劇場彷徨人・高橋彩子の備忘録

演劇、ダンスなどパフォーミングアーツを中心にフリーランスでライター、編集者をしている高橋彩子の備忘録的ブログです。

MOA美術館へ

2010-11-30 23:01:04 | その他
日帰りで熱海のMOA美術館へ行って来た。

特別展は、国立新美術館でも展示が行われた「ルーシー・リー展」。
ウィーンに生まれ、イギリス人として生涯を終えた陶芸家だ。



さまざまな工夫の跡がうかがえるその作品群は、とてもユニークで可愛らしい雰囲気。
面白かったのは、ウェッジウッド社から委嘱されて制作されたカップ&ソーサーとマグカップだ。
独特のブルーとホワイトを使いながらもシンプルなデザインで、装飾的なウェッジウッドスタイルとは大きく異なる。
結局、量産の実現には至らなかったのもうなずける気がした。

常設展も充実していた。躍動感ある康円の「北方天眷属像」、
142センチの高さを誇るなイラン出土の巨大な「青釉貼付綱文大壺」、
ダイナミックで見事なラインの「青磁袴腰香炉」や「青磁筍花生」、
個性的な筆力が光る久隅守景の「竹林七賢人図屏風」、
日本最古の印刷物ともされる「百万塔納入陀羅尼」など、貴重な品多数。小ぶりながら仁清も。

この美術館に足を運んだのは今回が初めてだが、
豊臣秀吉の黄金の茶室や、尾形光琳の屋敷が再現されていたほか、
海を臨む絶景、紅葉輝く庭、竹林……などなど、楽しみどころ満載だった。

 “光琳屋敷”。見上げると紅葉が!

 吸い込まれそうな深い竹林

好天にも恵まれ、いい気分転換になった。

そんな1日の〆はやっぱり焼肉で(笑)。

 ロース、ランプ、タン、ハラミ、レバ刺し

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秋ですねえ

2010-11-25 15:42:36 | 観劇
たくさんの作品を紹介・上演する芸術祭「フェスティバル/トーキョー」のおかげもあって、
芸術の秋らしく充実した観劇が続いている。

殊に満足したのは、フェスティバル/トーキョーのマルターラー『巨大なるブッツバッハ村』だ。
病み、倦怠し、凋落する現代を、シニカルにユーモラスに切り取った絶妙な悲喜劇。
無駄に(?)美しい歌声はじめ、笑い声、家具の摩擦音、些細な動きや不動・沈黙・・・
身体とその周辺の一見ありふれた道具だけで、ここまで演劇ができると見せつける、
演出家マルターラーの手つきが見事だった。

友枝会における、友枝昭世の『井筒』も素晴らしかった。
友枝がつとめたシテは、夫である業平を恋い慕う女の霊。
その動き・存在は悲哀をたたえ、不思議な輝きを放っていたのだ。
ワキの宝生閑もいつも以上に叙情たっぷりに感じられた。
作品さながらに、美しい月夜が浮かび上がっているのを見るようだった。

モーリス・ベジャール・バレエ団来日公演も印象深い。
殊に、ベジャール作品を再構成して作られた『80分間世界一周』鑑賞は、彼の功績を振り返る体験に。
各国の多彩な踊り・テイストを取り入れながら、そのいずれもが、
美しく鮮やかでエネルギーと機知に富んだ“ベジャール作品”になっていることを再確認。
かつてドンが、ガスカールが……キラ星の如き舞踊手たちが踊った作品群。懐かしく眩しかった。

ほかにも、身を削るようにして圧巻の踊りを見せた黒田育世『あかりのともるかがみのくず』、
観ているだけで愛おしくなるFUKAIPRODUCE羽衣『も字たち』、
ユニークな中に寂寥感が漂う五反田団『迷子になるわ』、
過剰さ・過激さからふと深い悲しみを浮かび上がらせたロドリゴ・ガルシア『ヴァーサス』、
幸四郎が堂々たる姿を見せた『逆櫓』や音羽屋の魅力いっぱいの『都鳥廓白浪』ほかの吉例顔見世大歌舞伎、
14歳の少年少女を独自の手法で描くマームとジプシー『ハロースクール、バイバイ』・・・など、
枚挙にいとまがないほど、東京だけでもたくさんの舞台が上演されている。感想も書ききれず申し訳なし。

と駆け足で振り返ったものの、まだ11月も、そして観劇も続くのであった。

 窓の外には紅葉が。秋だねえ。しみじみ。

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『音楽の友』12月号

2010-11-19 02:24:07 | 執筆
『音楽の友』12月号(音楽之友社)


下記執筆しています。

◆ダンス紹介連載

~レニングラード国立バレエ、新国立劇場バレエ団『シンデレラ』、
平山素子ストラヴィンスキー・イブニング『兵士の物語』『春の祭典』~

それぞれの見どころを書いています。

レニングラード国立バレエは恒例の冬のツアーで全5作品を上演。1月まで続きます。
新国立劇場バレエ団『シンデレラ』はアシュトン振付のチャーミングな作品です。
ストラヴィンスキー・イブニングは振付家・ダンサー平山素子独特の舞踊世界です!

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クリストフ・シュリンゲンジーフ公演ドキュメンタリー『外国人よ、出て行け』

2010-11-13 23:14:41 | 観劇
フェスティバル/トーキョー(F/T)では連日、多種多様な公演・催しが行われている。
今日はその中から、演劇関係の貴重な映像を上映する企画「テアトロテーク」で見た、
クリストフ・シュリンゲンジーフの作品『外国人よ、出て行け』の映像について書く。

移民排斥を謳う極右政党「自由党」が政権入りしたオーストリア(2000年当時)。
ウィーン芸術週間に招かれたシュリンゲンジーフがこの事実を受けて発表した公演のもようを、
ドキュメンタリーとして切り取ったのが、今回上映された映像だ。

そのパフォーマンスとは、ウィーンが誇る観光スポット、国立歌劇場の目と花の先にコンテナを設置し、
移民申請者を住まわせてコンテナ内の様子をネット中継し、視聴者からの投票で退去者を決めるというもの。
コンテナの上には「外国人よ、出て行け」(自由党は映像内で否定するが)というスローガンが掲げられ、
自由党の言動を過激に“引用”したパフォーマンスが繰り広げられる。

歌劇場前という由緒正しい場所でのパフォーマンスに、街の人々はヒステリー状態。
右翼・左翼が入り乱れ、大混乱を巻き起こす。
ナチズムさながらの排斥思想をあらわにする人がいるかと思えば、
デモを起こしてコンテナの移民申請者を解放しようとする人も出て来るといった具合だ。

  ←一部、ここで視聴可能

かくして私たちは、この虚実皮膜の“芸術”が、
政治活動家以上の影響力を発揮するさまを目の当たりにする。
そして、演劇が街に出て政治に言及するという、かつて試され尽くしたはずのパフォーマンスが、
驚くほど効果的に機能し得ることを知るのだ。

それでいてシュリンゲンジーフ自身は、周囲と異なり、芸術と政治を決して混同しない。
政治活動に誘う人が現れても、彼は線を引き、距離を保つ。
その影響力が一過性であることも織り込み済みだ。
アメリカの演出家ピーター・セラーズが乗り込み、「ロスでもこの公演を!」と演説しても、
シュリンゲンジーフは「彼はそう言うだけで実際にはやらない」と冷静に指摘する。

このクールな立ち位置こそが、きわどいパフォーマンスを、
自律した芸術としてかろうじて成立させたと言えるだろう。
パフォーマンスは政治的な影響を与えつつ、それ自体は政治的なアクションへと変わることはなく終了する。
人々の心に、たくさんのざわめきを残して・・・

私たちは日々、さまざまな人や物を選択して生きている。
乱暴に言い換えれば、選択しなかったものは「捨てて」いるわけだ。
その意味でもこの作品が扱った問題は、国家の状況を越えた、極めて身近な内容だと言えるだろう。

シュリンゲンジーフは今年、他界したが、
彼の公演を追ったドキュメンタリーが私たちに投げかけるものの大きさは計り知れない。

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ケースマイケルの過去と現在~『ローザス・ダンス・ローザス』『ドライアップシート』~

2010-11-12 12:16:43 | 観劇
なんだかバタバタしてしまい、かつツイッターのほうにばかり書いていたこともあって、
ブログの更新が滞ってしまった。遅くなってしまったが、そして今も実はまだあまり余裕がないのだが、
先月末にはあいちトリエンナーレで『ローザス・ダンス・ローザス』、
今月頭に彩の国さいたま芸術劇場で『ドライアップシート』を観たので、書いておこう。
どちらもベルギーの振付家アンヌ・テレサ・ド・ケースマイケルの作品だ。



『ローザス・ダンス・ローザス』は83年に発表されたローザスのデビュー作。
ローザスは、ケースマイケルをリーダーに、あのモーリス・ベジャールの学校ムードラで学んだ女性4名で結成された。
30年近く経った今、『ローザス・ダンス・ローザス』を観て改めて、
世界を驚かせてやろうという若き女性たちの意気込みたるや、ただならぬものであったことがうかがい知れた。
動きといい構成といい、大胆で野心溢れ、強固な自信に裏打ちされた作品なのだ。
初期作品ならではの硬質な美とガーリッシュな挑発テイストが、たまらなく魅力的だった。

映像が出ているのだが、この公演はもっとパワフルかつストイックに見えた。
ともあれミニマリスティックな動きの強度を楽しむことのできる名作である。



                       * * *

一方、『ドライアップシート』はケースマイケルが今年7月に発表したばかりの新作。



題材はマーラー作曲「告別」。しかし、こちらはすぐに動きで楽しませてくれはしない。

舞台上にいる楽団を尻目に、舞台端のケースマイケルはなんと、録音を流す。
ひとしきり流したあと、彼女は舞台に向かって説明し始める。
自分がマーラーの「告別」の録音を聞いて引き込まれたこと、
自身で歌いたくて歌の先生に相談し、呆れられたこと、バレンボイムにこの曲でのコラボを申し出て断られたこと、
それでも諦められず、シェーンベルク編曲版での上演を決めたこと……。
話し終えたケースマイケルはようやく、楽団員の演奏のもとで踊り始める。
楽団員の合間を縫うようにして移動し、時に肩や足元に触れながら踊る彼女。だが、その踊りはどこかうつろだ。

と、客席にいたジェローム・ベルが舞台上に上がる。コンセプチュアルな作風で知られるフランス人振付家だ。
実はケースマイケルは創作上行き詰まり、彼にコラボレーションをもちかけたのだった。

ベルは、ケースマイケルが最後の方で踊っていなかったと指摘する。
彼はハイドンの「告別」よろしく楽団一人一人に演奏が終わったところで舞台を去らせたり、
過渡思うと演奏が終わったところで「死ぬ」パフォーマンスを求めたりするのだが、
それは、語弊があるかもしれないが、前座というかある種の趣向というか、まあそんなところだ。

ラスト。ベルとの作業を経て、ケースマイケルが最終的にたどり着いたかたちとは…

ピアノの伴奏に合わせ、自身で歌いながら踊ること。
彼女が到達したのは、歌いたいと願った曲でシンプルに踊ることだったのだ。

彼女の歌は決してうまくないし、踊りも磨き抜かれた振付というより気持ちの赴くまま自由に伸びやかに繰り広げられた雰囲気。
結局のところ、バレンボイムの「マーラーの『告別』は踊りに向いていない」という指摘も正しかったと思われる。
この作品の価値は、出来上がったみると、踊りそのものの高揚感や感動ではなく、
一人の芸術家が創作にあたる姿勢・過程をつまびらかにしたことへと変わっていたと言えるだろう。
                       * * *

『ローザス・ダンス・ローザス』であれほど徹底的に踊りの美学を追求したケースマイケルが、
今、踊りへの迷いや試行錯誤を明らかにしながら最後はシンプルに歌い踊る『ドライアップシート』を発表した。
そのことに、深い感慨をおぼえずにはいられない。
もちろん彼女は今後も、シャープな動きいっぱいの作品をも作っていくのだとは思うけれども。

ともあれ、この2作をほぼ同時期に鑑賞することができたのは幸運であり、
芸術家の創作について考える上でも、大変に示唆的な体験であった。

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NBS NEWS 小林十市インタビュー

2010-11-02 00:18:04 | 執筆
日本舞台芸術振興会(NBS)の広報紙「NBS NEWS」vol.285 にて、下記の執筆をしています。

■小林十市 インタビュー

モーリス・ベジャール・バレエ団を03年に退団後、俳優として活動してきた小林十市さん。
ベジャールが93年、三島由紀夫を題材に振り付けた『M』のオリジナルキャストである彼が、
今年末、『M』再演で7年半ぶりにダンサー復帰。その心境を語っていただきました。

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