23日。
竜飛岬に向かう。
途中で給油す。煙草を吸おうと事務所内に入ろうとした時、もんどりうって転倒。膝を強打す。
車に戻り、転倒した旨家内に伝えるも、
「見よった。きたないサンダルば拾ってもらいよったやん。」
・・・汝、所感それだけなりや。
竜飛崎灯台の途中に『日本で唯一の階段国道』の看板あり。
ただし比較的新しく出来たる由。
竜飛崎灯台にて。
体が持って行かれそうな猛烈な風吹く。台風並み。
家内、見苦しくも、セミのように標柱にしがみつく。
はるか彼方に函館を望む。
津軽を南下。
太宰治の生家ありしを人に聞く。さっそく立ち寄る。
太宰の生家、津島家は有名な資産家で、小作人300人を超えていたとか。
その保存状態の良さに感銘す。和洋折衷の豪奢な造りなり。
もっとも太宰本人は「ただ大きいだけの、何の趣もない家で・・・」
と評していた由。
この後「いかりが関」という道の駅で食事と、入浴をし就寝。
余談だが、この旅行中、法事のとき以外は、もっぱらTシャツに上着、はだしにサンダルで通す。やせ我慢にはあらず。
風呂上りに零下の屋外で、半袖シャツにはだしの姿で煙草を吸っていると、地元のもこもこと厚着したおばちゃんが気味悪そうに、我を避ける。
東北人は寒がりなり。
石巻を出発し岩手の厳美渓なる道の駅で就寝。
22日
起床し平泉にむかう。言わずと知れた藤原三代の栄華を見る。
毛越寺庭園。
家内、昼前にかかわらず名物の雑煮餅を食す。
次に高館の義経堂を見る。義経終焉の地。
ただし異論ありとの事。衣川館にて自害したとの説が通説。
芭蕉この地で有名な
『夏草や、つわものどもが、夢の跡』を詠む。
遥か彼方に過ぎ去りし歴史にふれ、涙こぼしたる由。
中尊寺参道弁慶の写真撮影場所にて。
さすがに違和感あり。後悔す。
金色堂覆い堂。この建物の中に金色堂あり。
この後青森へ向かう。
道中家内といさかいあり。
以後家内に問いくるも、沈黙を持って返す。
フンだ!
この日は浅虫温泉(道の駅)にて就寝。
トイレに「洋式トイレの使い方」なる張り紙あり。
・・・・北の最果てに来たるを実感す。
22日
起床し平泉にむかう。言わずと知れた藤原三代の栄華を見る。
毛越寺庭園。
家内、昼前にかかわらず名物の雑煮餅を食す。
次に高館の義経堂を見る。義経終焉の地。
ただし異論ありとの事。衣川館にて自害したとの説が通説。
芭蕉この地で有名な
『夏草や、つわものどもが、夢の跡』を詠む。
遥か彼方に過ぎ去りし歴史にふれ、涙こぼしたる由。
中尊寺参道弁慶の写真撮影場所にて。
さすがに違和感あり。後悔す。
金色堂覆い堂。この建物の中に金色堂あり。
この後青森へ向かう。
道中家内といさかいあり。
以後家内に問いくるも、沈黙を持って返す。
フンだ!
この日は浅虫温泉(道の駅)にて就寝。
トイレに「洋式トイレの使い方」なる張り紙あり。
・・・・北の最果てに来たるを実感す。