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墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

兼好法師

2006-04-07 19:47:20 | 新訳 徒然草
「金もいらなきゃ、女もいらぬぅ~。
 私ゃ もすこし背が欲しい~」

 と歌うは「玉川カルテット」の二葉しげるである。
 持って生まれた変えようのないものや、育ちきっちまった我が身でさえ、変えられるものなら変えたいと望む。それが人間だ。
 だが、二葉しげるはプロなので、受けを狙って、ギャラが欲しくて、こんなことを歌っているのだ。客に受ける為なら、あと3センチぐらい背がちぢんだって二葉しげるにとっちゃ本望だろう。二葉しげるの真の望みは「観客から受ける事」なのである。

 このように、人間として生まれるとよけいな望みがたえない。

 あなたは、なにを望むのか?
 望みのない人間なんか生きられないぞ!
 
 スタンダードな望みには、3種類ある。
 ひとつは、生理的欲望。
 ふたつは、習慣的欲望。
 みっつは、社会的欲望。

 これ以外にも、もちろん歪んだりねじけたりしている望みは多数存在しているが、今日はスタンダードで標準的な望みについて語ろう。

 お腹がグルルとなっていけない差し込みが内蔵を襲う。
 駄目だ、今すぐに大便をタレたい!今すぐにだ!
 というのは、極めて生理的で個人的な望みであり、たとえ無人島のひとり暮らしであろうと人間であるかぎり避けて通れない「本能的」な望みだ。
 一人きりだろうと、生きてるかぎりは、おなかもすくしねむくもなる。食欲とか睡眠とか排泄なんて事は、生きているかぎりは避けられない。
 とゆーか生理的な欲求を無視して、避けて通っていたら死んでしまう。
 生きるということは、生命の自転車操業で、欲望を無視してペダルをこぐ足をとめたなら、すぐにパタンと死んでしまう。
 個人的な生理的欲望は、個人の生命を維持して故人にならない為の「生命維持装置」の役割すら果たす。死にたくないなら、なくしちゃならない欲望だ。これが、ひとつめの「生理的欲望」である。

 ふたつめの「習慣的欲望」とは、中毒とか依存症、ジャンキーの事である。
 タバコを吸わない人は、タバコなんかまったく必要ない。
 酒を飲まない人も、また酒を必要としない。
 摂取しなくても命に別状ない物をクセになって欲しがるのが「習慣的欲望」である。

 みっつめの「対人的欲望」であるが、世の中には、対人関係から生まれる望みは多い。自分一人なら、けっして思いつきもしなかったような事も、他人がいることによって望んでしまう。
 例えば、あなた一人きりなら、身長なんて関係ない。
 他に比べるものがないなら、あなたの身長が標準となる。
 標準ってことは、それで当然だって事だ。届かない物は届かないですむ。高い所の物を取りたいなら、棒を使うなり、台に乗るなりすればいいのだ。工夫ですむ問題で、工夫が思いつかないのなら、あきらめりゃいいだけだ。手の届かない高い木になっているブドウは酸っぱいのである。
 だが、そこに、あなたより身長が10センチほど高い人があらわれて、あなたには届かないブドウを軽々と収穫して行ったならどう思うだろうか?
 背が高くなりたいとは思わないだろうか?
 あなたより恵まれている人間と同等、あるいはそれ以上になりたいと思うのが、「対人的欲望」である。これは他人が存在しなければ生まれない望みだ。

 兼好は、このみっつめの「対人的欲望」をなくしてしまいたいと望んだ。
 なぜなら、兼好が生きた時代の、兼好が生きた社会が、兼好にはクソに思えたからだ。
 クソが標準の世界で、クソにあわせて、それなり、又はそれ以上を望んでも、大便の壁は絶対に超えられない。
 兼好は、大便の壁を越えたいと望んだ。
 俺は大便なんかじゃないと身をもって示したかった。だからこそ、出家した。

 オンリー・ワンと Smap は歌うけれど、アレはそういう意味だ。
 標準を、他人や世界に求めるかぎりは、あなたはジュッパヒトカラゲである。
 恵まれた坊や達に、あなたはあなたでたったひとつと言われて嬉しいのか? 癒されるのか?
 あなたは、あなたの所属する社会から逃げ出して一人きりなら王様だ。アレはそういう歌で、じつは兼好もソレを望んでいた、だからこそ出家した。


徒然草 第六段 わが身

2006-04-05 19:50:32 | 新訳 徒然草

 わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。
 前中書王・九条太政大臣・花園左大臣、みな、族絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、世継ぎの翁の物語には言へる。聖徳太子の、観墓をかねて築かせ給ひける時も、「ここを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

<口語訳>

 わが身が並々なからぬにも、まして、数ならずにも、子というものなくてありかな。
 前中書王・九条太政大臣・花園左大臣、みな、一族絶える事を願いなされた。染殿大臣も、「子孫おられぬの良く御座いますぞ。末のおくれなさるのは、悪い事だ」と、世継ぎの翁の物語には言ってるぞ。聖徳太子が、観墓をかねて築かせなされた時も、「ここを切れ。かしこを断て。子孫あらせずと思うのだ」と御座いましたとか。

<意訳>

 身分あろうがなかろうが、子供はなくてありかもしれん。
 前中書王、九条太政大臣、花園左大臣、みんな一族が絶える事を願われた。
 染殿大臣も、『世継ぎの翁の物語』に書いている。
「子孫はいないのが良いですぞ。末代が劣りますのは悪い事です」
 聖徳太子が、かねてより御墓を築かせた時も、こんなご様子だったとか。
「ここを切れ。そこも断て。子孫はおらぬと思う」

<感想>

 第6段に出てくる「前中書王」とか「九条太政大臣」とか「花園左大臣」って誰なんだろう。なんでいきなりこんな偉そうな名前が出てきたんだろうか?
 いやいや、この第6段に出てくる人達はみんな本当に偉かったのだ。『徒然草』のテキストを丸写しにして、この人達の官職や業績を書き並べてもいいけれど、面倒だから止めにしとこう。ただ、簡単に説明すると、どの人もみんな朝廷の偉い人だった。兼好にとっては、わりと身近な偉い人達ばかりなのだ。
 そんな「身近な偉い人達」を、現代の偉い人(総理大臣)に例えるならば、「前中書王」は吉田茂クラスのわりと昔の偉い人だ。「九条太政大臣」とか「花園左大臣」なら、一昔前の田中角栄とか三木武夫のクラスだろう。「染殿大臣」になると、時代はかなり下って伊藤博文クラスか。
 そして、最後に出てくるのは「聖徳太子」。歴史の最先端にいる俺達にとっても聖徳太子は歴史上のヒーローだが、聖徳太子は、兼好の生きた時代においてもすでに歴史上のヒーローだった。

 ようは、この段の兼好は、偉い人とか、歴史上のヒーローの名前を出してまでして、権威で塗り固めてでも「子孫なんかいらない!」と言い切りたかった。
 なんで突然どうしたのだろう? どうして兼好は唐突に子供なんかいらないなどと言い出したのだろうか?
 兼好は、人間が生まれて増えていくという現実に、やや嫌悪を感じていたのではないだろうか。兼好は、もしかしたらなにもかも嫌いなのかもしれない。自分自身や、家族をも含めて、こんな世の中は全てなくなっちまえ! などと思っていたのではないだろうか?

 兼好は出家して遁世した。30代のはじめ頃には世を捨てて「卜部兼好」から「兼好法師」に転身している。30代って若くこそないが、逆に若い頃にはなかった世間との関係もできて、普通の人なら人生で一番バリバリと働いている年代だろう。そんな、人生の大切な時期に兼好は出家を選んで、世を捨ててしまった。

 この弟6段には、兼好が出家を望んだ時の苦しい胸の内の一端が書かれているように読める。兼好は自分が生きている環境を憎んでいた時期があったのだ。
 兼好はなにを嫌悪していたのだろうか、「嫌悪」をキーワードにもう一度、第1段から読み直してみよう。

 さて、兼好は『徒然草』第1段で、下級貴族の出世とか、坊主の出世なんてものをなにより嫌っていた。
 ちなみに兼好の父親は朝廷の中流貴族。
 そして、兼好の兄弟のうち一人は坊主で、大僧正まで出世した。もう一人の兄弟は父と同じ中流貴族で終わったらしい。

 第1段は、もしかしたら家族への嫌悪を書いたのかもしれない。
 第2段は、かって勤めていた朝廷上層部への嫌悪。
 第3段は、性欲への嫌悪。
 第4段は、仏の教えを理解しようとしない者への嫌悪。
 第5段は、安易に出家する者への嫌悪。
 この第6段は、生殖、人間そのものへの嫌悪。

 自分の望みが満たされない、恵まれない環境の奴はみんなこう思ってしまう。
 「俺は何もかも嫌っている!」
 兼好は、自分が、自分や自分の家族までをも含めて世界中のすべてのなにもかもを嫌悪していた事に気がついた。そしてなんでと思う。答えなんかない。ありっこない。
 なんの疑問もなく生きて、自分の人生は輝かしいものだと信じていた。そう思って生きてきた。なのに、実際には自分の望みはなにひとつ叶わない!
 でも、人間が普通に生きてりゃこんなもんだろう。

 生まれた以上はつきまとう「望み」がキーワードで『徒然草』は展開する。そして何を望み、何を手に入れようとも、いずれ死ぬ。「死」と「望み」が『徒然草』の主題で、つれづれていながら、その主題は最後まで変わりはない。

 そう。
 かって、この世に存在していた「卜部兼好」という青年は、下らない望みを捨てて生きる事を望んだ。
 何故なら、兼好が生きた時代があまりにクソくだらなく思えたからだ
 クソくだらない世の中にあわせて「望み」を抱いても、その「望み」じたいクソにしかしかない。クソな世の中にあわせて抱いた「望み」じたいがクソなのだ。
 下らない世の中とは、ぜひとも絶縁したい。
 その具体的な対処方法として、兼好は「出家」を思いついた。

 出家は、今も昔も宗派を問わず、自分の価値判断を「宗教」におまかせして、あとはお願いしますねという「思考停止」の荒技で、だからこそ、「南無阿弥陀仏(ブッダにおまかせします)」とか平気で唱えられる。

 でも兼好は違った。仏なんか信じきっちゃいないし、信じきれない。
 それは、兼好の素地が「神道」である、という事とも多少は関係しているのだろうが、でも、そもそもの兼好の無駄に理屈っぽい性格が「信じきる強さ」を否定してしまうのだ。

 それでも。
 出家しか「卜部兼好」に逃げ道はなかった。
 「死」は、兼好にとって救いではない。死後の世界なんか本気で信じられない。「死後の世界」の存在じたい兼好は本気で信じていなかったのではないだろうか。だいたい、「卜部」って占いが家業の家に生まれながら、兼好は、占いの結果や吉凶すらも信じていない。こんな個性の奴が、何を信じるのだろう。見えもしないし、知りもしない世界を信じて語る連中がとてつもない馬鹿に見える。

 「望み」以外に望む物はない。
 「望み」の消える時が「死」だ。
 兼好は迷いに迷ったあげく、出家を望んだ。 


吉田 兼好

2006-04-04 19:30:23 | 新訳 徒然草

 「卜部兼好(うらべ かねよし)」って誰だろうか?

 卜部兼好は、『徒然草』の作者である「吉田兼好(よしだ けんこう)」の本名である。

 兼好は、「卜部(うらべ)」という一族の出身だ。
 卜部氏の歴史は古く、古代より朝廷に仕えて、「卜占」という占いによって吉凶の判断をしてきた。朝廷のために占いを行う「神祇官」という官職が、卜部一族の任務だったのだ。
 平安時代には、京都の「吉田神社」に配属され、神社の社務を勤めつつ朝廷で神祇もつかさどったりした。

 吉田神社は、今でも京都大学のとなりにある由緒正しい立派な神社だ。
 この吉田神社を建てさせたのは、平安時代の貴族で、藤原山蔭(ふじわら の やまかげ)卿という人。ちなみに、この人は四条流包丁式の創始者で、現代では料理の神様として祭られている。 
 藤原山蔭は平安京の守護を願い、貞観元年(859年)奈良の春日大社の分社として京都に吉田神社を勧請した。
 また吉田神社は、平安京に住む藤原氏の氏神でもあった。
 藤原氏という有力な貴族の氏神であり、春日大社の分社という由緒もある。出来た当時から「力」と「格式」のある神社だった。

 ところで、兼好が死んだ後の室町時代。
 卜部家に「吉田兼煕(よしだ かねひろ)」という人があらわれた。この人は「卜部」という名字を「吉田」に改名してしまった。
 なんで改名したのかと言えば、室町幕府による「幕府 移転計画」のアオリである。
 アニメ『一休さん』の「将軍様」として、あるいは「金閣寺」の建設で有名な足利義満は、室町幕府の三代目将軍である。
 将軍 足利義満は、京都の「室町」に幕府を移す事にした。
 ちょうど、吉田兼煕の自宅も、その「室町」にあった。新勢力である幕府ともめるのは面倒だと思ったのか、あるいは新政権に恩を売っておこうと考えたのか、吉田兼煕はすんなりと室町の自宅を幕府に寄進した。

 ところで、吉田兼煕は、幕府に自宅の土地を譲り渡した時に、なんという名字を名乗っていたのだろうか。

 「室町」と名のっていたらしい。
 室町に住んでいたから、「室町」と名のった。

 「卜部」はどこにいったのよと言われれば、「卜部」は正式な名字で、わざわざ知らない人にまで、一族の由縁を示す本名を名乗る必要はない。正式な権威(朝廷)の前でなら、正式な名字を名のるが、ご近所の関係ない人にまで正式な名字を名のる必要はなかったのだ。
 だから、俺は「室町の兼煕」だよで、すませていた。

 でも、もう室町にゃ住んじゃいない。
 メンドクサイんで、吉田神社の神祇官だから、今日から俺は『吉田の兼煕』だということにしたらしい。
 「卜部」から、ダイレクトに「吉田」にしたわけじゃないのだ。
 だが、吉田兼煕は、それまでの卜部家の身分の枠を超えて、朝廷で正三位まで出世した人物である。彼の改名以来、吉田神社の社務職をつとめる家の家名は「卜部」から「吉田」と変更された。

 吉田神社の吉田さん。
 分かりやすくて良い。

 だが、兼好の生きていた時代には、まだ「吉田」という名字は「よ」の字も存在していなかった。
 あくまで「卜部」、それ以外に、兼好に名乗る名字はなかった。

 話が変わるが、現代人は読む本が山ほどあるので、わざわざ選んでまで『徒然草』なんて読もうとは思わない。
 だが江戸時代は、今に比べれば読む本が少なかった。そのためもあって江戸時代に『徒然草』は大変よく読まれた。『徒然草』のパロディ本までホンマで出版されたぐらいだ。

 兼好を「吉田兼好」呼ばわりしだしたのは、どうやら江戸時代の人らしい。
 江戸の人々はお人好しでべらんべぇーで、やや考えが足りなく見える。

「吉田神社の吉田さんちの兼好という野郎が大昔に書いたのが『徒然草』だっていうじゃねぇかぃ。べらぼぉぅめぃ!」

 みたいなかんじで、兼好はいつの間にか「吉田兼好」になっちゃった。

 また話が変わるが、あなたは、あなたのお母さんに「人の身になって考えなさい!」と教育を受けただろうか?

 俺は受けた。

 では、すでに故人だが、兼好の身になって考えてみよう。

 とりあえず、コレを読んでいるあなたの名前が分からないので「キムラ ミノル」という名前だと仮定してみよう。
 あなたは、キムラ ミノルで生涯をつらぬき通した。キムラ ミノル以外の本名はない。周囲の誰もが、あなたは「キムラ・ミノル」だと認知していた。
 そんなキムラ ミノルは、こっそり「マイ日記」を書き連ねていた。その日記を晩年にまとめて編集して、だれか読みたいなら読めばいいじゃんというスタンスでほっぽらかして、やがて死んだ。

 ところが、その「マイ日記」が100年後に大ブーム。
 猫もしゃくしも、ミミズだってオケラだってアメンボだって、こぞってキムラ ミノルの「マイ日記」の編集版を読みあさる。
 その時に問題となるのが、コレはダレが書いたの? という事である。

 なにしろ100年もたっているので、キムラ・ミノルの素性が良く分からなくなっている。
 ところが、キムラ・ミノルの一族は、キムラ・ミノルの死んだ後に、都合によって「キムラ」から「ウチヤマ」に改名していた。
 あー、「ウチヤマ」さんちのご先祖の「ミノル」って奴がコレを書いたんだな、じゃあコレを書いたのは「ウチヤマ ミノル」だと、勝手に100年後の人たちは判断して、あなたのことを「ウチヤマ ミノル」と呼び出す。
 すでに死んでるとはいえ、キムラ ミノルのはずなのに「ウチヤマ呼ばわり」はどうだろうか?
 もう、死んでるから関係ないかな?
 でも、草葉の陰から、なんで俺がウチヤマなんだよと突っ込みたくはならないだろうか。

 そんなワケで、俺は兼好のことを「吉田兼好」と呼ぶ事にためらいがある。


徒然草 第五段 不幸

2006-03-30 20:53:43 | 新訳 徒然草

 不幸に憂に沈める人の、頭おろしなどふつつかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに、門さしこめて、待つこともなく明かし暮したる、さるかたにあらまほし。
 顕基中納言の言ひけん、配所の月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

<口語訳>

 不幸に憂いに沈む人が、頭丸めるなどかたくなに思い取ったりしないで、いるかいないかに、門 差し込めて、待つこともなく明け暮らしている、そのようにあって欲しい。
 顕基中納言の言ったという、配所の月、罪なくて見る事、そうも思えるはず。

<意訳>

 不幸や悩みに、思い沈む人、
「えーい、面倒だ。頭を丸めて坊主にでもなったろう!」
 なんて、はやまらずに、とりあえず自分なんているのかいないのか分からくなるほど引きこもって、なんの期待もなしに生きていく。
 それも有りだ。

 そんなして暮らせば、島流しにされた顕基中納言が言ったとかいう。
「この島で見る月を、無実な身で見れたなら」
  という言葉の意味も分かるはずだ。

<感想>

 お嫁に行く時とかに使う「ふつつか者ですが」の、「ふつつか」は、「太い」が語源であろうかと言われる。
 「ふつつか」には、『太束』や『不束』なんて漢字が当てられてきた。
 現代語で言うなら「ふつつか」は、「図太い」とか「頑丈」、「頑固」なんていう意味が適当であろう。
 だから、お嫁に行く時に、自分から「ふつつか者ですが」なんて言ったら、「わたし図太いんですから!」と宣言しているようなもので、なんだか「鬼嫁」の気配。
 父親が、娘を結婚相手に渡す時に「こいつは、ふつつか者ですが」と差し出すのは良いけれど、自分から自分を「ふつつか」と言うのはやめておいた方が良さそうだ。

 さて、『徒然草』のテキストから受け売りで解説。
 顕基中納言(あきもと ちゅうなごん)
 顕基中納言こと、源 顕基(1000~1047)は、無実の罪で島流しにあった悲劇の人であったらしい。
 だから、配所の月は、島流しにされた配所(流刑地)で見るお月様。
 この月を、罪がない身で見れたならどんなに良いかと中納言は語ったそうだ。
 兼好は『徒然草』に参照するほど、中納言のこのセリフがお気に入りだったらしい。

 それでは、この段で兼好が言いたい事を、まとめてみよう。

 いらぬ欲望ばかりがわきあがる「現世」は、欲望という罪に捕われた「流刑地」である。
 欲望を断ち切り、「出家」をすれば、「現世」の欲望(罪)とは「無縁」となれる。
 だが、不用意に「出家」(無欲の世界へ突入)するのは危険だ。
 現実に、島流しにされた顕基中納言の言う「配所の月、罪なくて見る事」とは、「罪人」という浮き足だって落ち着かない状態から解放されて、罪のない身でなんの心配もなく、この美しい月を見てみたいという事なのであろう。
 現実に嫌気がさし、「現世」の欲望から逃れたいという気持ちでいる人間には、中納言の言いたい事が良く分かる。

 ところで、兼好は一気に『徒然草』の全部をまとめて書いたわけではない。
 若い頃から書きためていた文章を、晩年に『徒然草』として、まとめたらしい。
 序段から30段くらいまでの文章は、兼好の若い頃、兼好が出家したかしないかの頃に書かれたものではなかろうかと、「徒然草」研究家の各先生方も推測している。
 なので、まだ出家したてか、あるいは出家する前の兼好が書いたのが、この第5段なのではないだろうかと思うのだ。

 兼好は、『徒然草』の後半では、人間なんかすぐに死んじゃうんだから、出家を望むなら今すぐにしなさい、今すぐ出家しろとしつこい程に語っている。
 だが、まだこの段を書いた頃の兼好には出家にためらいがあったのだろう。

 出家を考えてはいるが、まだ出家してない。
 あるいは出家したてで、出家を後悔している。
 そんな若くて、迷っている兼好の姿が、この段からは読み取れる。

 なんにしろ、まだ人生は長いんだから「なんとかなるさ」という若者特有のお気楽さが、この段からはなんとなく感じられる。


秘技

2006-03-28 21:54:07 | 新訳 徒然草

 この人の本を読むと癒されるみたいな読書は危険で意味がない。本は本気で魂を削って読むべきだと思う。

 本を読むのは、自分と、本の作者との真剣勝負である。読者と作者は1対1のかたき同士で、チャンチャンバラバラ火花が飛び交い少しでも気を許せばたちまち作者に飲み込まれて読者は作者のしもべとなる。

 これは古典の宿命とでも言うべきものなのだが、『徒然草』は無駄に過大評価されている。

「徒然草の文章は美しい!」

「徒然草には、日本の美の原型がある!」

「徒然草は素晴らしい教訓がいっぱい詰まっていて人生の教科書だ!」

 確かに、そう思って読めば、そう読める。

 しかし、兼好の文章は上手いけど全てが美しくはない。むしろ荒削りで泥臭い章段もある。

 また、兼好の美意識はかなり特殊で日本の美の原型とは言い難い。

 まして、『徒然草』は教訓書なんかじゃないはずだ。教訓書を書こうと考えるなら、『徒然草』の出だしが「つれづれなるままに」のわけがないと思う。「思いつきで書いた文章をまとめて本にしてみましたので、気楽に読んでやって下さい」という気持ちを込めて、兼好は「つれづれなるままに」という出だしを書いたのではないだろうか。

 『徒然草』は古典で、古いものをありがたがる人々は必要以上に珍重する。だが、古典だからありがたいと思って読むと、兼好の本意からはずれてしまう。ぜひとも老人たちのこさえた価値観などには左右されずに、もっと自由に兼好と触れあってほしい。
 若い視点、いわゆるヤング・アイで「アイアイ・アイアイ おさーるさんだよ~!」という自由な物の見方で『徒然草』を読んでほしいのだ。それが、作者である兼好の希望なのである。
 ちなみに、俺の言う事なんかもちろん全く信じちゃいけない。全てを疑ってかかりなさい。あなたの目で『徒然草』を読み解くのだ。

 兼好は必要以上に文章が上手いので、兼好の口車に飲まれない為の秘策として、いろいろな手段が考案されている。
 そのひとつに「徒然草連続読み」という「秘技」が存在する。これは、俺の思いつきなんかでなく、すでに完成している「つれづれ奥義」の1つだ。具体的には、対面する敵に対して反対方向にグルッと十時キーをひと回ししながら、「中」ボタンを押せば「連続読み」は発動する。
 発動条件はともかく、具体的に言うなら、『徒然草』なんだから、つれづれて読めということだ。分けられた章段ごとに『徒然草』を読むのではなく、前の段に書かれた内容を頭に置きつつ、目の前の段を読めと言う事だ。

 「連続読み」のパクリもとは、島内裕子という「徒然草研究家」が書いた本である。パクリついでに、その本文を引用させていただこう。

0041

リンク: Amazon.co.jp:兼好?露もわが身も置きどころなしミネルヴァ日本評伝選: 本.

「そもそも徒然草の古い写本には、ところどころに改行は見られるものの、現代の私たちが見慣れているような、序段から始まって第一段、第二段と続き、第二百四十三段をもって最終段とする章段番号などは付いていなかった。これらの番号は、江戸時代に付けられたものであって、決して兼好本人が付けたわけではない。確かに章段番号が付いていれば、たくさんの曲が詰まったディスクから聴きたい曲だけを拾い出して聴くように、すぐにその箇所を読むことができて便利である。注釈を付ける場合にも、あらかじめ短く内容が区切ってあれば、一段ごとに詳しく注が付けられる。
 江戸時代以来の章段区分が現在までそのまま踏襲されているのは、作品自体の内容の区切れが明確だからでもある。もしも章段に区切っていない徒然草の本文全体を示されて、「内容ごとに区切りなさい」という試験問題が出されたとしても、人によって区切り方がそれほど大きく変わるようなことはまずないだろう。ほぼ全員が同じように章段分けすると予想される。徒然草という作品は、それくらい明確な書き方がなされている。」

『兼好』島内裕子著 ミネルバ書房(第四章より)

 ようするに、序段とか第何段とかいう分け方なんか気にするなと言う事だ。
 兼好本人が章段をくぎったわけじゃない。後の世の人が『徒然草』を読みやすくするために勝手にくぎっただけだ。
 引用させていただいた島内先生の著作には、その他にも参考になる意見が多数書かれている。さらにくわしくつれづれたいという方にはおすすめの一冊だ。

 そんなで、今日はあえて序段から第4段までを「、」や「。」すら取り除いて連続して連ねてみた。
 ヒマな人は、自分なりに章段分けしてみるのも楽しかろう。

 つれづれなるままに日くらし硯にむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ
 いでやこの世に生れては願はしかるべき事こそ多かめれ
 御門の御位はいともかしこし竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき 一の人の御有様はさらなり ただ人も舎人など賜はるきははゆゆしと見ゆ その子うまごまでは はふれにたれどなほなまめかし それより下つかたはほどにつけつつ時にあひしたり顔なるもみづからはいみじと思ふらめどいとくちおし
 法師ばかりうらやましからぬものはあらじ 人には木の端のやうに思はるるよ と清少納言が書けるも げにさることぞかし 勢まうにののしりたるにつけていみじとは見えず 増賀ひじりのいひけんやうに名聞ぐるしく仏の御教にたがふらんとぞ覚ゆる ひたふるの世捨て人はなかなかあらまほしきかたもありなん
 人はかたちありさまのすぐれたらんこそあらまほしかるべけれ 物うち言ひたる聞きにくからず愛敬ありて言葉多からぬこそ飽かず向はまほしけれ めでたしと見る人の心劣りせらるる本性見えんこそ口をしかるべけれ しなかたちこそ生まれつきたらめ心はなどか賢きより賢きにも移さば移らざらん かたち心ざまよき人も、才なく成りぬれば品くだり顔憎さげなる人にも立ちまじりてかけずけおさるるこそ本意なきわざなれ
 ありたき事はまことしき文の道 作文 和歌 菅絃の道 また有職に公事の方人の鏡ならんこそいみじかるべけれ 手など拙からず走り書き声をかくして拍子とりいたましうするものから下戸ならぬこそ男はよけれ
 いにしへのひじりの御代の政をも忘れ民の愁 国のそこなはるるをも知らず万にきよらを尽くしていみじと思ひ所せきさましたる人こそうたて思ふところなく見ゆれ
 衣冠より馬 車にいたるまであるにしたがひて用ゐよ 美麗を求むる事なかれ とぞ九条殿の逝誡にも侍る 順徳院の禁中の事ども書かせた給へるにも おほやけの奉り物はおろそかなるをもてよしとす とこそ侍れ
 万にいみじくとも色好まざらん男はいとさうざうしく玉の巵の当なきここちぞすべき
 露霜にしほたれて所さだめずまどひ歩き親の諌め世の謗りをつつむに心の暇なくあふさきるさに思ひ乱れさるは独り寝がちにまどろむ夜なきこそをかしけれ
 さりとてひたすらたはれたる方にはあらで女にたやすからず思はれんこそあらまほしかるべきわざなれ
 後の世のこと心に忘れず仏の道うとからぬこころにくし

0042

 この図版は、中道館 古典新釈シリーズ21『徒然草』より転載させていただきました。