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徒然草 第百四十三段

2005-11-28 19:23:46 | 徒然草
 人の終焉の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、ただ、静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚かなる人は、あやしく、異なる相を語りつけ、言ひし言葉も振舞も、己れが好む方に誉めなすこそ、その人の日来の本意にもあらずやと覚ゆれ。
 この大事は、権化の人も定むべからず。博学の士も測るべからず。己れ違ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。

<口語訳>
 人の終焉の有様のすっげー事など、人の語るのを聞くと、ただ、静かにして乱れなしと言えば心にくいだろうに、愚かな人は、あやしく、異様な相をつけ加えて語り、(最期に)言った言葉も振舞も、己れが好む方に誉めたてるのこそ、その人(→故人)の日ごろの本意であるはずないと覚える。
 この大事(→人の死)は、(仏の)権化の(ような)人も定められないだろう。博学の士も測れないだろう。己れ(→故人の心と)違う所なく(亡くなるの)は、人の見聞きにはよらないだろう。

<意訳>
 「あの人の死に様はすごかった」
 なんて、故人の臨終の際にいた人が語るのを聞くと、はたして故人の生前の様子から考えて、その話は本当なのかと思ってしまう。
 人は愚かだから、つい自分が経験した事を大げさに話す。
「静かに、安らかにお亡くなりになられました」
 とでも、臨終の様子を語ってくれれば、それですむのに、故人の死に際の苦しみ方や、死に顔まで語られると、それはどうなんだろうと思ってしまう。
 人間の死なんか、人間には予測できない。
 人である限り、お釈迦さまにだって人の死は定められない。どんなすごい博士にも健康な人の寿命は予測できない。
 人の言葉なんかあてにならない。死んだ人がやるだけやったと思えて死んだならそれでいいんじゃなかろうか。

<感想>
 短いけど、難しい段だ。意訳があっている自信がない。

原作 兼好法師 


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