墨汁日記

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徒然草 第百七十五段

2005-12-31 15:36:57 | 徒然草
 世には、心得ぬ事の多きなり。ともある毎には、まづ、酒を勧めて強ひ飲ませたるを興とする事、如何なる故とも心得ず。飲む人の、顔いと堪え難げに眉を顰め、人目を測りて捨てんとし、逃げんとするを、捉へて引き止めて、すずろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽ちに狂人となりてをこがましく、息災なる人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れ伏す。祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。明くる日まで頭痛く、物食はず、によひ臥し、生を隔てたるやうにして、昨日の事覚えず、公・私の大事を欠きて、煩ひとなる。人をしてかかる目を見する事、慈悲もなく、礼儀にも背けり。かく辛き目に逢ひたらん人、ねたく、口惜しと思はざらんや。人の国にかかる習ひあなりと、これらになき人事にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべし。
 人の上にて見たるだに、心憂し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、詞多く、烏帽子歪み、紐外し、脛高く掲げて、用意なき気色、日来の人とも覚えず。女は、額髪晴れらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちささげてうち笑ひ、盃持てる手に取り付き、よからぬ人は、肴取りて、口にさし当て、自らも食ひたる、様あし。声の限り出して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出されて、黒く穢き身を肩抜ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、憎し。或はまた、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、或は酔ひ泣きし、下ざまの人は、罵り合ひ、争ひて、あさましく、恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみありて、果は、許さぬ物ども押し取りて、縁より落ち、馬・車より落ちて、過しつ。物にも乗らぬ際は、大路をよろぼひ行きて、築泥・門の下などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年老い、袈裟掛けたる法師の、小童の肩を押へて、聞えぬ事ども言ひつつよろめきたる、いとかはゆし。
 かかる事をしても、この世も後の世も益あるべきわざならば、いかがはせん、この世には過ち多く、財を失ひ、病をまうく。百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ。憂忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思い出でて泣くめる。後の世は、人の知恵を失ひ、善根を焼くこと火の如くして、悪を増し、万の戒を破りて、地獄に堕つべし。「酒をとりて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。
 かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝、花の本にても、心長閑に物語して、盃出したる、万の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外に友の入り来て、とり行ひたるも、心慰む。馴れ馴れしからぬあたりの御簾の中より、御果物・御酒など、よきやうなる気はひしてさし出されたる、いとよし。冬、狭き所にて、火にて物煎りなどして、隔てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋、野山などして、「御肴何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるも、をかし。いたう痛む人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。上少し」などのたまはせたるも、うれし。近づかまほしき人の、上戸にて、ひしひしと馴れぬる、またうれし。
 さは言へど、上戸は、をかしく、罪許さるる者なり。酔ひくたびれて朝寝したる所を、主の引き開けたるに、惑ひて、惚れたる顔ながら、細き髻差し出し、物も着あへず抱き持ち、ひきしろひて逃ぐる、掻取姿の後手、毛生ひたる細脛のほど、をかしく、つきづきし。


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