「dancetoday2009」@彩の国さいたま芸術劇場小ホール
ダンス作品に限ったことではないと思うが、
「ステレオタイプ」あるいは「陳腐」かどうかがそのまま、
作品の評価とイコールになるケースは非常に多い。
やはり観客としてはクールなもの・先鋭的なものが観たいわけだ。
しかしこの公演は、必ずしもそれだけがダンスの本領ではないことを証明した。
以下、大雑把なメモだが順番に見ていく(ネタバレあり)。
* * *
◆大植真太郎、柳本雅寛、平原慎太郎によるC/Ompanyの『イキ、シ、タイ』◆
白い大きな紙の上で、男子三人がくんずほぐれつ!
彼らの動きは、格闘技のようにも組体操のようにも
コンタクトインプロヴィゼーションのようにも見える。
ぼそぼそ喋って笑いを取ったりふざけたりと、遊んでいるようなラフな雰囲気。
だが、マンネリや馴れ合いに陥りそうで陥らないのは、
彼らが身体と動きの可能性をよく知るダンサーであり、
最終的に、格闘技でも組体操でもない見応えあるダンスを形成しているからだ。
ラストはたくさんの紙吹雪ならぬビニール袋が舞う。
男子たちの青春群像風味が、不思議と心地よく面白い。
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◆廣田あつ子と中村恩恵による『Le droit de rever 夢見る権利』◆
黒いヴェールにシックなロングドレスの廣田と中村。
激しくあるいは獣めいた動きになってすら、不思議な典雅さを失わない。
暗闇に轟音・・・と、展開するのは悪夢テイストな情景。
途中から廣田は赤いワンピース、中村は黒のタンクトップ&パンツ姿。
廣田が中村にカクテルのような飲み物を渡す仕草が意味深。
白い服に着替えた二人が、向かい合って鏡像のように対称的に動く場面も。
時折、セクシャルな雰囲気・成熟した空気が漂う。
二人は最後、月光のような柔らかく清浄な光の中、舞台奥へとゆっくり進んでいく。
夕陽を思わせるオレンジ色の明かりが、奥にいる彼らを照らす。
艱難辛苦を経て人生の秋へと入る、深い叙情のようなものが印象に残った。
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◆金森穣と井関佐和子のunit-Cyan『trio~《シアンの告白》より抜粋』◆
1週間前に高知県立美術館で初演した作品からの抜粋。
金森と井関それぞれの自分史を、幼いころの写真や映像まで用いて再現。
両者の子供時代、ダンスとの関わり、そして、
公私にわたるパートナーである二人の出会いも描かれる。
本人たちが自称する通りの「公私混同」ぶりにもかかわらず惹きつけられるのは、
その動きの質・ボキャブラリーが、写真や自分史を語るといった手法の陳腐さを
しのぐ魅力と雄弁さをもっているからだ。後半のデュエットの美しさは白眉。
終盤、いきなり客電がつき、客席を金森と井関が見渡すという趣向も。
やがて金森が赤い小さな飛行機を手に井関のほうに走っていき、下手からのライトが、
子供時代の金森が遊んだまま舞台上に残していた積み木の一群を照らし出す。
大きく伸びた積み木のシルエットがかたどっていたのは、今展開されたのと同じ、
飛行機を持つ男性が女性へ向かう情景だった!という、ややこそばゆいオチ。
* * *
興味深かったのはいずれの演目も、表面だけを切り取ると、
ありがちで退屈なコンテンポラリー・ダンス作品と一見、大差ないこと。
作り手&踊り手の意識と能力が高ければ、シャープさばかり追い求めたダンスよりも
はるかに味わい深い魅力的なダンスが成立し得るのだ。
言い方を変えれば「陳腐でステレオタイプでつまらないダンス」で問題なのは、
形式よりもむしろ、こうした意識・能力の欠如だったわけである。