この「日記」が、ネットでだれかに「痛いブログ」として紹介されていたらしい。
昨日はそのことに対してなんとなくブチブチと切れて怒っていたが、今日になったら別になんともない。なんでそんなに怒っていたのかを考えてみよう。
数日前に起こった、「日記」へのアクセス数増大。突然のありえないアクセス数に不安をおぼえる。そこへ、「痛いブログリストにさらされてましたよ」というコメントをいただき、不安は具体化し怒りへと変わる。
でも冷静に考えりゃ。俺は毎日毎日、自分の情けない日常や小学生以下の作文を自分の手と指で世間様にさらしてるじゃないか。今さら、さらされたと怒りだすのは反則である。むしろ、紹介されたと素直に喜ぶべきであろう。
「さらされてましたよ。」なんて過激な日本語を使うから、俺もついカッとなってしまった。このコメントの人も人が悪い。せいぜい笑いもんにされていた程度の事だろう。何かを発表する以上、その事は避けては通れない事だし、俺の作文じゃ笑われて当然なんだから、あきらめるしかないのだ。
では、「さらされて」を「紹介されて」に入れ替えてみよう。
「痛いブログリストに紹介されてましたよ」
まだむかつく。「痛いブログリスト」という言葉に反射的にパブロンの犬のごときに、いやハプロフか?よだれが、いや怒りがわいてくる。
ようするに俺は、「イタイ」という言葉が死ぬほど嫌い!
自分で自分を自嘲的に卑下して「俺ってイタイ親父だからさー」と言うなら許される。しかし、他人に平気で「お前イタイんだよ」と言う奴は大嫌いだ。噛み付きたくなる。
「イタイって言う奴が一番イタイんだよ!何様のつもりだ!テメーで勝手に痛がって、のたうち回ったあげくに激痛で痛死にでもなんでもしやがれ。」
同時に人の事を「もう終わってる」とか勝手に決めつける奴も嫌いだ。
昨日はそのことに対してなんとなくブチブチと切れて怒っていたが、今日になったら別になんともない。なんでそんなに怒っていたのかを考えてみよう。
数日前に起こった、「日記」へのアクセス数増大。突然のありえないアクセス数に不安をおぼえる。そこへ、「痛いブログリストにさらされてましたよ」というコメントをいただき、不安は具体化し怒りへと変わる。
でも冷静に考えりゃ。俺は毎日毎日、自分の情けない日常や小学生以下の作文を自分の手と指で世間様にさらしてるじゃないか。今さら、さらされたと怒りだすのは反則である。むしろ、紹介されたと素直に喜ぶべきであろう。
「さらされてましたよ。」なんて過激な日本語を使うから、俺もついカッとなってしまった。このコメントの人も人が悪い。せいぜい笑いもんにされていた程度の事だろう。何かを発表する以上、その事は避けては通れない事だし、俺の作文じゃ笑われて当然なんだから、あきらめるしかないのだ。
では、「さらされて」を「紹介されて」に入れ替えてみよう。
「痛いブログリストに紹介されてましたよ」
まだむかつく。「痛いブログリスト」という言葉に反射的にパブロンの犬のごときに、いやハプロフか?よだれが、いや怒りがわいてくる。
ようするに俺は、「イタイ」という言葉が死ぬほど嫌い!
自分で自分を自嘲的に卑下して「俺ってイタイ親父だからさー」と言うなら許される。しかし、他人に平気で「お前イタイんだよ」と言う奴は大嫌いだ。噛み付きたくなる。
「イタイって言う奴が一番イタイんだよ!何様のつもりだ!テメーで勝手に痛がって、のたうち回ったあげくに激痛で痛死にでもなんでもしやがれ。」
同時に人の事を「もう終わってる」とか勝手に決めつける奴も嫌いだ。
違ったらごめんなさいm(><)m