劇場彷徨人・高橋彩子の備忘録

演劇、ダンスなどパフォーミングアーツを中心にフリーランスでライター、編集者をしている高橋彩子の備忘録的ブログです。

METライブビューイング カイヤ・サーリアホ作曲&ロベール・ルパージュ演出『遥かなる愛』

2017-01-23 22:43:40 | 観劇
上映中のMETライブビューイング カイヤ・サーリアホ作曲、ロベール・ルパージュ演出『遥かなる愛』へ。
作品の世界初演は2000年、このプロダクションの初演は昨年12月。中盤からはただ息をのみ、終わって深くため息をつき、21世紀もこんなに美しいオペラを生むのかと泣いた。
現代的・示唆的な題材でもある。

舞台は12世紀フランス。ブライユの領主で吟遊詩人のジョフレは様々な恋愛遍歴を経て、まだ見ぬ理想の女性クレマンスへの愛のみを謳うようになる。
彼女は自分のものではないが、自分は彼女のものだと言うジョフレ。
一方、トリポリ(現在のレバノン・シリア付近)の女伯爵であるクレマンス(彼女は、国は自分のものだが自分は国のものではないと言う)は巡礼者を通じてジョフレのことを知る。
初めは何の権利があって逢ったこともない自分を愛するのかと驚き、怒りを抱きつつ、私の美しさは彼の鏡の中にしかないと動揺するクレマンス。
巡礼者から、彼女が自らの存在を知ったと聞いたジョフレは、生まれて初めて海に漕ぎ出し、海の向こうにいるクレマンスに会いに行くが……。

舞台上では、約5万個のLEDライトを用いた幾つものバトンのようなものを、上手〜下手に設置。このバトンが、幻想的に光や色が移ろう海原を表す。
ルパージュは映像中のインタビューで「光の海のアイデアはスコアから」と言っていたが、考えてみるとこの海は線譜に、そして登場人物達は音符に見えなくもない。
また、美術のマイケル・カリーはこのバトンをピアノの弦に例えていて、これまた納得。

さて、海に漕ぎ出したジョフレは不意に恐怖に襲われる。クレマンスに逢う前に海に沈むことへの怖れ、生きてクレマンスに逢うことへの怖れ。楽園を出た者の後悔が彼を苛む。
やがて彼は瀕死の状態でクレマンスに会う。この深草少将にも似た男はしかし、「愛が死を招いた」と呪う合唱を否定し、愛する美女に束の間逢ったことを神に感謝し、幸福の中で死んで行く。
クレマンスは危険を冒して逢いに来た男を抱きしめ愛するようになる。巡礼者はこれを見て、「死が近づいていなかったら彼女は抱きしめなかっただろう」と歌う。
愛こそが死を招き、死こそが愛を実現したのだ。クレマンスは嘆き、神に抗議しながらも、今度は自分が、遠い場所にいるジョフレを愛すると決意するのだったーー。

この作品は、フィンランド出身のサーリアホが初めてレバノン系フランス人作家アミン・マルーフと組んで作ったオペラ。
幕間のインタビューでマルーフが「我々は文化の違いを乗り越えて創作したのではなく、違うからこそ創ることができたのだ」というようなことを言っていたのも印象的だった。

女性の作曲家のオペラがMETで単独で上演されるのは今回が初めてだという。指揮も女性でスザンナ・マルッキ。
歌手陣も素晴らしく(殊にクレマンス役のスザンナ・フィリップスが、声も容姿も実に麗しい)、この作品がこのキャスト&スタッフのプロダクションで映像として残ったこと自体が喜ばしい。

トレーラー:L'Amour de Loin: Trailer


上映情報:http://www.shochiku.co.jp/met/program/1617/#program_03

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夢を見た日 ~新しい歌舞伎座 初日の第一部へ~

2013-04-02 17:46:58 | 観劇
待望久しかった新生・歌舞伎座の開場。
その初日の第一部へ足を運んだ。



最初の演目『壽祝歌舞伎華彩 鶴寿千歳』が始まり、
上手から春の君の染五郎、女御の魁春が登場すると、
二人が中央に着座するまで、拍手は鳴りやまず。
さらに、鶴の藤十郎に、盛大な拍手が送られた。

続く『お祭り』では、幕開きから「中村屋!」の大向こうが乱れ飛ぶ。
言うまでもなく、十八世中村勘三郎に向けられたものだ。
鳶頭の三津五郎を中心に、ゆかりの俳優たちがずらり。
花道から現れた勘九郎と七之助が連れていたのは、勘九郎の子息・七緒八2歳。
彼が名優になる日が楽しみだ。その第一歩に立ち会えたことが嬉しい。
なお、『お祭り』につきものの「待ってました!」「待っていたとはありがてぇ」の応酬はなし。
そうだよね、それは十八代目が言うはずだったのだから。

この2演目は、夢心地のうちに終わったというのが、正直なところ。
じっくりとドラマを楽しむことができたのは3演目めの『熊谷陣屋』。
玉三郎の相模、ドラマティックな役柄造形がさすがだ。その愁嘆は胸に迫った。
仁左衛門の義経にもうっとり。実に凛々しく美しい義経で、かつ、
弥陀六(歌六)と話す時は少年のころを思わせる闊達さを見せて魅力的だった。
そして、吉右衛門の熊谷直実。
しみじみと発せられた最後の台詞「十六年は一昔。夢だ夢だ」には
何とも言えない感慨が表れ、味わい深かった。

こうして振り返ると、いい演目立てだったと思う。
夢のように華やかな2演目を楽しみ、3演目め、
「有為転変の世の中じゃなあ」から「~夢だ」までの台詞にただただうなずく。

新生歌舞伎座には、前歌舞伎座の面影が、そこここに。
それでいて、違いもあり、当たり前だが、新しい。
変わっていないと涙し、変わった・綺麗になったとまた泣いて、
舞台上の俳優に目を輝かせ、同時にそこにいない俳優を想う・・・
人間というのはつくづく、業が深いなあ。

 

屋上庭園には、河竹黙阿弥が晩年を過ごした浅草の家にあった石灯籠や蹲踞も。



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12歳・片岡千之助の第一回「千之会」

2012-07-29 18:35:22 | 観劇
12歳の片岡千之助が主催する「千之会」第一回が開かれた。



最初の演目『正札附根元草摺』では千之助の五郎も大奮闘だったが、
勘九郎の小林朝比奈が多彩な振りをしっかり見せて実に良かった。

その後、千之助の父である孝太郎、勘九郎、千之助の三人で口上。
孝太郎が、父・勘三郎の大手術が終わったばかりの勘九郎を気遣いながら、
自身の父・現仁左衛門の病気の折に現勘三郎が孝太郎を励まし、
翌月の『連獅子』の相手を引き受けてくれた逸話を披露し、
勘九郎もまた、松嶋屋から受けた恩義の数々を語った。
千之助は自身の回が続くよう「心からお祈りします」と言ってしまい、
場内が温かい笑いに包まれ、応援の拍手もさらに増した。

藤間勘十郎、孝太郎の貫禄の『喜撰』を経て、最後は千之助の『供奴』。
まだまだだ必死な感じもあるが、力強く堂々と演じていた。
“カーテンコール”では幕を開けず、控えめに袖から出て客席に深々と頭を下げたのにも好感を抱いた。

初舞台から観ているので、近所のおばさま感覚(?)で、つい「可愛い」と目を細めてしまうが、
そんな感傷はさておいても、舞台度胸があり、気合いも十分で、
何より観客を引きつけることができる俳優だと思うので、今後の活躍を楽しみにしたい。

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祝・新勘九郎誕生

2012-04-02 15:47:23 | 観劇
胃腸の不調や風邪などでの体調不良により書くのが遅くなってしまったが、
2月は新橋演舞場、3月は平成中村座で、勘太郎改め 新勘九郎 襲名披露興行が行われた。

                * * *



2月の新橋演舞場では『土蜘』と『鏡獅子』を踊った勘九郎。

『土蜘』は前シテ、声・姿ともに迫力があり、じっくりと見せて素晴らしかった。
後シテでも体のキレが申し分なく、非常に覇気の感じられる動きに満ちていた。
襲名だけあって周りも豪華だった。三津五郎の頼光、橋之助の保昌も風格があって立派だったし、
番卒に仁左衛門、吉右衛門、勘三郎という顔ぶれは、まさに今回の襲名あってのもので、ぐっと来た。

一方、『春興鏡獅子』は、今はとにかくしっかりじっくり懸命に踊っている、そんな弥生であり獅子。
勿論、優れた踊り手であり、動き自体に見応えはあるのだが、まだ余白がない。
持てる力全てを出して折り目正しく踊る今を通過してこそ、この先の“大成”が見えて来るのだと思う。
毛振りも速さでもっていくのでなく、動き自体に人外のエネルギーを感じた。今後が楽しみである。
七之助が兄の後見を勤め、92歳の小山三が華やかな装いの老女姿を見せ…と中村屋ならではの情景も。

口上では、勘九郎と七之助への愛情あふれる言葉が多くの俳優から出され、涙を誘った。
昨年他界し、列座できなかった芝翫の鬘を息子の橋之助がつけていたのも印象深い。

                * * *



3月の平成中村座では、夜の部を観た。
『御所五郎蔵』では勘九郎のきりりとした五郎蔵に対し、
海老蔵の土右衛門はなにやら退廃感溢れる風情で好対照。
両花道も絵になり、江戸時代の芝居小屋を再現した平成中村座ならではの臨場感に瞠目した。
笹野高史が花形屋吾助役で出演したのだが、
花道を走り去る五郎蔵の真似をして引っ込む場面は、
俳優・笹野自身のイメージと重なる好趣向となっていた。

口上も、平成中村座ということで、演舞場より少々くだけ気味で和やかなものに。
そうは言ってももちろん、歌舞伎への真摯さが貫かれた口上であることには違いない。
新たな名を得ての意気込みを語る勘九郎はもとより、
勘九郎をよろしくと頼む勘三郎の力強い言葉も胸に響く。
海老蔵は「勘九郎さんを見習って少しは真面目になりたい」と笑いを誘っていた。
勘三郎、仁佐衛門らが中村座との縁を語る中、
「縁もゆかりもない(勘三郎談)」笹野高史を口上で拝む楽しさも格別。

この夜の部では冒頭の『傾城反魂香』の仁左衛門の又平が、愛らしくいじらしく感動的だった。
又平を支えるおとく(勘三郎)に滲む深い情愛も格別。息の合った名コンビだけに魅せてくれる。
土佐の名字を得ての嬉しそうな二人には文字通り”射抜かれて”しまった。

そんなわけで、二ヶ月にわたる、東京での襲名披露興行が終わった。
新勘九郎のさらなる飛躍を心から楽しみにしたい。

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3.11から1年~ハーディング演奏会と、モンテカルロ・バレエ団セレモニー~ 

2012-03-11 21:51:19 | 観劇
東日本大震災から丸一年が経った。
いまだ解決していないことが多く、感慨に浸ってばかりはいられないのだけれども。

昨夜、NHKで「3月11日のマーラー」が放映された。
ハーディング&新日本フィルによって、3月11日に行われた演奏会のドキュメンタリーだ。
私もその演奏会に聴衆として参加した一人である。

あの日は出かける直前まで仕事をしており、衝撃的な津波の映像もまだ見ていなかった。
原稿をどうにか書き終えて急ぎ自転車で家を出、幾度も道に迷い、
帰宅する人の列をよけながら隅田川を渡り、1時間半かけてホールに到着した。
がらんとしたホールに響いたマーラー5番は感動的だった。
その後もハーディングは、原発事故を懸念して多くのアーティストが来日を控える中、
“日本に必要なのは人々が逃げ去らないこと”と述べ、来日を重ねてくれた。
演奏と演奏の間の休憩には、募金箱をもった彼の姿が常にあったのも忘れ難い。

                    * * *

今年の3月11日の2時46分は、
モンテカルロ・バレエ団の来日公演が行われている劇場で過ごした。
この日は震災後1年のセレモニーがあったのだ。



まず、主催者挨拶&進行の下、小池ミモザ振付の短いソロ『La Vie』が上演された。
小池が『シンデレラ』の装置の前で踊り、同僚のガエタン・モルロッティがチベットの楽器を演奏。
最後、小池とモルロッティが励まし合うように抱き合ったのが印象的だった。
続いて、芸術監督ジャン=クリストフ・マイヨーの挨拶、
そしてモナコ大公アルベール二世のメッセージの代読(モナコ公国名誉総領事による)のあと、
2時46分を迎え、しばし全員で黙祷。その後、『シンデレラ』全幕が始まった。

マイヨー版『シンデレラ』は10年前に初めて観て以来、大好きな作品だ。
ここでは仙女はシンデレラの亡き母であるという設定であり、
もう一人の、というより、実質的な主役とも呼べる存在になっている。
今回、仙女を演じた小池は身体のラインが美しくしなやか。
既にこの世の人ではない母が娘のシンデレラを助け、王子と結びつけたあと、
夫(シンデレラの父)と束の間踊る終盤のデュエットは切なく、改めて白眉だと感じた。
亡き人と遺された者の思いを綴るその内容が、胸に染み入った。

カーテンコールでは、『シンデレラ』の美術の後ろに幾つもの蝋燭が吊られた。
別日の公演『アルトロ・カント1』で用いられた装置だが、
劇場中が深い感動と鎮魂の念に満たされた瞬間だった。

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3月国立劇場『一谷嫩軍記』

2012-03-09 23:39:46 | 観劇
『一谷嫩軍記』のクライマックスと言うべき『熊谷陣屋』は、しばしば上演される演目だが、
国立劇場では今回、その前に序幕として98年ぶりに復活した堀川御所の場、
二幕目として37年ぶりの兎原里林住家の場(流しの枝)をつけ、三幕目の生田森熊谷陣屋の場を盛り上げた。



團十郎の直実が実に良かった。
義経の命を受け、実子・小次郎を殺し、平敦盛の首と偽る直実。
胸に秘めた悲嘆が「御賢慮に叶ひしか。但し、直実過りしかサ御批判いかに」と義経を見る際にあふれ出す。

これを受ける三津五郎の義経がまた、何とも気品があり、
かつ、真相を知る者の深い苦悩を備えていて、見事だった。

最後、「十六年」を虚ろに、そして次にゆっくりと、絞り出すように声に出した團十郎の直実。
花道を去る際に見せるその絶望感は、果てしないほどに深い。
現世とは、なんと恐ろしい、業に満ちた世界なのだろうか。

魁春の相模も、愛情深さと、息子を失った悲しみを、よく表現していた。
彌十郎の弥陀六も、源平の因縁の中での複雑な立場をしっかり語っていた。

現在、歌舞伎界では新勘九郎襲名披露興行が大きな話題であり、
かく言う私も先月は演舞場での襲名披露の舞台に涙し、今月も平成中村座に参る予定だが、
国立劇場でも、派手な話題はなくとも、味わい深い舞台が展開されていることを記しておきたい。

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ミュージカル『ハムレット』日本版初日を観る

2012-02-01 21:58:40 | 観劇
ミュージカル『ハムレット』@シアタークリエ




観る前は期待半分、不安半分だったが、どエンタテインメントに仕上がっていて、楽しかった。
大枠はシェイクスピアながら、途中、何観てるんだっけ?と思うほど(笑)。
ローゼンスターン&ギルデンクランツがいない・ハムレットのロンドン留学はカット・・・などなど、
原戯曲はあちこち刈り込まれ、上演は休憩込み2時間。まさに、あっという間だ。


■充実の俳優陣

まず、タイトルロールの井上芳雄がいい。
声を張り上げてのダイナミックな絶唱から、繊細なピアニッシモまで、実に豊かな歌声を響かせ、
デビュー10年を越えた今だからこそできる充実の演技で、初めから終わりまで走りきった。

昆夏美のオフィーリアも愛らしく、
ハムレットとの二重唱ほか、しっかり聴かせてくれる。

素晴らしかったのは、ガートルードの涼風真世。
美しく気品があり、この王妃の威厳も魅力も弱さも、すべてをきちんと造詣していた。
初めて、ガートルードにある種の共感をおぼえたほどだ。

このほか、クローディアスの村井國夫も堂々たる存在感だったし、
ボローニアスの山路和弘はいつもながら芝居心たっぷりで実にチャーミングだった。

そして、歌い踊るホレーショーの成河。今作がミュージカルデビューだ。
もともと、鋭敏にしてホットな演技力に定評ある俳優だが、
張りのある歌声で音程もしっかりしており、目も心もくぎづけであった。

レアティーズの伊礼彼方は、昨年のTSミュージカルファンデーション『眠れる雪獅子』でも思ったことだが、
このところ歌唱力が上がっていて頼もしい。井上と伊礼の殺陣は気合十分。

そして原戯曲でもドラマを重層的にしてくれる、墓場の名場面。
墓掘りの川口竜也がいい味を出していた。井上、成河との三重唱はコミカルで何とも愉快。


■疾走感あふれる音楽、雄弁な演出、劇的な美術

このミュージカルの音楽スタイルは、ロック風・ジャズ風・ポップス風・・・と、多色・多彩。
脚本・作曲・作詞のヤネック・レデツキーはチェコの人とのことで、
確かにそのメロディーにはどこか、スラヴっぽい叙情を感じた。
生の音が好きなので、ちょっとスピーカーの音量が大き過ぎる気もしたが・・・

既述の通り、彼の脚本には少々飛躍が多く、良くも悪くも“突っ走って”いる。
そのテンポ感を損なうことなく、しかし、
細部にまで(もしかしたらレデツキーが意図した以上の)意味を持たせ、
ドラマティックに構成した栗山民也の演出はさすがだった。

それにしても、美術の松井るみは相変わらず冴えている。
この人にスランプはないのだろうか。
装置の基調は石壁風。これがさまざまに動いてシャープな光(照明・服部基)を取り入れる。
上手袖に斜めにかかる巨大な十字架も、世界観をよく表していた。

初日ということで、レデツキーも客席で観劇。
カーテンコールでは、途中から舞台に上がり、喝采を浴びていた。
客席はほぼオールスタンディング。フレッシュで熱い初日を堪能した。

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ドニ・ラヴァンの枕~『眠りのすべて』

2012-01-29 01:00:40 | 観劇
1月27日・28日と行われたダンス公演『眠りのすべて』@シアターX

            

マリオン・レヴィ演出・振付のこの作品は、レヴィ自身の睡眠障害から生まれたという。
といっても開演前の世間的な注目は、レオス・カラックス監督の映画でおなじみの俳優ドニ・ラヴァンの
出演にあったかもしれない(なんと、日本公演のみのスペシャル参加だったという)。
会場に着くと、ラヴァンが客入れを行っていて驚いた人も多いだろう。

ワイヤー?のようなものをつけたダンサーのパフォーマンス後、
レヴィとラヴァンによる睡眠レクチャーがあり、やがて観客も目を閉じるよう言われる。
次に、これまた指示を受けて目を開くと、舞台上にはたくさんの白い枕が。
その前でダンサー達が、眠りをめぐるさまざまなダンスを、
時に言葉を交えながら繰り広げていく(テクストは作家ファブリス・メルキオ)。
夢か現かといった感じの不思議な世界で、どことなく悪夢のような瞬間も。

そんなダンサーたちを、ラヴァンは途中までオブザーバー的に見ているが、やがて加わって動き始める。
これがまた、ダンサーとはまた違った、人目を惹き付けずにおかない敏捷で特異な動き・存在感で、圧巻。
レオス・カラックスの映画などで見たことのある人なら、懐かしさも感じたはずだ。

終演後はクリスティアン・ビエ(パリ第10大学演劇科教授)の司会で、
ラヴァン、メルキオ、レヴィのトークも。バランスの取れた話し方のレヴィ、
やや神経質そうなインテリ語りのメルキオも面白かったが、やはり、ラヴァンの落ち着きのなさに目がいく(笑)。
ーーペットボトルを一瞬投げて自分でキャッチして飲み、噛みタバコらしきものを巻いてくわえ、帽子飾りを振りーー。
ラヴァンいわく、マイムなどを学び、映像で本格的なキャリアをスタートした自分にとって、
ダンスは演劇よりも原点に近い感覚もあり、事実ダンサーと作品を作ったこともあるため、
本格的にそちらへ移行することもができたかもしれないが、言葉のエネルギーにも興味をもったそう。
その意味で今日の舞台は本人の志向にも合致していたと言えるのだろう。

さて、この日は公演最終日だったため、終演後、主催の日仏学院の粋な計らいで、
希望者全員に枕プレゼント&ラヴァンのサイン会が。
とてもオープンな雰囲気で、優しく気さくに握手に応じてくれるラヴァン。
カラックス監督作品でのアレックスが大好きだと言ったら「souvenir d'Alex」と書いてくれた。

         

アレックス役で世界に名を馳せた彼に、役名と本人名の両方を書いてもらうとは、なんたるシアワセ。
名前のアルファベット表記、以後はaiako を使わせていただきますとも!(私的なものに限り)

取材やその流れでのイベントだと仕事スイッチが入って、ミーハー心がなくなる(or隠れる)ため、
サインや写真撮影をお願いしたことなどほとんどない私だが、
今日のように、観客みんなにサプライズ的に…という趣向は有難く、心置きなく享受してしまった。

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MET ライブビューイング・ニーベルングの指環第2夜『ジークフリート』

2011-12-01 23:12:59 | 観劇
メトロポリタン・オペラの舞台映像を映画館で楽しむMET ライブビューイングで、
ニーベルングの指環第2夜『ジークフリート』を観て来た。

このニーベルングの指環はカナダの演出家ロベール・ルパージュによる新演出。
昨年秋に序夜『ラインの黄金』、今年春に第1夜『ワルキューレ』が上演され、
この『ジークフリート』を経て、来年春の第3夜『神々の黄昏』で完結する。

ルパージュはこのシリーズの装置として、計24枚の板が並んだ巨大鉄琴のようなマシンを導入。
総量45トンのマシンのために、メトロポリタン歌劇場は床の補強工事を行わなければならなかったほどだ。
この板は、照明が当てられたり映像が投影されたりして色合いを変えるのはもちろんのこと、
装置そのものが回転したり波打ったりそそり立ったりと変幻自在。
その上や間を、宙づりになった歌手が移動したりもする。とにかく凄い舞台だ。

↓シリーズが始まる前の、打ち合わせ・リハーサルの映像




さらに今回の『ジークフリート』では、
3D技術が取り入れられるなど、そのハイテク舞台はバージョンアップ。
肉眼で観たらさぞかし大迫力だろうが、スクリーンでも充分楽しむことができる。

↓『ジークフリート』開幕にあたってのルパージュの解説




歌手陣も充実。ブリュンヒルデのデボラ・ヴォイト、さすらい人のブリン・ターフェル、
ミーメのゲルハルト・ジーゲル、森の小鳥のモイツァ・エルドマンなども良かったが、
今回は、タイトルロールのジェイ・ハンター・モリスの健闘を讃えたい。

彼は、ジークフリートにギャリー・レイマンの病気降板により、
初日の一週間前にアンダースタディから抜擢されたのだそう。
世界的な歌劇場に立てるワーグナー歌いの数は限られていて、数年後まで予定はぎっしりだと聞く。
そんな事情もあって有名な代役が立てられなかったのかもしれないが、
それまで無名だった彼が一躍脚光を浴び、ライブビューイングでもミニ特集が組まれていた。
決して美男ではないが、均整がとれた容姿の持ち主。
07年、東京のオペラの森『タンホイザー』ヴァルター役で、来日している。
舞台上でも、ドキュメンタリー内の本人と同じくひたむきで茶目っ気たっぷりでキュートな姿を見せ、
英雄の素質を備えながらもまだまだ子供っぽいジークフリート像を造形していた。

その歌はといえば、初めこそ、少々物足りなく感じられなくもなかったのだが、
テンションをしっかりと持続し、終盤に向けて上がり調子になっていたと思う。
ブリュンヒルデとの二重唱は聴き応えがあった。

全国の映画館で上映中なので、ぜひ!

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シェイクスピアが続く~『Shakespeare THE SONNETS』『アントニーとクレオパトラ』~

2011-10-03 11:28:09 | 観劇
初夏~夏にはバレエ『ロミオとジュリエット』の上演が相次いだが、
初秋のこの時期はさまざまなシェイクスピア作品の上演が続いている。
まあ、それ自体、珍しいこととは言えないが、
9月だけでも、ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』、りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ『ペリクリーズ』、
柿食う客『悩殺ハムレット』、前回のブログで書いたデラシネラβ『ロミオとジュリエット』、
中村恩恵×首藤康之『Shakespeare THE SONNETS』…。
そして10月に入り、彩の国シェイクスピアシリーズ『アントニーとクレオパトラ』が開幕した。

ここでは最近の『Shakespeare THE SONNETS』『アントニーとクレオパトラ』についてメモしておきたい。


■コンテンポラリー・ダンス『Shakespeare THE SONNETS』@新国立劇場中劇場



これは中村恩恵と首藤康之によるデュエット作品だ。
タイトルにもなっているシェイクスピアのソネットが幾つか朗読で挟まれており、
作品世界の基本をなしているのだとわかるが、そこから『ロミオとジュリエット』『オセロー』
『夏の夜の夢』『ベニスの商人』などの情景の一部も描かれていた。
中村と首藤はそれらの役柄もこなしながら、双子のように「美青年」になりあったりもする。
首藤は劇作家自身の姿をも担っていたようだ。

幾度か、中村と首藤が化粧台のような鏡に向かう仕草が繰り返される。
やがて鏡は象徴的な仕草で(まるで本のように)閉じられ、相前後して本の小道具も閉じられる。
この鏡のモチーフもまたソネットに依ったものなのだが、
見ているこちらはシェイクスピアの影法師の言葉を連想したりも。

「昔の人は黒を美しいと思わなかった」のソネット朗読に象徴されるように、
ヨウジヤマモトの衣裳の存在感が大きかったのも書き添えておかねばならない。
「黒の衝撃」以来、黒を主調とする創作世界を展開してきたこのデザイナーの衣裳は、
洗練された美しさを持ち、闇の中にあってもシルエットが際立っているように見えた。
その衣裳と足立恒の照明、D.P.ハウブリッヒの音楽を得て、
中村と首藤の身体が、しなやかでありながらどこか硬質な輝きを放っていて見事だった。

              *  *  * 

■蜷川幸雄演出の演劇『アントニーとクレオパトラ』@彩の国さいたま芸術劇場



よく知られる、ローマのアントニー(マルクス・アントニウス)とエジプトのクレオパトラの物語。
となればストーリー上、悲劇という枠組みになるし、事実、怒り嘆く俳優達の大熱演が見られるわけだが、
全体に荒唐無稽だったり、登場人物の発する台詞や行動が突飛だったり感情的だったりと喜劇的でもあるのだ。
今回の演出は、そうした側面も肯定的・積極的に押し出していたと思う。
コミカルな演技にも長けた俳優陣が、これを可能にしたとも言えそうだ。

にしても改めて思うのだが、吉田鋼太郎演じるアントニーを筆頭に、
みな深謀遠慮からはかけ離れた、熱く直情的な人物たちで、
愛するにせよ戦うにせよ、まるで子供のまま大きくなったよう。

アントニーにしてもクレオパトラにしても、無邪気に当然のように幸せを貪り、
失って初めてその価値に気づいて唖然とする。幼稚なほど愚かしいのだ。
そんな姿に観る側も「あれまあ」と呆れながら、同時に不思議な愛着をおぼえてしまうのは、
戯曲や演出はもちろんだが、鋼太郎や安蘭けい、橋本じゅんらの魅力のなせるわざでもあるだろう。

また、楽しそうに勝利を謳歌するような戦場での男達のダンス(無論、軍隊はホモソーシャルの世界だ)や、
アントニーを男達が担架で高く担ぎ上げた状態で狭い客席の通路をぐるりと巡ってしまうなど、
異様に(?)がんばる身体を見せるというその行為に、演出における生身の身体へのこだわりも感じ、
観る側も笑いながら、これまた、生の舞台への愛情を再認識させられた。

白を基調とする装置の中で、衣裳が鮮やかに映えていた。
クレオパトラのドレスもさることながら、ローマ人たちの衣裳のドレープにうっとりした。
池内博之の美しさにも磨きがかかっているように見えたのは私だけではあるまい。

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