(事務局より)
倶楽部メンバーの尾崎章様より、下記の原稿が届きました。
尾崎様は、カメラに非常に造詣の深い方です。
今月は6月ということで、6月に纏わる内容です。
デジタル時代に忘れられた「6月1日・写真の日」
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-1
印刷コンサルタント 尾崎 章
6月1日は「写真の日」である。
江戸時代の後期、1841年6月1日に長崎奉行所に勤務する学者・上野俊之丞がフランス人・ダゲールが発明した銀塩写真法「ダゲレオタイプ」で当時の島津藩主・島津斉彬を撮影した日にちなみ制定された記念日である。
この「写真の日」は、銀塩写真最盛期でも知名度・認知度が低かった事もあり、銀塩フィルムがデジタルメディアに切り替わった今日では全く忘れられた記念日となっている。
日本の写真技術は、上野俊之丞の子息である上野彦馬によって大きく開花され、長崎在住のフランス人・ロッシュから「ダゲレオタイプ」の技法を学んだ上野彦馬は1862年に上野撮影局と称する写真館を長崎・伊勢町に開設している。

中島川沿いの上野彦馬、坂本龍馬像
営業写真館を開いた上野彦馬は、坂本龍馬、桂小五郎、伊藤俊輔等々の幕末ヒーローを撮影しており現存する写真も多く、日本の写真術は幕末期に長崎の上野彦馬と横浜の下岡蓮杖によって確立されている。
写真発祥地の長崎は、周知の通り本木昌造によって造られた近代活字による活版印刷の発祥地でもあり「写真」「印刷」の二大情報手段がいずれも長崎から発信されるという快挙を歴史に刻んでいる。
現在、長崎市内には諏訪神社に近い立山地区の長崎県立図書館、長崎歴史博物館に近接して上野彦馬像が建てられている。
また、中島川の眼鏡橋近くには、上野彦馬と坂本龍馬がダゲレオタイプカメラを挟んで立つ2ショット像が建てられている。
この像は二人の関係を適切に説明しているが、坂本龍馬の「凛々しさに欠けた」漫画チック風に顔つきが少々気になるところである。
また、中島川対岸の銀屋町の上野彦馬生誕地には偉業をたたえる案内看板が設置されている。

立山地区の上野彦馬像

長崎・銀屋町の上野彦馬生誕地
没後100年の下岡蓮杖
西日本の上野彦馬とともに江戸末期の写真術発展に大きく貢献した下岡蓮杖は1823年に伊豆・下田に生まれ、日本画家を目指して江戸狩野派の弟子となり日本画絵師としての活動中に銀塩写真と出会っている。
アメリカ人写真技師:ジョン・ウイルソンから「ダゲレオタイプ」の技術を学んだ蓮杖は
短期間に技術を習得して1862年には横浜・弁天町で写真館を開業する迄に至っている。
1862年は上野彦馬が長崎で写真館を開業した年でもあり、当時二大開港地(長崎、横浜)で日本の銀塩写真術が大きく開花する契機となった年である。
また、下岡蓮杖は横浜で写真館を3館開業した事より輩出した弟子の数も多く、鈴木真一、臼井秀三郎、横山松三郎等の弟子が明治初期の代表的写真家として時代を担う事になる。
長崎の上野彦馬と同様に下岡蓮杖の生誕地である静岡県下田市の観光名所・ペリーロードの起点となる下田公園には下岡蓮杖の像と碑が建てられ偉業が称えられている。
今年2014年は下岡蓮杖の没後100年にあたり、東京都写真美術館では「没後100年 日本写真の開拓者・下岡蓮杖」と題した企画展が3月4日から5月6日迄開催され、日本の写真技術・文化の発展に貢献した先駆者の偉業が広く紹介されている。
写真技術の進歩をベースに技術革新を遂げた印刷界としても6月1日の「写真の日」には上野彦馬、下岡蓮杖等の偉業を改めて称えたいところであり、写真史探訪としての長崎、横浜、下田の「ぶらぶら歩き」も御勧めである。

下田公園の下岡蓮杖像と碑

歴史情緒あふれるペリーロード付近
以上
倶楽部メンバーの尾崎章様より、下記の原稿が届きました。
尾崎様は、カメラに非常に造詣の深い方です。
今月は6月ということで、6月に纏わる内容です。
デジタル時代に忘れられた「6月1日・写真の日」
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-1
印刷コンサルタント 尾崎 章
6月1日は「写真の日」である。
江戸時代の後期、1841年6月1日に長崎奉行所に勤務する学者・上野俊之丞がフランス人・ダゲールが発明した銀塩写真法「ダゲレオタイプ」で当時の島津藩主・島津斉彬を撮影した日にちなみ制定された記念日である。
この「写真の日」は、銀塩写真最盛期でも知名度・認知度が低かった事もあり、銀塩フィルムがデジタルメディアに切り替わった今日では全く忘れられた記念日となっている。
日本の写真技術は、上野俊之丞の子息である上野彦馬によって大きく開花され、長崎在住のフランス人・ロッシュから「ダゲレオタイプ」の技法を学んだ上野彦馬は1862年に上野撮影局と称する写真館を長崎・伊勢町に開設している。

中島川沿いの上野彦馬、坂本龍馬像
営業写真館を開いた上野彦馬は、坂本龍馬、桂小五郎、伊藤俊輔等々の幕末ヒーローを撮影しており現存する写真も多く、日本の写真術は幕末期に長崎の上野彦馬と横浜の下岡蓮杖によって確立されている。
写真発祥地の長崎は、周知の通り本木昌造によって造られた近代活字による活版印刷の発祥地でもあり「写真」「印刷」の二大情報手段がいずれも長崎から発信されるという快挙を歴史に刻んでいる。
現在、長崎市内には諏訪神社に近い立山地区の長崎県立図書館、長崎歴史博物館に近接して上野彦馬像が建てられている。
また、中島川の眼鏡橋近くには、上野彦馬と坂本龍馬がダゲレオタイプカメラを挟んで立つ2ショット像が建てられている。
この像は二人の関係を適切に説明しているが、坂本龍馬の「凛々しさに欠けた」漫画チック風に顔つきが少々気になるところである。
また、中島川対岸の銀屋町の上野彦馬生誕地には偉業をたたえる案内看板が設置されている。

立山地区の上野彦馬像

長崎・銀屋町の上野彦馬生誕地
没後100年の下岡蓮杖
西日本の上野彦馬とともに江戸末期の写真術発展に大きく貢献した下岡蓮杖は1823年に伊豆・下田に生まれ、日本画家を目指して江戸狩野派の弟子となり日本画絵師としての活動中に銀塩写真と出会っている。
アメリカ人写真技師:ジョン・ウイルソンから「ダゲレオタイプ」の技術を学んだ蓮杖は
短期間に技術を習得して1862年には横浜・弁天町で写真館を開業する迄に至っている。
1862年は上野彦馬が長崎で写真館を開業した年でもあり、当時二大開港地(長崎、横浜)で日本の銀塩写真術が大きく開花する契機となった年である。
また、下岡蓮杖は横浜で写真館を3館開業した事より輩出した弟子の数も多く、鈴木真一、臼井秀三郎、横山松三郎等の弟子が明治初期の代表的写真家として時代を担う事になる。
長崎の上野彦馬と同様に下岡蓮杖の生誕地である静岡県下田市の観光名所・ペリーロードの起点となる下田公園には下岡蓮杖の像と碑が建てられ偉業が称えられている。
今年2014年は下岡蓮杖の没後100年にあたり、東京都写真美術館では「没後100年 日本写真の開拓者・下岡蓮杖」と題した企画展が3月4日から5月6日迄開催され、日本の写真技術・文化の発展に貢献した先駆者の偉業が広く紹介されている。
写真技術の進歩をベースに技術革新を遂げた印刷界としても6月1日の「写真の日」には上野彦馬、下岡蓮杖等の偉業を改めて称えたいところであり、写真史探訪としての長崎、横浜、下田の「ぶらぶら歩き」も御勧めである。

下田公園の下岡蓮杖像と碑

歴史情緒あふれるペリーロード付近
以上
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