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墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

平成マシンガンズを読んで 263

2007-02-20 20:39:50 | 

 炎天下。
 今年は8月にはいって急に暑くなった。
 駅までの道のり。
 じんわり汗ばみ、自分が汚れて行くかんじ。自分が汗臭て汚い少女になっていくようなとても残念なかんじ。
 手にはオモチャのマシンガン。
 となりを歩くは死神。

 死神が言う。

「笑いにおいて一番大事なのは、笑わせてやるというオーラを捨て去る事だ。笑わせてやろうという根性をまず捨てよ。
 自然体で自分が信じる言葉を口から漏らす。
 これが笑いの極意だ。
 受ける受けないなど問題ではない。受けないなら受けなくてもかまわないと、アジのように開き直れ!」

 笑いの極意なんて関係ない。ただ暑い。


平成マシンガンズを読んで 262

2007-02-19 20:25:55 | 

 死神は居間にかかっている時計を見て行った。

「もう1時前か。そろそろ出かけないと遅刻するな」

「どこ行くの?」

「テレビ局だ」

「テレビ?」

「あぁ、『笑いのエンタメ』収録の受付時間が3時までだからな」

「アッ知ってる。ソレって毎日夕方に生でやってる『えんたテレビ』のコーナーだよね。予選を勝ち抜いた2組のお笑いタレントが勝ち抜きで芸を競い合うって!」

「そう。その収録に行くのだ」

「いいなぁ。死神はテレビの収録を観に行くんだぁ」

「俺1人で行ってどうする。申し込みはコンビなんだからお前も行くんだよ!」

「えぇ私もぉ!」

 と口では言いながらも、私も連れて行ってもらえると聞いたとたん、まるでお散歩に連れて行ってもらえる犬のように嬉しくなった。
 私も一緒かぁ。
 なんで、そんな事が嬉しいんだろう。
 死神とお出かけかぁ、変なの。

「3時までなんでしょ。どうしよう。なに着てこう?」

 死神が言う。

「お前の普段着はダサくてキャラ立ちが不足している。学校の制服を着て来い。中学生らしくて良い!」

 ちっ。
 と、思いつつも大人に命令されると逆らえない私。
 所詮は中学生。
 いつか、男なんかに指図される必要がないぐらいにきれいになってやる!

 2階の自分の部屋で、制服に着替えて死神のいる階下に降りる。

 死神は、流しで冷やし中華の丼を洗っていた。
 居間のテーブルに、お父さんの置いて行った『千円札』がある。
 もしもの為と、制服のポケットにそれを反射的にねじこむ。

「じゃぁ行くか」

 死神は洗った店屋物の容器を玄関の脇に置く。
 私は家の扉の鍵を閉める。

 死神はおもちゃのマシンガンを手渡しながら言った。

「ほぼブッツケ本番だ。厳密なネタあわせをしているヒマはないが、やるだけやろう」

「本番? テレビの収録を観に行くんでしょ?」

「なに言ってる。俺たちは『新人お笑いコンビ』としてテレビに出るのだ!」

 おいっ!
 聞いてないよぉー!


平成マシンガンズを読んで 261

2007-02-18 21:39:26 | 

「今夜は死神は病欠だ」

「あ、作者の protozoa 」

「こういう事は例外中の例外なんだが、今夜だけは俺が『死神』の代役を務める!」

「死神はどうしちゃたの?」

「悪性の『鳥インフルエンザ』らしい!」

「たいへん。お見舞いに行かないと」

「行く必要はない。俺が『死神』だ。普通に物語を進行させよう!」

「え? でも」

「作者の俺が、俺は『死神』だと言っているのだ! 文句あるか?」

「ないけどさぁ」

「ないならいい。でね、みのりちゃん」

「はい?」

「俺は神聖のロリだ!」

「はぁ?」

「ロリにおいてなら、すでに俺は神の領域だ!」

「えーと?」

「すでに俺の声は、アニメ化されるときは『八奈見 乗児』で神だ!」

「意味分かんないよ」

「『ドラゴン・ボール』のナレーションをしていた。
 最近は二次元萌えとかとも言うらしいが、俺はこの世界の神だ!」

「(助けて!)」
  声にならない声がパクパクと!

「だからさ。
 好きだよ、みのりちゃん!」

 イヤだ! 触らないで!
 助けて!
 誰か助けて!
 死神助けて!

 バコッ!!

 流血。
 ドクドクと汚らしい赤黒い血を流しながら protozo が横たわる。
 そして、死神がバットを片手に立っていた!

「やはり、鎮圧用の突っ込みには『打撃系』だな」

 死神がさらに言った。

「あんたさぁ、作者のくせに何してんの?」

 作者は、汚れた血で周囲を汚しながらも、腐り溶けかけた唇をなんとか動かして言う。

「お前らばっかり仲良くして、ずるい!」

 すでに肉は腐りかけ、腐臭を漂わせながらも、作者はなんとか言葉として聞き取れる音声を発する。すでに、作者のボイスには不気味なエコーがかかっている。

「好きだよ。みのりちゃん。本当に好きだ!」

 キモイ!
 この作者は、本気で自分が作成したキャラに惚れている!!

「死神なんかに、みのりちゃんを渡すものか!」

 ガゴッゥ!!

 死神は作者の頭蓋骨にトドメの一撃を与えた!

 脂肪と血液が混じった赤白い桃色の汚物をまき散らしながら作者は絶命した。死神は汚物で汚れたバットをブンとふる。

「protozoa は死んだが、第2、第3の protozoa が現れる危険性もある!」 

 死神って微妙にかっこ良くて好きだ!


平成マシンガンズを読んで 260

2007-02-17 20:54:05 | 

「俺の経歴なんか話してどうなる?
 俺を含め、人間の人生なんて無意味だ。過去にも意味はない。
 存在そのものに意味ない者の成り立ちを話したところで時間の無駄だ」

「例えば初恋の人の甘酸っぱい思い出とか、幼き頃の懐かしい思い出とかさぁ。死神にだっていろいろと語りたい事とかあるんじゃないの?
 そんなんを、せっかく聞いてあげようと思ったのに。聞いたげるよ!」

「中学生とはいえやはり女だな。そんな下らない事に興味があるのか?」

「なんだよ。じゃあいいよ話さなくて」

「いや、せっかくだから人生の意味について話そう!」

 うわっ。また話が長くなりそうなお題目だっ!

「死の前においての平等。
 死は全ての人に平等に訪れ、平等の安息を与える。
 生命は誕生の瞬間に死の恩恵を受ける権利を手に入れる。
 死は誰彼かまわず平等に、誰もが必ず死ぬ。
 どんな素晴らしい人間で、どのような成功をおさめようとも死んだら死ぬ。そして、成功の記録も繁栄の記憶もいずれは土に返るだろう。
 死の前においては、人生などいずれは無に帰る無意味なものだ。

 人生の成功、人生の意味、人生の目的、すべて死の前では無意味でナンセンスで意味は無い!

 だが、悲しむな。
 それこそが真の平等である。大統領もホームレスも死の前においては同じく無意味な人生だ!

 成功した者も、無力な者も、同じく無意味という平等。

 それが、死の慈悲であり平等さである。
 死は生命の終わりである。ゲーム・オーバーだ。
 死の前では人生などゲームにすぎない。
 社会生活を営む人間は、社会生活の枠組み。ゲームのルールにのっとって勝った負けたの言っているだけのただのゲーマーだ。
 人生など、勝ち負けの枠で見るならすべてゲーム。

 ニヒリズムと無常は真実であろう。

 人生ゲームの勝者がいくら奢ろうとも、祇園精舎の鐘の音で、盛者必衰のことわりありだ。

 だからこそ、死が救いになる。
 どんな人生だって最期の結果は同じだ。

 逆にいうなら、人生を悲観する必要など1ミリもない。
 死という結末の前では、全ての人生は無意味。勝ち組も負け組もない」

「死が救いになるの?」

「そう死こそ救いだ。最大の平等である。死の前では全ての人生は同じく無意味であり、勝者をうらやむ必要もない」

「じゃあさ、なんで生きているの?」

「生きる事に意味なんかない。生きる事は生命の義務だ」

「ふーん」

「宗教も死の前では無意味である。
 教祖から信者までみんな死んじゃったら、その宗教はたちまち廃れる。
 神の実在は誰にも証明できないし、神を否定する事も誰にも出来ない。
 だが、神を信じるという行為は、じつは現世の教祖なり神官なりの力を信じるという事だ。

 宗教は力があるからこそ、信仰される。
 誰が、力ない者が勝手にでっちあげた神を誰が信じるだろうか?

 子供が勝手に作った神など誰も信じないだろう。だが、その神を否定する事はもちろん不可能だ。

 神を信じること、イコール、神を奉る者の力を信奉することである。
 無神論者とは、あらゆる社会的な力を否定する本当に真摯な生き方。

 死の前で生命が成す行為は、種の存続以外すべて無意味である。

 だが、あらゆる事が無意味となる事で、逆にナニがどうなろうとも無意味という自由が与えらえるのだ。
 なにがなにまで無意味なのだ!
 なんという幸せか!」

「じゃあさぁ、例えばだよ。
 私が死神の事が好き。
 彼女になりたいとか思ったとして、ソレも無意味?」

「えぁ?」


平成マシンガンズを読んで 259

2007-02-16 20:40:35 | 

「ところで、ニーチェって誰?」

「なんだ、最近の中学生はニーチェも知らんのか。ニートとは違うぞ!」

「哲学なんでしょ?」

「なんだ、知ってんじゃん!」

「で、どう位置づけるの?」

「ニーチェを哲学としてどう位置づけるか?
 それは難しい問題です。
 俺は、ニーチェは啓蒙家であると思う。
 哲学者が、けして哲学ではないと言いたい気持ちも分かるし、いわゆる純粋な哲学とは違うが、哲学からニーチェを除いて何が残るのか?
 いろいろ残るけど、その残りの哲学でニーチェの言葉を完全に駆逐する事は可能か? けして全否定は出来ないだろうと思う。
 否定できない問題こそ問題にするのが哲学の神髄ではないのだろうか?
 なら、ニーチェは未だ哲学の範疇だ!」

「死神は哲学を誰に習ったの?」

「いや、習ってない。本当なら俺に『哲学』を語る資格はない」

「もう最後だし、死神の経歴を話してみなよ」