劇場彷徨人・高橋彩子の備忘録

演劇、ダンスなどパフォーミングアーツを中心にフリーランスでライター、編集者をしている高橋彩子の備忘録的ブログです。

引越しました/『大岡越前』『うたかたの恋』『キャンディード』など

2010-06-27 01:33:04 | 観劇
15年ぶりに引越した。
(メールなどで可能な限りみなさまにご連絡したつもりですが、
名刺交換したのに連絡来てないぞ!という方は、誠に恐れ入りますがご連絡くださいませ)。
仕事場も兼ねた住居で、しかもものを取っておく性分なので、すごく大変だった。。。

にもかかわらず前日は無謀にも舞台2本はしごで観劇。
加藤剛主演・俳優座『大岡越前』&英国ロイヤル・バレエ団『うたかたの恋』だ。

■俳優座『大岡越前』@三越劇場は、大岡越前の成長を描いている。
加藤は、裁かれる老人役(この時裁く越前役は加藤の息子・頼三四郎)と、20年後の越前役の2役。
彼の俳優人生とも重なって、なんだか胸にぐっと来た。
ことさらに新奇さははなくとも、心にじわじわと染み入る感覚をおぼえる舞台だった。

■英国ロイヤル・バレエ団『うたかたの恋』@東京文化会館では、
取材時に優しげに話してくれたワトソンの、うってかわってドラマティックな演技と、
壮絶にしてエロティックな数々のパ・ド・ドゥにひたすら見入る。
ガレアッツィ、サラ・ラムほか各キャストも素晴らしかった。

で、帰宅後に徹夜で引越しのための作業。
サッカー日本代表がデンマークゴールに点を入れているのをなんとなく観ながら荷造りし、
美しい朝焼けを見、そのまま夜まで片付けやら何やらしつつ過ごしたのだった。
さらにその翌日も正午から観劇だったから、なかなかにハードな感じだったな(笑)。

■翌日の『キャンディード』@帝国劇場は、ジョン・ケアードの創意工夫に満ちた演出が楽しい。
舞台上方には、運命の輪を想起させる巨大な輪の装置が吊られ、
床にも同様の輪が描かれており、シンプルながら大きな存在感を放つ。
少なくとも私が観た席からはその存在感がかなり強かったので、それに合わせて、
衣裳ももう少し抽象的あるいはポップな感じでもいいのではないかとも感じた。
最後、上の輪が降りてきて、床の輪と重なる場面が極めて印象的。
もっとオペラティックなほうが好みではあるのだが、出演陣はみな軽快な動き・演技・歌で非常に好演していた。

                      * * *

なお、今回の引越しを機に冷蔵庫を新調。
ずっともらいものの、なんと私より年上の冷蔵庫を使っており、
さすがにもう危険だから使用をやめるよう促されたのであった。

 レトロだった旧冷蔵庫(くたびれてたのでちゃんと撮影できてない......)

長く漫然と書き連ねてしまったが、そんなわけで、引越しがらみでばたばたしております。
ブログ更新の遅延、ご容赦を!

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『音楽の友』7月号

2010-06-19 00:00:53 | 執筆
『音楽の友』7月号(音楽之友社)


下記執筆しています。

◆ダンス紹介連載

~「エトワール・ガラ2010」、小野寺修二『空白に落ちた男』、森山開次『翼 TSUBASA』~

「エトワール・ガラ2010」はパリ・オペラ座エトワールら俊英たちのガラ。
小野寺修二『空白に落ちた男』は、首藤康之とのコラボレーションで話題を呼んだプロダクションの再演。
森山開次『翼 TSUBASA』は、ソロ活動10年目での、ソロ第一作再演です。

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“小さな死”から“大きな死”へ~羽衣『愛死に』~

2010-06-18 23:40:42 | 観劇
FUKAIPRODUCE 羽衣『愛死に』@東京芸術劇場小ホール2



冒頭、叙情的な言葉が紡がれ、ゆるゆると脳内に広がっていく。

と思ったら、怒濤のような歌と踊りの"ミュージカル”(自称「妙ージカル」)が始まった。
夜の蝶の如き厚化粧で、熱く歌い踊る複数の男女。
観客は、かなり唐突かつ強引に、その世界に巻き込まれる。
ベタに歌い上げる俳優たちの姿は一見、陳腐で滑稽。だが、それもすべて確信犯である。

この"ミュージカル”は、歌や踊りが性質上まといがちな陶酔に、
近づいているかと見せかけながら、巧みに身をかわす。
時折、俳優たちを残酷にも白々しく照らし出す照明や、
反則なんじゃないかと思うほどの駄洒落の嵐が、これを可能にする。
ぐさりと突き刺さる言葉も平然と仕込まれている――「君に子供ができるまででいいんだ」云々。

そんな中で愛=セックスを営み続ける男女の姿は、既述の通り滑稽で、無惨で、ひたむきな人間そのもの。
実際、最初から最後まで、彼らが何者かの説明も表立ったストーリーもない。というか、必要ない。
複数の「男と女」あるいは「人間」。それだけで充分なのだ。

彼らは「小さな死」を繰り返し、やがて各自の「大きな死」へと辿り着く。
人類が例外なく、そうしてきたように。
生/性の極北とも言うべき情景が美しくて、胸にこたえる。

なお、チープさを逆手に取ったような演出は、ふとした瞬間にアングラ演劇を想起させる一方、
現代の街の人間とその孤独を描き出しており、古さを感じさせず、見事だった。

乱暴なようで、繊細にして緻密。可笑しくて馬鹿馬鹿しくて、愛おしい。
一つ何かが違えば全く別方向へ行きそうなスレスレ感の中に実現した、奇跡みたいな作品だった。

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ダニエル・ハーディングは真の覇者になれるか ~スウェーデン放送交響楽団~

2010-06-17 02:00:09 | 観劇
ダニエル・ハーディング指揮 スウェーデン放送交響楽団@東京オペラシティ コンサートホール


世界から嘱望されている才能なのは間違いない。

クラウディオ・アバドとサイモン・ラトルに師事し、18歳でプロデビュー。
以後、錚々たるオケや音楽祭でタクトを振る。
日本デビューは99年、エクサン・プロヴァンス音楽祭の『ドン・ジョヴァンニ』引越し公演。
弱冠24歳にして、アバドと交替で指揮を務める姿には驚いた(当然のようにアバドとはチケットの価格差があったが)。
あれからもう10年が経つ。

ハーディングの演奏は、とにかく抑揚が効いてドラマティックだ。
ただし、どれだけテンションが高くても、メロディーがロマンティックであっても、
感傷的に過ぎることなく、エッジを効かせてドライヴするのが特徴。
攻撃的・野心的とも言えるその個性に、聴き手の好みは分かれ(私は概して好き)、
作曲家との相性/曲の向き不向きなどもささやかれる(得手不得手がない指揮者などいないけど)。

今回の曲目は下記の通り。

モーツァルト:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』K.527 序曲
R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』op.20
マーラー:交響曲 第1番 ニ長調『巨人』

全体的に、ハーディングが得意とする曲群と言っていいだろう。
軽快でシャープな『ドン・ジョヴァンニ』序曲に始まり、叙情的で流麗な『ドンファン』、
そして、表情豊かで劇的な『巨人』。オケを挑発し、誘惑し、駆り立て、抱き止め、制圧する、
カリスマティックな独裁者の如き指揮ぶりにくらくらした。
陳腐な言い回しながら、その繊細な手つきとタクトさばきから、音が魔法のように生み出されるさまに見惚れた。

けれども、まだここで話を終わらせるわけにはいかない。
アンコールがほかならぬワーグナー『トリスタンとイゾルデ』の「愛の死」だったからだ。
「愛の死」といえば、どこまでも続くかのような、重く甘美なイメージ。
ワーグナーとハーディングの相性については、まだ疑問符がついてまわるかも知れない。
実際、その演奏はこの曲の従来のイメージを覆すほどにテンポよく、
愛の「死」というよりも「芽吹き」を思わせる瑞々しさだった。
『トリスタン~』全曲をあの調子で振るのかと考えると(既に振っているが、私は聴いていない)、
興味深くもあり、ちょっぴり怖くもあり・・・。

もし、彼がそのスタイルでどんな曲でも成功を収めたならば、その時こそハーディング時代の到来だ。
もちろんレパートリーの幅は狭くとも名指揮者となった人物はいる。
しかしながら彼は今のところ、オケを、観客の多くを制圧したとしても、有望で才能あふれる「若手」。
会場に、まだ空席もあった。瑣末なことかもしれないが、厳然たる事実でもある。

ハーディングが、クラシック音楽の歴史に名を刻む、真の覇者となれるかどうか。
その答えを握る鍵があのアンコールに隠されていたと、感慨深く振り返る日が訪れることを願う。

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煽る。猛る。コクーン歌舞伎『佐倉義民傳』

2010-06-16 00:00:02 | 観劇
コクーン歌舞伎『佐倉義民傳』@シアターコクーン



熱い、舞台が、驚くほどに。

と、倒置法で書き出したのは、舞台で使われていたラップの影響ではないと思うんだけど(たぶん・汗)。
ともあれ、この舞台が放つ、あまりに直截的なメッセージ性に圧倒された。
もうここまで言わないと伝わらないのか――。その切迫感、他人事ではいられない。

今回の『佐倉義民傳』では、佐倉の義民として伝えられる木内宗吾の行いと顛末を、
ラップをはじめ、現代の音・音楽をも下座音楽として用いて描いた。
単なる「新しもの好き」な思いつきではなく、ラップが本来もっていた政治性を、
浄瑠璃がかつてもっていたであろう革新性と重ね合わせた発想に依るものだ。

畳み掛けるような勢いで物語を運び、最後、宗吾に救いが訪れないこの物語をオブラートに包まずに提示して、
これはただの昔話ではないんだぞ、さあ、あなたはどうするんだ?と観客へ迫る。
現代へのアプローチの手法自体に対しては、いろいろと思うところあるのだが、
それはともかく、とてもチャレンジングな歌舞伎公演になっていた。

そして、渋谷という若者の街で歌舞伎を上演することの意義に、
作り手たちが非常にこだわっているのも改めてよくわかった。

少し前、この国で熱く燃えて怒っていたのは若者だったけれど、
今は、かつて若者だった中高年が、いまひとつ燃え上がらず熱くならない(少なくともそう見えない)若者に
苛立って熱くなって猛って、なんとか火をつけようとしている。そんな印象も。
まあそもそも、先行世代に刃向かうという意味では、
大人の意に反する若者たちの態度は、皮肉ながら実のところ伝統的なのかもしれないが、、、、

断っておくと、これは公演への嫌味などでは決してない。
むしろ私自身は、火をつけたいという気持ちにけっこう共感するタイプの人間だし、
今回、演技や演出の中から見える作り手の情熱が胸に迫ってくる瞬間も少なからずあった。
火をつけたい対象が一定数、客席にいたことも事実だろう。
ただし、劇場芸術そのものの根深い問題ゆえに、もっと若い世代が、
煽られようにも、客席までなかなか足を運ばない/運べないのは残念だけれども。

ドラマ全体としては、さらに練り上げられる可能性がある気もする。
(具体的な話をすれば、たとえば、宗吾と陰と陽のような対照性をもった役柄として作られた、
トリックスター的な駿河弥五衛門(橋之助)の存在は面白く、彼と宗吾の関係性など、より掘り下げてほしいと感じた)。

いずれにせよ、この舞台の作り手である熱くて素敵なオジサマたちには、まだまだ煽ってほしい。
だって、このままだと身の回りがどんどん、小さく保守的な世界になっていく気がするんだもの。
そこに石を投じるひとつのアクションとして、今回の舞台、興味深く観た。

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twitter発の公演へ行ってきた

2010-06-13 15:50:49 | 観劇
穴埋め企画公演 プロジェクトあまうめ「よせあつめフェスタ」@新宿シアターミラクル

これは急遽キャンセルが出て空いてしまった劇場サイドが、
twitter上で「稽古場使用でもなんでも・・・」と呼びかけたところ、
演劇関係者が「公演をやってしまおう!」と盛り上がり、わずか2週間足らずで決定&本番を迎えてしまったという企画。

前日ゲネ、翌日に本番3回公演。内容は短編6本などなど。
13時の回を観たが、さらにこれから16時と19時の回を、そして最後に打ち上げをオープンに行うという。

このようにして、「やろうよ!」と誰かが発した声に対して、賛同者がスピーディーに集まるのはtwitterならではだろう。
現代的なツールを用いつつ、手作り・共同作業の演劇という、いわば原始的なイベントが出来上がってしまったのが面白い。

詳しいことを書いている余裕が今はないのだが、こういう公演があった、というメモとして書き記しておく。
ちなみに、twitterでこの公演のことをつぶやいたという理由により、私のtwitterアカウントもクレジットされていた。光栄なり。
現地では旧交を温めることもでき、なんだか嬉しい日に。

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 沖縄料理屋にて。さんぴんジェラート&ちんぴん

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極私的な思いから ~ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『私と踊って』~

2010-06-09 22:22:52 | 観劇
ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『私と踊って』@新宿文化センター


カリスマ的人気を誇ったリーダー、ピナ・バウシュ逝去後、初めてのヴッパタール舞踊団来日公演。
ロビーにはこれまでの彼女の作品の写真が飾られ、彼女を偲ぶ人々の熱気に包まれていた。
私自身、深い感慨をもってそれらの展示を見て回ったのは事実である。

しかし、開演後、私の胸に去来したのは、彼女の不在の大きさではなかった。
むしろ彼女は「いた」。女として女のために女を描いた、若きピナの魂がそこにはあったのだ。

男に向かって、「私と踊って」「愛してる」と、時に懇願するように、なだめすかすように、
あるいは脅しながら、泣き叫びながら、繰り返す一人の女。男は「信じられない」と言い続ける。
女はドレスを着替え、しなを作っては、男の気を引こうと無駄な努力を重ねる。その声が、男に届くことはないのに。
決してわかり合えない男と女。愛の不毛。“ディスコミュニケーション” ――。
これらはピナがしばしば取り上げたテーマではあるが、
ここまで女の痛切な思いにフォーカスをしぼっているのは、彼女の初期作品の特徴だろう。

この作品を初演した時、ピナは36歳だった。
世間が女に与える定義、または女に求める役割に、困惑し、怒り、うんざりし、振り払おうとしては傷つくさまが、
一方では、男の愛を渇望し、理解されようとするその焦燥感、虚しさ、孤独が、舞台から伝わって来る。
彼女の自伝的作品と銘打たれているわけではまったくないけれども、
女を巡る言説に対し、無防備ではいられない年齢だったことは、作品に少なからず影響したはずだ。
なお、この作品に、愛を歌った古いドイツ歌謡を用いた点も、重要な意味をもつだろう。
こうした曲は人々の口づてに、さまざまな人生とともに伝承されたものなのだから。

終盤、女が別の女と一緒にげらげらと笑い転げる場面がある。
女は笑いで顔をぐちゃぐちゃにしながら化粧をしている。その光景の残酷さが、目に焼き付いて離れない。
化粧を一切せずに美しいと言われるような人間になりたいと願った、
幼き日の、いささかフェミニストめいた自分がふと思い出される。

男性が観念や様式から作品を作るとしたら、生理・感情の細部から積み立てていくピナは、
女性的な作家だ。なんて言ったら、かつての自分自身から叱られるのは間違いない。
けれども、こんなふうに極私的な思い出から語ることができるのもまた、
ピナ作品ならではの魅力と言えるのではないだろうか。

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【追記】

上の感想は6月9日のジュリー・シャナハンのパフォーマンスを観て書いたもの。
その後、12日にオリジナル・キャストのアン・エンディコットのパフォーマンスを観た。
鋭利で痛烈な雰囲気のシャナハンもとても好きだが、
エンディコットはオリジナルキャストだけあって動きが体に馴染みきっている印象。
彼女独自のファニーな風情も手伝ってか、多義的な広がりが感じられ、ドラマに複雑なニュアンスを与えていた。

終演後、お忙しそうな現芸術監督(の一人)ドミニク・メルシー氏をつかまえて手短かにご挨拶。
作品への感動を伝え、今後も活動を続けていってほしいと改めてお願いする。
氏はがんばっていくよと言って、柔和に微笑んでくれた。

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お堀に浮かぶユニークなカフェ~その歴史と今~

2010-06-07 00:32:51 | その他


今日は久々に演劇以外のことを書こう。

お堀に浮かぶようにたたずむ、飯田橋の“CANAL CAFE”。ここが1918年以来、実に100年近くも、
志あるオーナー一家によって運営されてきたことをご存知だろうか。
そもそもは、代議士だった故・古川清が市民のために私財を投じて、ボート場“東京水上倶楽部”を作ったのが始まりだという。
かつては夜間も営業するボート場として人々に愛され、夏にはラムネ、カキ氷、平家蛍、花火、
秋には灯篭流しを楽しむことができたのだが、現在は保安上の問題で、夜間営業などはできなくなったそう。

現在、お店を守っているのは初代オーナー、古川氏の孫であるチャーミングなマダム。
彼女は、かつてに比べてボートの利用が減った状況を踏まえ、
ボート場のほかに、新たな憩いの場として96年からカフェの営業を始めた。
その傍ら、子供時代に目にしてきたボート場一帯の自然が汚染され、破壊されてしまった現状に心を痛め、
さまざまなかたちで浄化活動を推進している。成果も現れつつあり、昨年は天然の蛍も復活したとか。

お堀といういわば公的な場所に私的な形で存在し、多くの人々に安らぎの時間を提供している不思議な店。
変わった存在様態ゆえに苦労も多いようだが、今やこの店とその浄化活動は、都会の貴重な自然を守っていると言えそうだ。
店自体は知っていたものの、その歴史には無知だった私は、ひょんなことから取材の機会を得た(詳細は某媒体に執筆)。

東京にはまだまだユニークで素敵な場所が存在する。

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大野一雄、逝く

2010-06-02 01:47:03 | その他
 『秘する肉体~大野一雄の世界』(クレオ)より。撮影=池上直哉


大野一雄が逝った。

103歳なのだから大往生だが、それでもやはり喪失感はぬぐえない。

銀幕の女優顔負けに優雅でチャーミングな人だった。
あれほどにドレスもタキシードも華麗に着こなす人はそういない。花を手にしても実に絵になった。

観世榮夫との『無』、原点回帰の『私のお母さん』、瑞々しい『宇宙の花』・・・
決して多くはないが、彼が舞台上に咲かせた素敵な花を幾つか観た。
舞台を降りれば気さくな人で、可愛らしいサインをくれ、握手してくれたものだ。

クリスチャンだった大野は温かく優しい人柄だったけれども、
ある意味では非常に貪欲でもあったのだろうと思う。
でなければあれほどの活動はできなかったはずだ。
晩年はちょっと観るのがつらくもあったのだが、舞台に居続けるのは本望だったと信じたい。

土方巽も嫉妬したという大きな手をひらりひらりと揺らめかせ、
不思議な余韻を残しながら、彼はあらゆる境界を越えて踊り続けた。

そしてついにそのまま、多くの友が待つ世界へと旅立ってしまったのだ。合掌。

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『シアターガイド』7月号

2010-06-01 22:08:38 | 執筆
『シアターガイド』7月号(モーニングデスク)


下記執筆しています。

■中村勘三郎 インタビュー

間もなく開幕するコクーン歌舞伎『佐倉義民傳』。コクーン歌舞伎としてはある意味で異色なこの作品の
上演にあたり、主演の中村勘三郎さんに抱負を語っていただきました。

■加藤剛 インタビュー

俳優座公演『大岡越前-卯の花が咲くとき-』をひかえる加藤剛さんに、
これまでの俳優人生を振り返っていただき、現在の心境をお聞かせいただきました。

■ドミニク・メルシー インタビュー

ピナ・バウシュ亡き後、ロベルト・シュトゥルムと共同でヴッパタール舞踊団の新芸術監督に就任した
舞踊団の古参メンバー、ドミニク・メルシーさんの思いとは。既に執筆している記事とまた少し異なる内容です。

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