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墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 第十段 家居

2006-05-11 19:29:52 | 新訳 徒然草

 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。
 よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしく、きららかならねど、木立もの古りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子・透垣のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
 多くの工の、心を尽してみがきたて、唐の、大和の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。また、時の間の烟ともなりなんとぞ、うち見るより思はるる。大方は、家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。
 後徳大寺大臣の、寝殿に、鳶ゐさせじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」 とて、その後は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮の、おはします小坂殿の棟に、いつぞや縄を引かれたりしば、かの例思ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏の群れゐて池の蛙をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」 と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故か侍りけん。

<口語訳>

 住居が似つかわしい、あって欲しいこそ、仮の宿とは思えど、興あるものだよ。
 よい人の、のどかに住んでる所は、差し入ってる月の色もひときわ しみじみと見えるのだぞ。今めかしく、きらびやかならないけど、木立もの古びて、わざとなからぬ庭の草も心ある様子に、簀子・透垣の具合 趣きあり、うち置く調度も昔おもえてやすらかなるのこそ、心にくいと見える。
 多くの工の、心を尽してみがきたて、唐の、大和の、珍しく、良くなくない調度ども並べ置き、前栽の草木まで心のままならなく作りだせるは、見る目も苦しく、とてもわびしい。さてもはや長らえ住めるはずか。また、時の間のけむりともなるだろうぞ、うち見るより思われる。大方は、住居にこそ、事様はおしはかられる。
 後徳大寺大臣の、寝殿に、鳶いさせまいとして縄を張られたのを、西行が見て、「鳶がいるのに、何が苦しいはずか。この殿の御心 そればかりにこそ」 と言って、その後は参らなかったと聞きましたに、綾小路宮の、おられます小坂殿の棟に、いつぞや縄を引かれたりしたらば、この例 思い出されましたに、「まことは、烏の群れ居て池の蛙をとりませば、御覧して悲しまられたから」 と人の語るこそ、さてはすごいとこそ覚えました。徳大寺にも、いかなる訳か御座ったのか。

<意訳> 

 住む家が自分に似つかわしい。
 そうあって欲しいから、家なんて仮の宿とは思いつつ興味は尽きない。

 良い人が、のどかに住む家では月明かりでさえしみじみと感じられる。今らしくも豪華でもないけれど、古木生え、人手の入らない庭に生い茂る草は心ある様子。縁側や垣根の具合も趣きあり、ふと置いてある庭の調度すら懐かしく安らかに見える。
 唐や大和の多くの職人が、心血注いで磨きあげた珍しくて普通にはないような調度を庭に並べ置いて、草木の心を無視して刈り込むなら、その庭はどこか見苦しくて少しさびしい。
 いつまで生きてその家に住む気なのだろう。家なんていつかは煙になるのは見ればわかる。だからこそ、住居によって住む人の品格などがおしはかれるのだ。

 後徳大寺大臣様の寝殿に、トンビをとまらせまいとして縄を張ったのを西行法師が見て、

「トンビがいて何が苦しい? この殿の御心はそればかりか!」

  とかなんとか言って、その後は絶縁したと聞きます。

 ところで、綾小路宮様の住まわれます小坂殿の屋根にも、いつぞや縄を張られてましたのでその西行法師の話を思い出しました。

「本当は、カラスが群れて池の蛙をとりますので、それを御覧なさって殿が悲しまられるので」

  その理由を、そう人が語ったが、それならばたいしたものだと思った。後徳大寺大臣様にも、なんか訳があったのかも。

<感想>

 出だしの 「家居のつきづきしく」は分かりにくい。
 辞書を引くと 『家居』とは 「住居、住まい、家に住む事」 とある。『つきづきしく』 は 「似合う」 という意味の形容詞。
 単純に意味をつなぎ合わせれば、 「家居のつきづきしく」 は 「住宅の似合う」 となるけど、それじゃいまいち意味がわからん。
 だが、『家居』 は日本語の熟語ではなくて漢語のようである。
 ようするに 『家居』 とは中国語なのだ。兼好の生きた時代の外来語である。
 意味は「居る家」という意味。
 ところで外来語の代表選手と言えば英語だ。
 では『家居』 を無理矢理に英語にしてみよう、『マイホーム』。 
 そう、「マイホームがお似合い」が、「家居のつきづきしく」の、現代語訳なのである。

 「マイホームがお似合いっての良くない? 家なんて、長い人生のうちの一時のホームステェイ先に過ぎないとは思っていても、興味はつきないよね」

 現代語訳にすると少し浮かれた感じの文章が、この段の出だしだ。『徒然草』は現代人が読むと格調を感じるが、本当は外来語まじりの少しくだけた文章なのだ。兼好と同じ時代の教養人が読むなら、『徒然草』の文章は、とっても突飛で最先端の文章だったはずである。


徒然草 第九段 女は

2006-05-04 17:42:18 | 新訳 徒然草

 女は、髪のめでたからんこそ、人の目立つべかめれ、人のほど・心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、物越しにも知らるれ。
 ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけたる寝もねず 、身を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。
 まことに愛著の道、その根深く、源遠し。六塵の楽欲多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、ただ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。
 されば、女の髪すぢを縒れる綱には、大象もよく繋がれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言い伝へ侍る。自ら戒めて、恐るべく、慎むべきは、この惑ひなり。

<口語訳>

 女は、髪の目出たかろうこそ、人目を引くべくみえる、人の程度・心ばえなどは、もの言ってる気配にこそ、物越しにも知られる。
 ことにふれて、うち有る様子にも人の心を惑わし、すべて、女の、うちとけて寝も寝られず 、身を惜しいとも思わず、堪えるべきもない事にもよく堪えしのぶは、ただ、色を思うが故である。
 まことに愛着の道、その根深く、源遠い。六塵の楽欲多いといえども、みな厭離するべき。その中に、ただ、この惑いのひとつ止めがたいのみだぞ、老いてるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変わる所ないと見える。
 されば、女の髪すじを縒れる綱には、大象もよく繋がれ、女のはいた足駄で作られる笛には、秋の鹿必ず寄ると言い伝えございますぞ。自ら戒めて、恐れるべき、慎むべきは、この惑いである。

<意訳>

 女は髪がきれいだと人目を引くね。
 女の程度や気だてなんかは、御簾の奥に隠れてたって話している様子からうかがえる。

 ちょっとした、ふとした様子が男心をまどわす。女は、安心して寝もしないし我が身を惜しいとも思わない。堪えられないような事に良く堪える。ただ、相手を思いやるが故であろう。

 本当に愛欲の道は深く、はてがない。
 体が望める欲は多いけどみな捨て去るべき、ただ、その中でも愛欲のみは捨てがたい。老人も、若者も、知恵ある者も、愚かな者も、これだけは変わらないように見える。 

 だから、女の髪でつくった綱には巨象もおとなしくつながれ、女のはいた下駄で作った笛を吹けば秋の雄鹿が群がると言い伝えられるのだろう。
 自分を戒めて慎まないと愛欲にはかなわない。

<感想>

 この段は、イソップ童話の「酸っぱいブドウ」である。
 なにか、ふっきれよう。なにかをあきらめようと、兼好は、無理矢理に自分を納得させようと書いているのだ。
 兼好は、下らない世間を捨て去る為に出家を選んだ。
 それしか悩める兼好にとって救いの手はなかったからなんだろう。
 だが、出家をするにあたり女の魅力にだけはあらがいがたいよなぁと、この段では素直に書いている。

 ところで、兼好は「女性蔑視」していると良く勘違いされがちだが、むしろ常に女性の立場を思いやった文章を書いている。
 この段も、ちゃんと読むなら男の性欲の節操のなさを書いているだけで、女の悪口は一つも書いていない。動物に例をとり、男の性欲の節操なさを書いているだけなのだ。
 兼好は、女神である天照大神を祭る「神道」出身の人間である。そして『枕草子』や『源氏物語』を愛読していた。
 身分が低いつまらない女なら馬鹿にしていたかもしれないけど、それは貴族階級に身を置く人間なら仕方のない視点だ。
 兼好は、むしろ賢くて徳のある女性ならば尊敬していたように思われる。身分や出身で人を見くびるようなことはあっても、女だからと見くびるような文章はひとつも書いていないし、女性蔑視はしてない。
 ように読めるし、俺はそう読む。
 兼好は昔の人だから「女性蔑視」していたに違いない。というのは現代人の決め付けで勝手な思い込みかもとか思うよ。

 それで、原文にある『六塵の楽欲』ってやつだな。
 コレはなにかというと、仏教の教えだ。
 まず六根がある。
 これは人間の感覚器官の事で、
 「目(視覚)」
 「耳(聴覚)」
 「鼻(嗅覚)」
 「舌(味覚)」
 「身(触覚)」
 「意(意思)」
 の六つ。
 現代でいうところの「五感」に、それを統合する意思をおまけしたのが「六根」だね。
 そんな感覚器官に詰まる汚れが「六塵」なのである。なんも考えないで楽しいだけだと六根がゴミやチリでつまってしまうよ。そうなると毛穴パックでもしなきゃゴミチリは取れないよと。
 ようするに。
 1、きれいな物を見たい。
 2、心地よい音楽を聞きたい。
 3、良いにおいをかぎたい。
 4、おいしい物を味わいたい。
 5、体は常に気持ちよくありたい。
 6、そして心はいつも平穏。
 これが、『六塵の楽欲』である。現代風に言うと『身体的欲求』だ。身体的な欲求を満たしたいが為に、常に「六つ」の感覚器官をゴミチリで鈍らせて「楽」しい事だけを望む欲ふかい心が『六塵の楽欲』なのである。


徒然草 第八段 世の人

2006-05-01 20:19:28 | 新訳 徒然草

 世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。
 匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。久米の仙人の、もの洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、他の色ならねば、さもあらんかし。

<口語訳>

 世の人の心惑わす事、色欲には及ばず。人の心は愚かなものかな。
 匂いなどは仮のものであるのに、しばらく衣装に薫物すると知りながら、良くなくない匂いには、必ず心ときめきするものである。久米の仙人が、もの洗う女のふくらはぎの白さを見て、神通力を失ったのは、まことに、手足・肌などのきよらかに、肥え、あぶらづいてるのは、他の色ならなくば、さもあろうか。

<意訳>

 世間の男を迷わす事、性欲にはどれも及ばない。男心は愚かだな。
 匂いに実体などない。
 女の匂いなど、着物にたき込ませた香のかおりにすぎないと知りながら、なんとも言えない匂いには必ずときめいてしまう。
 久米の仙人が、着物のすそをはだけて洗濯する女の白い足を見て、神通力を失ったのは、(本当に、手足や肌がきれいで、肉付きがよくって、あぶらがのってたりすると、もう他では例えようもない色つやだから)まぁもっともな話だ。

<感想>

 男を惑わすものは女である。それだけでは、女からすればまったくの一方通行。でも、男にとってそれは真実であるのだ。この段はそういう事を書いている。

 この段は、出家する前の迷う心を書きとめたものではないだろうか。
 もちろんこの段の書かれた正確な時期は分からない。だが、出家した後に書いたにしろ、兼好が出家する時に迷っていた気持ちを書いているように読める。

 出家するにあたり、兼好は「色欲」をあきらめきれるかなと不安だった。
 生まれた以上この世に望みが多すぎる。ぜひ必要ない望みは捨て去って、心安らかに暮らしたい。
 若い兼好にとって、ある意味「色欲」こそ最高にやっかいな欲望であった。そうなんだよ、出世欲とか金銭欲なんて望みはあきらめ断ち切れたとして、チンコは切れない。
 出家するのはいいけれど、身体が望む欲まで断ち切れるのかと兼好は不安に思っていた。だから、こんな事を書いたのではないだろうか。

 ちなみに久米の仙人という人は、俗世を捨て山寺に籠り、ついには神通力をも手に入れたというすごい仙人だ。
 飛行術をマスターした久米の仙人、ある日、雲に乗って空を飛んでいると川で洗濯をする女がいる。
 ところでこの洗濯女、洗濯板なんか使わないで洗濯している。もちろん昔だから洗濯機もない。着物を川の流れに打ちつけて足で踏んでもみ洗いしている。それがこのあたりの洗濯の流儀なのだろう。
 その彼女なかなか美人だ。
 久米の仙人ついつい目をやると、着物の裾からチラリチラリと白い足がのぞく。ものすごいチラリズムだ。白い足をみたとたんに久米の仙人、女の白い足に心を奪われたちまち神通力をなくし墜落した。
 墜落後、久米の仙人は洗濯女と結婚。そして、その地に「久米寺」をつくったと言い伝えらている。
 これは『今昔物語』にものる有名な昔話で、久米の仙人は愛すべきキャラクターとしてお酒の名前にもつかわれる程の意外な人気者なのだ。


徒然草 第七段 あだし野

2006-04-16 06:35:51 | 新訳 徒然草

 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を持ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

<口語訳>

 あだし野の露消える時なく、鳥部山の煙立ち去らないでのみ住み果てる習いならば、いかに もののあわれ もなかろうか。世は定めなきこそすごかろう。
 命あるものを見るに、人ばかり久しいはない。かげろうが夕べを待ち、夏の蝉が春秋を知らないもあるぞ。つくづくと一年を暮らすほどさえも、こよなくのどかしいや。飽きず、惜しいと思えば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそする。住み果てぬ世にみにくき姿を持ち得て、何かするか。命長ければはじ多い。長くとも、四十に足りぬほどにて死ぬのこそ、みやすいはず。
 そのほど過ぎれば、かたちを恥じる心もなく、人に いで交わろう事を思い、夕べの陽に子孫を愛して、栄えゆく末を見るまでの命を有りませ、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあわれも知らなくなりゆくのは、あさましい。

<意訳>

 あだし野の墓場から涙なくなる時はなく、鳥部山から火葬の煙が立ち去ることもないのが、生きて死ぬ事なら、いかにも、これこれが もののあわれ でなかろうか。世は定めがないからこそすごい。

 命あるものを見ると、人ほど長く生きるものはない。
 カゲロウは夕方に、セミは春も秋も知らずに死ぬ。

 つくづくと一年を暮らせば、思いのほかのんびりとしている。命を惜しいと思えば千年生きようとも一夜の夢。
 どうせこの世が滅びるまでは生きながらえるはずもないのに、老醜をさらして何をする?
 生きれば生きただけ恥をかく。長くとも四十になるまえに死ねたら、誰の目から見ても美しい。

 四十をすぎると、老いを恥じる心もなくなり人前に出たがるようになる。
 もう後は老いるだけの、沈みかけた夕日みたいなくせに、愛する孫が一人前になるまでは生きててやりたいとか願いだす。
 ひたすら残りの寿命にしがみついて、もののあわれも理解出来なくなっていくのは美しくない。

<感想>

「あなたの寿命はあと10年です!」

 と、宣告されたらどう思うか?
 10年あればなんとかなる、今日からマジに生きるぞと思う程度ではないだろうか? わりと余裕だな。
 じゃあ、のこり4年の寿命と宣告されたらどうする?
 どうもこうもない、残り4年の寿命なんて勘弁して欲しい!
 今の俺は36才。どうあがいても40才までに死ぬのが理想だなんて文章は手が裂けても書けない。あと4年の寿命なんてマジかんべんしてほしい、死にたくない。せめて、46才までは寿命を延長してくれと本気で願う。

 ところが、この第7段の兼好は、長生きしても四十才になる前に死ぬのが美しいとかサラリと書いている。この事から、なんとなく兼好がこの段を書いたのは40才なんてまだ手も届かない若い頃、20代、せめて30代前半の頃だったんじゃなかろうかと想像する。

 『徒然草』が、いつどのように書かれたのかは分からないが、現代では、兼好が長年にわたって書きためておいた文章を、晩年にまとめたものが『徒然草』という書物なのだろうと推測されている。
 だから、何度も言うように『徒然草』の最初の方の段は、兼好が若い頃に書いた文章である可能性が高い。

 事実、『徒然草』を初期の段と後半の段で読み比べてみると、初期の数十段はかなり若い感性で書かれている。
 後半の『徒然草』では、「死」はもっと切羽詰まったモチーフとして扱われていて、この段は後半の『徒然草』と比べると、どうしても死のとらえ方が甘い。
 後半の兼好はもっと死を切実なものとして書いている、「長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」なんて安易なことは、絶対に書かないであろう。

 たとえば、「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば」なんて出だしもかなり詩的なスタートで叙情的、「死」を「詩」にしている。
 『徒然草』のテキストによると、「あだし野」とは、京都嵯峨野にあった風葬の地だったそうだ。風葬だから、死体がゴロゴロしてたんだろうね。
 「鳥部山(とりべやま)」は、京都の「清水寺」近くにあった火葬場。昔の事だから、インドでやってるみたいに薪をつんで死体を魚みたいにパチパチ焼いていたのだろう。
 この二つの地名は、「無常観」をあらわす地名として、よく歌にも詠まれたそうだ。

 歌にもなるようなリリカルな地名からはじまるこの段は、リアルな死なんてまだまだ先にしか思えない、じつに若者っぽい文章なのである。


兼好法師

2006-04-15 20:21:04 | 新訳 徒然草

 『徒然草』を書いた兼好には、吉田兼好(よしだ けんこう)の他に、兼好法師(けんこう ほうし)という呼び方もある。
 さて、この二つの呼び方は、どちらがより正しい呼び方なのか?
 だいたい同一人物になんでいくつも名前があるのだろう?

 「吉田兼好」という呼び方は、兼好が吉田神社の社務職を代々つとめた一族の出身であることから後の時代の人が勝手につけた「呼び名」であるという事は、前に説明した。
 それでは、「兼好法師」とはなんなのだろう?
 どうして、「兼好法師」なんだ?
 だいたい、「法師」ってなんなのだ?

 法師は、『西遊記』の「三蔵法師」が有名。
 他には『耳なし芳一』の「琵琶法師」なんかも有名。
 ようするにお坊さんに対する「尊称」が「法師」だ。
 兼好は、お坊さんだったから「兼好法師」と呼ばれた。

 「法師」は、仏教のお坊さんに対する尊称である。
 だが、お坊さんそのものを指し示す場合にも使われた。
 現代で言うなら、「なんとか法師」は、「なんとか先生」という呼び方に似ている。

 学校の先生の正式な職業名は「教員」である。「先生」は職業名ではない。
 例えば、あなたの担任の先生がレンタルビデオ屋の会員になる時に、職業欄へ自分の職業を記入しなきゃならない場合、「学校の先生」なんてふつうなら書かないだろう。「教員」とか記入するはず。
 「先生」はあくまで「尊称」だ。
 「尊称」は、自分でない他人が、誰かを尊敬する時に用いる言葉だ。
 木村って教師がいたら、生徒であるあなたは、その人を全く尊敬していなくても、とりあえず「木村先生」と呼んでおく。
 尊敬しているフリぐらいはしとかないといけない、内申書もこわいしね。
 だけど、「教員共」をカンタンに指し示す場合にも「先生」は使われる。
 だから、期末試験終了後の昼休みに、職員室でストーブにあたりながらボンヤリ弁当を食っている「教員共」は、まとめて「先生たち」と呼ばれる。

 そんなで「法師」と「先生」の使われ方は良く似ている。
 どちらもそもそも「尊称」である。
 だが、その職業につく人達をカンタンに指し示す言葉として使われる場合もある。

 学校の「先生」と違って、「法師」の正式な職業名は特定できない。
 法師は、坊主の尊称であるが、だいたい、坊主って職業なのかと聞かれたら、う~んどうなんだろう? となる。
 ただ、坊主の正式な呼び方と言うのなら、「僧」か「仏僧」あたりが適当ではないだろうか。
 昔の僧には、座りが悪いけど正式な個人名なんかなかった。
 僧なんて、かって生きてた仏教の教祖である「釈迦」の弟子の誰それとしか言えない連中なのである。
 僧は、釈迦の弟子になる時に俗社会を捨てる。
 その時に、俗社会と一緒に名前も捨てる。
 そんな連中の本名なんて、問題にするも馬鹿らしい。

 だから、『徒然草』の作者でありつつ、僧であった兼好に、本当の本名なんか本来ない。
 「兼好法師」という呼び方も、あくまで尊称にすぎない。
 後の時代の人が勝手につけた通称の「吉田兼好」と同じで、他人からの「呼び名」でしかないのだ。
 戸籍が存在する現代と違い、自称と呼び名しかない。
 それが昔の僧だった。
 そうだったのだ!

 例えばだ。
 『西遊記』の三蔵法師が、シルクロードを通って天竺を目指す途中に道に迷って、現代の東京都の立川市に迷い込んじゃったとする。
 その三蔵が、立川駅前の南口「アレアレア」にある『TSUTAYA』で、レンタルビデオを借りようと思うなら、僧名である「玄奘三蔵」を名のるべきで、尊称の「三蔵法師」を名のるなら、自分で自分は「俺は三蔵先生だ!」と言っているのに等しい。
 マトモな僧なら自分で自分を「法師」とは言わないはずだが、調査不足で確証はない。

 じゃあ、『徒然草』の著者を現代の我々はなんと呼べば良いのか?

 好きに呼べばいい。「吉田兼好」でも「兼好法師」でもマルだ。

 ただ、それじゃあまりに乱暴なので、正解らしい事を言うなら、鎌倉時代末期の京都で「兼好(けんこう)」と名のっていた僧が、『徒然草』を書いた人だ。
 じゃあ、『徒然草』の作者を、現代の俺たちは「兼好」と呼べば良いのか?
 そうだとも言い切れない。
 何故なら、書いた本人が自分をなんて呼んでもらいたかったのかが、現代ではすっかり抜け落ちているからだ。

 もはや、この世には『徒然草』の原本(オリジナル)はない。あるのは写し(コピー)ばかりだ。

 現代には、なぜか兼好直筆の『徒然草』は伝わっていない。
 後の世の人による「写本」しか、『徒然草』は現代に残されていない。

 本人の署名のない著作物の写しでは、書いた本人をなんて呼べば良いのか分からない。
 もはや、好きに呼ぶしかない。
 それが正解だ。