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墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

徒然草 第二十段 某

2006-06-20 19:57:06 | 新訳 徒然草

 某とかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

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<口語訳>

 なにがしとかやらいった世捨て人の、「この世の絆もたない身に、ただ、空の名残りのみが惜しかった」と言ったのこそ、まことに、そうも覚えたはずだった。

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<意訳>

 なんとかやらいう世捨て人。

「この世に、絆もたない身に、ただ、空の名残りのみが惜しい」

 と言ってたのが、本当にそうだなと思えた。

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<感想>

 兼好は、「空の名残り」という言葉に共感したから、この文章を書いたのであろう。でも、「空の名残り」ってなんだ?

 夕方の仕事帰り、空を見上げる。

(空の名残りってなんだろう?)

 今日はふりそでふらなかった。
 雲ばかりモクモクとすがたかたちを変えながら空に浮かぶ。暮れかけたオレンジ色の太陽が雲を透かして輝く。
 きれいな空。
 こんな中途半端なくもり空でも、空はきれいだ。
 もしかして、あの空に浮かぶ雲が、「空の名残り」なのだろうか。

 その時に、ポンと心の中の兼好に肩を叩かれた。

 俺の、心の右肩を叩いた心の中の兼好の右手人差し指は、ピンと直立していた。心の中で振り返った俺の心の中の頬は、直立した人差し指におされてムニュゥゥとなってしまった。
 引っかけられた!
 俺は、俺の心の中で、心の中の兼好のイタズラに引っかかったのだ。
 心の中の兼好は、直立させた人差し指を俺の心の肩からどけて、指を空にのばした。

(空を見上げてごらん)

 そうか分かった、空を見上げるという行為こそ、「空の名残り」を探して空を見上げる事こそが、「空の名残り」なのである。そうなんだろう兼好?

 その事を俺に悟らせると、心の中の兼好はだまってうなずき、どこかに消え去った。
 見上げる空には、雲が浮かび、暮れかけた太陽はうっすらと雲を染める。

 だが、まぁ、もちろん。
 まったく違うかもしれない。
 この「空の名残り」の解釈は、いわゆる俺の勝手な解釈で間違っている危険性はとてつもなく非常に大きいのだ。
 試験には使えない。

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<いらないけど解説>

『某』(なにがし)
 場所、物、人。
 などなど具体的な事が不明な時に使われる言葉。

『世捨人』
 世間から隠れ住んでいる人。遁世者。

『ほだし』
 馬の足をしばる縄。また、罪人の手足をしばる縄。拘束すること。
 漢字だと「絆」と書く。

『名残』
 現代語とほぼ近い意味である。

『さも覚えぬべけれ』
 素直に現代語感覚で訳そうとすると、少しばかりとまどう言葉。
 「さも」は、現代語の「さも」とほぼ同意義だけど、「そうも」と訳しておこう。
 「覚え」は、動詞「覚ゆ」の連体形。「覚ゆ」は現代語の「思う」に意味が近い。
 「ぬ」は、「ない」の「ぬ」ではない。完了の助動詞である。だから、「覚えぬ」は、「覚えない」ではなくて、現代語の「思いました」に意味が近い。
 「べけれ」は推量の助動詞「べし」の已然形。「べし」は確信に近いなにかを感じた時にベシッと使われる。そのうえに已然形なので、当然中の当然だよと言っている。まぁ、已然形なのは「こそ」の結びだからなんだけどね。
 「言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ」を、無理矢理に現代語にするならば、「言ったのこそ、マジそう思えた!」みたいなかんじかな。


徒然草 第十九段 折節

2006-06-18 18:41:59 | 新訳 徒然草

 折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。
 「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思い出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。
 「灌仏の比、祭の比、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月、菖蒲ふく比、早苗とる比、水鶏の叩くなど、心ぼそからぬかは。六月の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるも、あはれなり。六月祓、またをかし。
 七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁鳴きてくる比、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。言ひつづくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
 さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散り止まりて、霜いと白うおける朝、遣水より烟の立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日余りの空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名、荷前の使立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺より四方拝に続くこそ面白けれ。晦日の夜、いたう闇きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。
 かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとはみえねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

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<口語訳>

 折節の移り変わりこそ、物毎に哀れである。

 「ものの哀れは秋こそ勝る」と人毎に言うけれど、それも然るもので、今ひときわ心も浮き立つものは、春のけしきにこそあろう。鳥の声などもことのほかに春めいて、のどやかな日ざしに、垣根の草萌え出るころより、やや春ふかく、かすみわたって、花もようよう色めきだす時期でこそある、おりしも、雨・風うち続いて、心あわただしく散り過ぎる、青葉になりゆくまで、すべてに、ただ、心をのみだ悩ます。花橘こそ名を背負う、なお、梅の匂いにだ、昔の事も、立ち返り恋しく思い出される。山吹の清らかさに、藤のおぼつかない様してる、すべて、思い捨てがたきこと多い。

 「灌仏の頃、祭の頃、若葉の、こずえ涼しげに茂りゆく時期こそ、世の哀れも、人の恋しさも勝る」と人の仰られたのこそ、まことに然るものである。五月、菖蒲さす頃、早苗とる頃、水鶏の叩くなど、心ぼそくないか。六月の頃、賤しき家に夕顔が白く見えて、蚊遣り火くすぶるのも、哀れである。六月祓い、またおかしい。

 七夕祭るこそなまめかしかろう。やうやう夜寒になる時期、雁鳴いてくる頃、萩の下葉いろづく時期、早稲田刈り干すなど、とり集める事は、秋のみが多い。また、野分けの朝こそ、おかしかろう。言いつづければ、みな源氏物語・枕草子などに言い古されてるが、同じ事、いまさらに言わないでもない。思った事言わないのは腹ふくれる事ならば、筆にまかせつつ、味気ない遊びにて、すぐ破り捨てるべきものなれば、人の見るべきにもない。

 さて、冬枯れの景色こそ、秋におさおさ劣るまい。汀の草に紅葉が散り止まって、霜いたく白くおりる朝、遣水よりけむりの立つのこそおかしかろう。年の暮れ果てて、人毎に急ぎあう頃だ、またとなく哀れである。凄まじいものにして見る人もない月が寒く澄む、廿日あたりの空こそ、心細いものだ。御仏名、荷前の使い立つなどだ、哀れに止むことない。公の行事共繁く、新春の支度にとり重ねて催し行われる様子だ、すごいや。追儺より四方拝に続くのこそ面白かろう。晦日の夜、甚く暗いに、たいまつ達ともして、夜半過ぎるまで、人の、門叩き、走り歩いて、何事であろうか、ことごとしくののしって、足を空に惑うが、明け方より、さすがに音なくなるのこそ、年のなごりも心ぼそかろう。亡き人のくる夜といって魂祭る行事は、このごろ都にはないのを、東の方には、尚する事であったのこそ、哀れでした。

 かくて明けゆく空のけしき、昨日に変わってるとは見えないが、ひきかえめずらしい心地がする。大路の様子、松立てわたして、はなやかにうれしげなのこそ、また哀れである。

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<意訳>

 季節の移り変わりこそ、全てに哀れである。

 ものの哀れは秋が勝ると誰もが言う。それはそうだけど、さらに心浮き立つものが春の景色にある。
 鳥の声なんとなく春めいて、のどかな日ざしに垣根の草が芽生え出す頃。やや春は深まり、霞もわたり、桜の花はようやくと色めき出す。
 おりしも、この時期は雨風が続き桜はあわただしく散りすぎる。
 桜は、青葉になるまで、最後まで、人の心をただ惑わせる。
 花橘の美しさは少しも名前に劣らない。だが、梅の匂いに昔の事を振りかえさせられる。過去が恋しく思い出される。
 山吹の清らかさ、藤のおぼつかなげな様子、すべて、捨てがたい事ばかり。

 花祭りや葵祭のころ。
「若葉が、涼しげに梢に茂る季節にこそ、世の哀れや、恋しさがある」
 と言う人がいた。まさにそのとおりだ。
 五月。
 節句の菖蒲を飾る頃、田植えの頃。
 水鶏の叩くような鳴き声に心細くはならないか。
 六月。
 貧しき家の夕顔は白く映え、蚊遣り火くすぶるの哀れ。
 六月禊いの儀式もまた興味深い。

 七夕祭りはあでやかで美しい。
 夜には、ようやくと涼しくなりはじめる時期になると、雁が鳴いて渡って来る。
 萩の下葉も色づき、早田で刈り入れがはじまるなど、とり集めたい事は秋には多い。
 台風が行き過ぎた日の朝も面白い。
 言い続けると、すでに『源氏物語』や『枕草子』で言い古されたことばかり。
 同じ事をいまさらだけど、思った事を言わなきゃ腹がふくれる。
 どうせ筆まかせのなぐさみで、すぐに破り捨ててしまうもの、これは人に見せるものではない。

 さて。
 冬枯れの景色こそ秋に少しも劣らない。
 水辺の草に散った紅葉はとどまり、ものすごく白い霜がおりる朝。
 庭の小川から湯気たちこてるのがおかしい。
 年も暮れ果て人みな急ぎあう時期は、またとなく哀れだ。
 たいしたことないはずと決めつけられて見る者もない二十日頃の月は、寒く澄み切り心細い。
 御仏名や、荷前の使いなども立ち、哀れに止むことはない。
 公の行事多く、新春の支度にとり重ねて年末の催しが行われる様子はすごい。
 追儺から四方拝の儀式に続くのが面白い。
 晦日の夜。
 人々は暗闇の中、多くのたいまつを灯して、夜半過ぎまで他人の家の門を叩いて走り回る。何事であろうか大声でののしり、足を空に惑わす。
 明け方になると、さすがに喧噪はおさまるものの、年の名残りをさがして心ぼそくなる。
 近ごろ都ではやらない年末に亡き人を祭る行事を、関東ではまだしているのを見た時には哀れを感じた。

 こうして明けゆく空の景色。
 昨日と変わるようには見えないのに、年が変わったせいか目新しいような気持ちもする。
 大路には、松飾りが並び、はなやかで嬉しげ。
 それがまた哀れだ。

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<感想>

 この段から、兼好は出家して卜部兼好から兼好法師になったと俺は読む。
 もちろん、これは読み方の一つでありで、実際にいつ書かれたのかは問題ではないし、証明も出来ない。
 18段までには出家する前の卜部兼好の気持ちが書かれていたが、19段からは出家した兼好法師の考えが書かれていく。

 この第19段は、映像的だ。1年をとおしてのパノラマーっみたいな感じで、なんだか一大感動スペクタクルロマンで、驚愕の感動巨編でもある。
 やり口がうまいんだよね。
 季節の移り変わりこそ哀れであるとはじめてさ。
 みんなは秋が哀れって言うけど、哀れなのは秋だけなのかなって切り出して、そして美しい春の描写。
 桜は散って、山吹は清げに、藤はおぼつかない。あー、春ってきれいだよねぇーとか読む人を思わたら、初夏の描写だ。
 夏の夜の美しくどこか切ない風景。
 そして秋。秋と言えば七夕祭り。兼好の頃は七夕は秋のはじめの頃にやるお祭りだったのだ。
 豊かな刈り入れ時の田園風景を描写して、そして、いきなし愚痴!
 どうせ、俺の書く事なんて、すでに『源氏物語』や『枕草子』で言い尽くされちゃってますからと、いきなりの泣き言。
 でも、ここで泣きを入れるから読む人はつい引き込まれて最後まで読む。この愚痴がなけりゃ、ただの四季描写で終わっていた。

 で、持ち直してから冬の描写。
 冬の朝の風景描写に、忙しい年末風景を描いた後、新年の風景が描かれる。

 はっと気がつくと、読者はいつの間にか兼好が見た初日の出をいっしょに見ている。
 本当に一年は、季節がめぐるのは、はかなくて哀れなんですね。

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<語釈>

『折節』
「折節(をりふし)」は、その折々というぐらいの意味。
 しかしこの19段の場合は 「折節の移り変わるこそ、ものごとにあはれなれ」なので、移り変わる「折節」で、すなわち「季節」のことを指す。
 ついでに、旧暦について簡単に説明すると、兼好はむかしの人なので当然に旧暦で生活していた。
 この旧暦は、現在の新暦と1ヶ月くらいずれている。
 どのくらいずれているかと言えば、例えば今日は2005年8月15日だとしたら、すると今日は終戦記念日か。それはさておき、新暦だと今日は2005年 8月 15日、これを旧暦にすると平成十七年 七月 十一日(大安)となる。
 こういう月のずれを考慮して、第19段の季節描写を読んで欲しい。
 ところで、なんでこんな正確に新暦と旧暦の差を指摘できるのかと言えば、ネットには、今日の日にちを打込めばすぐに旧暦に換算してくれるサイトがあるのだ。便利だね。
 そして旧暦で特徴的なのが、きちんと3ヶ月ごと春・夏・秋・冬の季節カテゴリーに分けられている点だ。
 1月、2月、3月が春。
 4月、5月、6月が夏。
 7月、8月、9月が秋。
 10月、11月、12月が冬。
 先ほども書いたように旧暦は1ヶ月ばかり現行のカレンダーとずれてる。
 旧暦の6月は、だいたい新暦の7月となる。

『日影』
 「日陰(ひかげ)」だと、日の当たらない場所となる。
 「日影(ひかげ)」は、日の光、日差し、日光そのものを指す。そういう事らしい。

『花』
 なんの花なのかは、兼好は書いていないが、春に咲く「花もやうやうけしきだち、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで」なんて花は、桜以外に考え
られないから桜の事である。
 古典で、なんの断りもなくいきなり花と言いだした場合は、たいてい桜だ。

『花橘』
 ミカンの花。(昔が思い出されるほど)良い匂いがするらしい。
 それよりも梅の匂いが勝ると兼好は言っている。

『灌仏』
 4月8日、お釈迦様の誕生日。
 灌仏会とか御花祭りとか呼ばれる。
 仏教のクリスマスだが、イブもケーキもチキンもなにもない。あるのは甘酒ぐらいだ。

『祭』
 4月中頃に行われる京都・賀茂神社のお祭り。別名「葵祭」。

『菖蒲ふく比』
 旧暦5月5日の端午の節句の時、屋根に菖蒲をさしたそうだ。

『水鶏』
 くいなと読む。叩くように鳴くらしい。

『六月祓』
 みなづきばらへと読む。
 良くわからんが、神道の儀式で「六月の末日に、水辺で行われる大祓の行事」とテキストにはある。

『汀の草』
 汀(みぎは)は水辺のこと。だから「水辺の草」のこと。

『遣水』
 やりみず。
 庭などに引き入れた細い水の流れ。生活用水ではなく、お屋敷にある観賞用の小川のこと。

『御仏名』
 仏名会の略で、12月19日からの3日間。懺悔、滅罪を願いみんなで念仏を唱える仏教の行事。

『荷前の使立つ』
 諸国から集めた貢物の初穂を、歴代天皇のお墓にお供えに行く行事のお使いが立つこと。ようするに、精米もしてない刈り取ったまんまの初穂を、歴代ご先祖天皇様方々に「今年もこんなに年貢米が集まりましたよ!」と、見せに行く行事であったらしい。

『公事』
 くじと読む。「公の行事」のこと。

『春の急ぎ』
 新春を迎える為の準備。
 支度や準備の事をむかしは「いそぎ」と言った。
 幼稚園児の子供を持つ母親が、常に「早く、早く!」と子供をせかしているうちに「早く」という言葉そのものが「幼稚園へ行く準備」をあらわす言葉になっちゃったみたいなかんじなんだろうか。
 違うだろうけど。

『追儺』
 つゐなと読む。
 兼好の時代は、節分の豆まきみたいな行事を年末にやっていたそうだ。鬼を追いはらうが、豆はまかないらしいのでポリポリできないらしい。

『四方拝』
 新年の儀式。
 元旦の朝早くから、天皇が(朝廷による)世界平和を祈る。
 大晦日に行われる追儺から、元旦の四方拝あたりまであたりのイベントが「面白い」と兼好法師は語っている。

『東のかた』
 東は、現在の関東である。
 京都じゃもうやらなくなった年末に亡き人の魂を祭る行事を、関東ではまだやっていたよと兼好は言っている。
 お盆のような行事であろうか?


徒然草 第十八段 人は、己れを

2006-05-28 10:10:14 | 新訳 徒然草

 人は、己れをつづまやかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。
 唐土に許由といひける人は、さらに、身にしたがへる貯へもなくて、水をも手して捧げて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に掬びてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨は、冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕べにはこれに臥し、朝には収めけり。
 唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記し止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

<口語訳>

 人は、己れを約やかにし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らないのが、すごいはず。昔より、賢き人の富むは稀である。
 唐土に許由といった人は、さらに、身にしたがえる貯えもなくて、水をも手して捧げて飲んだのを見て、なりひさこという物を人が得させたりしたらば、ある時、木の枝に懸けたりしたが、風に吹かれて鳴ったのを、やかましいと言って捨てた。また、手にむすんでだ 水も飲んだ。いかばかり、心のうち涼しかったろう。孫晨は、冬の月に衾なくて、藁一束あったを、夕べはこれに臥し、朝には収めた。
 唐土の人は、これをすごいと思えばこそ、記し止めて世にも伝えたろう、こちらの人は、語りも伝えるはずもない。

<意訳>

 人は、我が身を慎み、贅沢を避け、財産を持たない。
 世を貪らずに生きるのがすごいはずだ。昔より、賢者が金持ちな事は稀である。

 唐の許由って人は、さらにその上を行く。
 許由は、身ひとつでなにも持っていない。
 水すら手ですくって飲んでいるのを見た人が、ひょうたんで作ったヒシャクをくれたのだが、ある時、ひょうたんを木の枝にかけておいたら風に吹かれて鳴るので、やかましいと捨ててしまい、また手で水をすくって飲みはじめた。
 やかましいひょうたんを捨て、手ですくって飲む水はいかに爽快だったろうか。
 また、唐の孫晨は、寒い冬の時期に布団もなくワラが一束だけあったので、夜はワラにくるまり、朝にそれを片付けた。

 唐の人は、こういうことをすごいと思ったから、書きとめて世に伝える。
 大和の人は、語りも伝えもしない。

<感想>

 旅に行きたい。山寺にこもりたい。
 などという願望と同じく、これも出家する前の兼好が抱いた願望のひとつだろうと思う。兼好は、清貧に憧れていたんだろう、清く正しく美しい貧乏に。

 もちろん、この段を書いたのが、出家する前の兼好であるという断定はまったくできないし、何の根拠もない。
 だが、『徒然草』の読み方のひとつとして理解していただくなら、初期の数十段は「兼好が出家する前の気持ち」を書いているのではないかと俺は読む。
 出家以前、あるいは出家後、兼好が実際にいつ書いたのかなんてのは問題ではない。それに、執筆時期を特定できる材料を俺はもたない。
 いつ書いたにしろ、兼好は『徒然草」の初期の段で、出家する前の気持ちを書いた。俺はそう読んだよという話だ。

 初期の『徒然草』の文章が、出家する前の兼好の気持ちを書いた文章だとして、その後の出家した兼好法師は、ちゃんと旅もしたし山寺にもこもった。
 兼好は、憧れをちゃんと実践した。
 でも、清貧はどこまで実践できたかわからない。手で水をすくって飲んだり、布団もないほどの清貧生活なんて実行できたかのだろうか。

 もしかしたら、死ぬ直前にできたかもしれない。
 実は、兼好法師はいつ死んだのか現代では不明になっている。
 いつどのように死んだのかが現代に全く伝わっていない。
 兼好の最晩年は、室町幕府の武士達とのコネを生活の糧としていたそうだ。
 だが、時代は乱世である。そんなコネなんていつどうなるか分からない。コネもなくなり、とくに収入もない兼好は、なに一つなくのたれ死んでしまったかもしれない。
 まぁ、なんにしろ、なんにも物がない生活ってのには少しあこがれる。

<ところで>

 この段で、『徒然草』は一段落する。
 序段から続いた文章の、とりあえずのまとめが、この第18段であろう。

 序段で兼好は、自分が「つれづれ」な日常の日々を送っていると告白した。

 次に、第1段冒頭で、「いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かめれ」と書き出し、望みの数々を書き連ねたうえに、そんな欲望は全て打破すべきかもと語る。

 何故だろう、世間にしがみつき出世しても、兼好の身分じゃたいしたことがないのが分かっちゃったからだ。兼好には自分の人生の先が見えちゃったのだろう。そんな先の見える人生なんかとは違う生き方を兼好は望んだ。
 その答えが出家なのだが、出家する事に対して怖れもある。世間との関係を断ち切り、酒も女も諦めねばならない。(酒は飲んでいたようだが)

 貴族社会での出世を諦めて、世間との関係を断ち切り出家する前に、兼好は改めて自分の欲望を再検討してみることにした。

 そして、自分が何を望んでいるのかを書き続ける。書いているうちに、このくらいの欲望なら、性欲以外はなんとかなるかもという状態に達した。

 すると、今度は新たな欲望がすでに兼好の心には浮かんでいる事に気がついた。「出家への憧れ」である。
 兼好の心は、すでに世俗を捨てて出家する事にとりあえず納得した。

 兼好はこの段で、余計な財産も、ガツガツした生き方もいらないと中国の賢人を例にあげて語る。
 余計な人間関係や、余計な持ち物もいらない。
 清く正しく美しい清貧シンプル・ライフこそが、自分の望みである。

 そう宣言したので、序段からの区切りがついた。

 『徒然草』は、次段からやや趣きが変わる。

<いらぬ解説>

『つづまやか』
 「約まやか」と書く。倹約するさま。

『いみじ』
 形容詞。忌み避けねばならぬほどに程度や様子がはなはだしいという意味で用いられる。望ましい事にも、望ましくない事にも使用される。兼好法師が使うときは、望ましい事として使用する事が多い。「とてもすぐれている」「とても立派だ」などの意味で使う事が多い。

『世を貪らざらんぞ』
 「世をむさぼる」は、欲ぶかく立身出世や金を求めて生きる様子。現代人はあまり使わないが、感じがよく出てる。

『唐土』
 唐の地、昔の中国のこと。

『なりひさこ』
 「ひさこ」はひょうたんの事。あるいは水などをすくう「ひしゃく」を指す言葉。
 この場合、「ひょうたん」に間違いないのだろうが、「なりひさこといふ物」なんて自信なさげな書き方をされるとなんだか俺まで自信がなくなる。
 当時は、ひょうたんを縦に二つに割ってヒシャクとして使っていたらしい。たぶん、そうしたものをこの段では言っているのだろう。
 兼好は、この段の故事を中国の本を参考にして書いたらしく、『徒然草』のテキストには参考にしたと思われる部分の書き抜きもある。それによると、「なりひさこ」は「一瓢(いっぺい)」とあるが、一瓢となりひさこが同じものであるかどうかは良く分からない。

『手に掬びてぞ水も飲みける』
 「掬ぶ」は「むすぶ」。「両手をあわせて水をすくって飲んだ」という意味。

『衾(ふすま)』
 かけぶとんのこと。

『これらの人』
 唐土(中国)のひとに対して、こちら(我が国)の人はという意味。


徒然草 第十七段 山寺

2006-05-24 21:02:29 | 新訳 徒然草

 山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地すれ。

<口語訳>

 山寺にかき籠って、仏に仕え奉るこそ、つれづれもなく、心の濁りも清まる心地する。

<意訳>

 山寺に引きこもって、仏に仕え修行すれば、日々の倦怠もなく、心の濁りも清まる気持ちしよう。

<感想>

 この第17段も、前々段の第15段と同じく、兼好が出家する直前に抱いた気持ちを書いている段だと俺は読む。
 すでに出家した兼好法師が出家する以前の気持ちを書いた文章、あるいは出家する以前の卜部兼好が書いた文章、そのどちらかだと思うのだ。
 世俗の望みを捨てて出家しようとしていた兼好は、それでも、出家してからの生活に望みを抱き、あんがい出家生活も楽しいかもとワクワクしながら出家したのではないだろうか。

 ただ、普通に読むなら、この段は兼好の過去の経験を語っているようにも読める。そして、それが通説で、この段はとっくに出家している兼好が、過去に山寺で修行した時の気持ちを書いた段であると言うのが一般的な解釈だ。

山寺に籠って修行するのは、日常を忘れて心清まる気持ちする」

 これが、多くの一般的なテキストの解釈。
 この段は、過去の山寺での修行体験を書いたものだというのが、多くのテキストの解釈なのである。

 だが、15段も17段も、出家したら旅に出たり山寺に籠ってみるのも楽しいかもという出家生活への憧れを書いた文章のように俺には読めるのだ。
 だから、俺はこの段はこのように解釈してみる。

山寺に籠って修行するのこそ、日常も忘れて心清まる気持ちしよう」

 ようするに兼好は、出家したら旅に出たり、山寺にこもってみたいなと、この段や15段で言っている。京都の実家とかなんやらの人間関係から離れて一人きりになりたかったのかもしれない。
 もちろん、この段の俺の解釈はかなり怪しく、試験では確実にバツとなる。学生の皆さんは真似しないように。

(原文文末の「すれ」は「為(す)」の已然形である。
 已然形とは「すでに(已)そうなっている事態(然)を表す」。
 だから、「すれ」単独なら、「する」としか訳しようがなく、そうすると兼好の過去の経験を書いた文章のようにも読める。
 だが、本当に過去の経験を書いたのなら、「すれ」ではなく「けり」を使うのではなかろうか?
 それに、この段の「すれ」は、「仏に仕うまつるこそ」の「こそ」の結びである。そうなると、「すれ」を「する」と訳して本当に良いものかしらと疑問もわく。
 まぁ、なんにしろ、兼好の過去の経験だとか、出家してからの望みだとか、そんなのは抜きにして単なる一般論として読むのがこの段の正解であろう。
 兼好は、ただ「山寺で修行すれば日常も忘れて心清まる」としかこの段では語ってはいない。
 いつこの段を書いたかなんてのは、現代では正確に分からないんだから、どういうつもりでこの段を書いたのかなんて、『徒然草』をどう読むかという問題であり、本当に正確な解釈を望むなら、この段は一般論としてしか読む事ができない)


徒然草 第十六段 神楽

2006-05-21 20:36:29 | 新訳 徒然草

 神楽こそ、なまめかしく、おもしろけれ。
 おほかた、ものの音には、笛・篳篥。常に聞きたきは、琵琶・和琴。

<口語訳>

 神楽こそ、なまめかしく、おもしろかろう。
 大方、楽器の音には、笛・篳篥。常に聞きたいは、琵琶・和琴。

<意訳>

 神楽こそ、優雅で最高だろう。
 
 よく聞く楽器の音は、笛に篳篥。いつも聞きたいと思うのは、琵琶と琴。

<感想>

 第十六段は、ずいぶん短い文章だ。短いから今日は一字一句を正確に検証してみよう。

 『神楽』は神社で神を祭っておどる舞だ。天の岩戸のうずめのみことが元祖だとか言われている。

 『こそ』は、係り結びを発生させるが、めんどくさい事を考えないなら基本的には、現代語の「こそ」と同じ意味として読んでも大丈夫だ。

 『なまめかしく』は、動詞の「なまめく」が形容詞化したもの。「なま」は漢字で「生」、あるいは「艶」を当てる。
 現在でも使われる「なまめかしい」は親父っぽくてエロっぽい言葉だけど、「なまめかしく」は、「初々しい」あるいは「若若しい」ってことなのだ。
 古典の時代、「生(なま)」は「若い」事をあらわす言葉であった。若いという事は、まだまだ未完成で中途半端でもある。それで、現在でも使われている生煮えなんて言葉も生まれたようだ。
 「なまめかしく」という形容詞が、ちまたに流通していくに従い、「優雅」だとか「上品」などといった、いろんな概念を含む総合的な言葉に成長した。若いってのは、何に比べても素晴らしい事だからね。
 この段の場合には、「新鮮で優雅」とでも解釈しておけば良さそうだ。

 『おもしろ』は興味深い、興味がわく、などといった感情を意味する形容詞で、「おもしろ」は語幹となる。
 別に現代語の「面白い」と訳しても、原文と違う意味にとられる危険性がなければ問題はない。

 『けれ』は「けり」の已然形。
 「けり」は回想の助動詞、いわゆる過去形。
 とりあえず、過去形で已然形なので、この段の「けり」は「かろう」とでもしておこうか。
 「むかしこんな事があった」「こんな話しを聞いた事がある」「こんな物を発見しました」などといった内容を他人に伝えたい時に、昔の人は言葉の最後や途中に「けり」をつけたのだ。
 いま現在この場所におじいさんがいる、これは古文では「翁あり」となる。
 今はいないけど、むかしおじいさんがいましたという事を伝えたいなら「けり」をつけて「翁ありけり」となる。あえて、「けり」を現代語で言うなら「むかしむかし、おじいさんがいました」の「ました」が「けり」にあたるが、「けり」は「ました」よりも、もっと広い意味で使われていた言葉なのでそういう意味なんだと思われても困る。

 『おほかた』は、現代語の「大方(おおかた)」と訳して問題ないような気がするけど、違うんだろうな。

 『ものの音』の「もの」は形式名詞。
 まぁ、あれこれ考えずに、これは素直にテキストや古語辞典の教えに従い「ものの音」は、「楽器の音」のことであると理解しておくのが無難のようだ。

 『には』は、現代でも使われている「には」と同じ意味と理解しても通用するが、本来は、断定の「なり」プラス 係助詞の「は」。
 「には」と解釈しても問題ない場合もあるけど、現代語で言うなら「では」に近い場合もある。

 『笛』は笛で、日本の笛。

 『篳篥』はひちりきと読む。中国の笛のこと。

 『常に聞きたきは』は、すんなり「常に聞きたいは」と現代語に直せる。
 「たき」は希望の助動詞「たし」の連体形。現代語の、「見たい」「食べたい」の「たい」とほぼ同じ意味の言葉だと考えて間違いなさそうだ。

 『琵琶』は琵琶だね。
 あの「耳なし芳一」が、ジャジャジャンとかき鳴らすと平家の亡霊共が寄ってくる例の琵琶だ。

 『和琴』は正月番組で、きれいな和服のねーちゃんが、チャン チャララ チャラランとかき鳴らす、あの琴だ。

 さて、すべての語句をチェックしたので、さっそくこれらをもとに第十六段の正確な口語訳を書いてみよう。
 
『神楽こそ、新鮮優雅、おもしろかろう。
 大方の、楽器の音には、笛・篳篥。常に聞きたいのは、琵琶・琴』

 なにこれ。意味不明。

 仕方がないから意訳してみよう。
 だが、その前に先人の現代語訳をカンニングする。
 まずテキストを見てみると、「おほかた」を「一般に」と訳している。
 次はネットで、「徒然草」を現代語訳している人の訳をカンニング。「おおかた、ものの音には」を「よく聞こえてくる音は」と訳している。
 あぁ、なるほど分かったよ。
 兼好が何を言いたいのか。
 そのイメージが消え去らないうちにとっとと意訳する。

『神楽こそ、優雅で最高!
 よく聞く音楽は笛に篳篥。常に聞きたいのは、琵琶と琴』

 兼好の時代には、音楽はナマ演奏以外にはありえなかった。たぶん踊りだとか音楽なんていうリズムに飢えてたんだろうね。特に琵琶と琴を、常に聞きたいと思っていたようだ。
 長い文章の場合は、多少意味が分からなくても前後の流れから意味が推測出来る場合もある。
 しかし、短い文章は言葉のブチ切りなので文章を書いた人の身になって考えないと意味が分からなくなってしまう。
 以外に古典は短い方が難しい。