ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

定休日の過ごし方 その6

2013-09-21 10:25:21 | 2013in吾妻小舎

18日(水)・19(木)と、定休日と振替休日を活用して、山形県にある山寺として有名な立石寺と、日本三景として知られている宮城県の松島海岸に行ってきました。

2箇所とも、松尾芭蕉が訪れた地でもあります。

初日、福島駅 から高速バスで仙台駅に行き、仙台駅で在来線の仙山線に乗って山寺駅に。

午前中をたっぷり使って立石寺を巡り、再び仙山線で仙台駅に戻り、宿を探そうと駅構内にある宿泊サービスセンターに向かいました。

ところが…、なんと仙台市内のホテルのシングルは満室で、作並温泉か秋保温泉、または松島海岸まで行かないと、宿がないというではありませんか。

仕方がないので、仙台市内のホテルはあきらめて、木曜日に行くつもりでいた松島海岸にあるホテルを斡旋してもらい、仙石線に乗り松島海岸駅へ。

そこで、ちょうど駅のロータリーに発車時刻まで待機していた、東日本大震災による仙石線不通区間の代行運行バスに乗ることができました。

福島にいる間に、一度は東北地方の沿岸部を見ておきたいと考えていたので、どこまで行けるか、時刻表とにらめっこしながら、陸前小野という停留所まで行き、そこで折り返しすことにしました。

松島海岸駅から乗ったバスは、主に高校生や学生で満員で、窓際の座席に座れなかったため、景色もよくわかりませんでした。

陸前小野に着き、停留所で松島海岸駅へ行くバスを待っていた女性に運賃の支払い方法を尋ねたところ、私を心配してくれたのか、その女性はバスで隣に座ってくださったのです。

私が埼玉県の出身で、今は福島で働いており、福島にいる間に、一度は東北地方の沿岸部を見ておきたいと考えていたことや、仙台の知人から、震災から日が経ってしまったけれども、その痕跡を見てほしいと言われてここまでやって来たと話すと、女性は訥々と震災のことを語り始めました。

女性は、震災の日、地区のコミュニティセンターに避難して、背中まで水に浸かりながらも助かったこと。

助かった方ももちろんいたけれど、たくさんの人が流されたり溺れたりして助からなかった光景を目の当たりにしたこと。

今は仮設住宅住まいで、塩竈の病院に入院しているお姑さんの看護のため、仮設住宅から1200円のタクシー代を払って代行運行バスの停留所まで来ていること。

仮設住宅からバスの停留所までの無料バスもあるにはあるが、時間帯が合わずに、タクシーを使わざるを得ないこと。

病院からの帰りは、仕事帰りの息子さんが病院に寄ってくれて、仮設住宅まで送ってくれること。

代行運行バスの通るコースが、今は津波で流されてしまったけれども、かつて自宅があった脇を通るので、バスに乗る度に、「ああ、ここに家があったんだなー。」と、思うこと。

そうした話を伺いながら、撤去されていない数軒の住宅や、空洞になった仙石線野蒜駅、ぐにゃりと曲がった橋の欄干、荒れ地になったかつての集落跡などを、車窓から見ることが出来ました。

せっかく話してくださった女性に、私はなんと言っていいのかわかりませんでした。

話すことさえつらいであろう出来事を、話してくださったことに、「ありがとうございます。どうか御自愛ください。」としか言えませんでした。

 

木曜日には、瑞厳寺の境内を説明しながら案内してくれるガイドさんから、震災の話を伺いました。

その方の旦那さんは、震災の時のつらい体験から、鬱になってしまったそうです。

停留所で一緒になった女性も、ガイドさんも、話をしてくださり、感謝するばかりです。

仙台駅まで戻ると、まるでリトル東京というような喧騒ぶり。

首都圏の人々も、日々の喧騒のなか、まだまだ震災後の生活が立て直せないでいる状況が、現にあるのだということを知って、心して生活してほしい。

一極集中型の繁栄について、これでいいのかと改めて考えてほしいと、願って止みません。 



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