劇場彷徨人・高橋彩子の備忘録

演劇、ダンスなどパフォーミングアーツを中心にフリーランスでライター、編集者をしている高橋彩子の備忘録的ブログです。

世の無常と自らの非力をかみしめる日々

2009-03-31 02:04:36 | その他
★「デ、データが!!」

パソコン上のデータの保存が苦手だ。昨年は、外付HDが壊れた。
バックアップと称しながら、気がつけばそこだけに放り込んでいたものがけっこうあり、
大切なデータも復元できぬまま失われてしまったかたちに。

だが幸いなことに、データを移す過程で使ったフラッシュメモリなどに残ったものも。
ただし、古いソフトで保存していたため、このままではやがて聞けなくなってしまう。
そこでひとまずそれらをより汎用性の高いデータに変換するその作業中に今しがた、
ひょんなことから大部分が消えてしまい、唖然呆然。
まったく、何をやっているんだという感じである。

★「深夜のバトル、
 そして辿り着いた境地とは?」

不注意な人間ゆえこういう作業には向いていないらしいとしょんぼりしたり、
これは機械に強くない人の多くが幾度も通っている道なのだろうかと気にしてみたり、
いやそもそも、何かを残そうなどという意志・行為が不遜でイカンのだとムキになったり、
そうは言っても記録することで人類は過去を吟味したり検証してきたではないか!と主張したり、
まあそう言うならばまずはしっかり保管せい、と叱咤してみたり.......などなど、
自分の中のさまざまな思いが低レベルにバトルするが、
すべては後の祭り(といって学習しないのが一番の問題かも)。

取材をしていると、貴重な証言に遭遇する一方、
原稿の主旨によっては書ききれない場合もしばしばあり、
また、声の調子など、限られた紙面では再現できないものもある。
今はそうした肉声をひとまず録音データとして手元に置ける時代にもかかわらず、
あっさりと自らのミスで失ってしまう、愚かな私なのであった。

やはり、こんな破壊系機械音痴は、
記憶力が悪いのを何とかするほうが近道だろうか??
いや、さすがにそれはないだろう。ということで↓


先週末、舞台芸術の祭典「フェスティバル/トーキョー」の
クロージング・パーティーが開かれたおやじカフェと、


パーティの案内状。

忘れないうちに。ってちょっと強引過ぎるか。

・・・もはやこうした事態に慣れきって、さして凹みもしない自分がカナシイ。
全然、かみしめてないし。

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マリ・クレール5月号&DDD5月号

2009-03-27 00:01:52 | 執筆
下記、執筆致しました。

『DDD』5月号(フラックス・パブリッシング) ※3月27日発売

ダンス『バッハの「マタイ受難曲」による〈憐れみpitie!〉』演出家 アラン・プラテル インタビュー

『マリ・クレール』5月号(アシェット婦人画報社) ※3月28日発売

Art&Stage欄 ミニコラム:喜ばれる差し入れは何?

女優・明星真由美さん コメント


ぜひ、ご一読ください。

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取材先で盛り上がる・WBC編

2009-03-25 21:49:07 | その他
とある取材に出向いたら、着いた時点でWBC決勝戦が佳境も佳境、9回裏!
ここを抑えれば日本が韓国をくだして優勝という場面ゆえ、
もはや自然のなりゆき的にみんなしてテレビ観戦。
めでたい流れで取材を・・・と思ったら、リードしてた日本が打たれて延長戦へ。
いそいそと(?)インタビューを済ませ、あつかましくもその場で続きを拝見した次第。

いやー、ドラマチックでしたね。
波乱含みでドキドキしたけど、終わってみれば結果オーライ♪

で、その取材で話題にのぼったあんぱんが、今日になって食べたくなったのだけれど、
関東では店頭に置いていないものなので、同じお店の別のあんぱんをゲット。



おまんじゅうに見えるかも知れないけど、あんぱんですよ。
ひしゃげているのは最初から!
これが、道明寺粉がまじった感じの餡で、さりげなく美味。
この「さりげなく」ってところが、あんぱんの良さだと思うな。

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肩甲骨をつままれる&珍しいキノコ舞踊団×plaplax『The Rainy Table』

2009-03-24 11:09:51 | 観劇
いかにも休日らしいひとときって素敵だ。

連休最終日、ビストロで友人とのんびりランチしたり
(こう見ると給食か機内食っぽいけどおいしかった)


北海道産アイスのアフォガートを食したり
(濃厚にミルキーで甘かった。↓これは別の日だけど)、


マッサージにも行った!!
肩甲骨をむんずとつかまれ、引っ張られる。
ああ、ついでに埋もれた羽根も掘り起こして~、なーんて(笑)。

平日にガンガン働いている会社員の方々とは違うのに、
なんか贅沢風味な時間を過ごしてしまったけど、こういう日もあっていいよね。

その後、珍しいキノコ舞踊団×plaplax『The Rainy Table』@シアタートラムの最終日を観る。



珍しいキノコ舞踊団ならではのガーリーなテイストが展開。
plaplaxとのコラボで、賑やかさと幻想性を兼ねた不思議な雰囲気もひときわに。
今回は、映像やら木馬やら身体を組み合わせて作るフォルムやらが、全体的に「馬」。
スクリーン上の馬がだるそうに本音を語るところはちょい辛口で、
個人的には別にあってもなくてもいい場面なのだが、
単なるポップ&キュートだけではないキノコっぽさが好ましい。

一見すると拙なくて子供っぽいのが従来のキノコの持ち味だが、
絵の展開の仕方やまとめ方に、手練れ的な巧さがあってさすがだった。
そして印象的だったのが、若いダンサーが増えていて世代交代を痛感する中、
主催者・振付家の伊藤千枝自身も踊って気を吐いていること。
そこに時の流れが感じられ、懐かしさとともに昔のことなど思い出してしまった。

原美術館の屋外でのパフォーマンスでは、雷鳴轟く悪天候だったんだよなあ。
確か傘を差して観た。シュールな感じがむしろ面白かったのをおぼえている。
あれから7年経つのか・・・

キノコは来年、結成20周年。改めて、今後の展開が気になるところだ。

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勅使川原三郎『ダブル・サイレンス――沈黙の分身』

2009-03-22 00:00:03 | 観劇


勅使川原三郎『ダブル・サイレンス――沈黙の分身』@シアターコクーンを観て、
嬉しいような哀しいような切ないような、複雑な感情が浮かんだ。

80年代後半~90年代、パフォーミングアート界の寵児であり、
ヨーロッパのアーティストにも多大な影響を与えてきた彼が今もなお、
これほどまでに観客におもねらず、表現上の探究を続けていることが、実に感慨深い。
終演とともに大きな拍手が湧き起こり、私もそこに真剣に加わった一人であるものの、
ほかの人たちがどんな気持ちだったのか、とても気になる。

◆唐突な比喩でナンだが

彼の作品には“アリストテレス的なカタルシス”も“ヘーゲル的な止揚”もない。
(その意味で、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の「愛の死」という、
極めて止揚的なイメージの強い音楽が用いられていたのは逆説的で興味深い)。
しかし、彼が“ブレヒト的な異化効果”あるいは“ポストモダニズム的な脱中心”でも
たくんでいるかというと、それも違うように思う。その関心はもっと別のところにありそうだ。

彼にとって重要なものの一例を挙げるなら“空気”である。
空気が固まる、和らぐ、流れる、色を変わる、揺れる・・・
彼の動きはしばしば、身体そのものからというよりも空気との関係性から生まれる。
だから、空気の振動である発声・発語もダンスになるのだ。
そんな発声・発語や、人間の生理に挑むような重低音の連続などが、
観客を当惑させ、取り残された気分にする可能性などは、
恐らく彼にとって、クリエイションの作業ほどには重要ではないのだろう。

◆雑踏に消えることなく・・・

勅使川原には、デビュー時から一貫しているコアな部分もある一方、
たとえば自身の名を世に知らしめた92年の『NOIJECT』と同じことを
繰り返す気はさらさらないだろうと想像できる(再演は別として)。
「成功パターン」を定めず探求の旅を続けるこうしたアーティストは、
やがて見晴らしの良い場所・日当たりの良い場所を嫌い、
どこかよく見えない、雑踏の中などへ消えてしまうことが多い気がするが、
彼が希有なのは、いわばマニアックな試みを、
新国立劇場やシアターコクーンといった一流の劇場で続けていることだ。

自身を「矛盾した人間」「あまのじゃく」と分析する勅使川原だが、
ひょっとするとそうした両義的なスタンスこそが、
彼を雑踏ではなく劇場空間にとどめているのだろうか?

いずれにせよ、そんな勅使川原にも彼を支える人々にも、大いに敬服の念を抱く。
私には支えることなどできないが、見届ける覚悟くらいはできているかも知れない。

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人工的な草木になに思ふ?&梅田宏明すごいよ

2009-03-21 01:26:15 | 観劇
横浜赤レンガ倉庫に行ってきた。
フラワーガーデンなるものを開催していたのだが


これがまたいい感じに人工的でキッチュ。


全体的にぼやんと宇宙ステーション風味だし、


部分的に見てもなんだかロケットみたいだし、


よく見るとなぜかクラゲもいたし。


いやーしっかし、風が強くて。
飛ばされそうになりながら携帯かざしてどうにか撮影。

しかも、花はライトアップされているが道が暗い。みんな、つんのめったりしてた。
危ない危ない、とふらふらしながら、これまた薄暗い、赤レンガ倉庫のホールへ。

-----------
花で盛り上がってしまったが、本日のお目当てはこっち!!!
今、注目のダンサー・振付家、梅田宏明のダンス公演。



前半は、まず、クールで痛快なビデオ作品『MONTEVIDEOAKI』、
続いて、梅田の初のグループ振付作品『1.centrifugal』。
フィンランドと日本からの3名のダンサーのおねえさまたちが、
梅田のメソッドに従ってぐるーんぐるーん回っていて、こちらもぐわんぐわんした。

ロビーには梅田のインスタレーション『Prototype-video installation Haptic』が。
1人ずつ観るシステムで1回2分。前半終了後の休憩時間に並んだら、私までで打ち切りに。ラッキー。
が、どうも2分以上かかっている様子。後半の幕が上がってしまうのではないか?
不安にかられるが、係員にだいじょうぶですと言われる。
でもでも、残り時間あと5分になっても私の前に2人。これは絶対に間に合わんてば。
で、係の方に「なんでしたら私、終演後に1番で見せていただくとか?」と提案するも、
「それはお約束できかねます、お並びいただけなかったお客様がいるので」と却下され・・・

・・・確かに、後半は始まりませんでした。
みなさま、客席に座った状態で妙に待たされ、怪訝な顔でそわそわムード。
インスタレーションを体験し終えた私は案の定な状況に、
「あーん、めっちゃワタシ待ちやん~」と心の中で泣きながら、
いぶかしむ観客一同の視線を一身に受けつつ自席にダッシュ。座るやいなや開演。。。。
うう、みなさまごめんなさいというか、なんというか。
どうせ開演待ってくれるなら、5分前のベルで時間調整的な
劇場スタッフの連携プレイがあったほうが、他の方のためによかったのでは・・・?

だけど、インスタレーションそのものは非常に楽しかった。
目を閉じて瞼に映像を映し出すという趣向だが、あれはもはやダンスだ。
かつてNDT3が、映像を多用する『バース・デイ』を上演した時、
「もっとダンスが観たかった」という意見に「でも映像が踊っているのでは?」と思ったものだが、
そのはるか先にある、瞼を閉じて観る「ダンス」だと感じた。

そしてなんといっても後半、梅田自身のソロ『Haptic』。
彼の動きのキレと、音響や照明のマッチングはすごい。必見だ。
しかも観ているこっちの身体も動いちゃうようなグルーヴ感があるんだよね。
現時点での代表作『Accumulated Layout』はぎゅっと凝縮された完成度で小気味いいのに対し、
今回の作品にはもう少し広がりが感じられ、どこか有機的な印象も受ける。
今後も繰り返し上演し、精度を上げていくことだろうが、
とにかく彼のダンスはある意味、驚異的ゆえ、観ておくべし。
----------

↓全然関係ないけど、帰りに撮影。
茶畑を人が走っていくよ~



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草木にもの思ふ

2009-03-20 16:47:09 | その他


ふと草木に目を向ける時、ひとは何を思うのだろうか。

平安時代末期を生きた『建礼門院右京大夫集』の筆者は、
さまざまな自然を見ては亡き恋人を思い出し続けた。
中でも子供のころに印象的だったのは、橘の木を見て回想するこんなくだりだ。

――いつの年とや、大内にて、雪のいと高くつもりたりしあした、
とのゐ姿のないばめるなほしにて、この木に降りかかりたりし雪を、さながらをりてもちたりしを、
「など、それをしもをられけるにか」と申ししかば、「わが立ちならす方の木なれば、
契りなつかしくて」と、いひしをり、ただ今と覚えて、かなしきことぞいふかたなき。――

これを昔の私は、なんともロマンティックなエピソードと思いこんでいた。
つまり、右京大夫が恋人に、雪の積もった橘をなぜ手折るのかと問うたら、
愛するあなたに縁がある橘だからと答えた、と解釈していたのだ。

しかし実際にはこの恋人は、自分が橘のある側、すなわち「右近」に務めているから、と答えただけ。
私は「右近」を「右京」と思い違え、大いに感銘を受けていたのだった。ああ、勘違い。。。。

さて、この恋人とは、源氏との戦いに敗れてはかなく散った平家の公達・資盛。
教養ある平家の公達だからそれくらいキザなことは言うはずと、
まあそんなイメージが、子供なりにもあったのに違いない。

なお、その資盛を含め、壇ノ浦の戦いで平家が滅んだのは3月25日である。
今とは違う、旧暦での日付ではあるが・・・・



恋人を失い、悲嘆の中で余生を過ごした右京大夫は
春についてはこんな歌を遺している。

「我が身もし春まであらばたづねみむ 花もその世のことな忘れそ」
この「花」は梅ではなく、桜のことを指している。

桜は今年もあふれんばかりに咲き誇り、やがて散る時を知るだろう。
そして私たちは束の間の享楽におぼれながら、世の無常を重ねて知るだろう。

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『音楽の友』4月号

2009-03-18 18:28:57 | 執筆
『音楽の友』4月号(音楽之友社)

※↑リンク先では、「シネマ」欄に私の名が。「ダンス」の間違いです。

ダンス紹介連載 ~『ESPRIT~ Les Ballet de Roland Petit~ローラン・プティの世界』、
東京バレエ団『エチュード』『月に寄せる七つの俳句』『タムタム』、
アラン・プラテル・バレエ団『バッハの「マタイ受難曲」による〈憐れみpitie!〉』~

それぞれの概要と見どころをご紹介しています。
『ESPRIT~』は、映画監督・周防正行氏の奥様でもある草刈民代さんの
プロデュース公演であり、ご自身の引退公演ともなります。

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直截的な言葉が胸を打つ時~真山青果『元禄忠臣蔵』~

2009-03-17 00:18:08 | 観劇
浅野内匠頭が江戸城(殿中)で刀を抜いて吉良上野介への刃傷に及び、切腹を命じられる。
浅野の家臣・大石内蔵助らは苦難の末、吉良を討って主君の仇を取る・・・
江戸時代から今に至るまで高い人気を誇っている“忠臣蔵”の世界。
もちろん実話に基づいているが、大筋は『仮名手本忠臣蔵』に原型があると言っていい。

ただ、世に流布する“忠臣蔵”のイメージでは圧倒的に吉良上野介の分が悪く、
浅野内匠頭は潔癖な人物とされることが多いけれど、
『仮名手本忠臣蔵』では「かほどの家来を持ちながら、浅きたくみの~」などと
浅野を皮肉りながら赤穂浪士たちの義士ぶりを惜しんでいる。

では、昭和9年に初演された真山青果の『元禄忠臣蔵』ではどうだろうか?
06年に国立劇場が、三ヶ月かけて完全上演したことも記憶に新しい演目だが、
今月の歌舞伎座での通し上演(半通し)では、
殊に片岡仁左衛門が内蔵助を演じた『仙石屋敷』の場面が興味深かった。



『仙石屋敷』では討ち入り後、内蔵助をはじめ赤穂浪士たちが仙石伯耆守にその真意を語る。
伯耆守は、浅野内匠頭に切腹を命じたのは幕府なのだから上野介を討つのはおかしいのではないか、
それは結局、天下にたてつく行為なのではないかと糾弾する。

すると内蔵助が「主持つ者のこころ」と称し、
「恐れながら、その御批判は、天下御役人さまの思し召し違いかと存じます」に始まる返答を展開。
今回は仁左衛門の巧みきわまりない台詞回しによって
内蔵助が微に入り細を穿って周到に説明するさまが、明確なものになっていた。
要点をかいつまんで書くと、内蔵助の主張はこうだ。

――確かに殿中で主君・浅野が刀を抜いたことは短慮である。
ただし、そんな明らかな愚行に出た主君には、相応の理由があったのに違いない。
「家を捨て身を捨て、家中を捨てても斬り伏せたい一念であったと心得ます」――
その思いを、家臣である自分たちは引き継いだのだと、内蔵助は切々と語る。
浅野の人柄や刃傷の動機といった次元を超えた、絶対的な肯定。これはもはや愛だろう。

また、江戸のまちで徒党を組んではならないという禁を犯した点については、
同じ意思を持った者が自然に集って行動を起こしたのだから、
自分たちを徒党ではなく一人の人間と考えてもらいたい、と述べる。

ちなみにここでの伯耆守によって、300人以上いたはずの赤穂浪士が
最終的にはわずか47人であった現実も指摘されるが、
その際の内蔵助の、嘆きもせず取り繕いもしない姿勢がまた泣かせる。

真山青果は「マルクス主義者」を自認していたという。
彼の「マルクス主義者」の意味するところを私は正確に知らないのだが、
その言葉に、社会や人間のあるべき姿への思いがあふれているのは確かだ。
それらは直截的で、つまり説教くさいとも取れるのだけれど、
仁左衛門のような優れた演じ手を得れば文字通りダイレクトに胸を打つ。

改めて、書き手が熱い気持ちを込めた言葉の強さと、
そうした言葉が発語された際に持ち得る力を痛感した。

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オペラ歌手・中村恵理、コヴェントガーデンデビュー!

2009-03-12 01:17:14 | その他
若手ソプラノ歌手、中村恵理が、『カプレーティとモンテッキ』の主役ジュリエッタで、
英国のオペラの殿堂コヴェントガーデンにデビューを果たしたという。

それもあのスター、アンナ・ネトレプコの代役として!

私が中村の存在を知ったのは、新国立劇場のオペラ研修所時代。
こちらは編集者と言う立場で、数回顔を合わせただけだが、
くしゃっとした笑顔が可愛らしい、気さくな雰囲気の女性だった。

当時から高い歌唱力を持っていたと記憶するが、
07年に『ラ・ボエーム』の主要なキャラクターであるムゼッタ役で、
由緒あるボローニャ歌劇場へのデビューが決定したと聞いた時には驚いた。
層の厚い欧米の一流の劇場で、小柄な彼女がそんな大役に抜擢されるとは・・・

残念ながらこのデビューは、彼女自身の病気によって流れた。
詳細は知らないものの、一番悔しかったのはもちろん本人だろう。

あれから2年。
ついに再び、彼女は檜舞台に手招きされ、
今度は見事なかたちでスポットライトを浴びた。

実力はもちろん必須だが、それだけでは生き残れないこの世界。
あきらめず研鑽を積み続け、チャンスをものにした中村恵理に、
惜しみない拍手を、こんな場所からだがこっそりと送りたい。

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