったことがあるという。
というのも、ご両親が海の家をやっていて、
そこに毎年フラのグループが訪れ、
お母さんの要望で
一緒に踊らされていたとか。

楽しくカノエさんと一緒に写真をとり、
そして、さらに田中さんたちとの
食事にも参加。
そして、この若者や彼の仲間の話をする中で、
坂口恭平氏についての
話を聞くことになった。田中さんは坂口氏とつながりがある。

なんと、なんと、つながるつながる。
私が関心を向けていること、
豊かさとか、かかわりとか、ハピネスとか
差し出すこと、受け取ること、拒否することといった
漠然としたことなのだけど、
あながち、見当はずれということでもないらしい。
だれかをサポートするつもりが、
あっという間に自分がサポートされる側になる。

目的やゴールを設定することに違和を感じるというのは、
こういう感じのことがあるから。
周りで起こることは、
自分が思ったり、考えたりしていることを超えている。

ああ、こうつながってくのか

2018-04-26 13:15:05 | Life in Hawaii
会いたい人に会える街、ホノルル。
前回の話に続いて、絶妙のタイミングで
すてきな人と会うことになった。

毎週金曜日、土曜日に
ハレクラニホテルで
カノエ・ミラーさんのフラを
見ることができる。
カノエさんのお友達とお友達なので、
ときどき便乗させてもらっては、
かぶりつきの席でうっとりしている。

彼女のフラは別格で、
見ているだけで幸せになる。
仏教に出てくる和顔施とは、
まさにこのこと。
夫を亡くした方が、毎週彼女の
フラを見て、心を癒していたという
エピソードもうなずける。
彼女ならではなのだ。

カノエさんのお友達である友人が
「今夜は日本から田中敏恵さんという方が
見えるの。ブータンの本を書いた人なのよ」
とおっしゃる。

なに、なに!
ちょっと待って、私、この間、
east west centerでブータン展を見てきたばっかり。
しかも、Happinessというドキュメントも見てきたところなのだ。
GNHに興味関心を持ち、セリグマンが登場するポジティブサイコロジー
のオンラインセミナーまで取ったりしているところなのだ。
このタイミング、会わずしてどうする。
カノエさんのフラ、
そしてその後に続く夕食の会に混ぜていただくことにした。

(つづく)


「がっかり」や「むかっ」

2018-04-25 08:58:30 | あれこれ
以下のような下書きが去年の今頃の日付で残っていた。
かなり、ハワイでの生活に疲れてたんだよなぁと
今なら、余裕をもって振り返ることができる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

文化の違いなのか、
たまたま、そういう状況に遭遇しているのかわからないが、
ハワイに来てからというもの、
時間やスタンダードのずれにため息をついている。

例えば、「9時から12時までやります。必ず出てください」
とか、「一人一品持ってきて下さい」って書いてあったら、
フツーに時間に間に合うように調整するし、一品持っていく。
6時に行くと言われたら、6時に待っている。

そして、例えば、スケジュールが合わなくて
1時間、早めに帰らなくてはいけないというようなときは、
OKかどうか確かめるということをフツーにする。

だけど、問い合わせても返事がなかったり、
早めに帰らなくてはいけないと聞いてみたら、
「それだったら来なくていい」と言われたり。
その一方で、なんの連絡もなく時間に遅れてくる人がいたり、
なんの相談もなく1時間前に抜けたる…という人もいて、
それにあれこれ言われるでもなく、OKだったりしている。

そういうことが重なっていくと、
やる気のある人や
物事をキチンとするべきだと思っている人は
萎えるのではないかと思う。
モラールが下がってしまうのではないか、と。

よくわからない。
自分の感覚が真面目すぎて
面白みがないということなのかなとも思う。
本当にやる気だったら、
周りがどんなふうでもやればいいだけじゃない、とも。

時間の大雑把さや対応の一貫性の無さ。
この感覚に、どうもついていけてない。
自分のことではないにもかかわらず、
腹が立ったり、無力感を抱いたり、
え、いいの?と焦ったり、とても疲弊する。

事前に「これでいこう」と決められたことは
小さな変更はあるにしても、
たいてい、予定通りのルールで進むし、
時間に遅れてきたり、急に変更になったら
できる限りすみやかに連絡を入れ、
「すみません」と謝るのがフツーだった。

ここでは、自分が配慮しているつもりのことは、
他者にとっては配慮でもなんでもないことも多い。
欲しいもの、やりたいことはやったもの勝ち、
言ったもの勝ちだ。
私が私が、と主張した人の話が通ってしまう。
期待はずれがたくさん起こっても、
「まあ、しょうがないね」と流して、
次なる「大事なこと」に集中することが必要なのだろう。

これまで単独行動で動いていたせいか、
共同作業というのが下手くそな自分を
いつになく突きつけられる今日この頃なのである。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この状態が続き、
自己内不協和音状態になり、
調子がズレていっちゃったのですね。
チューナーさんと出会えて、よかったなぁ。


自分がチューンされる感じ

2018-04-24 09:15:40 | Life in Hawaii
ハワイで暮らしていると、いろんな人と出会うチャンスが増える。
そして、そこから大きな影響を受けることも。

先月、あった人はチューナーのような人で、
おしゃべりをしているうちに、自分の内側が調律され、
音がずれちゃって、なんか違う、なんか変だと思っていた
自分の考えや気持ちが、チューンされて、
しっかりとしたハーモニーになって出てくる
ようになった、みたいな体験をした。

いやあ、本当にありがとう。
初めはこちらが何らかのお手伝いをするような
心持ちだったのですが。予想外でした。

その直後ぐらいにあった人は星占いをする人で、
生まれた場所と時間でさささと見てくれて、
「相手の形に合わせてどんな形にもなり、包み込む」要素、
「全体が見える」要素がある。「全体が見えるから、相手の
急所も見えてしまうのだ」とも。

妙に、非常に納得してしまう。
星のせいなら仕方ないではないか。
ついつい、裏を読んでしまう、見てしまう私ってのは
もしかして、とっても性格、ひねくれてるんじゃない?
と、純粋に親切な気持ちの持てる人をうらやましく思ったり
していたところだったので、あきらめがついた。

人はそれぞれ、自分の見方で世界を見ているのだ。
そこから始めるしかないじゃないかと納得。

まあ、還暦も近いことだし、
やりたいこと・興味の向くことにフォーカスして、
心置きなく過ごすことにしよう。

「何がやりたいの?」って聞かれて

2018-04-15 16:26:33 | 考えたこと
友人としゃべっていて、
「一体、何がやりたいの?」
と質問された。
還暦目前に若者にするような問いを
向けられるとは思わなかったのでとまどったが、
このところ、いろんなことに首を突っ込んでは
ドキドキしたり、落ち込んだり、ワクワクしたり
してるので、まあ、そう質問されても
仕方あるまい。3回目ぐらいの思春期なのだ。

ハワイに来てから、いろいろやっている。
どれも自分が主体ということはなく、アシスタント的。
Kids Hurt Too Hawaiiは確かにミッションを感じて
かなりなコミットぶりではあるが、あくまでも、
シンシアとヒロが主体。
Kids Hurt Too Hawaiiにとって、より役立つことを
というスタンスでかかわっている。
「やると役立つ」ことだからやるというのと、
「やりたいと思う」からやることとには、
そこここで、ズレがある。

リビングオハナ
というNPOも友人とやっている。
子どもたちへの読み聞かせとクラフトを作ることとが
中心だが、友人とあれこれ言いながら、
あれこれ面白いことをやれるので続けている。
ただ、上記問いにぴったりくる答えではない。

では、カウンセリングか。
いわゆる、だれかを助けたいという気持ちとは
かなり違う気がする。助けるだなんて、おこがましい。
じっくり、人の言葉に耳を傾け、言葉にならない感情に
フォーカスすること。これがやりたいこと、なのだと思う。
これまでは言葉を使ってやりとりしてきたけれど、
ハワイに来てからは、身体の感覚にもっと目を向けたいと思った。
ピラティスに通ったのもそのつながりだし、
ちょうどいい具合に、日本では野口整体の先生と出会った。
偶然、ヨガのインストラクターでもある心理療法家とも友人になった。

きっと、今、やりたいことは、
身体と感情とのつながりについて理解し、
何か解きほぐせるようになること、のような気がしている。
具体的にどうやって? がまだ見つからないでいるのですが。

「OH LUCY」見ました

2018-04-03 21:52:18 | Life in Hawaii
Kahala Mallというところに映画館があり、
そこでOH LUCYを見ました。

コメディタッチですが、シリアスで、ほろ苦いです。
「自死」のテーマがところどころに登場します。
日本の生きずらさ、のようなものも短い中に、
コンパクトに詰め込まれています。

米人から見た日本人の「英語」についても
なかなか、自虐的に見ることができます。
「こう、見られてるんだよなぁ」と。
ハワイとはいえ、ときどき全然、通じなかったり、
何回も聞き返されたり、トンチンカンなことを答えたりしているので、
身につまされる。

「ハグ」をどううけとめるか、
なども「あるある」的なところがあって、
ハグする相手と手を振る相手、おじぎをする相手など、
ハワイで暮らしていると
日本人どうしの場合、相手によって、微妙に違っていて
面白かったり、気を使ったり。
相手がこちらの人で男性の場合など、どうするか迷うところです。
最近はかなり慣れて、ハグがフツーになっておりますが。

日本での挨拶がお辞儀になったのは、
湿気が多いくて、ベタベタしちゃうからだろうなと
思ったりしています。
ここだと、サラサラですので。
ハグが心地いいです。
多分、ここの人たちが日本に行くと、
スキンシップが足りなくて寂しく感じるかも、ですね。