劇場彷徨人・高橋彩子の備忘録

演劇、ダンスなどパフォーミングアーツを中心にフリーランスでライター、編集者をしている高橋彩子の備忘録的ブログです。

ネクスト・シアター『真田風雲録』&新国立劇場『ヘンリー六世』第三部

2009-10-30 02:45:59 | 観劇
昼はさいたまネクスト・シアター『真田風雲録』@彩の国さいたま芸術劇場、
夜は新国立劇場『ヘンリー六世』第三部@新国立劇場中劇場をハシゴで観る。
(上演が押した関係で移動がギリギリ・・・ちょっと慌てた)。



『真田風雲録』は蜷川幸雄率いる若手たちの集団の第一回公演となる。
通常は舞台として使うスペースの半分ほど?に“客席”を作り、
舞台スペースの残りおよび普段の客席が“舞台”となっていて、
観客は裏かに回り込んで客席に着く。「インサイド・シアター」の名がついたらしい。

■泥まみれの若者たち

三方の客席に囲まれた四角い舞台空間には、1.7トンもの泥が敷き詰められている。
俳優たちは泥にまみれ、足元をすくわれそうになりながらの演技を余儀なくされる。
蜷川の(視覚的な意味以外での)意図は明らかだ。
演技経験の浅い俳優たちの動きは泥によってフォローされるし、
泥と格闘しながら演技する経験自体も恐らく温室育ちの多い若者には有意義だろう。

若き俳優たちは泥の中、慣れない和装・甲冑姿で、大いに健闘している。熱気ある舞台だ。
ただ彼らが、一本調子でない演技をどこまでできる(ようになる)か、
俳優としての知性と肉体をもつものか、まだわからない。

■戯曲に見る時代性、そして若さということ

さて、この戯曲は福田善之による、62年初演の戯曲。安保闘争を背景としている。
舞台を戦国にしつつ政治の季節を描いたものといえば、
清水邦夫の『幻に心もそぞろ狂おしの我ら将門』などが思い出されるが、
清水のそれが70年代に書かれ、闘争の挫折と苦々しさを色濃く示したのに対し、
福田の戯曲は60年代初頭ということも手伝ってか、
不毛さを味わいつつも全体には若々しく前途をみつめているような青春群像劇である。
演じる俳優たちの若さを鑑みて選ばれた戯曲であることは言うまでもない。

全体的にいつもの蜷川印がそこここにあり、蜷川演出としての新しさはないが、
サービス精神旺盛な舞台に仕上がっていて、客席の反応も良かった。

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コンパクトな空間で文字通り泥臭いドラマが展開した『真田~』に対し、
『ヘンリー六世』は中劇場のだだっぴろさを敢えて生かした、
開け放しに近いイメージの舞台装置での上演だった。

■空虚さを描くドラマ

とくにこの三部冒頭は王の敗北→廃位というところから始まることもあって、
雪原のように白く時代を限定しない装置が、寒々しく感じられ、現実感が希薄だ。
席が上手寄りだったのだが、上手には池があって演じ手は下手寄りにいたから、
余計に距離を感じたのかもしれない。

浦井健治演じる王ヘンリーは浮世離れした繊細な雰囲気。
時折、滑舌が気になったものの、一種独特の存在感はある。
ヨーク公・渡辺徹やマーガレット・中嶋朋子、リチャード・岡本健一らの長台詞があり、
大きな聴かせどころになっていた。
舞台全体も物語が進むにつれ、熱っぽい愛憎のドラマの様相も呈していた。

■なんだか不思議な鵜山演出

しかし、鵜山仁の演出というのは、私にはどこか不思議だ。
先程、時代を限定しないと書いたが、完全に無機質/抽象的なわけではなく、
蓄音機、ミラーボールなどが唐突に登場するほか、
かの名曲『オーバー・ザ・レインボー』が幾度も流れる。
挙げ句、“太陽が三つ現れる”場面で本当に作り物の太陽を吊ったのを見るに至って、
リアルでないことが狙いなのだろうなあと改めて思った。

かといってオペラの読み替え演出のように別の世界へ置き換えているのとも違う。
おもちゃのように軽々しく移ろう王冠の空虚さ・軽さに焦点を当てた結果だろうか?

照明や音・音楽のタイミングにもなんとなく違和感をおぼえたのだが、
好みというか、センスの違いなのだろうか。
自然に客席から笑いがこぼれる場面もあり、趣向もいろいろ凝らされているけれども、
「さあ、どうだ!」とこけおどし的(?)に見せないのが鵜山美学なのかな。

               * * *

それにしても『真田~』では横田栄司ら、『ヘンリー~』では渡辺徹や今井朋彦など、
文学座員の活躍が目につく一日(三部では登場の少ない木場勝己の
一瞬ながら観客の心をつかむ、味わいあふれる演技なども素晴らしかったが)。
とくに時代ものなどではやはり、一定の質と安心感・存在感を見せてくれるのだった。

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シジュフォス的な日々・・・!?/「フェスティバル/トーキョー」開幕

2009-10-27 05:48:01 | 観劇
<10月はあっという間だった。>

と、10月そのものも10月の大きな予定もまだ終わってもいないのに、あえて書く。
1週間前のことが3週間くらい前のことに思えるのだ。
10月頭なんて遠い昔のよう。

秋は公演が多く、仕事もおかげさまでいろいろと入り・・・
重なる時は重なるものだとよく言うが、まさにそんな気分。
本当はこういうのって、偶然ももちろんあるだろうし、
さらに心理の働き(バーナム効果みたいな)で実際以上にそう思い込んだりと、
幾つかの要素が複合的に作用して起こる現象なんだろうけれども。

徹夜をしたら身体中が痛く、背中の筋などは軽くツッたような感じになってしまった。
3日間くらい泥のように眠りたい...ところながら、まだ仕事が続くのだった。
今日ももうこんな時間だが(涙)、いろいろとがんばらねば。
本来なら、何を押してでも(?)取りかかるべき大切な事柄に、
一切着手していない自分が哀しい。。。。

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ま、そんな愚痴はさておき、
<演劇の祭典フェスティバル/トーキョーも開幕。>

芸術の秋は楽しく、そして(通うのが)ちょっとくたびれるね(笑)。
でももちろん、感動できる舞台に出会ったら疲れも吹き飛ぶ。

オープニングの維新派『ろじ式』はいつもながら装置が魅力的だが、
今回は独特の詩情が何かもう一つ、広がっていかないもどかしさも。
装置のメインに使われている「骨」に込めた思い・託したイメージが、
もっと豊かに展開するのを観たかった。過去の作品のほうが私は好きだ。

とはいえ維新派を観たことのない人なら一見の価値はあるかな、とも思う。
まあ徹夜人間の意見などアヤシイので、ぜひご自身の目でお確かめを。

 
↑維新派公演会場であるにしすがも創造舎には、すっかりそれらしい屋台が。

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江戸川乱歩の誕生日に『京乱噂鉤爪』/バレエ・リュス100周年に「バレエ・リュス その魅力のすべて」

2009-10-21 18:58:59 | 観劇
江戸川乱歩の世界を描いた“乱歩歌舞伎”第二弾『京乱噂鉤爪』@国立劇場


知らずに観たが、今日は江戸川乱歩の誕生日だったもよう。
そして、『レプリークBis』最新号特集内の伝統芸能コラムでご紹介した
中村梅丸が大いに活躍しているじゃありませんか!
(『レプリークBis』執筆↓ http://blog.goo.ne.jp/pluiedete/e/45f651a8cebbf250307bb6c235e49390

さて、内容だが、第一弾と同じくケレンたっぷりで楽しませる。
市川染五郎の、身体を張っての宙乗りも見事。

ただ、やりたいことを詰め込み過ぎたきらいも。
場面数が多く細切れな印象を受けるし、脚本的・演出的にやや盛り上がりに欠ける。
説明台詞でまとめている箇所も少なくないため、
乱歩独特の妖しい魅力が、空気として浮かび上がってこない。
俳優陣は大熱演で、装置も衣裳もよくできているだけに惜しまれた。

染五郎が長年温めて実現させたせっかくの企画。
焦点を絞ってじっくりと見せてほしかった気もする。
第三弾は、予定されていないのだろうか?
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舞踊研究家の芳賀直子氏から、新しい著書
『バレエ・リュス その魅力のすべて』(国書刊行会)が届いた。


20世紀初頭のアートシーンを席巻した伝説のバレエ団「バレエ・リュス」の
人物から作品、世界各国での受容などを多角的に記し、
断片的には有名なこのバレエ団の“全貌”に迫らんとする渾身の一冊。
写真や年譜、索引も充実している。装丁も美麗。

仕事が佳境ゆえ、まだじっくりと読むことはできていないのだが、
バレエ・リュス誕生100周年の今年、出るべくして出た本と言えそうだ。

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静謐と躍動と――観世清和の能『江口 甲之掛』&Kバレエカンパニー『ロミオとジュリエット』

2009-10-18 00:01:42 | 観劇
能とバレエ。異なる美の世界を連日、堪能する。

■国立能楽堂定例公演 狂言『文山賊』、能『江口 甲之掛』@国立能楽堂



『文山賊』は、決闘を始めるも残される家族を思って泣き、
和解する山賊たちの微笑ましい姿を描いた狂言。
野村扇丞=シテ、小笠原匡=アド。
平和へのメッセージを感じ取ることのできる佳品だ。

そして、『江口 甲之掛』は、西行と江口の遊女が和歌を贈答したことと、
性空上人が遊女を普賢菩薩として拝したこと、二つの逸話をもとにした能。
遊女・江口の君の幽霊が現れ、普賢菩薩となって消えていく。

観世清和のシテ=江口の君が、姿といい動きといい、なんとも美しい。
遊女とはいえ普賢菩薩に変わるだけあって、
艶やかというよりもどこか硬質な、静謐さと品格溢れる風情だった。
野村萬のアイ語りも重厚で、趣き十分。森常好のワキも貫録がある。

大好きな大鼓の亀井忠雄がいつもながら大熱演(最後、しんどそうなお顔…お疲れ様です)。
囃子方はこのほか、笛に一噌仙幸、小鼓に大倉源次郎と、納得の布陣だった。

■Kバレエカンパニー『ロミオとジュリエット』@オーチャードホール



熊川哲也振付版はわかりやすくスピーディーなドラマ運びで、躍動感に満ちている。
ジュリエットは、輝くような愛らしさと凛とした美しさが眩しい荒井祐子、
ロミオはノーブルな中に静かな情熱を湛えた清水健太。
確かなテクニックを誇る二人のデュエットは白眉と呼べるできばえだった。
浅田良和のマキューシオはやや幼くキュートな雰囲気ながら、爽快な跳躍を披露。

全体的にダンサーたちの見せ場が多く、非常に見ごたえあリ。
音ハメの如く(!?)、踊りと音楽が合致しているのも特徴的だ。

シェイクスピアの原作を踏まえ、物語をきちんと伝える良質なプロダクション。
最後、ジュリエットが、ロミオの飲んだ毒薬が残っていないかどうかを
確認する場面もきちんと描いていた点には感心した。
二人の恋の疾走とともに、あっという間に終演を迎えたのだった。

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『音楽の友』11月号

2009-10-17 13:05:22 | 執筆
『音楽の友』11月号(音楽之友社)


下記執筆しています。

◆ダンス紹介連載 ~マリインスキー・バレエ、ローザス《ツァイトゥング》、
キエフ・バレエ、東京バレエ団《くるみ割り人形》~

それぞれの概要と見どころを書いています。

マリインスキー・バレエは《白鳥の湖》《眠れる森の美女》《イワンと仔馬》、
そして団員たちが小品や抜粋を踊る「オールスター・ガラ」の豪華4プログラム。
ローザスは昨年の設立25周年に発表した新作を上演します。
キエフ・バレエはチャイコフスキーの三大バレエでの来日。
東京バレエ団《くるみ割り人形》にはキエフ・バレエを経て現在、
英国ロイヤル・バレエプリンシパルのアリーナ・コジョカルの客演に注目!

移動中にライオンの親子と遭遇。

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演劇集団「円」の『コネマラの骸骨』

2009-10-15 04:07:59 | 観劇
演劇集団「円」による『コネマラの骸骨』@ステージ円を観る。



アイルランド系英国人劇作家マーティン・マクドナーのリーナン三部作の一作。
円ではすでにほかの二作品、『ビューティークィーン・オブ・リーナン』と
『ロンサム・ウェスト』を上演済みだ。これで三作すべて上演したことになる。

アイルランドの片田舎リーナンに住む人々が、どこか奇妙な会話の応酬の中、
次第に愛憎の深さを浮かび上がらせてゆくさまを描いたドラマ。
マクドナーらしく、暴力あり皮肉ありどんでん返しありの芝居展開とともに、
アイルランドの貧しさや暗さといった陰影も随所に感じ取ることができる。

それでいながらステージ円ならではの緊密な空間は、
ある種の洗練を現出させて不思議と美しかった。
装置も基本はリアリズムながら、色といい質感といい実に気が利いていたと思う。

完璧とは言わないにしても、台詞・間合いや役者同士の距離感などに、
ああ、芝居ってこういうものだったよね、などと再確認。
このところ、一本調子の芝居を続けて観ていたのかもしれない。
とくに石住昭彦の味わい深い存在感や、吉見一豊の確かな演技力に惹かれた。
森新太郎の演出は土にしろ骸骨にしろ物量が多く力強い。テンポの緩急もよかった。

それにしてもマクドナーは、やっぱり面白い。
チャーミングで、異様で、どこか哀しい舞台。
笑わせながらはっとさせ、ほっとさせ、ぎょっとさせ、しんみりさせるのだ。

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ニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)来日公演

2009-10-12 02:50:36 | 観劇
ニューヨーク・シティ・バレエ(NYCB)A・B・Cプロ@オーチャードホールを観る。


いろいろと思いは尽きないのだが、今日のところは手短に。

バランシン作品は「抽象バレエ」「プロットレス・バレエ」と呼ばれる。
それはその通りなのだが、ちょっとしたドラマもそこここに挿されている。
それが先鋭的な動きとあいまって、独特な魅力を作っているのだと思う。

ところで、Cプロの『ウエスト・サイド物語』で
リフ役を務めたアンドリュー・ヴェイエットが、
身のこなしといい、「クール」の歌といい、カーテンコールでの
Tシャツの着こなしといい(!)、なんだかとてもカッコよかったが、
第二のアダム・クーパーのようになったりはしないかしら?

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梅若会「至高の華」~梅若玄祥と友枝昭世の豪華共演~

2009-10-10 02:22:44 | 観劇
梅若六郎改め玄祥による「至高の華」@宝生能楽堂。



最初は野村万作、萬斎による狂言『舟渡聟』。

野村萬でも、そして万作でも何度か見ている演目だが、
萬斎が出ていると、どこか近代的なリアリティーが増す。
万作の船頭が船を揺らすところでの、萬斎演じる婿の動きに驚いた。
腕をあそこまで大きく右に左にとばたつかせる演技は初めて観た気がするが、
正面二列目という至近距離ゆえだろうか?
脅して酒を奪った相手が自分の婿だと知った船頭の狼狽ぶりは何度観てもおかしい。

そして能『竹生島』。今回は「女体・道者」という小書きでの上演だ。

竹生島参詣を思い立った大臣(宝生閑)が、釣舟を見つけて同船を乞う。
船には漁翁=シテ(梅若玄祥)と蜑女=ツレ(梅若靖記)が乗っている。
ともに竹生島に着くと蜑女も降りるので、大臣が島は女人禁制のはずだと訝しむと、
漁翁は「島に祭られている弁才天は女体の神なのだ」と告げ、
蜑女は社檀の中に、漁翁は波間に消える。

ここで間狂言が入るのだが、「道者」の小書きに拠るもの。
女道者と男道者が2名ずつ現れ、萬斎扮する能力から竹生島の由来などを聞くと、
女道者が男道者を肩車して、全員で謡いながら去っていった。
女体である弁天が男神を頭に乗せていることに倣ったかたちだそう。

やがて社檀が鳴動し、光り輝く姿の女体の弁才天=天女が現れる。
本来、蜑女の後ツレなわけだが、今回は梅若玄祥が勤めた。
さらに波間から龍神が登場。漁翁の後シテだが、こちらは友枝昭世。
これが、井伊直弼の希望で作られた「女体」という小書きに基づくもの。
ただし、完全にシテとツレが入れ替わるのが従来の「女体」のようなので、
今回はさらなる変則ヴァージョン?

玄祥扮する天女の舞いは、たたずまいはたおやかなのだが、
西洋的なステップを踏むようにリズミカルなところなど可愛らしい。
しかし、昭世の龍神が現れると、一瞬にして空気は張り詰めた。
龍神は勇壮に舞い、突風のように去って行った。あっという間だったがさすがの動き。

この二人の共演を観たのは能楽観世座の『大原御幸』以来。
短い時間ではあったが、名シテ方二名が並んでいるさまは、歌舞伎のように華やかだった。

「至高の華」の公演名にふさわしい能を堪能したあとは、美味しいものに舌鼓。

馬刺しとか

 サツマイモアイスと栗の“モンブラン”とか

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『シアターガイド』11月号/映画『ベジャール、そしてバレエはつづく』

2009-10-02 00:00:42 | 執筆
『シアターガイド』11月号(モーニングデスク)  


以下、執筆しています。

■井上芳雄&石原さとみ対談/栗山民也インタビュー

井上ひさし書き下ろしによる舞台『組曲虐殺』で小林多喜二を演じる井上芳雄さんと、
その恋人タキ役の石原さとみさん、そして演出の栗山民也氏にお話しいただきました。

■バレエダンサー マニュエル・ルグリ インタビュー

5月にパリ・オペラ座を定年退職したエトワール、マニュエル・ルグリ氏。
彼のこれまでと今の心境、そして今後とは――?

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映画『ベジャール、そしてバレエはつづく』試写を見る。


ベジャール逝去後のベジャール・バレエ・ローザンヌを追ったドキュメンタリー。
新芸術監督ジル・ロマンの姿がなんとも興味深い。
映像の編集の仕方はあまり好みでなく(やや作為的かつステレオタイプ)、
字幕もところどころ正確さに欠けるが、内容的に貴重なのは確か。

詳しくは、機会を見て書きたいと思います。

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