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徒然草 第二百三段

2006-01-24 20:34:44 | 徒然草
 勅勘の所に靫懸くる作法、今は絶えて、知れる人なし。主上の御悩、大方、世中の騒がしき時は、五条の天神に靫を懸けらる。鞍馬の靫の明神といふも、靫懸けられたりける神なり。看督長の負ひたる靫をその家に懸けられぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封を著くることになりにけり。

<口語訳>
 勅勘の所に靫(ゆき)懸ける作法、今は絶えて、知る人なし。天皇の御病気、大方、世の中の騒がしき時は、五条の天神に靫を懸けられる。鞍馬の靫の明神というも、靫懸けられた神である。看督長の背負った靫をその家に懸けられたらば、人(は)出入りしない。この事絶えて後、今の世には、封印をつけることになった。

<意訳>
 罪により謹慎処分となった者の家に「靫(ゆき)」をかける作法、今では知る人がない。
 天皇の御病気や、世の中の乱れた時は、五条の天神に靫をかけられる。
 鞍馬の「ゆきの明神」というのも、靫をかけられた神である。
 検非違使庁の看督長が背負った靫を謹慎となった者の家に懸けられば、人の出入りは出来なくなる。
 この習わしが絶えて、今では謹慎者の家の門を封印するようになった。

<感想>
 「靫(ゆき)」は、矢を入れるケース。
 竹や革で造られ、背中に背負い矢を携帯した。しかし、鎌倉時代の武士は使わない、古墳時代のヤマトタケルとかが使ったような装備だ。「古事記」の時代の装備である。
 理由は、矢の鏃を上にして収納するそのスタイルが合理的でなかったからであろう。弓を構えて矢をとろうとすると手にささる。イタイ。
 武士の使う「矢立て」は、矢の羽根の方を上にして収納するので手にささらない。イタクナイ。

 「検非違使庁」は朝廷の警察。
 だが鎌倉時代には、「六波羅探題」という鎌倉幕府が京都の治安を守るために組織した警察も同時に存在していたのである。
 武士の「幕府」により抑え込まれていた貴族の「朝廷」。その警察組織「検非違使庁」の任務は武士の警察「六波羅探題」により代行されていた。
 「検非違使庁」は、鎌倉時代には名目だけの組織となっていたのだ。

 現在の罪人は、ホリエモンも、麻原彰晃も、ただの酔っぱらいも、みんな等しく「留置所」や「刑務所」に放り込まれちまうが、過去には「自宅謹慎」という罰もあった。

 その「自宅謹慎者」の家の門に、その目印として「検非違使庁」は「靫」をかけたが、「六波羅探題」は家の門を「封印」した。
 この段は、そういうお話である。

 ちなみに「看督長」は「検非違使庁」の下級役人。
 江戸時代で言うなら「中村 主人(主水)」。十手を持った「同心」といった役どころ。

原作 兼好法師


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