道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

「ほとんどの人間は普段と同じことしかできない」

2011-04-06 10:01:35 | 精神文化
 昨日、知人から面白い話を聞いた。曰く、

 「ほとんどの人間は普段と同じことしかできない。普段と違うことを考えてできる者は、稀だ」

 被災地のとある自治体で、救援物資を山ほど受け取ったのだが、どのように各家庭に配れば良いのか頭を抱えた。しかし、そこである職員が思いついた。「クロネコヤマトにやってもらおう。」そして、ヤマトは驚くべきスピードで在庫を整理し、各家庭に配送した。

 役所は物資を配るところではない。そこがいきなり膨大な量の救援物資を受け入れても、せいぜい倉庫を見つけるくらいで、それ以上のことをできる人間はあまりいない。しかし、ヤマトの職員は、荷物をどのように分類し、倉庫のどこに配置すれば、効率良く運び出せ、必要な時に必要なものを出せるかが分かっている。もちろん、戸別配送もお手のもの。
 これは、役所の人間がバカでヤマトの人間が賢い、ということではない。単に、普段からしているかどうかの違いに過ぎない。

 この話で非凡なのは、クロネコヤマトにやらせよう、と思いついた職員。何のことはない、聞いてみれば極めて常識的な発想であるが、こういったアイデアを非常時にすぐに出せる人間を、「智慧がある」と言うのである。


 これを原発事故に当てはめてみよう。

○東京電力
 事故直後、自分たちの中でコトを収めようとした。これは普段通りの隠蔽体質。
 下請企業の作業員が作業中に被曝。これは、普段通りに、計器の警告を無視したため。今回はみんなが注目していたから露呈。
 計画停電でブロックごとに停電をコントロールするという離れ業をこなす。しかし、これも電力のプロだから、普段の延長線上。
 二十三区内や、重要施設のある区域は、計画停電の対象範囲であってもほとんど停電せず、停電された地域から「不公平」と言われる。官民密着のお役所体質通り。
 これだけの事故があっても、うっかり「福島にもう1,2台原発を作る」という書類を出してしまう。そもそも計画停電自体が「原発がないと、こんな感じに電力が不足してしまって、みんな困るよ。だから原発は必要ですね」ということを知らしめるための陰謀だ、とまで言われてしまう。反原発団体が電力消費量のグラフを根拠に「ピーク時さえ控えれば原発は不要」と言っていることに対する反論すらない。普段通りの、説明不足の原発推進姿勢。
 電力不足を補うために、火力発電設備を増やす、と発表。また、政府を通じて、京都議定書の適用外として認めてもらうよう、国際社会へ働きかける。普段から、太陽光は申し訳程度、太陽熱・地熱発電はほとんど着手して来なかった(どころか押さえ込もうとまでしたと言われている)ことを考えれば、これも理解できる。
 一連の記者会見では、どうもはっきりしない言い方。これは、情報を必要以上に隠しているわけではないだろうが、裁判になっても自分たちへの責任追及を最小限に抑えられるように、言葉を選んでいるように見える。やはりお役所体質。

○自衛隊
 人命救助や物資調達では非常に活躍。しかし、原発に対しては、ほとんど効果のない水撒き。これは仕方ない。普段の訓練でやったことのないことなのだから。

○東京消防庁
 迫力有る放水作業。明確にして堂々たる記者会見。ただし、前者は言うまでも無く普段の業務の延長上。後者も、東電・政府とは違って事故の原因は自分たちでは無く、発言に特に制限が無い状態だからこそ、普段通りに簡明に現状と対処を述べたように思われる。

 東京消防庁を呼ぶという判断をした者は偉かった。しかし、その他は、普段通りか普段の延長上。とすると、今回の事故への対処というのは、これが考えられる限りのものだったと言えよう。非常時に直面して、自分が普段はしていない行動によって的確に対処できる人間というのは、ほとんどいないのだから。
 もっと良い方法があった、というのは、つまり結果論にしか過ぎないのである。
 改めるべきは、普段の体質。このことは、事態が落ち着いた後に、もっと追及されなくてはならない。