意志のなかにいる

コメントあるようでしたらお気兼ねなく、記事に関連があるのが望ましいですね。

新番組より再放送のほうが面白そう (アニメ感想)

2015-07-02 21:09:09 | アニメの感想2015年Season2







長門有希ちゃんの消失 第13話 
長門有希ちゃんの消失III ○








まずは「涼宮ハルヒ」を出さなかったことが正解ですね
いや別に彼女個人が好き嫌いうんぬんではなくて
「消失」を描くにあたって彼女はあんまりにも熱量が大きいからね
後は随所でかかるクラシケルな音楽が「それっぽい」雰囲気を醸造するとともに
視聴者からちょっと距離を取る効果(興味が薄れるという意味にはあらじ)を
もたらしているかとおもう。
次々に出てくる有名SF・書籍とうすいリアクションが「あの長門」を想起させ
でも同時に「長門有希ちゃん」でもあるといういいとこどりのたのしみがあり
それは同時に「ナガトユキ」個人としては統一性に欠くことでそのあたりの戸惑いは
「涼宮ハルヒ(京都アニメーション)」→「長門有希ちゃん(サテライト)」に
移行していることの「ずれ」と真正面から向かい合っているともいえよう
その「セカイのありかたのあけすけさ」は元の本家のずうずうしさにも迫るものだったかとおもう。
でもまあその内容はとても落ち着いていたもので図書館行って「好きです」って言って
それでおしまい、というはかなさではある。
もちろんそれは否定的な意味合いでは断じてなくてこういうふうに
個人のココロとじっくり付き合うのは「涼宮ハルヒ」の時にはできなかった美質で
かつ「ナガトユキ」の物語としては実に相応しいそういうにわかに降った雪が
溶けていくのを見ているような、そんな一幕だった。











ガンスリンガー ストラトス
第12.5話 「分岐 二つの未来」 とまとめ △(+)







守られた現在、勝ち取った未来






あんだけ人が死んで、いろんなのをぶっ壊したのに
結局は元の学園生活に戻って、そしてちょっと未来に希望を得た
っていう結論がなんというか「ゲーム」的なおとしどころで
同時にリアルな「僕達」がたぶん抱いている「現実」に対する
シビアな感想ではあるね、調度ゲームで盛り上がってそして
それを止めた後におとずれる虚脱感のような、そんなかんじ
「アニメーション」としては「銃撃戦モノ」ってのは「ロボットもの」の
次ぐらいに「活劇」としての楽しみを期待するんでそこが
重めのストーリーに引っ張られてそこそこのレベルに終始したような
そんな印象があるね、まあこのラストには相応しいテンションの高さともいえる。











徹が鏡華(フロンティア側)を失って、力を経て、セカイを変えて
でそこで作り上げた未来にも鏡華を想起させる女の娘がいてっていう始末のつけ方
これを見て「ああ良かった良かった」っていうのより
「人ごとの未来」に対するあっけない感慨があるよねえ
「巨大な眼で見たときの人類の運命」のようなSF的感慨とでもいおうか
つまるところ「ちょっとだけ希望を得た現在」も「救われた未来」も
「ゲーム」的には「よくある結論」っちゅうわけで
まあ「非拳銃社会」の当邦にとって「FPS」に対する根底の熱意ってのが覗えるともいえるかもね
繰り返すけど「ゲーム」である分には面白いのね
ただ「アニメーション」として提示された時にゲーム中の盛り上がり以外の
感情がいろいろとあるわけで、そこは簡単に良かったと割り切れないところもあるわけだ。











Fate/stay night [UBW] 第25話 エピローグ とまとめ ○









こちらは「やりきった」後の「後日談」の楽しみを満喫している感じ
後になってみればあの死闘も自分の視野の狭さも実にちっさいものだった
っていうシロウの感想がまあいろいろ思うところはあるね
その一瞬はそれが全てでいいでしょう、といったところ。
この「凛」のルートだと英霊がほとんど全員全力で闘っていて
「捨て駒」的に処理されるところが無いのもいかにもって感じで
それはシロウの「成長」を促すのに欠かせぬものであったし
それがあるからこそこの「全部やりきった」って満足感があるのだろうね
それを提示する側も「今アニメーションで出力できるMAX」に近いとこまで
多分投げつきてきているので、まあ自信と責任に満ち満ちた仕事だったかと。
しかしまあ「頑張るから」ということのハードルの高さよな
理想を信じ、命がけの試練に身をさらし、見聞を広め、世界の残酷さと向き合っていく
などと「英雄」以外の誰に為し得ようといったところだ
それは現役の「中二病」の若人には勇気を、そしてもうそうではなくなって
しまった大人にはひりひりするような憧憬を与えることだろう
それは調度この作品が世に出たばかりのころと、そして今アニメーションとして視聴
する間の時の移り変わりと歩調が一致するのではないのだろうか。








プラスティック・メモリーズ 
第13話 いつかまた巡り会えますように △+








最後らへんの「安らかな日々」ってのをどう評価するか
「時間制限」があるハナシだからばたばたしていなくてもドラマにはなるのね
ただ事前にバラまいてた「実利主義的な会社の方針」とか
「ギフティアを利用した犯罪」とかいわゆる「荒らし」にかかる展開を
諦めたようなかんじを受けるのね、勿論やればそれでいいわけでもないけど。
ま、「どうやっていまわの際を迎えるか」ということを現代のアニメーションが
理想的に描いたっていうそういうおはなしってことなんかもしれないねえ
それは「リアルな死」とか「怪物に襲われる」とかってんじゃ
バタバタしてて逆になかなか受け入れがたいものではある
あと、生身の人間ではなくて調整を受けた人間に近い存在ってのも
まことに距離感がよろしいかとおもう、アイラはこの物語を描くのに
実に理想的なアイドルだったといえよう
ただ、あんまりにも特別にあつらえたから彼女は「ツカサ」にとってしか
手の届かない存在になったような、そんな感じはあるね
いち視聴者が消えゆくモノに邪推うんぬんのしようもない
むしろミチルの方が視聴者としては親近感があったかもしれないなあ
「こっち(視聴者)」にツカサ達よりは近くて、そしてツカサやアイラの為に
泣いたり、笑ったり、怒ったり、おせっかいをしたり
そういう女の娘としてのいいところを存分に見せつけていた彼女に
ずいぶん救われていたような気がする。











ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか
第13話 眷族の物語(ファミリア・ミィス) とまとめ △+







ヘスティアの祝福を受けし者






このおはなしはずるい
いやベル君がいやらうらやましいワケではなくて・・・
いややっぱりうらやましいかw
「初心者冒険もの」の体を為した「オレつええもの」なのね
作中の女性陣はそれに気づいていてこぞって言い寄るという形式
そういう「甲殻のレギオス」の主人公のような
「本当は強いのにそれを秘匿している」ようなある種の卑遜さがあるのね。
もちろん「よくある形式」って言えばそれまでだけど
それは共感ができる「努力・工夫の強さ」ではなくて
身も蓋もない「英雄の奇跡」によるもので、それを「レベル1だった」
主人公の皮がかぶっているというそんな印象。
ベル君自体は劣等感があるのにそれを視聴者が共有できていないという
そういうおはなしだったかとおもう、まあ英雄(アルゴノート)なんて
そういうモンかもしれんが。











えとたま 第12話 「干支繚乱」 とまとめ △++







にゃ~たんがいろいろ便利でしたよね、いじってよし、いじられてよし
巫山戯てよし、シリアスよし、なんでもアリアリな便利キャラ
いろいろフレキシブルにしておきたい当作品には必須で
「十二支」からあえて外れたからこそ可能な立ち回りだったかと。
そしてたぶんにゃ~たんがCG・アダルトモードを問わず
ボロボロになっている時がハナシとして最も盛り上がっていたとおもうのね
「CG」のような「つくりもの」は「傷んで」いる時がもっとも
説得力が増すような気がするし、そして中の人が最も演技力を要求される
のもこの時なのだとおもうし、最後の猫鼠合戦はそのあたり
全部良いところが抽出されていたとおもう。
最後の最後「アダルトモードの3CGにゃ~たん」を見るとなんとなく
最初から全部↑でやってしまうつもりもあったかもしれないと思ったのね
まあいろんな事情があるし、リスクも伴うから調度こんな
「はんぱもの」というカタチになったのかもしれぬ。
当作品はそういう「過渡期」のドタバタぶりを大人の知恵と猫のきまぐれさで
上手いこと着地させた作品として後生に記憶されるのかもしれない。














コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あやねるの生徒会長もいいな... | トップ | 「富樫先生は今年も描かない... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アニメの感想2015年Season2」カテゴリの最新記事