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プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
こちらもどうぞ→ https://note.com/nana_horoiwa

カウンセラーのイメージは割烹着

2009-08-01 18:42:59 | 考えたこと
この間、研修会で
「カウンセリングって、話すだけですけど、
問題解決するんですか?
という質問をもらった。

話すとすっきりする、というのがひとつにはあるような気がする。
大きな声を出すとすっきりするように、
あれこれ思っていることを声で出してみる。
これだけでも、ちょっとすっきりするのではないだろうか

そして、何をもって問題解決とするかによって違うんだけど、
物事の見え方が変わるということは起こる。
ひとりで考え込むのではなくだれかと話す、ということは
予想以上に問題の見え方が変わるきっかけになる(ような気がする

それで、私にとってはカウンセラーの仕事って、ちょっと
家政婦さんに似てるな~とも。
前にエコマムかなんかに書いたような気もするんだけれど、
冷蔵庫掃除とか、一人でするのって勇気がいる
何年も使ってないジャムとか、何が冷凍されているのか
わからない冷凍庫の奥のものとか。整理すればすっきりしそう
なんだけれど、なんとなくおっくうでそのままになっている
ものとか。その整理を手伝う家政婦さん。
で、家政婦さんが自分の好みで
勝手に片付けられちゃううと、依頼主は困る

「ここにビンありますよ~
とか
「開けてみますか?
とか言ってもらいながら、
「う~ん、今は置いとこうかな
とか
「ちょっと解凍してみようかな…。一緒にみてもらおうかな
みたいに、依頼主の好みとかやる気度合に応じて片付けて
くれると、ほっとしたりする。

そういった感じとカウンセラーの役割は
ちょっと似ている気がする。
なので、カウンセラーって
私の中では、割烹着着てる感じになっている…。
偏ってるかも…。

それから、カウンセリングってなんでも
解決できるんだよね?!という期待のようなもの
を感じることもある。

う~ん、何でもっていうことはないよね。
問題がなくなるっていうよりも、
問題につきあうのに慣れるっていう感じが近いかな…

最近、帰りの早いお母さん

2009-06-18 08:56:01 | 考えたこと
「最近、お母さん、家に居ること多いよね
と娘。
え? 去年に比べたら1.5倍ぐらい仕事してるし、
おととし(まだ息子が年長)のころに比べたら
3倍以上働いているとおもうのだが…、と思って
よく考えてみると、
「あ、娘、お前の帰りが遅くなったのだよ
と理解

小学生時代、彼女は学校がどんなに遅くなっても
4:30には帰ってきていた
母親は4:00まではたいてい仕事場にいるので、
まあ、帰宅時間は早くて5:00ぐらい。
中学になった今、娘の帰宅時間は7:00ごろ。
息子の学童が6:00終了。母親はそれには
間に合うように帰宅しているので娘よりは早い
娘が帰宅するときにお母さんが
「おかえり~
と。

なので、娘から見ると「いつも母さんがいる」状態
に見えるのだろう。
いや~、面白いな~。私の状況は変わってないのに
娘から見ると
「いつもいない」→「いつもいる」
になる。
自分の立ち位置から見るんだよね~(当たり前だが)

こうやっていろんな人の立ち位置にずらしていくと、
どんどん、何が本当かわからなくなっていく。
この茫洋感。 不思議に面白くて、はまります…

子育てについて考えた…

2009-01-28 09:51:29 | 考えたこと
Edu(小学館)の原稿をチェックしなくちゃ、と
お茶(なんで外出?)をしに行く途中、
幼稚園のときご一緒したママとばったり。
生後6ヶ月のホヤホヤ赤ちゃんと共に。

こんなに小さいころもあったのだな~としみじみ
子育てって、そのときはホントに大変で、
「何でこんなことしなくちゃなんないのよ~!!
という気持ちがいっぱい、いっぱいになっていた。
でも、過ぎると忘れちゃうものなのかな
少なくとも私は忘れちゃってました。
ただただ、「かわいいな~

感じない子ども~」
の本の内容を見てくださって、
「子育て本を書きませんか?
というお話をいくつかいただいていました。
でも、書けません! 
自分を振り返ると人様に何も言えません!!!
という状態

いろいろな子育て本を見ると
「こうすれば~」
「~するといい」
っていう言い切りフレーズがいっぱい
でも、その通りにできないことがたくさんあって、
できない自分にまたがっかりする、ということが
起こりやすい。
そして、お家によってあまりにも多様な事情があるせいで、
一般論として語りにくい。
これは介護とかも同様だと思う。
「共有しにくい」
ってことなんだよね

なので、子育て雑誌で何かを言うとき、すっごく悩みます
だれも「悪者」にしない語り方っていうの探す。
悪者をつくると結果、自分に返ってくるからね~
「じゃあ、あなたはどうなのよ
って。
「あ~ら、私はできてるわよ
もイヤだし、もちろん
「できてなくって…
になるのもイヤ。

「できてる-できない」
じゃない尺度も欲しいな~。
「役に立つ-役に立たない」
だけじゃないんだな、苦手な尺度…

異文化ということ

2009-01-19 09:24:08 | 考えたこと
今回の学会大会で、異文化ということについて、考えた。
教育現場での文化、医療現場での文化、会社員の文化。
自分にとっては当然でも、相手の文化にとっては「え!!」ってな
ことって、いっぱいある。
でも、お互いに「え!!」ってなときに「え?!」って言わないと、
違いを認めつつ理解しあうというところにたどりつけない。

一方的に「へんなの~」とか「ずる~い」とか思って終わる。
表面だってトラブルにはならないけれど、心理的には距離ができる。
こうならないためには、恥ずかしいけど、面倒くさいけど、
「え!」「そうなの?」「知らなかった~」を言語化したり
伝えたりする必要があるのではないかな~と。

人がいっぱいいる所に行くと、いろいろ考えが刺激されます。

内田樹著「私の身体は頭がいい」から

2009-01-12 09:48:19 | 考えたこと
引き続き平和のことを考えていて、
「対話
なんだよね、と。
そういえば、そんな感じのことが
「私の身体は頭がいい」
のどっかにあって、
「おお
と思ったんだよな、と引っ張り出してみた。

内田樹著「私の身体は頭がいい」

ああ、あった、あった!
「太刀について」
のところの最後。以下引用です

“その根源的趨向性はそのまま「一人ではいられない、しかし支配者でも奴隷でも
いたくない、ただ、他者との終わりなき対話のうちにいたい」という
「他者との共生」を基礎づける起源的な欲望に通じている。そして、そのような
欲望に深く熱く身を委ねることこそ、武道を修行することのもっとも人間的な
意味なのではないかと私には思われるのである”

で、私としてはその終わりなき対話の方法のひとつとして、
アサーション・トレーニングが位置づけられるのではないか、
と考えている。
自分の感情に気づき、相手を侵害しない形でそれを表現する。
それは、ミンデルの方法とも関連するし、
ガルトゥングの方法にも通じる。
自分がどう感じているのかを言語化することって、
意識するのとしないのとでは、大違いだから

なんてことを思って、昨晩、感情の言語化をしてみたら、
対話ではなく対戦になってしまった…。う~む、失敗
言語化ではなく、感情をぶつけてしまったんです…。
表現がアグレッシブだったのね…。
わかってることとできることとは、また別のことなんですね~

平和って、ゴールにたどり着いて終わり、っていう感じじゃなくて
全体が変化するなかで、平和的状態をそのときどき、探り探り、
なんとか平衡状態を保つというような、そんなイメージ。
失敗しながらでも、なんとか「対話」にチャレンジすることが
大事なんではないかな~なんて、思ったりしたのでした。

冬休みに続いて連休。ウチの中の人口密度が高くて…
対話も対戦も機会がぐっと増しています

物語の力

2008-12-23 12:48:33 | 考えたこと
物語の力ということについて、考えていました

私の持っている物語のなかで、崖っぷち状態のときに
すっごく効果のあるものがあるのを思い出しました

物語のタイトルは忘れたのですが、ロシアの昔話
確か3人兄弟の王子の3番目のイワン王子の妻になる、
ワシリーサ姫が主人公の名前だったと思います。
このお姫さま、呪いがかけられていて、
昼間はカエルの姿に変えられてしまっているのです。
で、物語では王様が3人の王子の妻たちを競わせる
パンを焼かせたり、セーターを編ませたり。
そのたびに、イワン王子は
「あ~もうだめだカエルにパンなんか焼けっこない
みたいに嘆くんです。そうすると、ワシリーサは
「心配しないで寝てください朝は夜より、いいことがあります」って言う。

もう、このせりふ、大好き
なので、うまくいかないことがあると、寝る
きっと朝にはいいことがあるだろう、と思うんです

Alohaです。蛇足ですがこのお話を見つけましたので、ご覧くださいませ。ネットは便利ですねえ。
蛙の王女(かえるのおうじょ、Царевна Лягушка)ロシア民話

「ペンギン絵日記」

2008-12-12 22:04:27 | 考えたこと
子どものバレエ教室の発表会。
前半はチュチュを着て、振り付けもクラシックな
雰囲気だったのですが、後半は教室主宰の先生による
オリジナル振り付けの「ペンギン絵日記」という演目。

ペンギンの親子が夏の日々、いろいろな体験をする。
それを絵日記風にひとこま、ひとこまドラマとして
語られるのだけれど、バックに流れているのは、夫曰く
「ペンギンカフェオーケストラ」。
そして、しっかりメッセージ性のある内容なのです。

バックスクリーンに子どもの字で日記が1シーンごとに
映し出されながらストーリーはすすみます。
ラストは次々と海中に沈んでいく氷から飛び立った
ペンギンのお父さん(ずっと飛びたかった)や仲間たちが
世界の旱魃や公害やらなんやらを見て廻り…。
「これは幸せなことなんだろうか」
って大写しになって終わるんです。
不意打ちをくらって、思わず、う~むと。
じわ~っとしながら「う~む、やるね~」と思いました。

ちょっとバレエ(踊り)に対して、見方が変わりました

地元のお父さん、お母さん、校長先生

2008-11-27 23:13:25 | 考えたこと
昨日の茅ヶ崎での講演で、PTA会長さんや地元出身の校長先生と
お話していて、いわゆる「地域の力」っていうようなことを
感じていました

お父さん会長さんが話してくれたのですが、
ご自分のお子さんが、小さい頃、人のものを取ってしまったのに、
罪悪感を感じていないらしい、というようなことがあって、
かなり厳しく叱ったそうです。

けれども、その体験があったので、
のちに友だちたちが万引きの計画を立てたときに、
「そんなことをすると、心に汚れがついて、いやな思い出になるから
やめようよ
というような説得をして、止めたとのこと。
なんだか、すっごく心強かった!

今読んでいる上田紀行著「目覚めよ仏教!」(NHKブックス)でも、
ダライ・ラマが対話の中で
「子どもに危険が及んでいる、というときに思わず大声で叱る、
思わず叩いてしまうというようなことは、悪ではない」
と言っていたのを思い出しました。
そしてマンガ「20世紀少年」も。

地元出身の校長先生から聞くお話も、
なんかほんわかしていて、苦労を苦労とも
思わないような、がんばっているそぶりも
みせないような、
なんだかにっこりしたくなるような
お話しぶり。

「公用車です
と自転車をこぐ姿にますます、にっこりしたくなりました

こういう大人たちに囲まれている子ども、
なんだかいいな~、と思うのです
そうそう、長崎のまっちゃんさんも
PTA会長さんとして、
がんばってらっしゃるものね

「子どもは時間だ」

2008-11-18 14:57:15 | 考えたこと
この間の、見田宗介先生の話をツラツラと
考えていて、時が時間になり、間が空間になる、
といったところのことを思いながら、
図書館にぼ~をしに行きました。

見田先生の本を一冊借りて、
帰りに子どもが小さい頃よく通った
公園の横を通りながら、突然浮かんだフレーズ。

「子どもは時間だ」

子どもが生まれるまで、私にはあまり「時間」という
感覚が無かったんですね。「時」はあったんです。
その場、その場の「時」は。
けれども、子どもが生まれて毎年、洋服が小さくなる
ことや、毎年、違う学年になることなんかを
目の当たりにして(ってあたりまえのことなんだけど)
「時の流れ」なるものを感じるようになった。

先祖のことを考えたり、昔話を聞いたりしたこともあって、
時が時間になって流れていくっていう感覚を
妙にリアルに感じたのでした

白山市、もうすぐです!

2008-11-12 08:51:01 | 考えたこと
いよいよ今週の土曜日、白山市で袰岩先生の講演会が開催されます。白山市の皆さま、どうぞよろしくお願いします

金沢の近くの松任(まっとう)という街(現白山市)は
母方の祖父のご本家のある街です。
祖父は次男なので、学生時代に東京に出てきて、
そのままサラリーマンになって、転勤族
物心ついたころは西宮に住んでいたので、孫である私はほとんど、
松任のことは知らないまま、大人になっていました

で、今回、たまたま、松任にうかがうチャンスができたので、母に
ご先祖さまのことをいろいろ尋ねることになり、
「ご先祖」なるものについて、あれこれ考える機会になりました。

それにしても、私1人が出てくるために、両親、そのまた両親が二組、
そしてそのまた両親が4組、と考えていくと、2の二乗となるわけで、
ほんのひいおじいさん、ひいおばあさんの世代で8人はかかわっている
かと思うと、気が遠くなる気分でした

日大の講義、行動療法の話です

2008-11-07 08:30:38 | 考えたこと
学園祭があったりして、久しぶりに日大に
授業をしに行く日です
今日は行動療法の話。
実は、私はあまり行動療法について話すのは
得意ではないのです

でも、多分行動療法の考え方をベースに書かれている
シンシア・ウィッタム著
ADHDのペアレントトレーニング」明石書店 
はとても役に立つし、
行動療法から発展した認知行動療法はとても好きな
考え方なんだけれどなあ~

今日の講義は認知行動療法的な考え方を
理解するヒントになりそうな実習をすることにしよう…。

研修会など、大勢の前で話す前に、頭の中に
スモークオンザウォーターが流れることが多いのだけど、
松山に行って以来、頭の中で流れているのは、
「千と千尋」のテーマや神様たちの音楽…。
ちょっとあちらの世界が大きくなっています。

「たまたま」な人生

2008-11-06 09:54:39 | 考えたこと
「たまたま」というとらえ方が好きだ

このあいだ、知り合いと話してて、
「それって、たまたまじゃないの?
って言ったら、
「ああ、たまたま、って考えると楽ね~
みたいなフィードバックをもらったのだ。

そうか、「たまたま」って
ちょっと楽になる感じなのかも

うまくいくことも、いかないことも、
「たまたま」な要素って多い気がする。
私自身の人生、たまたまな要素が多かったからな~。
転勤族の子だったせいで、
生まれた場所も学校も、
たまたま、そのときにいた場所なわけだし。

選んで行ったはずの学校でも、
たまたま、出会ったカウンセラーの甘言(?)に乗って、
専攻が変わってしまうし。
しかも、たまたま、そのカウンセラーが
出版社の人と雀友で仕事が回ってきたり、
そこで、たまたま後にいっしょに本を出す
ことになる人たちとであったり…。

なんか、
「自分が何かをがんばったから
という部分、少ない感じがするんだよね~
(あ、私の場合ね

うさぎとかめ

2008-10-31 08:28:30 | 考えたこと
人にはそれぞれ自分にぴったりくるリズム
のようなものがあるような気がする。

バンバンとやりたいことをみつけ、
ガンガンとそれに突き進む、
という動きを見ると、ちょっと羨ましい気持ちになる。
ときどき、そうではない自分はさぼっているのか?
能力に問題があるのか? なんていう疑問さえも
湧いてくることもアル

けれども、自分がそのリズムで動いたら、
どこかで破綻するな、ということがわかる。
(ようにこのごろなってきた)
自分のリズムで動いていても、まあ、
やりたいことはできるし、少しずつにしても、
たどり着きたいほうには近づいていける。

うさぎとかめの物語。
子どものころは
「だから、着実に、一歩一歩ね」
みたいなオチとともに聞き取っていたけれど、
今は
「ああ、そういうものだな~
のように聞き取れるのが、なんだか、不思議です。

コロンビアのコカ

2008-10-30 10:38:00 | 考えたこと
国連大学のセミナーでコロンビアの副大統領
講演をする、というので、
夫に便乗して聞きに行きました

夫は小・中学校時代の一時期を
ブラジルで過ごしていたこともあって、
南米関連にはぐいっと惹かれるのです

私はコロンビアと言われても、
即座には場所が定かじゃない状態だったのですが、
地図を見ると、南米の北、パナマと接しているところです。

広大なジャングルともの凄く豊かな生態系を持っていて、
最近でも新種のカエルや鳥が発見されている、とのこと。
ところが、そのジャングルでコカの栽培が数年前から盛んになり、
あっという間にジャングルの崩壊が広がっていると
ジャングルが切り開かれる、ということだけでなく、コカの栽培
に伴って莫大な量の枯草剤と殺虫剤が投入され、また、精製のために
薬剤と水が山ほど使われ、それらの排水は周りに廃棄されてしまい、
それに伴って、水にも汚染が広がり、環境破壊が広がってっていく…

もともと、コロンビアは中継地だったとのこと。
(確かに、地理的に便利な場所)
ところが、数年前から現地での生産が盛んになった。
現在、アフリカが中継地となっているので、
今後、アフリカに広がるのではないかと懸念している、とも。

イギリスにblurというバンドがあって、
そのメンバーが200万ポンド(記憶がおぼろです)だったか
をコカに使ったというので、コロンビア政府が彼らを招待して、
それだけのコカを栽培するのに、どれほどのことが起こるかを見てもらった。
それをBBCが番組にした、とのこと。
その番組をロムに焼いて、啓発に使っているという話も。

そういえば、blurを聞いていた時期もあったなと思って、
今、探したら、手元にblurのアルバム、The Great Escapeがありました。
このBBCの番組、見てみたいな…

知られること無く、絶滅している生物もいるだろう…。
地球のはるか向こう側で起きていることが、
自分に全然、関係ないと思ってたことごとが、
なにやらこんなに関係してくるとは。

副大統領自らが極東の地で、
これだけ熱心に語るということにも
すごい、インパクトを感じます。

この間の、もじ文字展でのカエルさんからの
手紙を思い出しました。(今年は国際カエル年)
なにか、できることは…。

私が惹かれたのは、プレゼンテーションの前に
コロンビア・コーヒーがふるまわれる、ってところ
だけだったわけじゃないよね? 
とちょっと自分に念を押しました。

矢野顕子「akiko」聴いてます

2008-10-29 09:18:51 | 考えたこと
アマゾンで手に入れた
矢野顕子akiko」聴いてます

1曲目のタイトルが「When I Die」
ラストの曲「変わるし」で、

~大好きなお店がまた 無くなっちゃうし
大切な親も猫も死んでしまうし~

と歌っていて、
なんだか、「死生学」なアルパム。
今年は本当に「生きるの 死ぬの」を考える年です。

「自分が死ぬこと」をリアルにイメージしたのは、
30歳ごろ。4月に大学院に入学して、
大学に続く満開の桜並木の下を通りながら、
「あと、何回桜の満開って見るんだろう…」
と思い、
「ああ、こういうのって数えられるんだ」
と思ったのが、リアルな体験でしたね~。
「有限」ってことに思い至り、おお、と。

でも、その直後ぐらいに、

「そうか。そうすると、あと何回ご飯が食べられるのか?というのも有限なんだ。
1回もおろそかにしてはいけないな。ジャンクフードは極力避けよう…」


というようなことも同時に思ったことも、思い出しました