「まぁ全ては夢かもしれないし、リアルかもしれない。どうでもいいこったね」
死神はテキトーな事を言う。
「だが、死は、誕生と共に人間にとり最も記念すべきイベントだ。
生きてる以上は死を意識しないでいられる人間は少ない。
多くの人間は死を特別なものと考えるから、人間の共同体は、その『神話』の中に死を司る神を組み入れた。
死を怖れるから死を司るモノを神と呼ぶ。
一宗教では、死神はその神と相反する神とさえなっている事さえある。
また、閻魔大王のような冥界を管理する管理者と、死者を冥界にいざなうだけの死神の両方が存在する神話も多い。
エジプト神話なら、アヌビスやオシリス。ギリシャ神話ならハデス。ヒンドゥー教ならヤマ。北欧神話はヘルで、スラヴ神話ならチェルノボグ。日本神話ならイザナミか。
なんにしろ、死神が存在する宗教や神話を持つ文化が多い理由は、人間が死を特別あつかいしている証拠だ」
誰もが死にたくないから、死が怖いから特別あつかいなんでしょ。
「物語にも死神は良く登場する。
マンガでいうなら、古くは『ギャートルズ』の死神や、最近なら『DEATH NOTE』なんかだな。
これも、人間が死を怖れている事の証明なんだが。
でも、『ギャートルズ』の古典的ギャグ的な死神は別として、死神の俺から言わせてもらうと、『デス・ノート』の死神は、死をあまりにもゲームにしすぎていて感心出来ない。死の与える安息や平等をまるきり無視している。まるで死が罰ゲームみたいな印象だ。死はもっと神聖で清らかな物なのだ」
ふーん。死神は、デスノきらいですの?
「まぁー、それとは関係なくして、言葉と現実は必ず対応する。
人間の言う事や考えた事は、必ず現実にリアルにこの世に反映する。
その証拠に、『理想郷』はある意味で実現しつつあり、『地獄』は常に昔っからある。
魔物や化け物も実在する。
姿や形こそ普通の人間だが、いつもそこいらで牙をむいてる。
神も天使も宇宙人も、探せば必ず『私がそうです!』と言う奴がいるはずだ。
そして俺は死神だ。半神半人の自称『死神』だ。
だが、宣言さえすれば良いわけではない。
現実の状況が言葉を生むのだ。
現実に既にそうだから『言葉』はできる。
現実が全ての言葉を生んだのだ。
そして、だから、全ての『言葉』に対応する『リアル』は必ず存在する。
どういう形でもだ。
なんだけど。
こんな現実、あんたの夢かもしれない可能性も捨てきれないわけなんだよ。分かるかな?」
解んないなぁ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます