尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談とかや名づけたる草紙を見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども。
一、 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほようは、せぬはよきなり。
一、 後世を思はん者は、糂汰瓶一つも持つまじきことなり。持経・本尊に至るまで、よき物を持つ、よしなき事なり。
一、 遁世者は、なきにことかけぬやうを計ひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一、 上臈は下臈に成り、智者は愚者に成り、徳人は貧に成り、能ある人は無能に成るべきなり。
一、 仏道を願ふといふは、別の事なし。暇ある身になりて、世の事を心にかけぬを、第一の道とす。
この外もありし事ども、覚えず。
<口語訳>
尊い聖(ひじり)の言い置いた事を書き付けて、「一言芳談」とかや名づけた草紙を見ましたに、心に合って覚えた事。
一、 するかしまいか、しないがありかしらと思う事は、大様は、しないが良いのだ。
一、 後世を思う者は、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまいことだ。持つ経や本尊に至るまで、良い物を持つ、由なき事だ。
一、 遁世者は、無いに事欠かない様を計らって過ごす、最上の様であるのだ。
一、 上位は下位に成り、智者は愚者に成り、長者は貧者に成り、能ある人は無能に成るべきだ。
一、 仏道を願うというのは、別の事ない。暇ある身になって、世の事を心にかけぬのを、第一の道とする。
この外もあった事柄、覚えない。
<意訳>
尊いお坊様方が残した言葉を集めた「一言芳談」とかゆう本を見つけましたので、読んでみて心に残った言葉を書きとめておく。
一、するかしないか、しないのもありかなと思う事ならしなくて良い。
二、 後世を考えるなら、ヌカミソがめの一つすら持ってはいけない。経や仏像に至るまで良いものを持っている理由は無い。
三、遁世者は、無い事を欠かさないように過ごす。無いのが最上である。
四、 貴族は下郎になれ。賢者は愚者となり、長者は貧者になれ。能ある人は無能になれ。
五、 仏の道は特別ではない。暇人になって、世間をかえりみなければ、それで良い。
その他にもいろいろと書いてあったが、あとは覚えなかった。
<感想>
「一言芳談」とはテキストによると、浄土宗の法師達が言い残した、ありがたい言葉を160余話としてまとめた本であるそうだ。編集者、成立年代は不明。
「意訳」の番号を参照して欲しい。
一は、明禅法印の言葉。
二は、俊乗房。
三は、解脱上人。
四は、聖光上人、もしくは敬仏房の言葉。
五は、松蔭の顕性房。
そんな事まで調べがついているんだから、学者というのは本当にすごい。
それはともかく。
俺は、最初のうちかなり「徒然草」をなめてかかっていた。
兼好などしょせんは昔の人、現代人の俺の知性にかなうはずがないとすら考えていた。しかし、徒然草を読み進めるに従い、確実に兼好が成長して行くのが読み取れるのだ。どんどん兼好の知性は深くなっていく。このままじゃ底なし沼だ。
兼好は、別に誰かに読ませる為に「徒然草」を書いたわけではないのだろう。自分自身の考えをまとめて再構築する為に書いたのだろう。
「徒然草」は兼好の知性の成長物語である。
最初の頃の兼好の文章は、単なる世間への嫌悪感だった。それが、いつの間にか書物から影響を受けたと思われる知への探求に変わり、その果てに、しょせん全ては無駄なんだよ。みんな死ぬんだという深い絶望感にたどりつく。
しかし、それを乗り越えた今の兼好の主題は「リラックス」である。
心を閑かにして、とりあえず自分の頭で考えてみようというノンキな態度が今の兼好にはある。
兼好は、自分の記憶力を自慢にしていた様子があるが、現在では、覚えられない事は覚えなくてもいいんだ。という境地にまで達している。
兼好は俺なんかが及びもつかない深い精神世界にいたのではなかろうか。
原作 兼好法師
一、 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほようは、せぬはよきなり。
一、 後世を思はん者は、糂汰瓶一つも持つまじきことなり。持経・本尊に至るまで、よき物を持つ、よしなき事なり。
一、 遁世者は、なきにことかけぬやうを計ひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一、 上臈は下臈に成り、智者は愚者に成り、徳人は貧に成り、能ある人は無能に成るべきなり。
一、 仏道を願ふといふは、別の事なし。暇ある身になりて、世の事を心にかけぬを、第一の道とす。
この外もありし事ども、覚えず。
<口語訳>
尊い聖(ひじり)の言い置いた事を書き付けて、「一言芳談」とかや名づけた草紙を見ましたに、心に合って覚えた事。
一、 するかしまいか、しないがありかしらと思う事は、大様は、しないが良いのだ。
一、 後世を思う者は、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまいことだ。持つ経や本尊に至るまで、良い物を持つ、由なき事だ。
一、 遁世者は、無いに事欠かない様を計らって過ごす、最上の様であるのだ。
一、 上位は下位に成り、智者は愚者に成り、長者は貧者に成り、能ある人は無能に成るべきだ。
一、 仏道を願うというのは、別の事ない。暇ある身になって、世の事を心にかけぬのを、第一の道とする。
この外もあった事柄、覚えない。
<意訳>
尊いお坊様方が残した言葉を集めた「一言芳談」とかゆう本を見つけましたので、読んでみて心に残った言葉を書きとめておく。
一、するかしないか、しないのもありかなと思う事ならしなくて良い。
二、 後世を考えるなら、ヌカミソがめの一つすら持ってはいけない。経や仏像に至るまで良いものを持っている理由は無い。
三、遁世者は、無い事を欠かさないように過ごす。無いのが最上である。
四、 貴族は下郎になれ。賢者は愚者となり、長者は貧者になれ。能ある人は無能になれ。
五、 仏の道は特別ではない。暇人になって、世間をかえりみなければ、それで良い。
その他にもいろいろと書いてあったが、あとは覚えなかった。
<感想>
「一言芳談」とはテキストによると、浄土宗の法師達が言い残した、ありがたい言葉を160余話としてまとめた本であるそうだ。編集者、成立年代は不明。
「意訳」の番号を参照して欲しい。
一は、明禅法印の言葉。
二は、俊乗房。
三は、解脱上人。
四は、聖光上人、もしくは敬仏房の言葉。
五は、松蔭の顕性房。
そんな事まで調べがついているんだから、学者というのは本当にすごい。
それはともかく。
俺は、最初のうちかなり「徒然草」をなめてかかっていた。
兼好などしょせんは昔の人、現代人の俺の知性にかなうはずがないとすら考えていた。しかし、徒然草を読み進めるに従い、確実に兼好が成長して行くのが読み取れるのだ。どんどん兼好の知性は深くなっていく。このままじゃ底なし沼だ。
兼好は、別に誰かに読ませる為に「徒然草」を書いたわけではないのだろう。自分自身の考えをまとめて再構築する為に書いたのだろう。
「徒然草」は兼好の知性の成長物語である。
最初の頃の兼好の文章は、単なる世間への嫌悪感だった。それが、いつの間にか書物から影響を受けたと思われる知への探求に変わり、その果てに、しょせん全ては無駄なんだよ。みんな死ぬんだという深い絶望感にたどりつく。
しかし、それを乗り越えた今の兼好の主題は「リラックス」である。
心を閑かにして、とりあえず自分の頭で考えてみようというノンキな態度が今の兼好にはある。
兼好は、自分の記憶力を自慢にしていた様子があるが、現在では、覚えられない事は覚えなくてもいいんだ。という境地にまで達している。
兼好は俺なんかが及びもつかない深い精神世界にいたのではなかろうか。
原作 兼好法師
として書かれているとのこと。現存する『一言芳談抄』には敬仏房云くとありますが、兼好の見た『一言芳談』には「聖光上人の詞」と書かれていたと想像されます。最近までこの徒然草の注釈書も多くは聖光上人のことばとなっていました。