紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

野川公園

2011-09-17 15:54:33 | 2・仕事の周辺
今日は、午前中用事があって、自転車で野川公園にいった。
ふだん、散歩したり、よく通るのだけど、今回は、わりとくまなく公園内を歩いた。




自然観察センターや、自然観察園の方にもいった。







クリック ↓  拡大。



赤や白の彼岸花がたくさん咲いていた。







我が家からこんなに近くに、こんなに広大ですてきな公園があるというのは、ありがたいことだ。

川に入って、楽しそうに遊んでいる子ども達もいた。




バーベキューをしている人達もたくさんいた。


今日は、暑いので、これにスポーツドリンクをいれていった。




私や、まわりの人はこれを「ポット」と呼んでいたのだけど、これは正確にはポットとはいわないことが、昨日仕事の打ち合わせの時に知った。
ポットというのは、持ち手がついていて、湯とかいれて注ぐもののことをいうらしい。

バックカントリースキーに行く時には、「テルモス」といっている。

では、なんというかというと、「ステンレスボトル」とか「保温水筒」
でも、保温水筒なんて言葉、今までに聞いたことないなあ。


雑誌「東京人」

2011-04-05 06:45:08 | 2・仕事の周辺
「東京人」5月号(都市出版(株)刊)に、巻頭エッセイを書かせて頂きました。

「東京点画」というコーナー。




編集のKさんから依頼を受けたのだけど、Kさんは子どもの頃、私の本の読者だったそうである。
そして、最近はブログを見てくださって、テーマは自由だけど、できれば、調布か野川について書いてくださいといわれた。
結局、書き始めたら、野川ではなくて、子どもの頃から続いている、「歩くこと」と「多摩川」をめぐる話しになった。

子どもの頃の読者の方から、大人になってそういう形で原稿を依頼して頂いたのは初めてなので、とても嬉しく、楽しい仕事だった。
それというのも、そろそろ始めて7年目になろうとしているブログのおかげかな。


2回目の計画停電

2011-03-18 06:09:43 | 2・仕事の周辺
昨日は12:30~15:15 くらいまで停電した。

その日の朝、宅急便で受け取った原稿の校正は、来週になってから、ゆっくりやるつもりだった。
ところが、停電でパソコンが使えなくなったので、急遽それをすることにした。
校正で使うのは、赤ボールペンと、シャープペンだけ。
こんな時、文明の利器は、ほんとうに弱いのに、昔からの道具は使える。

おまけに、停電中で、電話もテレビもパソコンもダメとなると、ほんとうに静か。集中できる。
ふだんはパソコンを開いていても、ニュースが気になって見たり、メール受信した音が鳴ると、メールボックスを開いたり、そんなことばかりしている。
昨日は、いつもの倍くらいはかどったのではないだろうか。
ふだん、いかに気を散らしながら仕事をしているか、よくわかった。(汗)

都内の宅急便も時間がかかるような情報があったが、前日の夕方送ってくれて、翌朝には着いていた。かなり早かった。



日本児童文学・2011年1-2月号

2011-01-11 17:32:24 | 2・仕事の周辺
今年最初の、日本児童文学者協会が出している「日本児童文学」という雑誌が送られてきた。

いいなあ。長谷川知子さんの表紙。
真ん中で、眼鏡の奥の目が笑っているのは、後藤竜二さんである。
今号は、昨年7月3日に亡くなった後藤さんの追悼号。

 


評論や作品論も、興味深かったが、後藤さんが他の作家さんや絵描きさん達を励ます、その言葉に後藤さんの人となりを見た思いがした。
ずっと読みたいと思っていた、「北海道新聞」にのった長谷川知子さんの「後藤竜二さんを悼む」という記事も掲載されていて、心にしみた。

日本児童文学は、以前は、隔月刊ではなくて毎月刊行されていた。
日本児童文学者協会に入るよりずっと前から、日本児童文学をとっていたので、置いておく場所の問題もあるし、たくさんたまると処分してきた。
その中で、永久保存版にしている雑誌が、二十冊くらいある。
20代の頃、いつか書きたいという気持ちを植え付けてたもらった雑誌。
すでに本を書き始めた私に向かって、もっと書けよと肩を押してもらった雑誌。
私のつたない文章が載った雑誌。
私の本の書評が載った雑誌・・etc。
今号も、もちろん永久保存版にして、一生とっておこう。

今年も始動

2011-01-05 16:53:25 | 2・仕事の周辺
2011年も昨日から始動した。
会社員ではないので、あまり正月だとかお盆だとか関係ないようであるが、これがやはり、意識しないとだめなのである。
いつでも仕事はできる、などと考えていると、時間は過ぎていってしまう。

ちゃんと、1月4日から仕事をすると決めたら、それを守ることは、これからの1年のことを考えると案外大事だと、毎年思う。

今年(右)の手帳は、まだほとんどまっさら。これからどんどん予定やら、やるべきことで埋まってゆく。

 


今年の手帳に、まず真っ先に書くのは、今年1年、何の本を書くかということ。

最初のページには、書こうと思う本のタイトル(仮題)を書く。昨年本になったものは、もちろん、今年の手帳には書かない。
これから書こうと思っているのだけ、書き写すのだけど、もう何年も同じタイトルを書きながら、一向に書き出さないものもある。

でも、このタイトルが並んでいる間は、安心していられる。書きたいものがあるということだから。

今年も本を書いて、テレマークスキーをして、山登りをして、6月には久しぶりに海外(フランス)旅行に行けると思うと、嬉しい。


<今日のカメコ>

家に2匹並んで入っている。

 

本日と、週末の予定

2010-12-17 08:57:51 | 2・仕事の周辺
今日は、夕方から野間賞の贈呈式と祝賀会に行ってくる。

第63回・野間文芸賞は、村田喜代子さんの「故郷のわが家」

第32回・野間文芸新人賞は、円城塔さんの「鳥有此譯」
                  柴崎友香さんの「寝ても覚めても」
第48回・野間児童文芸賞は、市川宣子さんの「きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは……」

何年か前までは、野間文芸賞と野間児童文芸賞は、別の日、別の場所で贈呈式が行われていた。
それがいつからか、同じ日になった。

場所は帝国ホテル。毎年ご招待頂くのだけど、帝国ホテルになってから、今までに1回しか行ったことがない。
別々の時には(パレスホテル)、けっこう毎年行っていたのだけど。

今年は、そこでお会いしましょうと、2人の方にいって頂いたし、お会いしたい人もいるので、思いきって行くことにした。


そして、明日、あさっては、今年のテレマークスキー初滑りで秋田の八幡平に行ってくる。明日家を出るのは、早朝。
土・日で「まほろば倶楽部」のセンスアップに参加してくる。
「えきねっと・とくだね」というのでチケットを買ったので、決めた列車に乗らなくてはならない。
とくだねは、早朝の新幹線だと、盛岡まで20パーセント引きになるけど、万が一乗り遅れると、特急券も乗車券もパーになる。
毎年、このチケットはあぶないので、正規の運賃で行こうと思うのに、いざ買う段になると、安さにつられて、ついこちらを買ってしまう。
まあ、そんなわけで、今日はおそくならないように帰ってこよう。


後藤竜二さんを偲ぶ会

2010-11-04 07:23:55 | 2・仕事の周辺
昨日は、今年7月3日に他界した後藤竜二さんを偲ぶ会に出かけた。(この本だいすきの会主催)

後藤さんのことは、以前ここに書いたことがある。


昨日は、この本だいすきの会の代表・小松崎先生や、会員の方達、作家や絵描きさんたちと、思う存分後藤さんのことを語り合えた。

とくに、後藤さんの7才年下の妹、絵本作家であり、さし絵画家でいらっしゃる小泉るみ子さんからは、兄妹としての後藤さんの話しなど聞けたり、初めて小泉さんと直接話しをさせて頂いたり、貴重な時間を過ごすことができた。

最後の本となった、「尼子十勇士伝 赤い旋風篇」を担当された新日本出版のTさんのお話を聞けたのもよかった。
亡くなる2日前に、最後の本の校正で会った時は、ほんとうにいつものカッコいい後藤さんだったとのこと。
そんな風にいつものまま、ぽっと逝ってしまわれたのだった。

後藤さんの、まだ読んでいない初期の頃の本を、これから読もうと思う。

 


新刊が出ました!

2010-10-18 07:00:02 | 2・仕事の周辺
先週、10月15日付けで、新刊が出た。
題名は、下のブログにも書いたけれど、「あの夏、ぼくらは秘密基地で」(あかね書房)

このところ、ちょっと今までのとは違う傾向のものを書いていた。
それぞれに思い入れはあるのだけど、これからの私が書いていきたい中心となるのは、こういう話だなあと思う。
自然の中で、子ども達が生き生きと駆け回る話。
表紙の絵からもわかるように、山を舞台にした物語だ。
とにかく、書いていて楽しかった。
あまりに楽しすぎて、とても長くなってしまい、小学校中学年でも読めるように、もうちょっと原稿枚数を減らしてくださいといわれたほど。
それには、けっこう苦労した。

登場するのは、3家族、6人のいとこ達。
と書くと、私の身近な人ならもうわかってしまうと思うが、モデルは我が家のまわりの子ども達である。
ジュン、ケン、亜季子、剛、若葉、哲平、小学校3年生から中学1年生までの6人。
もちろん、創作である。けれど、書きながら、小学生の頃のみんながやりそうな行動、いいそうな言葉を思い浮かべていた。

ここには、実はおばさんも登場する。
この人は、名前はトキ子おばさんというが、モデルはなく、全くの想像上の人物である。これはほんとう。

大勢の子ども達に読んでもらえれば、次の話があるのだけど。はたして・・。



楽しい夕べ

2010-09-01 07:45:44 | 2・仕事の周辺
昨晩の金沢さんのご苦労様会。。
なごやかで、アットホームなよい会だった。ほんとうに楽しい時間だった。
金沢さんは、今の若い編集の人から「伝説の名編集者」といわれるくらいの方なので、ひょっとすると、私など場違いではなかろうか、と思わないでもなかったのだけど、そんなのはいらぬ心配だった。
しかも、どこか末席にでも混ぜてもらおうと思っていたのに、先月お会いしたあまんきみこさんから、こちらへいらっしゃいよといって頂き、主賓テーブルなどに図々しく座ってしまったのだった。
そして、昨日は大勢人がいて、金沢さんにお礼をいったりする時間もないだろうと思って、ちゃんと感謝の言葉をブログに書き、手紙にも書いていった。
けど、同じテーブルなので、時間はけっこうあった。あったが、ご本人と会ったら、山の話しだけして、私達がすごい風で敗退した鳥海山に、翌週は晴れて登れたというので、う~ん、悔しいなどといって、終わってしまったのだった。(笑)




思い出に残る一日となった。

会では、この機会にぜひお近づきになりたいと思い、私の方から声をかけさせて頂いた方が二人いた。
一人は作家の茂市久美子さんで、ご主人が(山岳)カメラマンの藤田弘基さん。
茂市さんは、ご主人について、ヒマラヤに出かけた本を読んだことがあるからである。その話しをしたかった。
もう一人は画家のひらいたかこさん。ご主人の磯田和一さんと一緒に、私が大好きな、旅の本を書いた方である。この本のことは、またいずれ書こう。

帰りは、牛込神楽坂の駅まで、茂市さんご夫妻と一緒に話しながら帰り、新宿までの電車では、ひらいさんと、デュラン・れい子さんと一緒に帰ってきた。
藤田さんは、9月3日から10日間くらい、燕岳から大天井岳のあたりで、夜空(星)の写真を撮っているそうである。
帰りご一緒したおかげで、さらにお近づきになれた気がする。嬉しい。
そして、作家の薫くみこさん、藤田さん、茂市さんご夫妻とは、今年の12月の某パーティーでもお会いしましょうといって帰ってきた。


そして、昨日、同じテーブルに南椌椌さんがいらして、一緒にサングリアなどを飲んだ。
実はこの方は、どういう方なのか知らずに、楽しい方だなあと思っていたわけなのだけど、今日検索してビックリ。
肩書きは絵本作家ということだけど、以前(2003年前まで)吉祥に「クウクウ」というお店があって、友人のC子とよく飲みにいっていた。なんとそこのご主人なのだった。
今は吉祥寺でカレーと珈琲の店「まめ蔵」をやっているそう。今度行ってみよう。
昨日知っていたら、もっと話しをしたかったなあ。

今日はご苦労様会

2010-08-31 06:24:41 | 2・仕事の周辺
私のデビュー作「ぼくらの夏は山小屋で」は、一般公募している講談社児童文学新人賞に生原稿を送って、運良く、新人賞を受賞することができた。
今から、28年前のことだ。
本になったのは、それから4年後。ブログにも書いたことがあるが、新人賞を受賞して、4年間も本にならなかった人は、それ以前も以後も、いなかったんじゃないかな。(笑)

完璧な原稿ではなかったというわけなのだけど、一番の理由は最初のは450枚で、長すぎたのである。
それと、私は原稿の書き方を、それまでどこでも学んだことがなかった。自己流で、ひたすら書き綴っただけでは、出版してもらうレベルに達していなかったということもある。

本になるのは、あきらめかけた4年後。講談社の編集者の金沢千秋さんに出会い、手取り足取り文章の書き方を教えてもらい、怒られたりなだめたりされながら、ようやく270枚くらいの物語が完成した。
一冊本にしたもらえただけで、自分としてはできすぎだと当時は思っていた。
けれど、その後、ありがたいことに書き続けることができ、いろいろな出版社にお世話になった。
それというのも、最初のハードルを、なんとか越えることができたからだと思っている。

そのハードルを越えさせて下さった、私にとっては恩人ともいうべき方が定年を迎え、そのご苦労様会が今日開かれる。
昨晩は、久しぶりにこの20数年のことが頭の中に浮かんで、胸がじーんとなる思いであった。

今まで私が、つまづきつつも本を書いてこられたのは、金沢さんのおかげである。
ぜひとも直接お礼をいってこなくてはならない。

金沢さんが、子どもの本の部門を離れるまでに、6冊担当して頂いたのだけど、スタートの時に出会えたのは、ほんとうに幸運で、ありがたいことだったと、これからの人生、ずっと思い続けるだろう。