墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 第百四十一段

2005-11-27 15:16:41 | 徒然草
 悲田院尭蓮上人は、俗姓は三浦の某とかや、双なき武者なり。故郷の人の来りて、物語すとて、「吾妻人こそ、言ひつる事は頼まるれ、都の人は、ことうけのみよくて、実なし」と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、馴れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて、心柔かに、情ある故に、人の言ふほどの事、けやけく否び難くて、万え言い放たず、心弱くことうけしつ。偽りせんとは思わねど、乏しく、叶はぬ人のみあれば、自ら、本意通らぬ事多かるべし。吾妻人は、我が方なれど、げには、心の色なく、情おくれ、偏にすぐよかなるものなれば、始めより否と言ひて止みぬ。賑はひ、豊かなれば、人には頼まるるぞかし」とことわられ侍りしこそ、この聖、声うち歪み、荒々しくて、聖教の細やかなる理いと辨へずもやと思ひしに、この一言の後、心にくく成りて、多かる中に寺をも住持せらるるは、かく柔ぎたる所ありて、その益もあるにこそと覚え侍りし。

<口語訳>
 悲田院尭蓮上人は、俗姓は三浦の某とかやら、双ない武者だったらしい。故郷の人が来られて、物語して、「吾妻人こそ、言う事は頼まれる、都の人は、事受けのみよくて、まことない」と言ったのを、聖、「それはそうこそ思われても、己れは都に久しく住んで、なれてみますに、人の心おとるとは思いません。おし並べて、心やわらかに、情あるゆえに、人の言うような事、たやすく断り難くて、すべて言い放ち得ない、心弱く事受けする。偽りしようとは思わないが、乏しく、叶わない人のみあれば、自然と、本意通らない事多くなるようです。吾妻人は、我が方だけど、じつは、心の色なく、情おくれ、たんに健やかなものなので、はじめより否と言って止める。栄えて、豊かならば、人には頼られるのです」と道理語られましたのこそ、この聖、声うち歪み、荒々しくて、聖教の細やかな教理少しもわきまえてないかもと思ってたのに、この一言の後、心にくくなって、(法師)多い中に寺をも住持なせられるのは、こんなやわらいだ所あって、その益もあるのでこそと覚えました。

<意訳>
 悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなんとかやら、並ぶ者ない武者だったらしい。
 ある日、尭蓮上人の元へ、故郷の相模の国から知り合いが来て、いろいろと語りあった。
「東の人は、言う事が信頼できる。京の人は、受け答えのみよくて、真実がない」
 とその故郷の知り合いが言うので、尭蓮上人は、こう答えた。
「それはそうですが、都に久しく住み慣れますと、べつに京の人の心が東の人に比べて劣るとは思えません。京の人は、おし並べて、心優しく情ある人が多く、人の頼みを簡単に断れなくて、あんまりハッキリと言わず、なんとなく頼みを引き受けてしまいます。別にだまそうとかそういうわけではないのに、貧しくて、自分の日々の生活がやっとの人が多いので、自然と、約束が守れないような事にもなるようです。東の人は、我が故郷の人だけど、じつは、心の色なくて、情におくれ、たんにぶっきらぼうなので、はじめから嫌だと言ってキッパリ断れます。また東の人は、家も栄え豊かなので、無理な頼みは断ったとしても、まだ人に頼られるのです」
 と道理を語られましたので、今まで尭蓮上人のことなんか、関東なまりが荒々しい仏の教えもわきまえていない東夷としか思っていなかったけれど、この一言に心ひかれた。
 これだけ法師が多いなか、わざわざ寺をまかせられ住職をやっているのも、こんな柔らかい心や、人柄もあるからなのだろう。

<感想>
 前にも書いたが、この「日記」で使われている「徒然草」の原文はコピペなんかでない。一字一句、この右手の中指と左手の中指でタイピングしている労作なのだ。大変なんだけど自分で実際に書き写してみないことには内容が良くわかんないから仕方ない。
 最初は本をテキストにしていた。本を横においてそれを見ながら原文を書き写していた、しかし、本を見ながら文章を書き写すのは非常にしんどい、写し間違いも多くなる。
 それで、最近は、ネットから拾ってきた「徒然草」のテキストをエディターにコピーして、それを見ながらタイピングするようにした。
 これだと、モニターを見ながらまったく同じ文字を打込んでいけばいいだけなので、大変にラクだ。写し間違いがなければ改行されるところも同じにそろうはずなので、一行づつ写し間違いのチェックもできる。
 本を見ながら、書き写していた時は、本→キーボード→モニターと視線がめまぐるしく移動して、よく目を回していた。しかし、最近では目線の移動はキーボードとモニターの間だけ。大変な進歩であると言うか、キーボードを見ないで打込める様になれよと言うか。
 ネットからひろってくる「徒然草」のテキストは、吾妻利秋さん訳の「徒然草」の原文を愛用させていただいてる。
 こんなところからなんですが、いつも勝手にお世話になっております。ありがとうございます。
 さて、出来上がった結果だけ見ると、サラサラとタイピングしている様にも見えなくもないが、じつはやっぱり意外に苦労している。この段の最初にある「悲田院」にしても、「悲しい田んぼ院」と入力した後に、いらないひらがなを削除して「悲田院」とやっと入力しているのだ。このように古文をコンピュータに入力するのは非常に手間。まぁ、最近は色んなテクを覚えたから少しはラクになったけどね。
 ちなみに「悲田院」は、身寄りのない病人や老人、孤児などを収容した寺であったそうだ。かって、仏教に力があった頃は、寺がボランティア施設として機能していた。そんなお寺の住職だった尭蓮上人は、優しくて思慮深い人であったのだろう。

原作 兼好法師


最新の画像もっと見る

コメントを投稿