意志のなかにいる

コメントあるようでしたらお気兼ねなく、記事に関連があるのが望ましいですね。

新番組紹介回→やった!1回視ずに済む (アニメ感想)

2014-03-31 21:00:14 | アニメの感想2014年 春









魔法戦争 第12話  世界からの消失 とまとめ









まあ「まとめ」っつってもそもそも「終了」すらしてないからね、できっこない。
最終話にしてはネガティブな単語のタイトルだからまあ実際の最終話は「ブルーレイで」
ってことなんだろうけど、果たしてここまで視聴して購入する人がどんぐらいいるんかね。
なんだろうねこの足下のおぼつかなさというか
「魔法」も「戦争」も「マケン」じゃなくて「魔剣」もただその「言葉」のみが存在して
それが「血肉」になっていないんじゃないか、とおもう
そもそも「魔法」って「設定」はそのままに「血肉」を持ちにくい設定なのだけど
その弱点を補う為の努力すら払われてないというか、それこそ「言葉に踊らされてる」という印象
そしてそのハナシをなんとか繋ぐ為にネガティブな設定で糊塗してるって感じやね
まあここまで正当に「弱いハナシ」ってのも久しぶりかもなあ
「間違っている」のでなく端的に「弱い」ってこと
作り手側もこれじゃ力を発揮しようがないわなあ、まあ「魔法」ってタイトルに
ヤラレチャッタのかもしれないですね、こんだけ敗北感いっぱいなのもいく久しく。















桜Trick 第12話 「プリンと美月の決意 / 桜Trick」 とまとめ △(+)










桜咲き、桜散り









まあ「百合」ですからねえ、何かが「閉じてる」感はあるよね
余人や社会が立ち入れない部分があるというか
イチャイチャしていればそれで事が足りるという
口づけの魔法が繰り返し行われるのはその世界観を維持する為の営み
だったのだとおもう、なかなか色っぽいやり方かと。
ただまあ完全に閉じちゃうとそれこそ排他的になるから
友達とか美月会長とか出して、ゆるやかに世界を広げてる
そのおだやかさはまさに「ほのぼの4コマもの」のそれだったかと。
新入生の入らない学校はやがて誰も居なくなって、友達とも別れがあって
そして最後に何が残るのか、それはとてもおだやかで、簡単な結論。














最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。
第12話  さよなら日和ちゃん とMTM(まとめ) △+









アンラッキースケベ








最終話で夕哉お兄ちゃんが深層心理を解放しとったけど
妹に「可愛いな」とかって言ったり幼なじみの胸をまさぐったりってぐらいで
そこまでやってようやく他のいやらしい作品ぐらいのレベルになるという
つまり、この作品ラノベ的諸事情がなければ「ひとつ屋根の下」的な
極めて穏当で微糖なハナシになってしまうワケで
美月はある種その「いけにえ」になっているという彼女の事情なのね
ただその「悲劇」は「性的な」という単語が頭にくっつくわけで
「ノーマルな妹の性的開発日記」ということにあいなる
重要なのは美月が「ノーマル」ってことで、当時勢で性的なことに嫌悪感を
おぼえるぐらいに奥手であることだとおもう
逆に美月に取り憑いた日和は極めてライトノベル的性におおらかなヒロインで
この作品はその両タイプの娘をメインに据えて「ラノベ的官能小説」の
道をたどっているようにも見える。
「ノーマル」だからこそ「とまどい」があるわけでそれは夕哉という「義兄」が
できたことのそれとリンクするわけだ、そういう「ベタな家族モノ」っていう
設定をラノベ的に換骨奪胎して実にうまく処理していたかとおもう。
まあ、この作品を視聴してると、ふだんどれだけ「普通の」美少女を
ラノベでは痴女化させているかがよう分かる気がする
え?別にストライク・ザ・ブラッドのことではありませんよw















キルラキル 第24話  果てしなき闇の彼方に とまとめ ○+










みんなが普段ほおをかぶっている「宇宙の真理」への到達と
それを否定する「ワケのわからなさ」っていう「生存理由劇」を
まあ随分カブいた設定で達成してしまったねえ、それだけでも
当作品を視聴する理由はじゅうぶんにある。
視聴している側にアドレナリンが分泌するぐらいに殺陣は激しく
声は荒々しく、画面は血しぶきで真っ赤だった
あと、CG的な処理が近頃の作品にしてはだいぶん少なかったかと
これはたぶんCGってのは「服と人」をいっしょくたに処理してしまうからで
それが決定的に対立している(そして協力している)当作品では
使用が限られていた理由だったかとおもう
まあそれを貫いたからこそ流子が羅暁に言った
「人は人、服は服」ってせりふが説得力を有するのかと
この場合「服」ってのは「服従」のそれととってもいい
作品ってのは自由なようでいていろいろな制約がかかっているワケで
それは都条例に逆らってはいけないとか地上波は10話で終わらせなければならないとか
「大人の事情」もそうだし、「こういうハナシは最後はハッピーエンドに
しなければならない」とかそういう縛りもある。
流子と羅暁の最終決戦が宇宙空間だったのはそのあたりの「物語の重力」を
第1宇宙速度を超えて突破してみせた、ということなのだろうねえ。
流子が鮮血を失って、地上に戻って姉とともに「普通の女の娘」の生活を送るように
僕たちもまた「服従」の作品(あるいは生活)へと還っていくのだけど
そういうシリウスのように瞬くような瞬間がこの作品にあったことを
僕たちは忘れることはあるまい。
















コメント
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