浅野内匠頭が江戸城(殿中)で刀を抜いて吉良上野介への刃傷に及び、切腹を命じられる。
浅野の家臣・大石内蔵助らは苦難の末、吉良を討って主君の仇を取る・・・
江戸時代から今に至るまで高い人気を誇っている“忠臣蔵”の世界。
もちろん実話に基づいているが、大筋は『仮名手本忠臣蔵』に原型があると言っていい。
ただ、世に流布する“忠臣蔵”のイメージでは圧倒的に吉良上野介の分が悪く、
浅野内匠頭は潔癖な人物とされることが多いけれど、
『仮名手本忠臣蔵』では「かほどの家来を持ちながら、浅きたくみの~」などと
浅野を皮肉りながら赤穂浪士たちの義士ぶりを惜しんでいる。
では、昭和9年に初演された真山青果の『元禄忠臣蔵』ではどうだろうか?
06年に国立劇場が、三ヶ月かけて完全上演したことも記憶に新しい演目だが、
今月の歌舞伎座での通し上演(半通し)では、
殊に片岡仁左衛門が内蔵助を演じた『仙石屋敷』の場面が興味深かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/c0/b7a0044032686d3b55c6b8ccbe89fb1f.jpg)
『仙石屋敷』では討ち入り後、内蔵助をはじめ赤穂浪士たちが仙石伯耆守にその真意を語る。
伯耆守は、浅野内匠頭に切腹を命じたのは幕府なのだから上野介を討つのはおかしいのではないか、
それは結局、天下にたてつく行為なのではないかと糾弾する。
すると内蔵助が「主持つ者のこころ」と称し、
「恐れながら、その御批判は、天下御役人さまの思し召し違いかと存じます」に始まる返答を展開。
今回は仁左衛門の巧みきわまりない台詞回しによって
内蔵助が微に入り細を穿って周到に説明するさまが、明確なものになっていた。
要点をかいつまんで書くと、内蔵助の主張はこうだ。
――確かに殿中で主君・浅野が刀を抜いたことは短慮である。
ただし、そんな明らかな愚行に出た主君には、相応の理由があったのに違いない。
「家を捨て身を捨て、家中を捨てても斬り伏せたい一念であったと心得ます」――
その思いを、家臣である自分たちは引き継いだのだと、内蔵助は切々と語る。
浅野の人柄や刃傷の動機といった次元を超えた、絶対的な肯定。これはもはや愛だろう。
また、江戸のまちで徒党を組んではならないという禁を犯した点については、
同じ意思を持った者が自然に集って行動を起こしたのだから、
自分たちを徒党ではなく一人の人間と考えてもらいたい、と述べる。
ちなみにここでの伯耆守によって、300人以上いたはずの赤穂浪士が
最終的にはわずか47人であった現実も指摘されるが、
その際の内蔵助の、嘆きもせず取り繕いもしない姿勢がまた泣かせる。
真山青果は「マルクス主義者」を自認していたという。
彼の「マルクス主義者」の意味するところを私は正確に知らないのだが、
その言葉に、社会や人間のあるべき姿への思いがあふれているのは確かだ。
それらは直截的で、つまり説教くさいとも取れるのだけれど、
仁左衛門のような優れた演じ手を得れば文字通りダイレクトに胸を打つ。
改めて、書き手が熱い気持ちを込めた言葉の強さと、
そうした言葉が発語された際に持ち得る力を痛感した。
浅野の家臣・大石内蔵助らは苦難の末、吉良を討って主君の仇を取る・・・
江戸時代から今に至るまで高い人気を誇っている“忠臣蔵”の世界。
もちろん実話に基づいているが、大筋は『仮名手本忠臣蔵』に原型があると言っていい。
ただ、世に流布する“忠臣蔵”のイメージでは圧倒的に吉良上野介の分が悪く、
浅野内匠頭は潔癖な人物とされることが多いけれど、
『仮名手本忠臣蔵』では「かほどの家来を持ちながら、浅きたくみの~」などと
浅野を皮肉りながら赤穂浪士たちの義士ぶりを惜しんでいる。
では、昭和9年に初演された真山青果の『元禄忠臣蔵』ではどうだろうか?
06年に国立劇場が、三ヶ月かけて完全上演したことも記憶に新しい演目だが、
今月の歌舞伎座での通し上演(半通し)では、
殊に片岡仁左衛門が内蔵助を演じた『仙石屋敷』の場面が興味深かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/c0/b7a0044032686d3b55c6b8ccbe89fb1f.jpg)
『仙石屋敷』では討ち入り後、内蔵助をはじめ赤穂浪士たちが仙石伯耆守にその真意を語る。
伯耆守は、浅野内匠頭に切腹を命じたのは幕府なのだから上野介を討つのはおかしいのではないか、
それは結局、天下にたてつく行為なのではないかと糾弾する。
すると内蔵助が「主持つ者のこころ」と称し、
「恐れながら、その御批判は、天下御役人さまの思し召し違いかと存じます」に始まる返答を展開。
今回は仁左衛門の巧みきわまりない台詞回しによって
内蔵助が微に入り細を穿って周到に説明するさまが、明確なものになっていた。
要点をかいつまんで書くと、内蔵助の主張はこうだ。
――確かに殿中で主君・浅野が刀を抜いたことは短慮である。
ただし、そんな明らかな愚行に出た主君には、相応の理由があったのに違いない。
「家を捨て身を捨て、家中を捨てても斬り伏せたい一念であったと心得ます」――
その思いを、家臣である自分たちは引き継いだのだと、内蔵助は切々と語る。
浅野の人柄や刃傷の動機といった次元を超えた、絶対的な肯定。これはもはや愛だろう。
また、江戸のまちで徒党を組んではならないという禁を犯した点については、
同じ意思を持った者が自然に集って行動を起こしたのだから、
自分たちを徒党ではなく一人の人間と考えてもらいたい、と述べる。
ちなみにここでの伯耆守によって、300人以上いたはずの赤穂浪士が
最終的にはわずか47人であった現実も指摘されるが、
その際の内蔵助の、嘆きもせず取り繕いもしない姿勢がまた泣かせる。
真山青果は「マルクス主義者」を自認していたという。
彼の「マルクス主義者」の意味するところを私は正確に知らないのだが、
その言葉に、社会や人間のあるべき姿への思いがあふれているのは確かだ。
それらは直截的で、つまり説教くさいとも取れるのだけれど、
仁左衛門のような優れた演じ手を得れば文字通りダイレクトに胸を打つ。
改めて、書き手が熱い気持ちを込めた言葉の強さと、
そうした言葉が発語された際に持ち得る力を痛感した。