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印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

桜(さくら)と暦(こよみ) -久保野和行

2013-04-15 09:25:19 | エッセー・コラム

(京都 醍醐寺のしだれ桜)


桜(さくら)と暦(こよみ)   久保野和行(2013年4月12日)


日本人の慎み深い自然志向と象徴が、四季折々に出会う草花との語らいが、短歌に多く出てくる。その中でも最も多いのが桜を題材にしたものだ。私たち日本人は日常的に桜の景色を、春に彩る白色や、薄紅色か濃紅色の花を咲かせる『春爛漫』で表現している。
特に桜の開花が、新年の事始の時期とつながる。今年の第85回選抜高校野球大会で、選手宣誓で鳴門高校、河野祐闘斗君が力強い言葉で…全国の困難と試練に立ち向かっている人たちに、大きな勇気と希望の花を咲かせることを誓います…と花に例えてメッセージが伝えられた。桜に思いを込める民族は、約600種以上の桜を誕生させた。その代表が「ソメイヨシノ」。江戸末期から明治初期にかけて、江戸・豊島区染井村の造園師や植木職人によって育成された。始めは「吉野桜」として売られたが、奈良地方の吉野山のヤマザクラと混同される恐れがるというわけでネーミングが「ソメイヨシノ」に落ち着いた。ソメイヨシノは種子では増えない。そのため各地にあるソメイヨシノはすべて人の手の接木(つぎき)で増やしたもので、現代流に言えばクローン技術で広がった。





「散る桜、残る桜も、散る桜」。これは我々がよく知っている人物、子供戯れる姿で連想される良寛和尚の作であるが、日本人の情感を端的に表している。
もともとが桜の原木は日本各地に自生していたもので、それを使って天城山中からの桜木材を利用して版木に使用したのがある。それは鎌倉時代の初めから明治時代まで使われた「三島暦」である。季節の祭事記物で、人々の暮らしのリズムを作り上げていた。その中でも一般的には漢字一色の暦が京都、奈良の中心に、本格的な男性の読むものとして栄えた時代、仮名暦の女性や子供向けのものとして三島大社から頒布された。


その三島暦が、伊豆の有力者であった河合家で作成された。私自身が三島出身で、東京に出てから、偶然に現在の当主である河合良成さんと出会うのです。意外や意外であるが同じ印刷業界で働いていたのです。河合さんは当時サカタインクスの部長職にあり活躍されていました。
鎌倉幕府を開いた源頼朝が旗揚げした場所が、官幣三島大社でした。武家社会の構築のために、わざわざ京都から離れて鎌倉に幕府を開いた。当然ながら既得権権者は抵抗勢力となって阻害したでしょう。他聞、暦類も重要な既得権であり、同時に権威の象徴でもあったと思います。


そこに暦のイノベーションが起きたのですから既存組織は面白くないでしょう。仮名文字で平易に、分かりやすく、誰でもという広がりが祭事物の印刷物が、それも地元の資材である天城山中の桜の原木を、ふんだんに使って作成された。これが、今のところでは仮名文字での印刷物では日本最古と言われている。
一般大衆とは懸け離れた既得権益者とは、エリート集団であり、同時に庶民からは一番遠い場所にあったのではないでしょうか。だから祭事記物の情報が仮名暦で広める政策を。あえて鎌倉幕府が後押ししたのではないかと、歴史ロマンに夢想している次第です。
2013年4月12日 久保野和行