和歌などに出てくる「花」というのはサクラだそうだけど、元々は日本人は梅を「花」と言っていたとのことである。いつの頃からか、古今和歌集とかのあたりだろうか、「花」がサクラになったと聞いた覚えがある(時期については不明、と言うかいい加減)。では今日は古の日本人になろうかと梅を見に出かけた。
備中国分寺の五重の塔の周りには紅梅も白梅も薄桃色の花の木もあり、特に白梅がよく開いていて楽しめた。赤いのはまだつぼみが堅く、ピンクのは三分咲きぐらいの状態でした。この日は思ったより寒く、もう春だからと分厚いジャケットを着ていなかったのを後悔したぐらい。赤いのはまだもう少し時間がかかるかもね。
もうないのかと思って歩いていくと吉備路考古館の梅林はこの状態。こっちはむしろ盛りを過ぎてました。
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
梅と言ったらこの歌を思い出すけど、彼が最初に詠んだのはたぶん
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春を忘るな
の方らしい。
「な・・・そ」と言う係り結びの場合、ニュアンスから言うと「どうか忘れないでくれ」なところがあり、彼のそれからの不遇な末路を知っている後世の人の変更ではないかという。そうかも知れないが、私は「春な忘れそ」の語感の方が好きだからいつもこう読むことにしている。まぁこの写真たちのような梅はもっと明るく楽しく見てあげるべきと思うけどね。
もう一つ花で思い出すことがある。それは大江健三郎さんの息子さんの話だ。
大江家では大変丁寧な言葉遣いをなさっているそうで、ラジオの相撲中継を聞いていた息子の光さんがこう言ったそうだ。
「今アナウンサーが俳句を申しました。」
どんな俳句か尋ねると「前みつを早く取りたい出羽の花」と言う。「それは俳句ではない。俳句には季語がいるんだよ。」 そう父親が言うと、「出羽の花に『花』が入っております」と答えたそうである。
ここからはネットで調べたのだけど、後日大江さんがこの俳句を国文学者の友人に披露すると、「出羽地方の冬は厳しいからね。春を待つ人々の気持ちがよく出ているねえ。」と絶賛されたとか。(真偽不明)
今日は今まで書きたいと思って書けなかったことが二つ書けて余は満足じゃ。
梅ももう終わりですかね?
桜はまだかいな~?
その前に桃ですね。
次の写真は桜ですよ。