墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 第六十四段

2005-09-25 04:26:42 | 徒然草
 「車の五緒は、必ず人によらず、程につけて、極むる官・位に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰せられし。

<解説>
 「車の五緒」とはなんであろうか。ダラダラ言葉で説明すると長ったらしく、即座に読み飛ばされちゃうので、他人のフンドシで相撲をとろう。
 まずは、下のリンクに飛んでもらいたい。飛ぶと「平治物語 六波羅行幸巻(へいじものがたり ろくはらぎょうこうのまき」と言う「平治物語」を絵巻にした物の一部が見られる。ご親切にも、画像をクリックすると拡大図も見れるので、ぜひ堪能して欲しい。ほら、門の横で、門番の侍が居眠りしてるでしょ。違う、そんなところに注目して欲しい訳ではない。牛車の構造と、牛車の前に掛けられた御簾(すだれ)に注目して欲しい。そして、『牛車に掛けられた御簾』って、こんなもんかと納得して欲しい。
リンク: 平治物語絵巻 六波羅行幸巻.
 見ただろうか。じゃあ、後は話しが速い。「車の五緒」は牛車に掛けられた、豪華な御簾なんである。
 どう、豪華か? もうこの後の解説は読み飛ばしてもらって結構なので、一応「どう豪華」なのかの説明はするけど、忙しい人は読み飛ばしなさい。
 「五緒」とは、牛車のすだれであり、左右の緒と、中央の革緒と、その中間の五筋に風帯(帯状の布・革のかざり)を垂らしたものである。「五緒」だけで「五緒がついた牛車」を意味する事もある。

<口語訳>
 「車の五緒は、必ずも人によらない、家柄によって、極まる官・位に至ったならば、乗るものである」だと、或人が仰られた。

<意訳>
 「五つ緒の牛車は、必ずも乗る人が選ばれているわけではない。その家柄によって、極められるまで官や位を高めた者が、乗るものなのである。」だと、ある人が言っておられました。

<感想>
 五つ緒の牛車は、官と位を極めた者だけが乗れる「スティタス・シンボル」だったわけね。金があるからとか、格好いいから、なんて理由で乗るもんじゃないよ。とある人が言われた訳だ。たぶん、兼好の時代には、そういった細かい貴族社会の常識のような物が、かなりあやふやになっていたのだろう。だからこそ、兼好はわざわざ書きとめておいたに違いない。
 「官」は役職。「位」は身分。朝廷では、身分により就ける役職のポストが決まっていた。そして、身分は家柄によって決められ、どんなに優秀でも、家柄以上の身分を与えられる事はなかった。だから、家柄の範囲内で、最高の身分に昇りつめ、身分内で最高の役職を与えられたなら、マジでコレ以上はない、望みようもないほどの出世なのである。そんくらいにならなきゃ「五つ緒の牛車」には乗る資格はないのである。みんなも、くれぐれも、自分ちのマイカーに「五つ緒」なんて垂らして悦にいっちゃいけないよ。「五つ緒」は極めきってから。

原作 兼好法師


最新の画像もっと見る

コメントを投稿