道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

以文為詩

2008-05-08 12:37:49 | 精神文化
http://www.youtube.com/watch?v=EXUQTgnuZY4&feature=related

   水調歌頭 蘇軾

 明月幾時有、把酒問天
 不知天上宮闕、今夕是何年
 我欲乘風歸去、惟恐瓊樓玉宇、高處不勝寒
 起舞弄影、何似在人間

 轉朱閣、低綺戸、照無眠
 不應有恨、何事長向別時圓
 人有悲歡離合、月有陰晴圓缺、此事古難全
 但願人長久、千里共嬋娟

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蘇軾は調べてみると、なかなか面白い。
というよりも、彼の師匠欧陽脩がまず面白い。
後に胡適が「古文運動」なんて呼び方を作ってしまうけれど、当時流行していたきらびやかな駢儷文やら渋すぎて意味ががよー分からん太学体なんかに反発して、欧陽脩は先秦あたりの素朴な文体の復活を推進。それで、彼が科挙の試験官になった時に、従来の科挙作文の典型である駢文や太学体を書いたヤツをビシバシ落として、古文の得意なヤツをガンガン合格させた。その時に及第したのが、蘇軾・蘇轍・曾鞏というそうそうたるメンツ。王安石・蘇洵を見出したのも欧陽脩なのだから、唐宋八大家のうち、宋代の部分は全て欧陽脩絡み。
果たして「古文運動」という言い方が相応しいかどうか分からないけれど、北宋の文壇において、欧陽脩の古文嗜好が及ぼした影響は甚大だった。

で、古文ってのが何かというと、簡単に言えば、素朴で分かりやすい文章。隋唐の壮麗な科挙作文・きらびやかな六朝時代のものはもちろん、着飾り始めた漢代まですっとばして、春秋戦国時代の文体を復古しようというのだから、大ルネサンス運動。
同時に、欧陽脩は、経典解釈に於いても、漢代以来の注釈をすっとばして、オリジナルな学説を展開し始める。後の宋学の発展を準備したのではないかと思う(そういえば、程も、欧陽脩が試験官の年の科挙合格者)。

そんな欧陽脩が詩作で主張したのが、「以文為詩」。要するに、「ちゃんと意味が通る詩を作りましょう」。
欧陽脩自身の作品は素朴を通り越して武骨だから、後世はそんなに受けウケなかったけれども、そこをうまくソフトにして成功したのが蘇軾。理念先行型の欧陽脩を引き継いで、うまく現実と調和させたというべきか。蘇軾の詩は、読んで意味は分かりやすいし、知識人を満足させる奥行きもあるし、何よりオシャレ。


前置きが長くなったけれども、要するに、蘇軾の詩が愛されて来たのは、分かりやすいからだと思う。800年以上経った現代、中国語が激変した今の人間が読んでも、何となく分かる。いや、あるいは、これらの人口に膾炙した詩句が、言葉の変化をある程度抑えてきたのかもしれない。

この「水調歌頭」も、現代中国語の感覚でパッと読んでも、何となく意味が分かる。
それで、テレサ・テンなんかが歌っちゃう。個人的には張学友verの方が気に入ってるから、そっちを貼り付けたけれど(それに、前もテレサ・テンだったし)。

――但し、古語や典故が分からないと、文脈はかなり間違える。
最初に歌詞を見ながら歌を聴いていた時は、ラブソングかと思ったが、自序の「丙辰中秋,歡飮達旦,大醉,作此篇,兼懷子由(1076年の中秋節、飲み明かして酔っ払ってこの詩を作ってみた。蘇轍へ思いを寄せながら)」を見ると、実は弟宛て。
テレサ・テンやら張学友は、多分確信犯なんだろうけれど。

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 明月はいつからあるのだろう。酒杯を掲げて青天に訊いてみる
 天上、月の宮殿では、今はどの年になるのか
 フラっと宮殿に帰ってみたいけれど、
 きらびやかな楼閣の、高い所の寒さに耐えられるだろうか
 孤独ではあるが、舞ってみれば影が一緒に躍ってくれる、
 人と一緒にいた俗世ともさほど変わるまい

 月の光は楼閣・窓戸を抜けて、眠れぬ私を照らす
 恨むまい。別離の時に満月を迎える皮肉を
 人には楽しみも悲しみも、出会いも分かれもある、
 月にも明暗満ち欠けがある
 ずっと昔から、円満というのは難しいものなのだ
 ただ願おう、あの人の長寿を
 千里を隔てても、月は共にある