主観とはなにか?
主観とはそれぞれの個人にとって「あたりまえ」の感受性のこと。存在する人間の数だけ「主観」がある。
では、客観とはなにか?他人に自分の主観をちゃんと理解が出来るように説明できるという事だ。
たとえば、ここにデザイナーの小橋さんがいたとする。
そして彼は、たまたまクライアントのホームページを、「赤」を主体にデザインした。
彼はクライアントから何故、赤を主体にデザインしたのか尋ねられたらスラスラとその理由を答えられるだろう。
彼は職業柄そういう訓練も受けているし、そういう質問に答えることも彼の職の責であるからである。
では主婦の洋子(うちのおふくろの名前だ)さんの場合はどうだろう。
彼女には、己の主観に説明をつけることはできない。そういう訓練も受けていないし義務も無い。
彼女は部屋の窓に真っ赤なカーテンをかざった。夫になんでと尋ねられる。
「うーん、なんとなく。赤ってきれいじゃない。」
彼女には自分の主観のゴリ押ししか出来ない。主観のおしつけはできるが、なんでそれがいいのかを説明できない。
自分の主観を言葉で説明出来ること。他人に理解させられること。これが、客観であると俺は考える。
基本は、誰でも主観なのだ。あらゆる感想や発想は、すべて主観にすぎない。
主観をゴリ押しでなく、言葉や論理で説明出来ることこそが客観なんだと俺は思う。
主観とはそれぞれの個人にとって「あたりまえ」の感受性のこと。存在する人間の数だけ「主観」がある。
では、客観とはなにか?他人に自分の主観をちゃんと理解が出来るように説明できるという事だ。
たとえば、ここにデザイナーの小橋さんがいたとする。
そして彼は、たまたまクライアントのホームページを、「赤」を主体にデザインした。
彼はクライアントから何故、赤を主体にデザインしたのか尋ねられたらスラスラとその理由を答えられるだろう。
彼は職業柄そういう訓練も受けているし、そういう質問に答えることも彼の職の責であるからである。
では主婦の洋子(うちのおふくろの名前だ)さんの場合はどうだろう。
彼女には、己の主観に説明をつけることはできない。そういう訓練も受けていないし義務も無い。
彼女は部屋の窓に真っ赤なカーテンをかざった。夫になんでと尋ねられる。
「うーん、なんとなく。赤ってきれいじゃない。」
彼女には自分の主観のゴリ押ししか出来ない。主観のおしつけはできるが、なんでそれがいいのかを説明できない。
自分の主観を言葉で説明出来ること。他人に理解させられること。これが、客観であると俺は考える。
基本は、誰でも主観なのだ。あらゆる感想や発想は、すべて主観にすぎない。
主観をゴリ押しでなく、言葉や論理で説明出来ることこそが客観なんだと俺は思う。
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