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墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 第十五段 いづく

2006-05-20 20:16:49 | 新訳 徒然草

 いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。
 そのわたり、ここ・かしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、「その事、かの事、便宜に忘れるな」など言ひやるこそをかしけれ。
 さようの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはおかしとこそ見ゆれ。
 寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。

<口語訳>

 何処でもあれ、しばし旅立つこそ、目覚める心地しよう。
 そのあたり、ここ・かしこ見あるき、いなかびた所、山里などは、やや見慣れない事のみが多い。都へ便り求めて手紙やる、「その事、あの事、便宜に忘れるな」など言いやるのこそおかしい。
 そのような所にてこそ、全てに心つかいさせらえる。持ってる調度まで、よくはよく、能ある人、形よい人も、常よりはおかしいとこそ見える。
 寺・社などに忍んで籠りいるもおかしい。

<意訳>

 どこでもいいからしばらく旅立てば、目の覚めるような思いがするだろう。

 そこいらあたりをそこかしこ見歩けば、田舎や山里には見慣れぬもの多い。
 都に住む家人へ、返事を求めて手紙をやる。
「その事、あの事、万事都合よく。忘れんなよ!」
 なんて言ってやれば面白い。
 旅先でこそ何にでも心遣いが必要となる。
 余計な荷物はいらない。いるものはいるし、いらないものはいらない。頭のいい人や美しい人でも、旅先では普段より違ったおかしな様子を見せる。

 寺や神社にひっそり籠るってのも面白い。

<感想>

 兼好は世を捨てるため、出家するにあたり、自分が俗世に何を望んでいるのかを検証してきた。それが『徒然草』の第1段から第12段までだ。
 13段からは、やや趣きが変わってくる。今度は出家したら何を望もうかという話に変わってきたのだ。
 この段の兼好はワクワクしている。そのワクワクぶりは、この第15段の文中にやたら「こそ」が多い事からこそ推測できる。明日遠足のガキ並みのワクワクぶりでワクワク法師だ。
 出家する為に捨てなければならない欲望の話から、出家したらこうしたいなという話に話題がスルリとシフトしてしる。
 兼好はいろいろ悩んだくせに、いざとなったらわりと楽しんで出家したみたいである。


徒然草 第十四段 和歌

2006-05-19 19:33:38 | 新訳 徒然草

 和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしず・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき猪のししも、「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。
 この比の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外に、あはれに、けしき覚ゆるはなし。貫之が、「糸による物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌屑とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・ことば、このたぐひのみ多し。この歌に限りてかく言ひたてられたるも、知り難し。源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、この歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にも、ことさらに感じ、仰せ下されけるよし、家長が日記には書けり。
 歌の道のみいにしへに変わらぬなどいふ事もあれど、いさや。今も詠みあへる同じ詞・歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに、同じものにあらず、やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。
  梁塵秘抄の郢曲の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ。昔の人は、ただ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや。

<口語訳>

 和歌こそ、なお おかしいものである。賤しの賤・山賤のしわざも、言い出ればおもしろく、おそろしい猪も、「ふす猪の床」と言えば、優しくなる。
 この頃の歌は、一節おかしく言いかなえてると見えるはあるが、古き歌どものように、いかにだか、ことばの外に、哀れに、気色覚えるはない。貫之が、「糸による物ならなくに」と言えるは、古今集の中の歌屑とかよ言い伝えてるけど、今の世の人の詠めるはず事柄とは見えない。その世の歌には、姿・ことば、この類いのみ多い。この歌に限ってこう言いたてられてるも、知り難い。源氏物語には、「物とはなしに」だと書かれる。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」と言う歌をだ 言うのは、まことに、少しくだけた姿にも見えようか。されど、この歌も、衆議判の時、よろしい由 沙汰あって、後にも、ことさらに感じ、おっしゃられ下された由、家長の日記には書かれる。
 歌の道のみ古に変わらないなど言う事もあるが、どうか。今も詠みあう同じ詞・枕詞も、昔の人が詠むは、さらに、同じものにあらない、安く、素直にして、姿も清らかに、哀れも深く見える。
  梁塵秘抄の郢曲の言葉こそ、また、哀れである事は多いよう。昔の人は、ただ、どのように言い捨ててる言葉も、みんな、すばらしく聞こえるかな。

<意訳>

 和歌こそ最高だ!
 下々の下々の者や、いやしい山男の仕業ですら、歌にすれば面白い。
 こわいイノシシだって「臥す猪の床」と言えば、優しくもなろう。

 近頃の歌は、一節ぐらいは面白く言い得ているなと思うのもあるけど、古い歌のようにはいかない。言葉の端に、哀れに思える情緒がないのだ。
 紀貫之が関東に下る時に詠んだ「糸による 物ならなくに 別れ路の 心ぼそくも 思ほゆるかな」という歌は『古今和歌集』の中のクズ歌と言い伝えられている。だがこの歌は、今の人間に詠めるような歌とは思えない。昔の歌は、詩の形も言葉もこのようなのが多く、この歌ばかり何故そんなにけなされるのか分からない。ただ『源氏物語』では、この歌の「物ならなくに」の部分を、「物とはなしに」と書き換えて引用している。
 『新古今和歌集』では、源 家長の「冬の来て 山もあらはに 木の葉ふり 残る松さへ 峰にさびしき」という歌がけなされている。本当に、この歌が少しくだけすぎた歌に見えるのだろうか。この歌は、『新古今』入選のとき選考会から「よろしい」と入選を伝えられ、後に後鳥羽院からも「ことさら」って誉められたと家長の日記に書いてある。
 歌の道のみは昔と変わらないと言う人もいるが、そうだろうか。今でも使うおなじことば、おなじ枕ことばでも、昔の人が詠むのと今の人間が詠むのでは全くおなじではない。昔の歌は、安らかで素直で形も整い、哀れも深い。

 『梁塵秘抄』に載る流行歌にすら哀れな言葉があふれている。昔の人の言葉は、ただ言い捨てた言葉さえ素晴らしく聞こえる。

<感想>

 二度と同じ感性の持ち主などあらわれないように、去年と同じように見えても景色は微妙に変わり続けるように、同じ言葉であるから、常に同じ力を持つとは限らない。昔と同じ言葉を詠み込んだからといって昔の歌と同じにはならないよと、兼好は言っている。

 『徒然草』第1段の冒頭「いでやこの世に生まれては、願はしかるべき事こそ多かめれ」から始まった「願はしかるべき事」の検証は12段まででだいたい一区切りついたようだ。前の13段とこの14段では、読書や和歌といった兼好が好む事が書かれている。
 出世欲などの世俗への望みから、男女の恋愛や性欲に住みたい住居、友を求める心と、兼好は第1段から自分が何を望んでいるのかをえんえんと書き続けてきた。これは、兼好が出家するにあたり、出家する為には何を捨て去らねばならないのかを書き並べてみたのだと俺は読む。
 その作業は12段まででだいたい区切りがついたのだろう。あるいは、「願はしかるべき事」を書き続けるのに飽きちゃったのかもしれない。なんにしろ『徒然草』の話題は飛んだ。


徒然草 第十三段 ひとり

2006-05-18 18:52:15 | 新訳 徒然草

 ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
 文は、文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。

<口語訳>

 ひとり、灯火のもとに書をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなく慰む技だ。
 書は、文選の哀れな巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書いた物も、昔のは、哀れであること多い。

<意訳>

 ひとり、灯火のもとに本をひろげる。
 見も知らぬ本の中の人物や、その作者を友達にする。このうえなく癒される。

 本は、『文選』の感動の巻々や『白氏文集』。『老子』の言葉に『荘子』の著作。この国の学者どもの書いた本でも、古いものには感動すること多い。

<感想>

 この段の兼好はちょっと自慢げ。
 やはり兼好にとって、教養は捨て難い誇りであったらしい。
 原文にある「文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇」。これらは全て中国語で書かれた文章で、いわゆる漢文である。
 今で言うなら、英語だとかドイツ語の原文を読んで感動できるぐらいの教養に匹敵するのだろう。兼好は漢文を理解して感動できた。その上で、日本の学者の書いた文章でも、古典なら感動できるものも多いなと語っている。
 なんだか、とっても自慢げで偉そうだ。 

 ところで、本を読みなれていない普通の人は、本の作者や登場人物に「見ぬ世の人」なんていう親近感をあまり抱かない。
 本の内容をありがたい言葉として全て受け入れるか、何が言いたいのかサッパリわからないと反発するかのどちらかで、どちらにしろ、本の作者なんてのは遠い世界の人、本の内容は作者から与えられるだけのものだ。
 これが、あんまり本を読みなれていない普通の人の読書スタイルだ。

 ところが、本を読みなれている普通でない人は、本の内容を認めた上で拒絶しながらも本の作者とお友達になれる。
 本を読む事になれている人間は、いま読んでいる本に突っ込みを入れられるのだ。突っ込みは愛である。愛がなきゃ突っ込めない。
 ここはいいけどここはだめ!
 好き好き大好き。でもここは大嫌い!
 本の内容を、書かれているままにしか受け入れられない本に不慣れな人間と、読みなれている人間とはココが違う。
 本を読む事が大好きでのめりこめて集中できるから本に突っ込めるのだ。
 いやいやに本を読む人間には、そもそもに突っ込みの余地がない。夏休みあけの校長先生のお言葉を我慢して聞いている小学生みたいなもんだ。
 本に感情移入できる人間を「読書人」と呼ぶなら、かっこいい、なかなかだ。でも、現代にはオタクって便利な言葉がある。
 本に感情移入できる人間なんて「読書オタク」だ。この段は、兼好の「読書オタク」な一面があらわれちゃった一段なのである。

 ようするに、兼好は中国古典マニアで読書オタクだった。その上に自慢げだ。
 この段はそういう話である。

 なんだけど、とりあえず。

 兼好は、誰に読ませる為に『徒然草』を執筆したのだろう?
 そこらへんは謎である。
 だが、時代すら超えた作者との交流を自分の読書スタイルによって良く知っていた兼好は、誰でもなく、誰をターゲットにするわけでもなく、いつか遠い将来に分かってくれる読者にめぐりあい読んでもらえるさという気長なスタンスで『徒然草』を執筆したのかもしれない。
 もしかしたら、兼好は何百年も先のあなたに突っ込んで欲しくて『徒然草』を書いたのかもしれないのだ。


徒然草 第十二段 同じ心

2006-05-16 19:42:49 | 新訳 徒然草

 同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向ひゐたらんは、ただひとりある心地やせん。
 たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いささか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。

<口語訳>

 同じ心だろう人としめやかに物語して、おかしい事も、世の儚い事も、裏なく言い慰めるのこそ嬉しかろうはずに、然る人あるまいければ、少しも違うまいと向い居るのは、ただひとりいる心地がしよう。
 互いに言おうほどの事をだぞ、「現に」と聞く甲斐あるものから、いささか違う所もあろう人こそ、「我はそうは思わない」など争い憎み、「それだから、そうだぞ」ともうち語らえば、つれづれ慰むと思えど、現には、少し、ぐちる方法も我と等しくはない人は、だいたいの良くも悪くもない事言ううちこそありだが、実の心の友には、はるかに隔たる所があるはずだぞ、わびしいや。

<意訳>

 面白い事からこの世の儚い事まで、自分と同じ心を持つ人としんみり本音で話しあい慰めあえたなら、きっと楽しいはず。
 でも、そんな人いるはずないから、向かい合う相手と少しも違わない様にして座っている。そんな時は一人ぼっちの気持ちがする。

 お互いに語り合う事が、「マジ?」とか「それは違う!」などと、聞く甲斐や口論する甲斐ある事なら、「だからそうか!」とも語り合えるし、そんな会話なら、つまらない日常も慰められると思う。
 でも実際には、グチの言い方ひとつ俺と同じ奴なんていやしない。どうでもいい話をしているうちはいいけど、真実の心の友との会話とはかけ離れている気がする、さびしいよね。

<感想>

 オー! 心の友かぁ!
  心の友なんてジャイアンの専売特許かと思ってたら、すでに兼好法師の時代から使われてたんだ。知らなかったけど、なんか素敵!

 ところで、この12段で兼好が望むものはだいたい出そろった。
 兼好の望みとは。

 出世欲。
 物欲。
 身体的欲求。
 性欲。

 つまらない世間からの逃亡。

 真実の恋愛。
 居心地の良い住まい。
 なんでも話せる友達。

 これが、兼好の望みだ。兼好は世を捨てるにあたり捨て去るべき世の中に自分が何を望んでいたかを第一段から書き続けてきた。この後は、だんだんと段をおって、兼好の興味は「死」に移って行く。そして、死に行く我が身は今をどう過ごせば心穏やかにいられるのかという内容に話は変わって行く。 


徒然草 第十一段 神無月

2006-05-14 19:58:16 | 新訳 徒然草

 神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる懸樋の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。
 かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。

<口語訳>

 神無月の頃、栗栖野という所を過ぎて、ある山里にたずね入る事がありましたに、遥かなる苔の細道を踏み分け、心細く住みなしている庵ある。木の葉に埋もれる懸け樋の雫だけで、少しも音なるものはなし。閼伽棚に菊・紅葉などが折り散らしてる、さすがに、住む人のあればなのだろう。
 これでもいられるんだよと あわれに見るうちに、むこうの庭に、大きな蜜柑の木が、枝もたわわになっているが、周りをきびしく囲ったりしてこそ、少しこと冷めて、この木なけりゃましかもと覚えた。

<意訳>

 神無月の頃に、ある山里を訪れる事があった。
 その途中で栗栖野というところを通りかかると、長い苔の細道が踏み分けられその奥にはひっそりとした佇まいの庵がある。
 木の葉に埋まる懸け樋の水音だけ、何の音もしない。
 仏さまに供物をささげる閼伽棚には、菊や紅葉が折り散らされ供えられている。さすがに住む人があるからなのだろう。

 こんな生活もあるのだなと哀れを感じて見ていると、むこうの庭に枝もたわわに実る大きなミカンの木があった。
 その木の周りをミカンを盗られまいときびしく柵で囲っている。少し興ざめして、こんな木はない方がましかなと思った。

<感想>

 この第11段は、前の10段と関連した話で、この段だけの独立した話ではない。住まいは住む人の品格をもあらわすという前段から連想して書かれた段なのである。
 10段も11段も「望み」が裏のテーマだ。
 兼好は、山里に行く途中に、つい自分も住んでみたくほどに侘び寂びのガッツリきいた住まいを発見した。でも、ミカンの木のまわりを柵で囲っているのを見てガッカリしちゃったというのがこの段の話だ。
 衣食住は、どれも人間の基本的な望みである。食欲や性欲ほどストレートな望みではないが、誰にだって住んでみたい家がある。これだって欲望だ。
 出世欲や性欲などの話の後に、ポンとこんな家に住んでみたいという希望を連チャンで書き並べている。そして、でも現実にはなかなか望みどおりの住まいはないよねと語る。兼好はなかなか構成が上手い。

「神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり」

 これが、この11段の出だし。
 なんとなく意味はわかる。しかし、ちゃんと分かろうとすればするほどに良くわからなくなるのがこの段だ。ちなみに神無月は10月のことで、栗栖野は京都郊外の地名である。

「10月頃、

 栗栖野という所を過ぎて、

 ある山里をた尋ねる事ありましたに、

 遥かなる苔の細道を踏み分けて、

 ひっそりと住んでる庵ある」

 結局、この庵はどこにあるのだろうか?
 山里なのか? それとも栗栖野か?
 ひっそり住んでいるのは誰なんだろう?
 苔の細道を踏み分けたのは誰なのだろうか?
 兼好か? あるいは庵の主か?

 疑問はつきない。

 その後もまずい。「さすがに、住む人のあればなるべし」ってなんなんだよ。さっき「住みなしたる庵あり」って書いたばかりだろ。すでに、人が住んでいる庵があると書いているんだから、人が住んでいる事に感動し直すなよ。わけわからん。

「かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、まはりをきびしく囲ひたりしこそ」

 あとに続くこの文章も意味はなんとなくわかる。だが、語順がなんとなくパラレルで頭がジャングルになりそうな文章だ。

「むこうの庭に、

 大きなミカンの木の、

 枝もたわわになってるが、

 まわりをきびしく囲ったりしてこそ」

 で?
 きびしく囲っているのは結局どこなのだ?
 庭か? それともミカンの木のまわりか?
 大きなミカンの木が先にきて、その後に枝がたわわになっていると続く順番も下手な翻訳の文章を読まされているようで、なんだか脳みそがかゆくなってくる。

 この第11段は名文として教科書なんかにも紹介されている。しかしどうなのよぶっちゃけコレとか思ってしまう。
 だが、現代人の俺でさえ原文からなんとなく意味が分かるのだから、もしかすると、これはこれで良いものなのかもしれない。
 分かりにくいのは、古文と現代文で文章の並べ方が違うためらしい。分かるように並べ直せばスラスラ意味が分かる。

 そんなわけで分かってみるとだ。こんな短い文章で、来栖野にあるという心ぼそく住みなしたる庵まで読者を案内して、ミカンの木のまわりにはりめぐされた柵のみっともない様子までをも伝えちゃうこの段は、確かに名文である。