道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

「亡国の都」

2007-11-07 01:07:23 | 精神文化
先日の日記で、「南京重慶成都」という句を紹介したが、
芸術度の高いアクロバティックな対聯にも関わらず、その後の国共内戦での国民党の敗北により、1949年には北京を首都とする中華人民共和国が成立し、わずか4年で遷都となった。

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思うに、南京はついていない。
三国時代の呉以来、南京に都を置く政権は数多かったが、いずれも振るわなかった。

呉は北方の魏に押され続けたし、東晋・宋・斉・梁は中原を異民族から奪回できず、陳代には隋に滅ぼされた。

まともに全土を統一していた政権といえば、洪武帝が元を追い出して建てた明であるが、その次の建文帝は、即位後まもなく北から攻めて来た永楽帝によって打ち負かされ、永楽帝は北京に遷都。南京を首都としていたのは30年余りに過ぎなかった。明朝の残骸、南明は、清からの圧迫を逃れて南京を首都として成立したが、一年で南京から撤退。

次に南京を首都とした国と言えば、太平天国であるが、これは論外。

1912年、辛亥革命を成功させ、希望に燃えた孫文たちが南京を首都として中華民国成立を宣言するが、北京に居座る袁世凱と、後の軍閥時代で台無し。
それでも後に、蒋介石が北伐でかなりの国土を南京政府の下に収めたが、共産党の抵抗・満州事変で統一までには行かず。
1937年には日本軍に占領され、大虐殺。

そして、1945年にようやく政権が帰って来たと思いきや、1949年に北京遷都。

南京を称して「亡国之都」と言う人もいるが、まぁ、その通りである。

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何故これほど、南京を首都とした政権はことごとく失敗するのか。
人口密度、面積、交通の便、などなど様々な理由が考えられるが、ある説に曰く、
「南京は、とっても居心地が良いから、満足してしまう」
から、とか。
悠々自適に満足してしまうから、北方の厳しい気候に鍛えられた、ハングリー精神剥き出しの勢力に負け、全土を支配するに至らないとか。

なるほど、「江南好」である。

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ところで、上で、安易に「1949年に北京遷都」と書いてしまったが、解釈によっては、南京は、今でも或る国の首都である。
――それは、「中華民国」である。

国共内戦に敗れた国民党は、台湾に逃れ、台北に本拠を置いたが、
そこで、
台北を「臨時政府所在地」とし、南京を「首都」とする「中華民国」
を存続させたのである。
すなわち、南京を実効支配していないのにも関わらず、台湾政府の首都は南京、なのである。

南京は今も首都なのである!
国都南京、健在なり!!
――と言えないこともないが、言ったところで、あまり威張れない。

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思うに、南京は、首都は向いていない。
江南の一有力都市として、優雅に振舞っていてこそ、その魅力が活きるというものであろう。
そして、ほんの少しだけ、「かつての都」というスパイスがあれば良いのだと思う。

――朱雀橋辺野草花、烏衣巷口夕陽斜。

南京の小道を、今日も夕日が照らすのである。