兼好は文がうまい。「徒然草」が読み継がれるのは当然だ。
並の文章家なら、家に置いてある調度品がその家の主の人格を表すと発見したなら、その発見に喜んで、そういう話として書き出してしまう。
ところが、兼好は違う。
まずは、下手クソな字で書かれた屏風や襖をポンと置く。
そうする事によって読者は、過去に見た下手な字で書かれた屏風や襖を思い出し、その空間に精神的に移動する。
そして、そんなものを置いている家の主人の心を嘆く。
読者は、むかし人の家で見た下手な屏風と、その家の主を思い浮かべ、あーなるほどなと納得する。
それから本題である。
うまい。
ただ、現代人は大量生産の襖は見た事があっても、下手な字が書いてある屏風や襖など想像しにくいので、「意訳」は単にわかりやすさだけをねらって訳した。
並の文章家なら、家に置いてある調度品がその家の主の人格を表すと発見したなら、その発見に喜んで、そういう話として書き出してしまう。
ところが、兼好は違う。
まずは、下手クソな字で書かれた屏風や襖をポンと置く。
そうする事によって読者は、過去に見た下手な字で書かれた屏風や襖を思い出し、その空間に精神的に移動する。
そして、そんなものを置いている家の主人の心を嘆く。
読者は、むかし人の家で見た下手な屏風と、その家の主を思い浮かべ、あーなるほどなと納得する。
それから本題である。
うまい。
ただ、現代人は大量生産の襖は見た事があっても、下手な字が書いてある屏風や襖など想像しにくいので、「意訳」は単にわかりやすさだけをねらって訳した。
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