紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

私の大好きな詩 「祝婚歌」

2005-08-17 16:25:59 | 15・心に残ること
私の大好きな詩です。

時々、ここへ立ち返る。
そして、自分を反省する。
誰かを傷つけてはいないかと。
(誰かとは私のまわりの全ての人です)
完璧な人間なんて、どこにもいない。


「祝婚歌」 吉野弘

ふたりが睦まじくいるためには
おろかでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちのどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
お互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
うたがわしくなるほうがいい

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光りを浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら、
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そして
なぜ胸があつくなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

<風吹くと>の中から

ふたたび奥山貴宏さんのこと

2005-08-16 10:18:57 | 13・本・映画・演劇・音楽など
先日、このBlogに奥山さんのことを書いた。

その時にも書いたTV・ドキュメンタリー「オレを覚えていてほしい」が再放映されるそうである。

★ 8月28日(日)26時 (翌午前2時)~27時31分  NHK総合

   詳細は、奥山さんのBlog「32歳ガン漂流エヴォリューション」参照

あれから、私は奥山さんの本を二冊読んだ。(写真)
まだあと二冊読んでから、感じたことを書こうと思う。

今日書きたいのは、奥山さんのテレビを見て、『週刊新潮』(8月11・18日夏季特大号)に連載された「人間自身」というコラムの No.113「見られて死にたい」についてである。
著者は池田晶子さん。

私は今までこのBlogに、誰かの批判を書いたりするのは避けようと思っていた。
けれど、今回だけは、書こう。

池田さんの「見られて死にたい」は、全てを否定しているのだ。
奥山さん自身を。奥山さんの生き方を。奥山さんがブログを通じて発信した心の叫びを。その叫びを受け止めた人たちを。その人たちとの交流を。

 三十一歳で癌で亡くなった青年が、二年後に亡くなるまでの風変わりな闘病生活を、ドキュメンタリーで放映していた。
 何が風変わりかというと、その間の生活や心境の逐一を、ネットで広く報告するのである。私は知らないが最近では、ブログなる形式によって、人々は個人の日記ようのものを不特定多数の人に向け、発信するようになっているらしい。この人の試みもそのひとつなのだろう。
 そもそも私は、個人のあられもない内面を、得体も知れない誰かに吐露したいというその心性が、理解できない。気持ちが悪い。……後略。
        (『週刊新潮』(8月11・18日夏季特大号)「人間自身」より抜粋)

池田さんがどうしても、テレビのドキュメンタリー番組を見た時に感じた違和感を言葉にしたいなら、せめて奥山さんのブログ、著作に触れて全て理解し、その上で批判を構築するべきではなかったか。

実際にテレビで見た時と、本を読んだ後では、奥山さんの印象はかなり違っている。
テレビに映ることに慣れていない人は、テレもあるし、ふだん以上に自分というものをアピールしてしまうものである。本では、もっと淡々と日々の生活を書きつづっている。

「気持ちが悪い」(誰かを、何かを批評するのにこんなに理解しずらい、不愉快な言葉を使う人に出会うことも珍しい)と思って、近づくこともできなかったなら、何も見ないで通り過ぎればよかったではないか。

人が一生懸命に生きたことを批判する権利など、誰にもありはしない

「BLOG FRIENDS」を応援してます!

2005-08-15 11:44:41 | 12・Blog・PC・カメラ・家電など
20年近く、子供のための本を書き続けている。
その前10年は、どこに発表するというのでもなく、誰が読んでくれるといういう当てもなく、書き続けていた。

そんなこんなで、30年近く、とりあえず書いているわけだけど、今もって満足がいくものが書けた、と思ったことがない。
その時書いているものは、その段階では、ベストと思って、いろいろな出版社の編集者に見てもらう。
が、本になり、数年して読み返すと、あーあ、もっと別の表現があったかなあと思う。
しかし、後になっても、やはりそれが最高と思ってしまえば、進歩もないわけだ。
そう考えると、ダメだなあと思う分、少しずつは進歩しているということか。

でも、自分の書いたものが本になった時というのは、何度経験しても、自分の人生でこれ以上幸せな瞬間はないと思う。
それまでは自分の頭の中にあっただけの世界が、他の人も訪れることのできる世界に変わるのである。


<ここからが本題>
去年の夏、gooのブログ仲間が集まり、「BLOG FRIENDS」という同人誌を作ったのを知った。
今年の夏には、「BLOG FRIENDS #3」が出た。

その同人誌を読んではいないけど、ブログを通じて、同人グループを作るというのは、おもしろい試みだなあと思っていた。

編集長をしているのは、発起人の二瓶さん。
同人誌をまとめるのは、私も経験があるけれど、ものすごくエネルギーがいる。
時として、そのエネルギーに、創作に向けるエネルギーが吸い取られてしまうと思うこともあるほどだ。
1年前からずっと、二瓶さんのBlogや、他の人のBlogを読み続けていた。
それで、今回どうしても一言、応援メッセージを送りたくて、記事にしてみた。

作品については、発表が終わりの時ではないので、それぞれで批評しあい、次の作品にそれを生かせるといいのではと思う。
書けば書くほど、文章はうまくなっていく。
何度も書き直すことで、作品の質は高まる。
それと、作家になるのをあきらめないことが大事だと思う。
現代人の生活は忙しい。
昔は、書くという、ただそれだけのことに、もっと集中できた。
けれど、今は書くことにおけるプロでない以上、自分の仕事があり、生活があり、そして、Blogを通じて同人誌を作っていたくらいだから、Blogを書いたり、ネット接続にも時間をとられる。
それらをバランスよく配置して、生活していかないと、書くことがおろそかになってしまう。
いかに集中して書く時間を確保するか。というのも、とても大事かと思う。

みなさん、これからもガンバッテ書いていってください!!

ps) 以上の文章は、参加者何人かのBlogを読んで、作家を目指している人たちだと思って書いたのだけど、中にはあてはまらない方もいらっしゃると思います。ご容赦ください。
近いうち、「BLOG FRIENDS #3」を購入して読みます。


◆トラックバック
  二瓶幻想研究所 戦略企画室の「コミックマーケットに登場! BLOG FRIENDS #3 」
  jump in the boxの「塩饅頭」
  ★ うむむ。★ 『BLOG FRIENDS #3』出版のご案内です

ネットが好きか、紙媒体が好きか

2005-08-14 12:56:34 | 2・仕事の周辺
私は、インターネットが好きである。
だからこそ、1年以上もBlogを続け、友人やら、Blogを通じて知り合った人との交流を楽しんでいる。

でも、一方で、紙媒体も好きだし、私には必要なものである。
一応本を出版するのを仕事としていることもあるけど、もしそれが仕事になっていなくても、本という形で、大事な文章は読みたい。
これは、今よりももっとインターネットに親しむようになったとしても、変わらないだろうと思う。

表紙、装丁、子供の本だと挿絵、活字の大きさ……etc。
編集の人やら、デザイナーさんやらが、その本に一番よいと思う形で、仕上げてくれる。
仕上がった本の中には、一つの世界が、詰まっているなあと感じる。

その世界に足を踏み入れたくて、扉をあけ、本を開く。
少しずつ読み進める。
読み終わったところに、大事なしおりをはさんでおく。
ああ、四分の一読んでしまった。
というのを本の厚みから、確認する。
早く読み終わりたい気持ちと、終わってしまうのが惜しい気持ちと。

いくらネットで、ただでいい文章が読めたとしても、この幸せな気持ちは放棄できない。

大学仲間との集い

2005-08-13 06:30:54 | 20・日々のできごと
先日、10日の水曜日、大学のクラス会があって、久しぶりに参加した。
年に何回か集まっているのだけど、たいてい開かれるのが土曜か日曜なので、ふだんめったに参加できない。
土、日は、この5年ほど、山に登りにいっているか、母(父)の介護をしているかどちらかで、それ以外に何かする時間は、ほとんどとれないのである。

もしかして差し障りがあると困るので、載せるのは小さい写真にしよう。
かなりの人が現役の小学校の教師か大学の先生をしている。
遠くは、名古屋から来た人もいて、盛り上がった。

大学仲間と会うと、必ず思うのは、いつかもこのBlogに書いた、私自身の「使われなかった人生」のことだ。
私も短期間小学校の教師をしていたことがあるが、分岐点というものがあって、こちらの人生、つまり子どもの本を書く人生を選んだのだ。もしそこで、「あちらの人生」を選んでいたら、というより、「こちらの人生」を選ばなかったら、自然の流れとして、おそらく今も小学校の教師を続けていたのだろう。

一気に大学時代にもどって、みんなと話しをしていると、誰にもみな、分岐点があったんだなあというのがわかった。
「仕事」というのも、大きな選択だけれど、大学時代というと、もう一つ「結婚」という大きな選択もあったのだ。実際にその課では、同級生どうし結婚したカップルが3組いた。
でも、そういう人たちは、案外出席しないもので、来ているのは、もしかしたら結婚するのかな、なんて思っていた人たちかも。
……なんて、書いちゃまずいか。だから、写真は小さいのにしたのだけどね。(笑)

その日は、そんな話しでも盛り上がり、久々にたのしい一夜を過ごした。
来春は、このBlogにも書いたことがあるが、仲間の一人、沖縄離島に住んでいるTちゃんを訪ねて行こうと話しになり、日程まで決まった。
3月25日~28日頃までの予定。

セミ、セミ、セミ・・・

2005-08-12 07:01:06 | 20・日々のできごと
きのうは、4週間に一度の母の診察の日だったので、高井戸のY病院にいった。
母は来週まで、同じ敷地内にある施設で、ショートステイさせてもらっているので、姉と一緒に母を迎えにいってから、病院に移動した。

そこは公園のように広大な庭が広がっている。
大木もあちこちにあるせいか、四方八方からセミの鳴き声が響いてくる。

診察など全部終わり、やれやれと思って、外に出てきたら、姉が地面にたくさんの穴があいているのを見つけた。
「これ何だと思う?」

蟻の穴よりは、だいぶ大きい。

(私の足とくらべてみてね)


えー、何かなあと思って、すぐ近くの泰山木を見上げると、



うわーーーーー、たくさんのセミの抜け殻。


その近くの電柱にも、
隣の松の木にも……、


山ほどのセミの抜け殻。

土の中で7年間(だったか?)過ごしたセミが、きっとこの穴から出てきて、木や電柱に登っていって、羽化したのだろう。
デジカメを持っていなかったので、携帯で撮ってみた。


注)トップの写真は初夏に写したY会の庭

南アルプス縦走(荒川三山~赤石岳)その5

2005-08-10 06:14:56 | 3・山の日記
「動画を見る」をクリックすると、今回登った山、荒川三山~赤石岳までの山々が見られる。
写したのは、赤石岳登頂後、赤石小屋まで下る途中。最後に全ての高山が見渡せる富士見平。
ただし、午後だったので、雲がわいていた。


■8月6日

最終日である。
山小屋で朝食を食べた。あったかいご飯とみそ汁を食べると元気がでる。やはり余裕があれば、小屋で食べたい。
そして、5時45分に小屋をあとにして、ひたすら、ふもとのさわら島を目ざした。

ようやく、下に着いたのが8時50分。
登山口とさわら島の看板のところで、記念撮影。

 

シャワーを浴びて、生ビールでカンパイ!!いつもカンパイばかりしているグループなのだ。(笑)

それから、また延々とバスに乗り(途中静岡に行くバスが30分もこないというハプニングもあったが)、また都会に帰ってきた。
バスでは、行きのバスで一緒だった人や、さわら島の山小屋で会った人と再会。お互いのコースなどを教えあったりして、話しが弾んだ。

ああ、今年の夏山も終わった。
来年はどこに行くかなあ。

◆南アルプス縦走(荒川三山~赤石岳): 計画表 その1 その2 その3 その4 その5

南アルプス縦走(荒川三山~赤石岳)その4

2005-08-09 06:46:15 | 3・山の日記
■8月5日後半

荒川三山の後は、下に小さく見える荒川小屋目ざして、下りに下った。



そして、ようやく9時50分に荒川小屋に着いた。昼ご飯を食べたり、水を補給。

そこからは、その日の行動の後半戦である。

これから登ろうとしている小赤石が、前方にそびえている。
うーん、高いし遠い。
その向こうには、さらに高度のある赤石岳。

こんな時には、余計なことを考えずに、ただ足を動かして1歩ずつ進んでゆくしかない。
Nリーダーのあとに、黙々とついていく。


その日一番苦しかったのが、小赤石の登りだ。ジグザグにつけられた道を登って行く。
でも、ここさえ登れば、その日の大変な登りはほぼ終わりになる。

ようやく登り切ると、さわら島にゆく分岐点で、リュックをおろし、空身で赤石岳を目ざした。




そして、ようやくその日の最後のピーク赤石岳の山頂(3120m)に立った。
少し雲が出ていたが、天気は上々。


また分岐点にもどった。
時間はすでに、1時半。その晩泊まる予定の赤石小屋までは、まだ2時間半はかかる。

4時までに小屋に入らないと食事を頼めないかもしれないというので、一番体力のある、フルマラソンランナーのU氏(写真)が一人で、先におりてくれることに。

猛スピードでおり、なんと3時前に小屋に着いたとのこと。
他5名はゆっくり下ったが、それでも、4時少し前には小屋にたどり着いた。

そうして、長かった一日が終わった。
(食事は、実際には、4時過ぎても頼めたことがわかった。)

◆南アルプス縦走(荒川三山~赤石岳): 計画表 その1 その2 その3 その4 その5

南アルプス縦走(荒川三山~赤石岳)その3

2005-08-08 09:22:21 | 3・山の日記
■8月5日前半

前の晩、かなり雨が激しく降っていたが、夜中には星が出ていたそうで期待がもてる。
流れ星を4っつ見た人もいたり、人工衛星が動くのが見えたという。残念なことに、私が起きた時は深い霧だった。

その日の行動は12時間。
3時過ぎには起きて、4時に千枚小屋を出る。

ご来光を見るため、急いで千枚岳(2879m)目ざして登って行く。
そして、頂上。
寒いので上着を出して、しばらく待つ。
すると、太陽が顔を出した。



ああ、またこんなにすてきな太陽に出会うことができた。
毎年山には行くけれど、なかなか日の出は見られない。今回見られたのは、ほんとラッキーだった。

山頂は360度展望がきいて、すばらしい。富士山やら、今年5月にいった甲斐駒、仙丈ヶ岳や、鳳凰三山まで見渡せる。

その後は、朝日を浴びながら、手前の丸山(3032m)を越えて、荒川三山の最高峰悪沢岳(東岳)を目ざした。

 

急な岩稜を下っていくと、タカネビランジ、マツムシソウ、タカネナデシコなど、いろんな花が咲いている。



悪沢岳(3141m)のピークで、写真を撮ってもらう。空が真っ青。
その後は、中岳(3083m)、前岳(3068m)と、つぎつぎに3000m級の山を越えてゆく。

前岳を過ぎると、そこからは一気に下る。南アルプス最大というお花畑の道を行く。



こんなに下れば、また後で同じだけ登るなあと思いながら、どんどん下った。

◆南アルプス縦走(荒川三山~赤石岳): 計画表 その1 その2 その3 その4 その5

南アルプス縦走(荒川三山~赤石岳)その2

2005-08-07 14:45:39 | 3・山の日記
今回、ホイッスル山の会がたどった道筋は、さわら島のロッジに1泊した後、この地図で、右回りにぐるりと回って、千枚小屋に1泊、翌日は、赤石小屋に1泊。そして、またさわら島へと帰ってきた。

逆回りの人もいて、途中で、「ロッジで一緒でしたよね」と挨拶しながら、すれちがう。

■8月4日 

さわら島のロッジで朝食を食べ、6時に出発する。
その日は、ほぼ6時間歩けば、千枚小屋に着けるということで、そう大変ではないが、標高差は1600mもある。
ここ(写真右)からスタート。


吊り橋を渡って(チョー楽しい!)森の中の道を歩いていく。

途中休みながら、登ってゆくが、上を見上げるとどこまでも、単調な道が続いている。

ようやく、夏の雲と一緒に高山が見えた。真っ青な空に白い雲が浮かんでいる。



「水場までもうすぐですよ」と、すれちがった人にいわれるが、なかなか着かない。
ようやく着いたところで、静岡の「トム・ソーヤー」のグループと出会った。元気のいい小・中学生たちだ。
こんなに雄大な山に、みんなで登れたら、さぞ思い出深い夏休みになるだろう。
みんなで、水を補充。冷たくておいしい水だった。

また単調な樹林帯を登っていく。

千枚小屋に着いたのは、12:30。標高2610m。
まわりにお花畑が広がっていて、気持ちのいい場所だ。



可憐なたくさんの花が、それまでの疲れを癒してくれた。
いつもこの花に出会えると、高山に登ってきてよかったなあと思う。
左からハクサンフウロ、クルマユリ、ゴゼンタチバナ。




早速ビールでカンパイ! U氏が持ってきてくれたパスタを作って、みんなで分け合って食べた。
でも、後で考えると、かなり標高が高いので、飲むのをよせばよかった気がする。
しばらくして、頭痛がおき、その日は、夕飯もあまり食べられなかった。

天気も、夕方になると下り気味になり、とうとう大雨が降ってきた。
翌日は、3000m級の山を6山踏破する予定だ。
高山のために、体調もイマイチだし、天気も悪くなって、どうなるんだろうと思いながら、6時半にはもう寝た。

◆南アルプス縦走(荒川三山~赤石岳): 計画表 その1 その2 その3 その4 その5