父の兄の通夜に家族と共に参加してきた。
父の兄は78才。死んでもおかしくない年だし、良く生きたと思う。
父の親族と12年ぶりに顔をあわせた。親戚の集まる場所に顔を出すのは祖母の葬式以来だ。次に顔をあわせるのは、また誰か親戚が死んだ時になるだろう。次が親父でなければ良いのだが。
帰りの電車の中で少しおふくろと話す。
暖冬とはいえ、電車を待つ駅のホームは寒くてやりきれない。
父の兄の通夜に家族と共に参加してきた。
父の兄は78才。死んでもおかしくない年だし、良く生きたと思う。
父の親族と12年ぶりに顔をあわせた。親戚の集まる場所に顔を出すのは祖母の葬式以来だ。次に顔をあわせるのは、また誰か親戚が死んだ時になるだろう。次が親父でなければ良いのだが。
帰りの電車の中で少しおふくろと話す。
暖冬とはいえ、電車を待つ駅のホームは寒くてやりきれない。
昼の2時過ぎから作業をはじめて、やっと夕方の5時過ぎに『模写』が完成した。
出来たぁ!
安堵のため息と共に、作業から引き離される喪失感。
さっそく、ブラウザを開き模写もとの原画と並べて比べてみる。
えっとぉー。
これは、もはや。
俺が模写したと告白しない限りは、誰にも模写だとは分からないようなシロモノなんじゃないだろうか?
苦労した自分に悪いので、ぜんぜん違うとは言いにくいが、原画とはほとんど違う。
たしかに、まんまじゃ面白くないので、指にとまっている鳥など、ワザと原画と違えている部分はあるが、これはもはや模写したんだよと言わなきゃ、誰も模写とは分からないような気がする。
オリジナルと言い張っても通用するというか、模写の相手でさえ俺のオリジナルだとしか思わないだろう。まさかコレが自分の原画を模写したなどとは夢にも思わないだろう。
今、思いだした。
俺は昔から模写が苦手だ。模写なんてオリジナルティのない奴のする事だ。俺はなにをやらせてもオリジナルなのだ。
(せっかく描いたので模写を載せとくが、くれぐれもオリジナルを探し出して比べたりなんかしないように。確実に笑えるから)