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印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

デジタル時代に忘れられた「6月1日・写真の日」

2014-06-06 10:21:47 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
(事務局より)
倶楽部メンバーの尾崎章様より、下記の原稿が届きました。
尾崎様は、カメラに非常に造詣の深い方です。
今月は6月ということで、6月に纏わる内容です。


デジタル時代に忘れられた「6月1日・写真の日」


印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-1

印刷コンサルタント 尾崎 章


6月1日は「写真の日」である。
江戸時代の後期、1841年6月1日に長崎奉行所に勤務する学者・上野俊之丞がフランス人・ダゲールが発明した銀塩写真法「ダゲレオタイプ」で当時の島津藩主・島津斉彬を撮影した日にちなみ制定された記念日である。
この「写真の日」は、銀塩写真最盛期でも知名度・認知度が低かった事もあり、銀塩フィルムがデジタルメディアに切り替わった今日では全く忘れられた記念日となっている。

日本の写真技術は、上野俊之丞の子息である上野彦馬によって大きく開花され、長崎在住のフランス人・ロッシュから「ダゲレオタイプ」の技法を学んだ上野彦馬は1862年に上野撮影局と称する写真館を長崎・伊勢町に開設している。


中島川沿いの上野彦馬、坂本龍馬像


営業写真館を開いた上野彦馬は、坂本龍馬、桂小五郎、伊藤俊輔等々の幕末ヒーローを撮影しており現存する写真も多く、日本の写真術は幕末期に長崎の上野彦馬と横浜の下岡蓮杖によって確立されている。
写真発祥地の長崎は、周知の通り本木昌造によって造られた近代活字による活版印刷の発祥地でもあり「写真」「印刷」の二大情報手段がいずれも長崎から発信されるという快挙を歴史に刻んでいる。
現在、長崎市内には諏訪神社に近い立山地区の長崎県立図書館、長崎歴史博物館に近接して上野彦馬像が建てられている。

また、中島川の眼鏡橋近くには、上野彦馬と坂本龍馬がダゲレオタイプカメラを挟んで立つ2ショット像が建てられている。
この像は二人の関係を適切に説明しているが、坂本龍馬の「凛々しさに欠けた」漫画チック風に顔つきが少々気になるところである。
また、中島川対岸の銀屋町の上野彦馬生誕地には偉業をたたえる案内看板が設置されている。


立山地区の上野彦馬像



長崎・銀屋町の上野彦馬生誕地



没後100年の下岡蓮杖

西日本の上野彦馬とともに江戸末期の写真術発展に大きく貢献した下岡蓮杖は1823年に伊豆・下田に生まれ、日本画家を目指して江戸狩野派の弟子となり日本画絵師としての活動中に銀塩写真と出会っている。
アメリカ人写真技師:ジョン・ウイルソンから「ダゲレオタイプ」の技術を学んだ蓮杖は
短期間に技術を習得して1862年には横浜・弁天町で写真館を開業する迄に至っている。
1862年は上野彦馬が長崎で写真館を開業した年でもあり、当時二大開港地(長崎、横浜)で日本の銀塩写真術が大きく開花する契機となった年である。
また、下岡蓮杖は横浜で写真館を3館開業した事より輩出した弟子の数も多く、鈴木真一、臼井秀三郎、横山松三郎等の弟子が明治初期の代表的写真家として時代を担う事になる。

長崎の上野彦馬と同様に下岡蓮杖の生誕地である静岡県下田市の観光名所・ペリーロードの起点となる下田公園には下岡蓮杖の像と碑が建てられ偉業が称えられている。
今年2014年は下岡蓮杖の没後100年にあたり、東京都写真美術館では「没後100年 日本写真の開拓者・下岡蓮杖」と題した企画展が3月4日から5月6日迄開催され、日本の写真技術・文化の発展に貢献した先駆者の偉業が広く紹介されている。

写真技術の進歩をベースに技術革新を遂げた印刷界としても6月1日の「写真の日」には上野彦馬、下岡蓮杖等の偉業を改めて称えたいところであり、写真史探訪としての長崎、横浜、下田の「ぶらぶら歩き」も御勧めである。


下田公園の下岡蓮杖像と碑



歴史情緒あふれるペリーロード付近


以上




月例木曜会(2014年5月)

2014-05-20 15:39:08 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成26年5月度会合より)


●コンテンツから印刷メディアの機能を捉え直す

 メディアには印刷、放送、インターネットがあり、次第にインターネットの方にシフトしている。メディア全体では拡大しているのに、印刷分野だけはなかなか増やしていけない。メディア論を若い人たちに話すと、印刷についても興味をもってもらえるのに、非常に残念な気がする。情報が爆発している現在、印刷業の定義をもう一度見つめ直してみるべきではないか。メディアに載せる中味(コンテンツ)で生きることの重要性に思いを馳せなければいけない。情報の流れは今やインターラクティブになっていて、発信側である企業と受信する生活者との間を行き交っているのだ。それも生活者を基点にしてである。双方を取り持つコンテンツをどうメディアに載せるかを真剣に考える必要がある。生活産業の典型といわれる割に、なぜか印刷会社ほど生活者に関心が向かない。要望や課題を聞きに行かず、顧客支援の役割を果たせていないのだ。印刷営業は相変わらず、担当営業マンが固定客となった得意先に行って、定期的に注文を取ってくるのが優秀とされている。営業体制や仕事内容が少しも変わっていないように思われる。メディアとしての印刷物の機能や効用を、顧客に提案できるように脱皮しなければならない。


●女性社員を増やせば印刷会社も変われる

 印刷業界はもともと女性向きの世界なのではないか。カラーを見るのが得意だし、デザインにしても非常に繊細な側面がある。社員の構成を男女半々にしたら、業態も自然に変わるのではないだろうか。女性をどう採り入れたらいいかを考えれば、印刷業界の将来は大きく開ける。各地の雇用を増やす責任が地域に生きる印刷会社にはある。そのためには、女性の感性に適した職能を用意しなければならない。例えば営業についていえば、従来のような品質、価格、納期を武器に売上げを競わせるのではなく、ホテルのコンセルジュのような要素をもって働いてもらうとか、さまざまなやり方がある。女性の専門職となったブライダルプランナーの仕事は参考になる。時間給(歩合給でないということ)で親切丁寧にかつ余裕をもって働く女性のタクシードライバーが増えている時代。各地の印刷会社で、近隣の商店街だけを受け持ち商店と親しくなりながら、いつの間にか印刷物を受注してくる女性営業マンが増えてきても不思議でない。印刷の仕事と女性との結び付きをもっと社会に見せることに、印刷業界として取り組むべきである。


●印刷業界もまだまだ捨てたものではないぞ……

 印刷専門学校の新入生向けオリエンテーションで、興味深い話が聞かれた。印刷から感じるイメージは何かと尋ねたところ、紙、インキ、カラー、本、新聞など一般的な回答があったなかで、「父親」という答えが返ってきた。同席していた別の学生からは「自分は答えられず悔しい。ショックを感じた」との発言があった。このような場所で答えた勇気に感動したからだが、根底には、父親からいずれ会社を譲られることに対する感謝の念があるからだと思われる。印刷の業界も捨てたものではないと感じた。印刷関係者はもっと自信をもつべきである。


●教育、記憶の側面からみたアナログの効用とは

 アメリカでは、子供たちが生まれたときからタブレット端末に親しんでいて、「ネイティンブ・タブレット」という言葉があるくらい社会問題になってきた。学校教育では紙の教科書が不要になっている。しかし、人間は反射光の世界に生きていて、反射光による情報の方が前頭葉に記憶として残せるとされている。透過光では頭のなかを素通りしてしまう。情報を圧縮し反射光で見せる印刷メディアの効用が、ここにある。夜になり眠くなるのは、紫外線が目に入ってこなくなるからだ。タブレット端末や携帯端末のモニターを見続けていると、バックライトのLED光がいつまでも目に入ることになり、生体そのものばかりか人間の生活も変えてしまいかねない。悪影響は積分で累積されるので、気がついたときには遅すぎるほど恐ろしい事態を招く。デジタルデータの利点が強調されているが、情報を採り入れる最終段階(読む時点)で人間がアナログ化しているに過ぎない。表示装置が紙の領域に少しでも近づくよう、透過光による電子ディスプレイから反射光を使った電子ペーパーに移行していくことが望ましい。


●LED光の普及が「テクノストレス現象」を高めている

 液晶ディスプレイを見過ぎることによる「テクノストレス現象」は、アメリカだけでなく日本においても指摘されるようになってきた。なかでも、パソコン画面を見続ける長時間作業に伴う「VDT症候群」は、心身に生じる現象の総称として社会問題化している。眼精疲労はもちろん、肩こり、不眠、腰痛といった健康障害を引き起こす原因とされている。パソコン作業をしていて真っ先に感じるのは目の疲れだが、これは人間の眼と液晶画面の発光体との関係から起こる。青色LEDが実用化され、バックライトのLED化が一段と進んだことで、ブルーライトやフリッカーの問題が表面化してきた。LEDを使った液晶画面でも、カラーフィルターとの組み合わせでバックライトの白色光がつくられるのが、ブルー域については青色LEDからの光そのもので、画面の明るさ(輝度)を上げても下げてもブルー成分の光の相対的大きさは変わらない。それにも関わらず、バックライトの光を長時間、しかも直接、目で見続けてしまうところに問題がある。人間の目と発光体と間に生じる相性、相互作用について、再考すべきときがきているのだ。


●人間生活への影響に科学的な検証と早期の警鐘を

 人類は誕生この方、光源(太陽など)からの反射光、散乱光で物体をみてきた。刺激の強い紫外線や青色光はもともと散乱作用が大きく、目にする白色光のなかにはそれほど多く含まれていない。しかし、青色LEDを使った液晶ディスプレイからは、エネルギーの強いブルー光が大量に出ている。それを、ブルー域に対して視感度の鈍い人間の眼が懸命に見てしまう。しかも、明るさに対する反応も弱いので、強力なブルー光をそのまま受け入れてしまっている。睡眠などの生体リズムをコントロールする光受容体(明るさに反応する桿体、色に反応する錐体以外の第三の受容体)に対する悪影響も懸念される。LED画面の視覚的な明るさは、バックライト光源を点滅させる間隔を調整することで表現される。点灯と消灯を繰り返すスピードを速めれば、それだけ明るくなる仕組みだ。明滅の残光がほとんどないため、低輝度ほど消灯時間が長くなって、フリッカー(ちらつき)現象が起きやすい。普段はこの明滅をはっきり感じなくても、知らぬ間に目に負担をかけることになる。輝度を上げればブルー光問題、下げればフリッカー問題が発生する。人間生活に大きく関わる以上、科学的なデータに基づいた検証に着手すべきだろう。


●朝鮮の印刷文化を学び日本の印刷文化を知ろう

 印刷の博物館で、朝鮮における金属活字の誕生を紹介する企画展が開催される。朝鮮の印刷文化に触れることで、日本の印刷文化をも深く考えるまたとない機会になるだろう。注目されるのは、現存する世界最古の金属活字本『直指』(白雲和尚抄録仏祖直指心体要節)。これは1377年に清州の興徳寺で銅活字を使って印刷・出版された書物で、グーテンベルグの「42行聖書」より3四半期も前、中国で金属活字印刷が始まったときより2世紀以上も前という画期的な事業だった。その製造法とは、まず黄楊を使って種字を彫り、その木製父型で砂の鋳型をつくってから、銅活字を鋳込むというやり方だった。作成された活字は稙字盤に組版され、蜜蠟で固定されていった。動かなくした点がグーテンベルグ方式とは決定的に異なっている。朝鮮は世界に先駆けて金属活字の実用化に成功した国となったのである。とはいっても、高麗時代の活字(鋳字)印刷の起源ははっきりせず、ずっと以前の文宗朝(1047~1083年)説、貨幣鋳造と同じ1102年説などがある。高麗時代の前期に仏教と儒教の二大文化が発展し、鋳字印刷も中央官庁から始まって、後期には『直指』のように地方の有力寺院でおこなわれるようになったという背景がある。


以上

「印刷図書館クラブ」月例会報告(2014年4月)

2014-04-24 09:50:39 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成26年4月度会合より)


●マーケティング支援サービスの真髄をとらえているか

 規模の大きな印刷会社は、マーケティング領域のソリューション提案やサービス提供による事業を展開しているが、実際にそれらの事業はどのように機能しているのだろうか? データベースマーケティングなど、科学を採り込んだマーケィング支援サービスに進出し、今では認知科学を利用したニューロマーケティングも手掛けようとしている。しかし、売込み(販促)の支援に偏り過ぎ、人間がよりよく生きるために需要者と供給者をつなぐ、近江商人の商道だった“三方良し”の理念に欠けているような気がする。ドラッカーが提唱する“広告を不要とするマーケティング”がもつ本来の意味をどのように捉えているのか。顧客をターゲットと称し、忠誠心をもたせることをロイヤリティー、一生買わせることを生涯価値と呼んでいる間は、マーケティングは未熟な状態にある。そんな状態で印刷媒体の優位性を訴求したとしても、めざすべき事業のかたちも未熟のままに終わりかねない。底に流れるのはやはり「コミュニケーション」。この用語の意味をしっかり理解しないまま、印刷会社が新しい事業に取り組もうとしているところに、事業化そのものを難しくしている要因があるのではなかろうか。


●プリントバイヤーの登場で変わる印刷のビジネス環境

 顧客の要望に応えて印刷メディアを設計し、その製作を印刷会社に発注する「プリントバイヤー」――古くからいわれている印刷ブローカーとは、自ずと役割が異なるはずだが、実態は果してどうなのだろうか? アメリカの印刷業界団体PIAの最近の資料に、ユニークな視点でとらえた非常に興味深い内容が紹介されていた。それによると、印刷会社は旧態依然のマーケティングミックス(製品、価格、流通、販促の構成)を続けるなかで、発注企業からの予算と“心”のシェアを失ってしまったという。顧客企業の多くは印刷発注の権限をもつ担当者を抱えているが、その仕事は次第に、大きなプロジェクトのなかの小さな一部分を担う社外の専門的マーケッターやプリントバイヤーの担当へと、印刷発注の方法がシフトしているのが実情である。価格、品質、配送はもはや、プリントバイヤーに対するセールスポイントにはならない。印刷会社が新しい取引環境で成功するためには、転換を理解して順応しなければならない。


●印刷会社が求められるのは「マーケティングサービス」

 それでは、新しいプリントバイヤーが印刷会社に求めるものは何なのだろうか。「紙に記号を印す」といった日用品の製造請負業から、「マーケティング・サービス・プロバイダー」と呼ばれるような業態へと、自ら変身する必要がある。印刷会社は顧客と見込客に対し、新鮮なアイデアを提供することによって、顧客との“ゲーム”を盛り上げなければならない。顧客のビジネスに気をかけ適切なソリューションを提供すべきだという。多くのプリントバイヤーは、フルフィルメントやパーソナル化のような非印刷関連サービスを探している。製作予算が多くなるほど、より独創的で革新的なソリューションを欲している。「デザインと媒体機能の革新、画期的な印刷メディア、競合企業に対して差別化をはかれるアイデアを顧客企業に向けて提案したい」というのが、プリントバイヤーの願いなのである。


●「サービスプロバイダー」になって要望に応えていこう
 
 印刷をおこなうだけの印刷会社を望むプリントバイヤーはほとんどいない。印刷採用の権限を有する人たちはマーケティング機能、とくにこれまで以上の付帯サービス、データベース構築、マルチチャンネル支援(クロスメディア対応)などに精通し、実際に提供してくれる印刷会社に引き寄せられるのである。印刷会社が一社ですべてこれらのサービスを提供することを、プリントバイヤーから求められるわけではない。問題は、(他社とのタイアップなどによって)印刷分野を超える範囲に業務の機能を拡げることができるかどうかである。プリントバイヤーは、確かに印刷関連の専門家ではあるが、同時に印刷分野以外についても責任をもつ「マーケティング・コミュニケーター」としての役割も担っている。そうした機能は今後どんどん拡がり、非印刷関連の作業も差配する方向に向かっている。このような傾向は、印刷会社にとって「印刷サービスプロバイダー」になる挑戦の機会を提供してくれている。


●関係性を強めることで印刷会社にチャンスが……
 プリントバイダーは、印刷で成功することに関心を抱き、印刷会社と長期にわたって“誇りのもてる関係”を築きたいと願っている。担当する印刷会社から「クリエイティブなコンセプト」が提案されるのを待っている。印刷会社は、顧客に対する自社の企業価値を高めることによって、このような変化に対する優位性を構築する機会としなければならない。プリントバイヤーには、印刷会社とよいパートナーシップを結び、長く持続させたいという願望がある。だからこそ、印刷会社はあらゆる機会をこの関係性の強化に充てるべきである。プリントバイヤーは仕事に拘束される仕事時間にも高い“感度”をもっているだけに、印刷会社は時間の削減に役立つ非印刷関連のサービスを提供するチャンスがある。「マーケティング・サービス・プロバイダー」となるべき印刷会社は、「何を印刷するのか」ではなく「なぜ印刷しなければならないのか」に強い関心を向け、トータルビジネスとして戦略的に業態変革する必要がある。
<参考資料> 「The New Print Buyers」 (Margie Dana/John Zarwan ; The Magazine Feb. 2014 USA)


●キリシタン版の国字活字は刀鍛冶師が担ったかも?

《平成26年3月度記事参照》 キリシタン版の印刷に使用した国字活字の製作に日本人の木版経験者がかかわったとする見方がある。活字の製造とくに国字の活字づくりには、印刷ならではの専門知識が必要で、当時のヨーロッパ人や素人の日本人ではとても難しかっただろうというのが、この説の根底にある。有力な見方ではあるが、視点を変えて考察してみる余地は残っている。木版の技術者がいきなり金属活字を取り扱うことは不可能に近いからだ。そこで、戦国時代だった当時、一定の力をもっていた刀鍛冶などの職人に焦点を当ててみたらどうだろうか? 刀の刃、柄、鍔には製作者や持主(武士)の名前が彫刻されている。お寺の鐘にも文字が鋳込まれている。刀鍛冶に限らず金物細工ができた人物は数多く存在していたはずで、そうした角度からみていった方が判りやすい面もある。今では一般的な明朝体やゴシック体など、複雑な文字が用いられたわけではない。かな文字程度だったら、細工師にとってそんな難しい仕事ではないだろう。銅に打ち込めば母型もできる。天正遣欧少年使節団のローマ派遣を計画したヴァリニャーノが、グーテンベルクの印刷技術に詳しい人物を連れてきて、日本人に知恵を授けてくれれば可能だったはずである。


●印刷以外の宗教、教育、産業分野も視野に入れた調査を

 グーテンベルク技術をどうやって日本にもってきたかに、もっと大きな関心を寄せるべきだし、当時の木工技術、彫金技術がどの程度のものだったか、もう一度調べ直す必要がある。キリシタン版の国字活字を誰かがつくったことは確かで、金属活字の鋳造技術についてあまり難しく考える必要はないだろう。日本にやってきた宣教師たちは、布教のために学校までつくっている。ここはいったん「印刷」から離れて、宗教、教育、そして産業の分野にまで対象を拡げて調査した方が有効かも知れない。ローマやベネチアなど現地の教会辺りに古文書が潜んでいる可能性がある。金属活字そのものに価値があるのではなく、母型にこそ価値がある。母型をつくらず、つくったとしてもその都度壊していたのでは、ナベカマの製造と何ら変わりないことになる。グーテンベルクの技術が後世残った最大の理由は、母型の存在にある。生産技術が高かったから、優れた技術が残ったという事実にもっと注目すべきだろう。

(以上)


月例木曜会 2014年3月

2014-03-24 16:27:54 | 月例会
毎月、第3木曜日に開いている月例会 ≪印刷の今とこれからを考える≫ が、
今月も3月20日に集われました。
年度末のため、印刷会館の会議室が満室状態で、この日は、
午後2時から3時半までの一時間半しか時間がとれませんでしたが、
内容は下記の通り濃いものです。
ご紹介いたします。



[印刷]の今とこれからを考える 「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成26年3月度会合より)


●経済の回復基調に印刷業の景気はついて行けない


 アメリカの経済は大不況(リーマンショック)から脱したが、回復の速度はここ半世紀でもっとも遅いものとなっている。来年にかけても、これまでと同様“生ぬるい成長”が続くとみられている。そのような経済シナリオは、印刷市場にどのような影響を与えているのだろうか。経済成長(GDP)に牽引されているはずの印刷業の出荷高は、それを1~2%下回るレベルでしか回復していない。印刷業の出荷高は一般に、景気循環の後退期には先行し、回復期には遅行して変動する。回復後の成熟期はベストな状態(スイートスポット)となる。この4年来の展開で成熟した回復段階にあるといえるのだが、実態は依然としてきわめて弱含みの状態に止まっている。2014年から2015年という単年度、いってみれば現時点の動向は、印刷産業全体で現状維持、安定して推移するものと予測されている。経済が回復し成熟に向かう変化は、印刷業の現状をいくらかは“持ち上げて”くれることだろう。ただし、新聞、定期刊行物、書籍などを担う印刷関連メディア業に限れば、今後1年間で約2%の減少となるという。


●デジタル印刷、付帯サービスは堅調に推移するが……


 印刷の生産方式別に売上成長性をみると、デジタル・トナーとデジタル・インクジェット、加えて付帯サービスの売上げが、印刷産業の成長を押し上げる要因となっている。印刷産業全体の成長率に対する貢献度は、堅調に伸びるデジタル印刷と付帯サービスが+1.94%であるのに対し、全体の70%を占める伝統的なインキオンペーパーは落ち幅が大きく-2.24%と、足を引っ張る格好となっている。また印刷物の機能別分類でみても、①情報伝達用(雑誌、定期刊行物、書籍、有価証券、報告書、ビジネスフォーム、グリーティングカードなど)はデジタル・コミュニケ―ションにシフトするにつれて減少傾向に、②販促用(一般商業印刷物、クイック印刷、ダイレクトメール、サイン/サイネージなど)は、販売促進のエンジンという強みを発揮しながら経済回復に伴って僅かながらも拡大し、③ロジスティックス用(仕上げ加工、ラベル、パッケージなど)は、経済と密接に関連しているがゆえに、相対的にもっとも高い成長を保つ――と分析されている。とくにロジスティック用はデジタル印刷との競合に直面することもなく、今後2年間にわたって実質GDPと同じ成長率で進展するものとみられている。


●品目別の将来動向を当の印刷会社が予測してみた

 印刷物の品目別にみたミクロ市場分析では、需要指数(増企業比率-減企業比率)をもとに、以下のような3つのセグメント名称で将来動向を予測している。

①ホット市場=Web to Print、Web開発、統合マーケティング、メディア・マーケテイング、サイン/サイネージ、フルフィルメント、飲食物関連ラベル、データベース管理、特殊印刷、クイック印刷

②ウォーム市場=郵送サービス、化粧品/処方ラベル、ダイレクトメール、個人情報保護用ラベル、パッケージ印刷、名刺、個人用ラベル加工、グラフィックデザイン/写真、家庭用品ラベル、パンフレット、カタログ

③コールド市場=グリーティングカード、折込チラシ、書籍、回覧/回報、有価証券報告書、事務用印刷、カタログ/名簿、新聞、雑誌、定期刊行物、ビジネスフォーム


●「利益」に着目して、ビジネス戦略のアクションプランを


このような市場動向分析のもとで、印刷企業はどのようなアクションプランを立てる必要があるか。最重要のあるべき課題は「売上高」にはなく、「利益」に着目しなければならないとしている。収益性とは①売上げ②コスト③料金の3つの関数から成り立っているので、それぞれについて考えていくと解りやすい。まず売上げ増のためには、①特殊な市場セグメントに特化し工程の垂直統合をはかる、②付加価値の高い付帯サービスを含めた多様化をめざす、③デジタル方式を加えたハイブリット印刷によってプロセスの優位性を確立する、④印刷製品とサービスの提供に努める――ことが重要となる。


●印刷料金をスマートに設定できる力を身につけよう

 次にコストを減らすためには、①重要なコスト項目に関して産業界の指標をベンチマークし遵守する、②パートタイマーや契約社員を減らして変動費を低い位置で固定する、③労働生産性(売上高人件費比率、労働分配率)をベンチマークして人員削減に努める―こと。また高い料金設定を“スマート”におこなうために、①労働装備率(社員1人当たり設備投資額)を高める、②市場領域、印刷製品の特化によって料金設定力を強める、③顧客ニーズに対し深く詳しい知識をもつ、④付帯サービスの多様化をはかり価値を高める、⑤企業ブランドを強化する、⑥営業報奨金を伴う売上補償制度を開発する――などが重要だとしている。印刷料金の設定は需要によって牽引されるべきで、決してコストからの判断であってはならないという。

 ※本稿は、下記の資料を参考に作成しています。
   「The Economy and Print Markets in 2014-2015」(The Magazine Vol.6 Issue 1, Jan. 2014)
Dr. Ronnie H. Davis ; Senior Vice President and Chief Economist, PIA


●キリシタン版で使われた国字活字製造の謎を追う

 《平成25年8月度/26年1月度記事参照》 天正遣欧少年使節団によって1590年にもたらされた金属活字による日本最初の活版印刷術――問題は、漢字・仮名混じりの国字を金属活字として鋳造し活版印刷をおこなったのは、果たして誰なのかである。使節団が帰国したあと、ローマ派遣を計画したヴァリニャーノが日本にいる宣教師たちを集めて協議会を開催している。その時、日本文字の木版印刷に関わる日本人を召集したという記録がある。彼ら(10名の日本人神弟)が国字活字の製造に当たったのではないかとする説には、信憑性があり納得できる。そうはいっても、木版の整版印刷に従事していた神弟たちが、いきなり金属活字の鋳造技術を理解して対応できたであろうか? 時間的に無理があり、この点についてはなお疑問が残る。国字活字を使節団が持ち帰ったという説もあるが、船載品のなかに含まれていた形跡はない。使節団に同行してヨーロッパで活版印刷術を会得してきたとされるドラードたちだが、どの程度の印刷実技を身につけることができたのであろうか? 使節たちの従者であり通訳も兼ねていたことから、不可能に近い。帰国した日本人の印刷工の能力だけで、短期間のうちに国字活字をつくることはきわめて難しいのである。


●印刷界から有識者が加わり、説得力のある研究を

ヴァリニャーノは印刷技術に詳しかったに違いない。日本人は識字率が高いので、印刷物をつくれば布教しやすくなると考えたはずである。印刷に関心をもち、自ら出版企画を立てて原稿も書いている。印刷活字の手配も自分でおこなった人物である。布教のための印刷物の重要性を考え、使節団を派遣する前から、グーテンベルグの金属活版印刷術を日本に導入したいと企画していたのではないだろうか。国字の版下づくりに必要な人材(木版経験者)の手配を、キリシタン大名であった大友宗麟に依頼しておいて、帰国と同時に鋳造に取り掛かったと考えられる。当時の宣教師たちも印刷技術を理解して、国字以外の印刷設備一式をもってきている。帰国前にすでに国内で、活字づくりの作業が始まっていたのではないかとみる方が自然だろう。諸説の内容をみると、活字製造の専門的な工程をあまりにも簡単に考え、結論づけている点が気になるところだ。ここはやはり、印刷界から金属活字の製造に詳しい専門家が登場されることを待ちたいと思う。印刷畑からの説得力ある研究が進められることを願っている。


(以上)

エッセイ 『ピンクルームの魔力』 久保野和行

2014-02-10 11:25:45 | エッセー・コラム
『ピンクルームの魔力』 2014年2月8日 久保野和行



チャーミングな笑顔の女性が登場した。1月28日の記者会見で小保方晴子さんの論文が『Nature』誌に掲載され、その内容がSTAP細胞であった。もともと彼女はハーバード大学留学中の2009年8月にSTAP細胞の原型となる論文を完成したが、当時は「動物が刺激だけで多様性を獲得することはあり得ない」というのが常識であったため論文は採用されなかった。それが苦難苦闘を乗り越え実証データを積み上げ、理化学研究所で開花させた。


産経新聞のコラムに、今から100年前の1913年(大正2年)東北大学で化学科、黒田チカ、丹下ウメ、数学科、牧田らくの3人が入学した。その当時の文部省は書簡を持って「頗(すこぶ)ル重大ナル事件」と女性の入学に抗議した。チカ・ウメは卒業後に海外留学をして、理化学研究所で研究を勤しんだそうで、小保方晴子さんの大先輩が種を蒔いていたのかもしれない。それが今日こんな形で花開くとは両先輩も微苦笑しているでしょう。


小保方晴子さんは研究室のユニフォームである白衣を、祖母から頂いた割ぽう着姿でピンクルームに登場した。アニメのムーミンキャラクターなどが周りと囲でいました。
ピンクは心理的に、興奮状態を落ち着かせ、緊張をほぐし、リラックスさせる色と知られている。ピンクの定義としては1918年版の「レディーズ・ホーム・ジャーナル」に一般的な見方として、ピンクは「よりはっきりした力強い」と書かれている。


私も、今思い出してみると20年以上前に出会ったピンクルームがある。
それは当時、小堀グラッフィクスの故小堀社長さんでした。最新の製版設備を構築した。
その現場で出会ったのがピンクルールでした。それと同時に、そこに働く人々も女性中心の職場でした。故小堀社長さん曰く「印刷物の色彩感覚は、もっとも女性向の職業」と認識していた。将来は、力仕事はロボット化した場合は、印刷現場でも女性労働者のオペレーターが繊細で、優雅な製品を作り出していく時代が来ると述べられました。
現実に、技能五輪で女性オペレーターがメダルを獲得している。
しかし、今の日本の労働市場での女性の役割は、あまりにも軽く、曖昧な非正規労働に従事しているのが現状です。


NHKのクローズアック現代の放映画面で事実を知って驚いた。細かい数字は忘れたが、20歳から24歳までの女性労働者数約540万人が従事している。そのうち何と半分以上になる580万人が、年収で114万円と報じられた。毎月の収入が10万円にも満たない。


この内容を見て、ふと考えたのですが、印刷業界は、もともと男性中心の労働構成が主流になっていた。これをもっともフレッシュな労働市場から大量確保することで、印刷業界のイノベーションが起きないかと勝手に想像を膨らませてしまった。


考えてみれば、二極化の傾向にある、今の印刷界、大量生産でコスト低減の目指す印刷会社があれば、一方では地産地消型の印刷市場(デジタル印刷も含む)に強みを生かすマーケティング手法も存在する。
女性を中心にした職場環境は、全く違った世界が開ける可能性を秘めているのではないかと考えた。まさしくピンクルームの魔力を発揮する女子力の登場でもある。


小保方晴子さは「リケジョ(理系女子)の花形」と持て囃されている。憧れのトレンディーでもある。まさにこの旬な、20歳~24歳までの乙女を印刷業かに導こうという運動を、真剣に考えてみるのも一考かもしれません。