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ふと草木に目を向ける時、ひとは何を思うのだろうか。
平安時代末期を生きた『建礼門院右京大夫集』の筆者は、
さまざまな自然を見ては亡き恋人を思い出し続けた。
中でも子供のころに印象的だったのは、橘の木を見て回想するこんなくだりだ。
――いつの年とや、大内にて、雪のいと高くつもりたりしあした、
とのゐ姿のないばめるなほしにて、この木に降りかかりたりし雪を、さながらをりてもちたりしを、
「など、それをしもをられけるにか」と申ししかば、「わが立ちならす方の木なれば、
契りなつかしくて」と、いひしをり、ただ今と覚えて、かなしきことぞいふかたなき。――
これを昔の私は、なんともロマンティックなエピソードと思いこんでいた。
つまり、右京大夫が恋人に、雪の積もった橘をなぜ手折るのかと問うたら、
愛するあなたに縁がある橘だからと答えた、と解釈していたのだ。
しかし実際にはこの恋人は、自分が橘のある側、すなわち「右近」に務めているから、と答えただけ。
私は「右近」を「右京」と思い違え、大いに感銘を受けていたのだった。ああ、勘違い。。。。
さて、この恋人とは、源氏との戦いに敗れてはかなく散った平家の公達・資盛。
教養ある平家の公達だからそれくらいキザなことは言うはずと、
まあそんなイメージが、子供なりにもあったのに違いない。
なお、その資盛を含め、壇ノ浦の戦いで平家が滅んだのは3月25日である。
今とは違う、旧暦での日付ではあるが・・・・
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恋人を失い、悲嘆の中で余生を過ごした右京大夫は
春についてはこんな歌を遺している。
「我が身もし春まであらばたづねみむ 花もその世のことな忘れそ」
この「花」は梅ではなく、桜のことを指している。
桜は今年もあふれんばかりに咲き誇り、やがて散る時を知るだろう。
そして私たちは束の間の享楽におぼれながら、世の無常を重ねて知るだろう。