山形城祉、霞城(かすみじょう)公園に出かけてみました。
霞城公園では、約1500本の桜がその日満開を迎えていました。
霞城公園の桜のうち、ソメイヨシノは1200本。
その他、オオヤマザクラやエドヒガンザクラなど古木も多く、桜が咲き誇ったその日は、まさに感動的な美しさでした。
樹齢100年級のソメイヨシノが、園内の8割ほどを占めています。
ソメイヨシノは、日露戦争(1904~1905)の戦勝記念に植えられたものなのだそうです。
一辺500mほどの霞城公園の起源は、延文元年(1356)にさかのぼります。
斯波兼頼が楯を築いたのち、11代当主であった最上義光が文禄から慶長(1592~1615)にかけて山形城を改築しました。
現在、野球場、県体育館、県武道館やテニスコートなどのスポーツ施設ほか、園内には、弓道場もあります。
弓道場では、満開の桜の下で弓を放つ姿を見ることができました。
かつて、山形城址は三の丸まである平城でしたが、三の丸の堀は埋められてしまい、今は面影さえないものの、今後は史跡としての整備がすすめられているところです。
北門、南門、西門、東大手門には外堀が巡らされ、土塁の上から堀の緑の水面すれすれにまで枝を伸ばした古木の桜の花の妖艶さといったら、ため息がでるほどです。
特に私は、北門から東大手門に至る桜並木が好きです。
東側には、JR在来線が通り過ぎ、過去と現在の時間の不思議さをまざまざと感じるのでした。
復原された二ノ丸東大手門です。
東大手門からは、最上義光記念館(入場無料)や山形美術館への橋渡しがされています。
桜の開花の期間は、夜のライトアップも行われているそうで、夜桜が水面に映るさまは、さぞかし美しいことでしょう。
二の丸の堀と石垣などの遺構と、園内には最上義光の銅像が立っています。
西門から東門にかけて桜のそ下を歩いていた時、エメラルドブルーのカワセミを見ることができました。
慌ててシャッターを切るものの、カワセミはあまりにも用心深く、残念ながらシャッターチャンスには恵まれませんでした。
満開の桜の下では時間がゆっくり流れていきました。
霞城公園のあまりの美しさに、生きていることの感激と感謝の思いを深めることができました。
霞城公園では、約1500本の桜がその日満開を迎えていました。
霞城公園の桜のうち、ソメイヨシノは1200本。
その他、オオヤマザクラやエドヒガンザクラなど古木も多く、桜が咲き誇ったその日は、まさに感動的な美しさでした。
樹齢100年級のソメイヨシノが、園内の8割ほどを占めています。
ソメイヨシノは、日露戦争(1904~1905)の戦勝記念に植えられたものなのだそうです。
一辺500mほどの霞城公園の起源は、延文元年(1356)にさかのぼります。
斯波兼頼が楯を築いたのち、11代当主であった最上義光が文禄から慶長(1592~1615)にかけて山形城を改築しました。
現在、野球場、県体育館、県武道館やテニスコートなどのスポーツ施設ほか、園内には、弓道場もあります。
弓道場では、満開の桜の下で弓を放つ姿を見ることができました。
かつて、山形城址は三の丸まである平城でしたが、三の丸の堀は埋められてしまい、今は面影さえないものの、今後は史跡としての整備がすすめられているところです。
北門、南門、西門、東大手門には外堀が巡らされ、土塁の上から堀の緑の水面すれすれにまで枝を伸ばした古木の桜の花の妖艶さといったら、ため息がでるほどです。
特に私は、北門から東大手門に至る桜並木が好きです。
東側には、JR在来線が通り過ぎ、過去と現在の時間の不思議さをまざまざと感じるのでした。
復原された二ノ丸東大手門です。
東大手門からは、最上義光記念館(入場無料)や山形美術館への橋渡しがされています。
桜の開花の期間は、夜のライトアップも行われているそうで、夜桜が水面に映るさまは、さぞかし美しいことでしょう。
二の丸の堀と石垣などの遺構と、園内には最上義光の銅像が立っています。
西門から東門にかけて桜のそ下を歩いていた時、エメラルドブルーのカワセミを見ることができました。
慌ててシャッターを切るものの、カワセミはあまりにも用心深く、残念ながらシャッターチャンスには恵まれませんでした。
満開の桜の下では時間がゆっくり流れていきました。
霞城公園のあまりの美しさに、生きていることの感激と感謝の思いを深めることができました。
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