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印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

月例木曜会≪2013年11月 会合≫ まとめ

2013-11-27 13:52:09 | 月例会
毎月、第三木曜日の午後開催の≪月例木曜会≫が、今月21日に集われました。編集人より早速レジメが届きましたので、ご報告させていただきます。



[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成25年11月度会合より)



●極厚の板紙を使った『紙箱』が開発された……

 段ボールの空間をなくしたような厚紙でつくった紙箱が開発され、注目されている。強度が段ボールと比べて数倍に高まるため、100回程度は繰り返し使えるのが特長となっている。コスト削減や環境負荷の軽減に寄与することもあって、専門的な運送業務にはもちろん一般企業の配送サービスにも広く効果を発揮しそうだ。何回も使用可能なところは興味深く、例えば組み立て式の使い捨て家具にしたら面白いのではないか。再利用を推進できるというマーケティング視点からいっても、非常に今風だ。環境貢献も含めて、社会的に提言する価値がありそうだ。従来、段ボールについてはモノの運搬、あるいは倉庫保管のためにだけに使われていて、その先のビジネスがあまり考えられてこなかった。せっかく開発したのだから、新しい用途、活用の仕方を考えなければならない。この新製品についても関連業界とのアライアンスが重要になる。


●物流と情報伝達、おもてなし、広告機能の融合こそ


 リサイクルを推進するときは、サプライチェーン(企業の枠を超えたバリューチェーン)の整備・構築が欠かせない。箱には企業や製品のブランドを伝える役割があるが、と同時に出荷・物流・リサイクル・リユースを見通したトータルな機能が備わっていて然るべきだ。物流(ロジスティックス)に伴う情報処理サービスを提供することで、販売・受注・決算の商流系をどうカバーするかである。製造を請け負う印刷業界は、こうしたサプライチェーンの中核となる資格があるが、どうも苦手意識がある。印刷会社が中心となってサプライチェーンを繋げることができたら、関連業界ともWin-Winの関係を築けるだろう。顧客離れを防ぐ障壁にもなるだろうし、有力な付帯サービスにもなり得るので、印刷営業の“武器”になるに違いない。箱による物流と情報流通、箱と広告宣伝、箱とカスタマイズ化など、発展させていけばよいと思う。


●情感に訴えることで顧客価値が獲得できる


 印刷業界には、ビジネス展開の発想力を高めてほしい。アイデアの発想は優れていても、その後の用途開発、市場開拓、顧客価値獲得までの新しいビジネスモデルを確立する段階にはなかなか至らない。業界自身の未体験ゾーンに“脱皮”するのは非常に難しいが、やってみなければ判らない部分は多い。仮説-検証を何回も繰り返して、魅力に富んだ価値を付け加えることが何よりも大切である。箱の例でいえば、物流には必ず情報が伴う。そこにさまざまなビジネスチャンスが横たわっている。また、箱や包装には、化粧箱のような名入れ高級品による“おもてなし”機能、商品を告知するブランディング機能、受け取る側に気持ちを伝えるコミュニケーション機能もある。発想を豊かにすれば、それこそ印刷文化の向上にも寄与できる。日本人は情感人種といわれる。商品を段ボール箱ごと購入するアメリカ人とはどこか違う。特有の情感に訴えて購入してもらえるように仕向ければ、印刷会社にとって有利に運べるだろう。


●日本人も印刷業界も自らは変わりたくない?


 日本人はどうしても不可能な理由を探しがちである。人間は本来、変わりたくないもので、どうしたら打開できるかを考えない。現状を打破しようという意識に欠ける。経営戦略や新製品開発などで、つねに他社の動向が気になり、現実に関わっていないとわかると妙に“安心”してしまう癖がある。どこの産業、企業においても似たような傾向だろうが、印刷産業の場合は、歴史が長すぎるせいだろうか、ある種、そうした“文化”ができてしまっている。活字は専門性が高かく社会的に浸透しなかったが故に、人々は印刷業界に頼まざるを得なかった。他を寄せ付けない特異性が身についてしまった。今ではパソコンとプリンタで誰でもそこそこの印刷ができるようになったにも関わらず、である。印刷を利用していたかつての自費出版は自分のパソコンで制作する自己出版に、そして、Webを活用した電子書籍が今や個人出版される時代になった。印刷業界が自覚すべきは、「Webで見通しが立ったら、印刷で紙の媒体にしよう」と考える昨今の価値観である。


●印刷業をいかに精錬し再定義したらよいのか

 インターネットは国境を取り払い、産業間の壁をなくした。印刷産業は幸いにすべての産業とつながっているが、流動の時代にあってまさに多様化する変換産業とならなければいけない。印刷産業は成長から成熟の時期を迎えた。業界として、また個々の企業としてドメイン(事業領域)をどう考えるかが問われている。印刷業をどのように“精錬”するのか、そのうえでどう定義するのかである。話題となっている市場分野はどこかを探ってきたか? 企業を継続させるという観点で、自社の得意分野は何かを考えてきたか? マルチメディアの一員として印刷メディアの役割を引き続き見出していけるか?――問われている課題は多い。身近な例として、受注した印刷データをそのまま電子メディアにもっていくことを、最初の段階で提案営業できているか? 顧客の反応を探していけば、自ずと自社の方向性も見つかっていくはず。紙の上に表現するハイタッチと、メディアに展開するハイテクとのバランスをとることが重要だろう。


●米国の中堅印刷会社は付帯サービスで稼ぐ


 《9月度記事参照》 アメリカの印刷産業(印刷・同関連業+印刷関連メディア業)のなかで、中堅~大規模(従業員数50人以上/100人以上)の印刷会社が置かれている“場所”および経営の実情はどのようなものか。例によってPIAの最新レポートによると、印刷産業全体に占める企業数は8%に過ぎないが、中小印刷会社(従業員数49人以下)と比べて、プリプレスと印刷工程に依存する度合を小さくしている傾向があるという。その分、付帯サービスから得られる付加価値で売上高を増大させている。これまでの数年間の推移をみても、プリプレスと印刷工程の構成比は減少傾向、付帯サービスおよび製本・仕上げ加工が増加傾向にあり、事業領域を着実に拡大していることがわかる。


●中小印刷会社は価格設定力に優れている


 アメリカの印刷産業においても、企業規模が大きいほど売上利益率が大きくなる傾向があり、当然、税引き前の経常利益率や投資利益率など財務指標も優れている。ただし、プロフィットリーダー(利益率で上位25%に入る優良企業)同士では、企業規模と利益率の相関関係はみられない。中小企業の大多数は経営効率が悪いということになる。適正な経営をおこなっているなら、企業規模は関係ないというのがPIAの見立てである。注目すべきは価格設定力で、中小印刷会社が価格引き上げに成功しているのとは対照的に、規模の比較的大きな印刷会社では逆に引き下げられているという。これは、マーケット・セグメント、印刷品目や印刷サービスの違い、コスト構造などが要因となっているとしながらも、それ以上に、中小印刷会社の方が顧客とより密接な関係を築いていて、優れた“市場感度”を備えていることの証左だと分析する。


●ニッチ市場にユニークな製品・サービスを


 PIAは結論として、規模の大きな印刷会社ほど、強力な需要を創出し得るユニークな製品・サービスにとくに力を注ぐ必要があると強調する。市場分野における競争優位性は、企業規模には関係なくさまざまな経営戦略と戦術から生まれる。印刷産業における重要な必須戦略は「製品ニッチに特化すること、あるいは顧客の製造工程のバーチカル・ニッチに着目することによって、代替品がなく競合企業も出現しない製品・サービスを提供し、価格設定力を強化しなければならない」ことだと主張している。

(終)


月例木曜会 ≪2013年10月≫会合より

2013-10-21 14:38:46 | 月例会
毎月、第三木曜日に開催している≪月例木曜会≫が、先日、10月17日(木)に行われました。参加者よりレジメが届きましたので、ご紹介いたします。



[印刷]の今とこれからを考える 

 
「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成25年10月度会合より)


●産業に立脚する「学会」のあり方を考えてみた
画像関係の学会には「印刷」「写真」「画像」「画像電子」の4つの学会がある。画像電送について研究してきた「画像電子」を除き、前3者は、基本的に画像を扱う材料をベースとする技術応用学会であることが共通点となっている。いずれも一般社団法人化され、それぞれの将来像を描きながら独立したかたちで運営されているが、その共通点を活かして、3学会の合同で新しい学会をつくったらどうかと提唱されたこともあるようだ。どの学会も関連する産業に対して知的なバックアップをおこなうことで、その発展に尽くしてきた。しかし、情報のデジタル化によって、産業自体のパラダイムシフトが起こり、次なる産業創造に結びつく魅力ある研究テーマが模索されているのが現状だ。欧米では、写真関係の学会が領域を拡げて、画像科学、画像技術を扱うよう変身しているという。


●印刷産業の学会は今後も主導的役割を担える
印刷産業の学会では、印刷物の作成に必要な技術全般を知的サポートしており、あらゆるインキング技術を具体的な対象としている。それは、成長期であろうと成熟期であろうと変わらない。印刷工程がデジタル化されても、CTP化に伴う新たな使われ方をしたり、プリンタ技術とのハイブリット化がなされたりと、インキング技術は姿を変えながら存続している。印刷機上でのインキの挙動やローラ類との相互作用など解明すべき問題は多い。プリンテッド・エレクトロニクス分野でも、基本的に版を用いたインキングの問題があり、学会が主導的役割を担う範囲は広く残されている。実用情報を印刷業界に効率よく伝える学会が、今後も果たすべき役割は重い。自ら学会誌を発行しているのは日本だけであり、活力に富んだ独自の活動を見出しながら、貴重な存在として永続してほしい。


●再構築する産業、変われない学会の挟間で……
 一般的に、産業界は再構築されているのに、個々の産業を基盤としてきた学会の方は変わっていない。産業界の知的レベルを高めるという大きな役割を果たし、それぞれに存在価値があった。しかし、足元の産業が成熟、衰退したあとでは、その必要性が問われてくる。産業をバックに学会を維持するのには、どこか無理がある。本籍(過去)から現住所(現在)へ、さらに未来空間(将来)へという発想で議論すべき時に来ている。その点、印刷産業の場合は、開発後30年経って飽和した技術であっても、高度な応用技術、高品質を実現する生産技術として使うことができる。印刷産業の学会は、印刷技術そのものに新規性がなくなったとしても、例えば画像という領域で対応していける。「印刷」「材料」という固有の狭い領域ではなく、画像という要素を加えた従来とは異なる新たな分野を手がけていくことが可能だ。そうした強みをこれからもずっと発揮していってほしい。


●印刷メディアは脳の反応を強める力をもっている
 人間がある特定の行動をしたとき、脳のどの部位が活動するかが判る「近赤外分光法」という新技術を使って、印刷物(ダイレクトメール)をみたときの脳の反応を測定する実験がおこなわれた。その結果、ダイレクトメールという印刷メディアと他の電子メディアとを比べた場合、全く異なる脳の生体反応が示された。同じ内容の情報であっても、反射光をみる紙メディアと、透過光をみるディスプレイとでは、脳は全く異なった反応を示したという。興味深いのは、紙メディアをみたときの方が、物事を思考し記憶としてコントロールしようとする前頭前野が強く反応したことである。紙メディアは情報を理解させるのに優れていること、ダイレクトメールの場合は同じテーマの情報を連続的に送った方が深く理解してもらえることが判明した。脳の生理からすれば、電子メディアより紙メディアの方が優れているということになる。


●脳科学の成果は販促用の印刷企画に使えるはず
CRT画面を使って調査したひと昔前の実験でも同様の結果が出たことがあるし、現在の携帯端末の画面で読んでも同じような傾向が感じられる。電子メディアの場合、速く文章を読めても内容や意味を的確に掴めていない、読み過ごしたまま思考回路をうまく働かせられないのかも知れない。いわゆる「頭に入らない」現象が起きている。その点、印刷メディアは否応でも考えることになり、血流が上がる。その結果、生体反応が強く出てくるのだろう。今回の脳科学実験は、あくまで静止画像をみた場合の結果であり、単純には比較できないが、印刷メディアの特性や優位性を明確に導き出すデータの集積、分析をさらに進めて、より詳細な知見が得られることを期待したい。そうなれば、印刷メディアを使ったマーケティング戦略の策定に活用できるだろう。


●汎用化した技術の先を読んでマーケティング体質に
印刷技術は、固有技術から汎用技術になった。カラーものでさえ、データ統合によって誰でも簡単に出力できるようになり、無料でみられるテレビ画面の映像、パソコンから印字される文字と比べて品質はどうかというように、評価基準そのものが変わってしまった。印刷のプロとしてこれまで拘ってきた絶対値で、品質をみてはいけないのでないか。印刷工程をつなぐ個々の要素が完成の域に達してきて、印刷会社相互の技術の差もなくなった。評価の違いが出るとしたら、それは印刷物がもつ機能によってでしかない。技術の“先”をみる必要があるのだが、コスト如何に陥らないようにするには、マーケティング力を磨くことである。仕掛けて仕事を刈り取ることをマーケティングという。紙メディアが通用している間に、つまり今のうちに、顧客に提供できる付加価値を載せたサービス領域(印刷付帯サービス)を探さなければならない。


●消費者と密着することで、中小印刷業は強くなれる

印刷は個人消費と深く関連している。消費者との密着度をどう高めるか、これからも関心事となっていくだろう。結び付きを求めれば求めるほど、地域々々の中小印刷会社の存在感が増してくる。それには、データ加工と印刷出力の組み合わせ、ワークフローを的確に確立しなければならないが、実現できれば中小企業の方が圧倒的に有利になる。データ管理やWeb活用などのインフラ構築をどうするか、まだ見えない部分がある。それも数年先には落ち着くとみられ、そうなれば、顧客対応のサービス業、創造業、ソリューション業がますます重視されてくる。その点、大規模な印刷会社より中小企業の方が機動力を発揮できるはずである。提案営業を通して地域市場に密着することで、中小印刷業は一層強くなれるに違いない。


●新しい印刷営業でコミュニケーションを形成しよう
そうした段階では、営業のあり方が変化しているだろう。顧客の個々のニーズ、抱えている問題点を、ビジネス上あるいは生活上の情報とか課題として収集し、企画提案、マーケティング提案、ソリューション提案に活かしているだろう。サービスが伴う印刷メディアを中心に多様なメディアに展開(マスカスタマイゼーション)していることだろう。顧客と営業マンとの関係はもちろん、それ以上に、顧客と消費者(エンドユーザー)との間にヒューマンネットワークをつくり出す必要がある。情報とメディアを駆使することによって、そのようなコミュニケーション形成を支援できるのは、他ならぬ印刷会社特有の機能のはずである。

以上






月例木曜会 平成25年9月度会合より

2013-09-24 16:32:45 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成25年9月度会合より)


《6月度記事参照》

●中小印刷会社には「未来」が待っている

アメリカの印刷業界団体PIAが先頃まとめた特別報告書(文末表記)が、「未来を育てる―中小印刷業は生き残れるか?―」をテーマに採り上げている。日米の違いがあるとはいえ、同じように圧倒的多数の中小印刷会社からなる日本の印刷業界にとって、学ぶべきところは少なくない。統計的な数字については、例によって原本をご覧いただくとして、報告書は冒頭に「Small is Beautiful」(小さい会社は優れている)と謳い、印刷市場は激変したという認識のもとでも、「中小印刷会社は実現可能な未来をもっている」と力説している。中小印刷会社は大規模会社と十分に競争でき、予測可能な未来の印刷産業のなかで、重要な存在であり続けるだろうとする。PIAが着目しているのは、①中小印刷会社が印刷産業のなかで占めるポジション、②経営における“粘り強さ”、③売上げ構成の多様性――である。


●競争優位性は企業規模とは関係ない

中小規模の印刷会社が優れているとする根拠として、大企業を含む印刷産業では何より「規模の経済」が働かないことを挙げている。多品種小ロット製品の個別受注生産という産業特性から、年間の印刷ユニット数が増えたとしても、ユニット当たりの製造コストを一貫して引き下げられない。その分、収益を拡大できない。最初のうちは稼働率向上など生産の効率化でコストを引き下げることができても、ある程度、ユニット数が増えてくると、人件費等が負担となってコストカーブが落ちていかない。さらに生産量が増えると、設備等の固定費が増大して逆に製造コストが高まってしまうのが実情だ。新技術の生産システムに投資すれば、全体としての製造コストは低減できるが、その点は企業規模にかかわらず同じ条件下にある。中小印刷会社は大会社に対して“絶対的に不利”というわけではないのだ。


●小規模ならでの企業特性が強みとなる

印刷業にはなぜ「規模の経済」の理論が適用されないのかについて、もっと詳しくみていくと、印刷業ではライン生産のような連続プロセスよりも、工程ごとに個別生産をおこなうジョブ・ショップ方式の製造プロセスを利用して、中小印刷会社でも大企業と同程度の生産効率で印刷物をつくっている。しかも単なる製造業ではなく、製造とサービスが組み合わさった業態でもある。その分、中小印刷会社は機動性に優れ、顧客(とくに経営者層)と親密な関係を維持することができている。小規模な印刷会社の経営者は、より起業家的であり、必要性が生じたときには迅速に対応できる強みももっている。中小印刷会社は小口発注の中小顧客と、大きな印刷会社は大口発注の大規模な顧客企業と必然的に取引する。この“調和”はお互いに直接競争しないことを意味する。中小印刷会社は、企業規模を拡大して競争力を強化することよりも、事業内容の質を高めることが重要である。コストを低減する新技術、ビジネスプロセスに投資し続ける必要はあるが、これらは規模を拡大しないでも実践可能であり、中小印刷会社が印刷産業のなかで不可欠な存在として生き続ける基本的条件となる。


●企業規模の問題は経営能力より重要でない

アメリカの中小印刷会社の場合、ビジネスプロセスに占める付帯サービスの割合は10~13%程度に過ぎず、それと比べプリプレスと印刷工程への依存度が高い。付帯サービスへの進出に躊躇している分、印刷物製造が主力となっている。それにもかかわらず、生産システムへの投資やビジネスプロセスの改革に遅れ、中小印刷会社の売上高利益率は大会社に及ばない。「適切な対応を実行しているプロフィットリーダー格の小企業は、大企業のリーダーより高い収益性を達成している。企業規模の問題は、経営能力よりも重要度が低いといった方がよい」というのがPIAの見立てだ。強力な競争優位性と緊密な顧客関係から生まれる価格設定力の分析でも「中小印刷会社の方がむしろ大企業より価格の引き上げに成功している」と評価する。


●顧客にどんな価値を与えられるかから始まる

中小印刷会社が成功するための鍵(KFS)は何か? PIAでは「(ソリューションを提供することによって)顧客に付加価値を移転する重要性に気付くことだ」として、次のような課題を列挙する。①印刷物の製造から付帯サービス、情報伝達・問題解決策の提供へ、印刷マネジメントサービスへと自ら変化する、②優れた代替品や競争のないユニークな製品・サービスで、強力な需要を創出する、③必須の戦略として、自社にとってうま味のある製品別ニッチあるいはバーチカルセグメント(限定されたビジネスプロセス)に特化する、④価格設定力を強めることのできる独自の付帯サービスを提供する――こと。さらには、⑤自社の「顧客」をよく知る、⑤特化した事業分野で多様な付帯サービスを提供する、⑥顧客との間でwin-winの関係を築く、⑦顧客への認識と提供する製品・サービスを土台に印刷会社としてのブランド力を磨く、⑧コスト志向より需要志向でいく――なども指摘している。それには、情報を共有し能力開発を怠らず、社員の遂行能力を正しく評価できる包括的な組織体制となることが前提である。
※本稿は、下記の参考資料を下地にして作成しています。
PIA特別報告書[Sizing up the Future: Can Small and Medium Printers Survive?]


●事業理念と行動力で“分”に応じたビジネスを

PIAの資料をみるまでもなく、日本でも最近、小規模企業がやっているような印刷物が伸びている。パソコンとプリンタが普及した時代であっても、素人には手の出ない高品質な小モノ印刷物、特殊な印刷物、後加工を必要とする印刷物などだ。加工度を上げて高付加価値化を実現するノウハウは、やはり印刷業界ならではの財産であることを裏付けている。データを活かして電子メディアを逆利用できる分野は限りなくある。このような視点で工夫を凝らしている印刷会社に対する需要が増えている。利益を出していける仕組みを企業として確立し、“分”に応じたビジネスをおこなうことである。そのためには、事業に関する理念と行動力に確固たる見識が伴っていなければならない。幸いにして、印刷業は地産地消型の産業であり、それぞれの“場”で臨機応変の機動力を存分に発揮できる土壌がある。


●入口はプリントマネージャー、出口は分化(特化)で

印刷会社は自らの意思で、デジタルデータを駆使できる終始面倒見のよいプリントマネージャーになるべきである。余裕が出てきたらクリエイティブな仕事を手掛ければよい。新規参入してきた専門会社からの依頼を、下請けのようなかたちで印刷物として“出力”しているだけではあまりにももったいない。業態の異なる印刷会社同士でコラボレーションして、全体でシナジー効果を探るような仕組みをつくれれば、プリントマネージャーとしての窓口機能も力強いものになる。顧客側の業界はどんどん若返り新しいビジネスを模索している。印刷の仕事をとりやすい環境が生まれてきているともいえる。それに負けずに印刷産業全体も変化すべきときだ。ビジネスは一般的に普遍-拡大-成熟-分化-新規参入の道を辿る。印刷産業自身も今こそ上手に分化する必要がある。そうすれば小さな印刷会社であっても、垂直分業が進むビジネスの世界の隙間(ニッチ)を掴むことができ、主力の座につけるはずである。

(以上)

[印刷]の今とこれからを考える =夏季特集=

2013-08-21 16:29:35 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える =夏季特集=

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成25年8月度会合より)



《前月度関連記事》

●「フランシスコ・ザビエルを超えた男」ヴァリニャーノ

グーテンベルク発明の「活版印刷術」を日本に持ち込んだのは誰なのだろうか? しかも、国字を金属活字として鋳造し、漢字・仮名交じりの日本語で活版印刷をおこなったのは、果たして誰なのだろうか? イエズス会の東インド巡察師として1579年に来日したアレサンドゥロ・ヴァリニャーノは、かの天正遣欧少年使節団のローマ派遣を計画した人物として知られているが、このヴァリニャーノこそ「活版印刷術」を日本に持ち込もうと考え、使節団派遣の目的の“裏”にその目論見を周到に組み込んだ男である。一般には、使節団が持ち帰ったと伝えられているが、使節団の帰国よりも先に印刷機を日本に持ち込むという着想を、早くから抱いていたのである。日本の印刷史ではあまり評価されておらず、非常に残念なことだが、「フランシスコ・ザビエルを超えた男」という称号に相応しい策略家、プロデューサーだったといえるだろう。


●「活版印刷術」の日本導入を早々と検討していた

ヴァリニャーノは来日早々、日本での布教でいちばん障害になるのは、ヨーロッパ人の宣教師と日本人の修道士、信者との間のコミュニケーションであることに気づいた。最初は宣教師のために簡単な手書きの日葡辞典をつくり、それを使って洋書の日本語翻訳を細々とおこなっていたが、その成果に力を得て、日本に「活版印刷術」を導入し、教義を日本語で印刷することを計画したのではないだろうか? 彼は、ヨーロッパ随一の出版・印刷都市であったヴェネチアのパドヴァ大学で学んでいて、もともと印刷や出版がもつ力に通じていただろうと考えられる。来日した翌年には、「日本における印刷機導入の必要性」を説き、「日本人に適した書物の作成のために、印刷機を注文して自ら日本に持ち込みたい」との書簡をローマ宛に送るなど、日本文字による活版印刷を意外に早くから検討していたようだ。


●漢字・仮名混じりの国字の鋳造に苦心していた

漢字・仮名が混在する日本文字の活字化に、ヴァリニャーノが大きな懸念を抱いていたことは想像に難くない。当初は、国字の印刷を絶望視していた節があり、「日本文字は限りなく多く、国字本の印刷は難しいので、日本語の印刷はローマ字でおこなうのが妥当だ」(1583年)としていたくらいである。それでも、何とか日本文字の鋳造を実現すべく、時間をかけていろいろ考えを巡らせていた。少年使節の渡欧中に「日本文字を鋳造して持ち帰るように」との指示を出した記録さえある。ヴァリニャーノ本人が自ら手を下さないまでも、コンスタンチノ・ドラード(前述)やリスボン在住のメスキータ神父らに「国字鋳造」(母型の現地調製)を働きかけるなど、さまざまな実現策を練り、実際に手を打っていたことは間違いない。



印刷図書館所蔵 國字本『こんてむつす・むんぢ」
(この書は、越前の某舊家に種々那蘇教の遺物と共に伝来したのを、大正5年の暮れと大正7年の春の2回に亙って再編した一部) 


●ドラードらが、ゴアやマカオで下準備をしてきた

コンスタンチノ・ドラードらが、リスボンで欧文金属活字の字母をつくることを学んことはよく知られている。しかし、いかにヴァリニャーノからの指示と手配があったからといって、リスボンで国字鋳造をおこなうことは絶対に考えられない。技術的な問題もさることながら、時間的な制約が大きい。もし使節団と全行程を共にしていたとしたら、わずか3か月しか印刷の研修期間はなかったし、仮に、使節団が最初にリスボンに上陸した時点から滞在していたとしても2年と2か月。国字鋳造はおろか、果たしてどの程度「活版印刷術」を習得できたか、甚だ疑問である。リスボン研修説をとるよりも、帰国途中のゴアでの1年間とマカオでの1年8か月におよぶ滞在期間こそ、ドラードたちの印刷研修期間であったと考えたい。ゴアには印刷術に詳しい神父、マカオには印刷経験のある修道士がいて、それぞれ指導を受けることができたはずである。両地で欧文の鋳造をおこなったことは十分あり得るが、それでも、国字までには手が回らなかっただろう。


●国字はやはり日本人の手で日本で鋳造された

1591年に、日本語を習う西洋人用にローマ字本の『サントス御作業の内抜書』、1592年に、日本人の信者用に国字本の『どちりな・きりしたん』が、それぞれ日本で印刷されている(前述)。後者に用いた国字は、漢字と書写体の変体仮名(連体活字の版下書き)からなっており、この国字の鋳造はヨーロッパではもちろんのこと、漢字しかないマカオでの製造説も荒唐無稽。結局、日本でなされたと考えざるを得ないのである。けれども、少年使節団の帰国は1590年、『どちりな・きりしたん』の印刷は1592年。この間に国字が鋳造されたことも到底考えられないのである。そう考えると、漢字も変体仮名も読解できる日本人、とくに仏教の僧侶が有力候補となってくる。僧侶からキリシタンに転じた例は意外に多い。きりしたん版がらみで有名な養方パウロ、法印ヴィセンテの親子も、ヴァリニャーノが来日した翌年の1580年には、早くもイエズス会に入会しているくらいである。この二人に近い人物として、日本語に堪能なポルトガル人ジョアン・ロドリゲス、宣教師であり歴史家でもあったルイス・フロイスの名も挙げられる。


●活字の制作は印刷機の到着より前から進められた

ヴァリニャーノの依頼により、親子二人が中心となって1585年から国字の版下づくりを始め、金属活字の経験をもつポルトガル人修道士が字母づくりや母型づくりを手がけるようになったと考えるのが自然である。リスボンから船で運んできた印刷機を島原の加津佐に据え付けたのは1590年のこと。それから1年後には『どちりな・きりしたん』が製作されているのだから、あまりにも時間がない。こうしたことから考えると、国字の鋳造にはよほど前から取り掛かっていたとみるべきだ。しかも、かなりの陣容で作業を進めていたと想像してよいのではないか。「書物の編纂や出版に経験のある10名の日本人神弟」が国字鋳造に携わったとされているが、当時は整版式の木版時代であり、彼らにしても金属活字の経験を備えていたわけではない。植字-組版-印刷という活版印刷工程を考えると、1591年の時点ですでに国字の活字が完成されていなければならない。つまり、『どちりな・きりしたん』の活字づくりは1590年以前から進められていたことになる。その作業には、ヴァリニャーノの指示を受けた日本人と外来の宣教師を含む相当数の人員からなる“プロジェクトチーム”が当たっていたとみるのが、もっとも妥当だ。


●「きりしたん版」印刷の史実をもっと詳しく学ぼう

ヨーロッパの印刷文化を日本に紹介した“張本人”であるヴァリニャーノに関して、ザビエルより深く知る必要がある。「きりしたん版」については、20年間に70種類を1台の印刷機でつくったというが、日本においても同様の活版印刷機が製造されているはずだ。他の印刷機、印刷工房の史実がない。100人規模の作業員も必要だが、それについての記録もない。日本最初の金属活字による「きりしたん版」印刷について、ほとんど研究がなされていないのは、まことに残念なことである。国字の鋳造についてはもちろん、印刷工房の規模、従業員数、印刷機、用紙、製本、搬送、さらには古活字との関係など、全くといっていいほど解らない。書誌学分野における研究と並行して、印刷畑からの説得力ある研究が進められたらと願っている。日本における金属活字印刷は、本木昌造が出発点となっているが、それよりずっと以前からあったことを、印刷文化史の全体像を浮き彫りにしていく過程でもっと詳しく学ぶ必要があるだろう。

[印刷]の今とこれからを考える (月例木曜会2013年7月)

2013-07-22 16:03:09 | 月例会
今日(7月22日)は土用の丑の日。うなぎを食べて暑さを乗り切るぞ~!!とう方も多いことと思います。しかしながら、うなぎの値が高騰しているそうで、お財布に厳しい今年の夏です。

さて、月例木曜会が先週7月18日に行われました。こちらも、うなぎの高騰に負けず、“内容が高度化している”と編者が申しております。どうぞ、ご一読くださいませ。


[印刷]の今とこれからを考える
(2013年7月18日 印刷図書館クラブ 月例木曜会)


●国字の金属活字鋳造をめぐり拭えない「?」
日本で初めて金属活字によって活版印刷がおこなわれたのは、コンスタンチノ・ドラードらによる『サントスの御作業の内抜書』(1591年)だとされている。これは、ドラードらがポルトガルのリスボンから持参した印刷機と欧文活字を使って布教目的でつくられたものだが、同じ年もしくは翌年に印刷された『どちりな・きりしたん』には何と国字が使用されている。国字の鋳造は誰がおこなったのだろうか? ドラードらはリスボンでの研修で、果たして漢字・ひらがなの活字をごく短期間で鋳造する技術を習得することができたのであろうか? 検証されないまま「造ったのはドラードだ」という説がとられている。非常に疑問が残るところである。


●16世紀末に日本人が国字を鋳造していた? 
書誌学の権威からは、10人の日本人神弟が日本活字の鋳造に当たったという考え方も発表されている。当時、木活字を製作する専門家はいたが、神に仕えるキリスト関係者だとすれば別人の可能性が高い。印刷機も技術をもった宣教師たちもマカオに戻り、日本での金属活字はいったん姿を消したことになっている。キリシタン版を印刷した当時の金属活字は一本も残っていないが、古活字のなかにキリシタン版の影響を受けたものが少なからずある。イエズス会から母国に送った報告書のなかには、「日本人はイタリック体をつくった」という下りもある。手先が器用だから、国字をつくれたとしても不思議ではない。


●「文明論」と「風土記」で印刷の歴史を繋げよう 
日本最初の国字の製作に、誰がどこでどのようにして携わったのか? その疑問を解明したいものだ。1~2年の間にどうつくったのかを再検証してみる価値はある。高い職人気質をもった日本人がつくっていたとすれば、その活字が残っていたとすれば、本木昌造もあれほど苦労することなく、日本の近代活版印刷はもっと早く夜明けを迎えていただろう。印刷を題材とした「文化論」(印刷文化論)はあるとしても、なぜか「文明論」は聞かれない。双方の整合性をとって、史実を記録しておく必要がある。各地域、各時代の歴史を継続して後世に伝えていくためにも、印刷に関する「風土記」を書き残していくべきだろう。


●文化性を保持することは印刷人の責務だ
 印刷産業からみると、肝心の文化性を情報流通産業にとられて、メディアの製作(出力)だけを任される格好となっている。付加価値のとれる領域は、ロジスティックスだけとなっていく。一般の商品は、超ブランドものからシンプルな日用品までさまざまな分野に広がっているが、コンピュータで処理された便利な標準品を、消費者が求めれば求めるほど、文化性は伴わなくなってしまう。印刷メディアも全く同じことで、インターネットで標準的な情報を簡単に入手されている間に、大切な文化性がどんどん逸散してしまう。印刷物にデザインとかグラフィックアーツの要素が加わってこそ、文化性が維持される。文化的成熟度の証として、消費者や読者から文化性の高い印刷物を要求してもらえるようになってほしい。


●成熟化を後押しすることで文化性は保たれる 
需要の多様化に応えるために、個性を発揮できる人材を育てることが重要である。それを実行する資格と義務が印刷会社にはある。イノベーション(市場を動かせるビジネス革新)は、若年層から始まっている。しかし、社会ともっとも密着しているはずの印刷会社の動きが鈍い。個々の印刷会社が少しずつでもいいから、文化性を高める方向にお金を使って、産業の力で市場を成熟化させていかないかぎり、印刷はたんなるモノづくりの立場に追い込まれていくだけである。受け入れてもらえるまで時間はかかるかも知れないが、社会の文化水準が向上しないかぎり、文化産業は評価されないのだから……。


●日本人がもつ「情緒性」をもう一度顧みたら? 
日本人の特性をもっとも象徴的に表しているのは「情緒性」だろう。近くのスーパーストアに行っても、店頭に商品がきれいに並べられている。アメリカでの予測と違って、日本の印刷市場でパッケージ類が“ブラウンペーパー”(未晒の包装紙)として扱われることはないだろう。どこへ行ってもいつの時代でも、日本人の情緒性は豊かである。俳句について考えてみると、五七五という型に嵌めて標準化をはかる一方で、季語を採り入れることによって情報量を増やし、なおかつ創造性を追求している。これこそ日本人ならではの知恵といえる。印刷の世界にも当然このような思想がある。本質に立ち帰って、新たな視点で見直してみる必要があるだろう。


●創造性を付加することも印刷会社の“命題” 
パソコンが普及し、それなりの印刷物をつくれる“グーテンベルク”に皆がなっている時代に、本当のプロになるためには感性に訴える方法しかない。タブレット端末は扱いがシンプルで、機能も確かに素晴らしいが、処理した情報にいかに創造性、情緒性を付加するかが重要である。日本人に課せられた特有の課題として、どう取り組んでいくか、印刷人として無関心であってはならない。印刷技術を標準化したうえで、いかに美しさを保ち、かつ創造性を発揮するか。印刷人が取り組まなければならない命題である。


●プリンティング・マネジメントの機能を社内に
 一般の企業は、個々の部署でそれぞれ独自に印刷物を発注している。全体でみればあまり変動ないのだが、部署間で相互の連携がないため、コストも考えずにいわば“不適切”な発注をしている。これをまとめるのが「プリンティング・マネジメント」で、印刷会社はこの機能を新規参入の専門会社に任せるのではなく、できるだけ自社内で保持するように努めなければならない。そうすれば、顧客企業のすべてのニーズを把握でき、適切なときに適切な印刷メディアを提案できる。印刷現場をもっている強みを活かるので、顧客のニーズに対して、ジャストインタイムで最適なソリューションを提供可能となる。顧客の発注を一元化してワンストップでソリューションを提供し、付加価値は付帯サービスで稼ぐというビジネス関係を築くことである。


●叡智の固まりである出版印刷に魅力あり! 
アメリカの印刷業界団体PIAの年次報告書(前月度例会報告参照)が分析している「市場魅力度」も説得力のある話だ。この分析は、印刷製品ごとの売上高をその製品領域に特化している印刷会社の数で割った数値を、製品品目相互に比較してみた相対的な傾向値なのだが、もっとも魅力的な品目として雑誌印刷・書籍印刷がランクされている。魅力的とされるグリーティングカードやパッケージ印刷さえ上回った。印刷全般の成長性に対して製品別の相対的成長性を探った分析で、低いとされていたのとは対照的な傾向が出ている。PIAでは「競争の度合いが低いほど、その市場領域は魅力度が高い」としているが、その背景には、収益を上げにくいため、出版印刷をおこなう印刷会社が集約化している事実がある。しかし、出版物は叡智の固まりの典型であり、普遍的な存在意義がある。落ち着いたあとには、また盛り返してくるだろう。利用者(読者)がいれば、ビジネスが成り立つことはわかっている。まず、電子媒体で読んでもらってから、選ばれたものを品位の高い出版物として印刷するなど工夫すれば、減少している書店も、これから文化ビジネスとして十分に生き残っていけるはずである。

(終)