墨汁日記

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ターゲットは奥様

2005-05-09 20:24:41 | テレビ番組
 ビデオ「奥様は魔女」を観る。

 大人になってから「奥様は魔女」を見直すのは、これで二回目。

 25か26才だったか?
 とにかく二十代後半にテレビ放送で当時としては珍しく「奥様は魔女」の再放送なんぞをしていたので、録画予約して何作品か観たんだが、とにかくつまんなかった。

 その時は、俺は時代のせいだと思った。

 古いんだよ、仕方がないと思った。

 脚本もなってない。と生意気にも思った。

 だが、昨日。

 35才の俺は「奥様は魔女」を観なおして、実は重大な勘違いをしていた事に気がついた。

 「奥様は魔女」を、作品として分類すると。いわゆる「ホームコメディ」だ。
 子供から老人まで家族みんなで楽しめる作品がホームコメディ。
 だが、「奥様は魔女」の場合。それは隠れ蓑で、実は1960年代のテレビ番組とは思えない程に綿密なターゲッテイングがなされていることに気がついた。

 さすがは、ダーリンが広告代理店なだけある。
  
 ターゲットは奥様。しかも20代から30代の奥様に的を絞って「奥様は魔女」は制作されている。だから、若い独身男性が「奥様は魔女」を観ても面白さを理解出来るはずがないのだ。
 男性なら。少なくても、所帯をもった人間でなければ、「奥様は魔女」の本当の面白さを理解出来ないはずだ。

 俺はこのあいだ、このブログで「奥様は魔女」を奥様だましと書いたが、その予想は当たっていた。
 奥様をだますために、この作品は存在するのだ。
 そして、下手をするとこの作品はあらゆる奥様だましの中で一番の最高傑作作品なんではないかと思う。
 家族みんなが楽しめる作品として鑑賞するなら二流だが、奥様にとっては一流に面白い。
 奥様が選ぶ奥様の最高傑作が、間違いなく「奥様は魔女」なのだ。
 俺はそう評価し直す。
 たぶん。ほとんど間違いなく。
 現代の若い主婦が観ても「奥様は魔女」は面白いはずだ。何度でもリバイバルする事だろう。

 なんで、ダーリンはあんなに上司にたいしてフレンドリーなのか?
 それは、世の奥様が上司ごときに頭を下げる旦那なんか見たくないと思っているからだ。

 なんで、サマンサの母親はあんなに意地悪なのか?
 それは時代。1960年代のおばあちゃんは誰もが戦争経験者だ。

 なんで、サマンサはあんなに輝いて美しかったのか?
 それこそがターゲティング。サマンサを1960年代の主婦のスターにのしあげたかったのだ。
 だからこそ彼女はキラキラしていた。

 そう。こんなにターゲットをしっかりしぼった作品は当時には珍しい。
 子供が見ても害がない程度の性描写。
 だがダーリンとサマンサが自宅のベットでキスというラストシーンの多さから考えても、作品的に実はかなりエロチックな作品である事は否定できないはずだ。

 性的にしばられた女性。だが、本来はもっと自由であるべきだ。と言いたかったのかもしれない。

 既存の何ものにもとらわれない魔女のサマンサは1960年代の主婦にとり理想の主婦だったのだ。

 たぶん。うちのおふくろもサマンサみたいに夫に意見出来たら素敵とか思いながらテレビを観ていたはずだ。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
昨夜コメントしようと思ったらブログ人がメンテナ... (kohashi)
2005-05-10 14:32:41
昨夜コメントしようと思ったらブログ人がメンテナンス中。あーあ。
と言うわけで本日、上から順にコメント。全体的に論点がズレてるけどまあいいや(笑)。

まず上司との関係ですが、上司とフレンドリーな態度で接する関係は向こうでは普通の事として様々なドラマで書かれてますよね。「ER」だろうが「24」だろうが、みんな上司をファーストネームで呼ぶ。友人と認めなければ「私はボスだ。名前で呼ぶな」とハッキリ言います。だからその事に違和感を感じるのは「日本人のメンタリティ」がそう感じさせているだけだと思います。

また「ベッドでキス」というラストシーンがどれほど多いかは統計を取ったわけではないので何とも言えませんが、仮にあったとしてもベッドが一日の終わりの場所であり、キスが夫婦の日常の挨拶として定着している以上、とくに不自然とも思えません。まして「新婚」という設定ですし。
なのでそれがSEXを暗示する描写、と感じたとしてもそれを「裏のテーマ」とまで言い切ってしまうのはムリがあるのではないでしょーか。


>1960年代のおばあちゃんは誰もが戦争経験者だ。

これは……戦争を経験するとみんな意地悪になる、という意味なら断じて同調できません。

エンドラ(サマンサの母)に関しては日本では嫁姑の確執が描かれる事が多いのですが、アメリカではこれが婿と義母の確執に置き換わる事が多いようで、これも単なる文化の差かと思います。
ただ彼女の言動を見ると人類至上主義に対する警句、と受け取れなくもない。たかが人間ごときが、という。


> 既存の何ものにもとらわれない魔女のサマンサは1960年代の主婦にとり理想の主婦だったのだ。

んー、どうかなあ。まあ、それは当たらずと言えども遠からず、かもしれません。
当時のアメリカは世相的にはウーマンズ・リブの時代ですから、あるべき女性の姿、としてサマンサが描かれた、という見方はあるでしょう。
ただ、そうとらえるにはサマンサはあまりにも貞淑な妻として描かれすぎていますよね。むしろ奔放なセリーナ(サマンサのいとこでエリザベス・モンゴメリーの一人二役)の方が時代を反映した女性像と言えるでしょう。もちろんドラマがその時代の世相に影響を受ける事は不思議でもなんでもありません。
したがって「奥様だまし」という部分も結論ありきで鑑賞すればそうとれなくもない、というレベルかと。

それで一番期待していた

> 家族みんなが楽しめる作品として鑑賞するなら二流だが、

という部分の説明が端折られています。
そこちゃんと解説してくれないと(笑)。

では、長文コメント失礼いたしました。
返信する
追記。 (kohashi)
2005-05-10 15:02:15
追記。

やはりサマンサに関しては主婦にとっての理想、というより、男性の願望を具体化した女性、かと思います(詳細は割愛)。
返信する

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