物語シリーズ セカンドシーズン 第21話 「恋物語 ひたぎエンド 其ノ壹」 △+
よく考えなくても「依頼」にまるまる1話費やしてしまうという贅沢さというかね
まあ貝木らしいっちゃあそうらしいねえ、ぐねぐねとハナシがなかなか本題に
入っていかない面倒さというか、いやそれを言ったらこの「青春の与太話」たる
当物語シリーズそのものの否定になりかねないというか
ただまあ性質の違いはあるな、こよみんはパッションのままに無駄(ほぼセクハラ)を
行うのに対して、貝木を代表とする大人達は何かこう煙にまくというか
「本質」から目を逸らすために無駄話をしているようなそんな印象がある
「偽る」と書いて「人」の「為」ってなるけどはてさてカミサマを誑かすことは
できるのかねえ、一神教だと難しいけど多神教だとけっこうころころ騙されたりするけどね。
ぎんぎつね 第9話 ごめんなさい △(+)
こういう「俗」から離れた場所だとよく「告白」とかに使うよね
普段押し込めている精神をちょっとむき出しにする場というか
だからこそ、こういう場所では「隠し事」はなるべくナシにする方がよいかもね
ハルと子供達のちょっとした「ないしょ」がそのあり方を教えてくれるというおはなし
ま、1つくらいこういう「汚れが無い場所」ってのがあってほしいものではあるな
別に実地に存在するだけでなく「深夜アニメのすす避け」みたいな当作品のようなのが
あってもいいかもしれん「商売」としてはどうかわからんが。
境界の彼方 第9話「銀竹」 ○
1話目でスナックに「先輩」を殺そうとしていたのとはうってかわって
この大騒ぎですよ、奥様。つまりおんなじ事をするのでも
果てしなくシリアスにもできるし笑いをとることもできるという
ただあるのは映像的な美しさだけというまあ京都さんらしいっちゃらしいあり方というか
戦闘シーンの殺陣回りとか学校の外に現前した「境界の彼方」の幻想美とか
「メガネっ娘がどうたらこうたら」ってのが霞む強さですよね
普段僕らが愉しみにしているそういう「おふざけ」(風呂のシーンとかな)が
映像によって「殺されている」と感じなくはない
「アニメ」っちゅうある種「ナメて」見ている媒介でそういった領域の先に
この作品は行こうとしているのかもね、そう、それこそが「境界の彼方」なのかも
なんつって。
リトルバスターズ! ~Refrain~ 第9話 「親友(とも)の涙」 △(+)
筋書きの無いドラマ
ゲーム原作なんだから「ゲームみたいな世界観」が「ルール」だとしても
なんら不思議ではないわけだな、「よくある設定」ってやつではある
ふんじゃあそういう「閉じた世界」でそれを愉しむ僕たちに「何が残る」のかってことだ
RPGなら「強くてニューゲーム」とかアリかもしれんが
アドベンチャーゲームだと、そうだね「世界の秘密」を知った前提でそのセカイを
愉しめるってぐらいかね、せいぜい。あ、あとはキャラクターに対する思い入れ
ぐらいか、でも「現実世界」でそれに変わる「もっと大事なモノ」ってあるん?
「野球をナメてる」とかそういのはお門違いなんだろね、だって「ゲーム」なんだからさ
ステータスが低くても球筋を見極めてバットを振り抜けば「何か」起きるかもしれん
それは「ゲーム世界の狭さ」でもってその狭さを突破する「何か」と言ってもよい。
のんのんびより 第9話 「文化祭をやってみた」 ○
以前「てさぐれ!部活もの」で「アニメとかだと文化祭でやたら張り切る」って
弄っていたいたけど、こっちだと見事に等身大に描かれているねえw
こまちゃんとかプライドを売り物にしていたりな、そのやけくそぶりが笑えて泣けるw
「お兄ちゃんのお嫁さんになる!」とか、凄い爆弾を引っ張り出してきたねえ
これ、ただの「回想シーン」とかでやると効力が半減してしまうのよね
「ビデオテープを引っ張りだしてきた」っていう状況があって初めて
「小さいころの恥ずかしい秘密」ってのが説得力を持つのね
そしてその恥ずかしさに夏海みたくうーうー悶えられる時間的余裕がこの作品にはある
この作品でないと感じられない心に広がる何かがある
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