KIN82白い自己存在の風(形 明らかにする 測る/スピリット 伝える 呼吸)
震災後「日月神事」に関する情報に何度も触れた関係で、「身魂磨き(みたまみがき)」という言葉を思うことが多い。
そしてそれは、最近(ここ数ヶ月)当室で毎日のように選ばれるボトル、B25 回復期のボトル/フローレンス・ナイチンゲール とつながる感じがする。
このボトルについては何度か書いたことがあるし、個人的にも節目に選ぶボトルではあるけれど、それはそれは本当によく選ばれるのだ!
そしてこのボトルが選ばれると私がつい語ってしまうのが、フローレンス・ナイチンゲールのチャレンジングな人生。
彼女は生涯に多くの仕事をしたが、最も重要なのは当時評価の低かった看護という仕事を「白衣の天使」と言わしめるほど評価を高めた点だと思う。
それも何によってそれがなし得たかと言えば、清潔な病室や寝具、掃除や換気などによる環境の改善という、今では「ごく当たり前な日常的なこと」によるもので、それを統計学を用いて誰もが納得できるように表現した。つまりとてもマジェンタ的なチャレンジによって驚異的な結果を出したということだ。
パープル/マジェンタという「日常の神秘」とも言える組み合わせには様々な意味が込められていると感じるのだけど、「回復期」という言葉を更に考える。実際に重病からの回復途上にある方が選ぶことも多いのだけど、「失望を手放す」という意味もあるのだ。
失望、つまり望みを失うということの深刻さは簡単に語れることではないと思う。それは重病と同じで死に直結すると私は感じる。
しかもそれを手放すとは一体どういうことだろう? 失望に至る悲惨な出来事はチャレンングに違いないが、一旦は負けてしまいながらも再起を決意するエネルギーこそ、どれほどチャレンジングなことだろうか!
25→2+5=7という神秘とチャレンジの数秘を持つこのボトルだけど、それは神業的なプロセスや神秘的な儀式よりも、何よりも日常の小さなことに感謝して愛を注ぎ、天からの愛を受け取ることの地道な積み重ねによってもたらされると私は感じている。
失望しながらも必死に自他への愛を感じながら、ギリギリでも生きることを続けるある日、人はふと「もう一度希望を持ってみよう…」と思い至るのではないだろうか?
私はこのボトルを何本も使っているけれど、一番印象的だったのは、ある過去世でのかなり悲惨な出来事のカルマの清算的なことが起こり、ショックでボロボロになった時だった。
文字通り光の身体がボロボロ
で、大穴が空いたりすり切れているような状態だったと思う。そういう不安定な状態の時、えてしてその穴にまたネガティブなものがはまりがちなのだが、そこにまさに霊薬のように浸透してきたのがこのオイルだった。
頭からかぶるように全身に使い、50mlを3日で使い切った。もうどんどん吸い込んでいくのだ!
そして使い切ったとき、「修復完了
」と感じた。信じられないほどスッキリと落ち着き、ちゃんと過去は過去として手放すことができた。
このボトルには「奉仕における開拓精神」というキーワードもあり、それはつまりチャレンジ精神なのだと半分納得はしていたけれど、先日ある人に、
「あなたは轍を行く人ではない」
と言われて、あ、そうか…とストンとつながった。
たしかにこの仕事に就いてから(いえ、それ以前から…)、私にはたどる轍がなかった。「先生」とお呼びできる方には沢山出会えたけれど、「モデル」となる人には出会っていない。
自分は自分のできることをするしかないのだと感じ、クライアントさんと向き合い続けることによって自分と向き合い続け、開業10年以上過ぎても日々が試行錯誤である。
同じところに留まることはできない私はどこに行くのだろう? 何もわからないけれどその探求の道を楽しむだけであり、「道こそがゴール」であるというマジェンタの補色のオリーブグリーンのキーワードを生きることになるのだ。
そして多分B25を選ぶ多くの方々は、環境や程度の差こそあれそのようなチャレンジをされているのだと感じる。
それこそが真摯に日常を生きることで魂を磨く、身魂磨きなのだと思うのだ。
そしてそういう人のサポートをすることが私の喜びであり、私にとっての身魂磨きだと思っている
震災後「日月神事」に関する情報に何度も触れた関係で、「身魂磨き(みたまみがき)」という言葉を思うことが多い。
そしてそれは、最近(ここ数ヶ月)当室で毎日のように選ばれるボトル、B25 回復期のボトル/フローレンス・ナイチンゲール とつながる感じがする。
このボトルについては何度か書いたことがあるし、個人的にも節目に選ぶボトルではあるけれど、それはそれは本当によく選ばれるのだ!
そしてこのボトルが選ばれると私がつい語ってしまうのが、フローレンス・ナイチンゲールのチャレンジングな人生。
彼女は生涯に多くの仕事をしたが、最も重要なのは当時評価の低かった看護という仕事を「白衣の天使」と言わしめるほど評価を高めた点だと思う。
それも何によってそれがなし得たかと言えば、清潔な病室や寝具、掃除や換気などによる環境の改善という、今では「ごく当たり前な日常的なこと」によるもので、それを統計学を用いて誰もが納得できるように表現した。つまりとてもマジェンタ的なチャレンジによって驚異的な結果を出したということだ。
パープル/マジェンタという「日常の神秘」とも言える組み合わせには様々な意味が込められていると感じるのだけど、「回復期」という言葉を更に考える。実際に重病からの回復途上にある方が選ぶことも多いのだけど、「失望を手放す」という意味もあるのだ。
失望、つまり望みを失うということの深刻さは簡単に語れることではないと思う。それは重病と同じで死に直結すると私は感じる。
しかもそれを手放すとは一体どういうことだろう? 失望に至る悲惨な出来事はチャレンングに違いないが、一旦は負けてしまいながらも再起を決意するエネルギーこそ、どれほどチャレンジングなことだろうか!
25→2+5=7という神秘とチャレンジの数秘を持つこのボトルだけど、それは神業的なプロセスや神秘的な儀式よりも、何よりも日常の小さなことに感謝して愛を注ぎ、天からの愛を受け取ることの地道な積み重ねによってもたらされると私は感じている。
失望しながらも必死に自他への愛を感じながら、ギリギリでも生きることを続けるある日、人はふと「もう一度希望を持ってみよう…」と思い至るのではないだろうか?
私はこのボトルを何本も使っているけれど、一番印象的だったのは、ある過去世でのかなり悲惨な出来事のカルマの清算的なことが起こり、ショックでボロボロになった時だった。
文字通り光の身体がボロボロ

頭からかぶるように全身に使い、50mlを3日で使い切った。もうどんどん吸い込んでいくのだ!
そして使い切ったとき、「修復完了

このボトルには「奉仕における開拓精神」というキーワードもあり、それはつまりチャレンジ精神なのだと半分納得はしていたけれど、先日ある人に、
「あなたは轍を行く人ではない」
と言われて、あ、そうか…とストンとつながった。
たしかにこの仕事に就いてから(いえ、それ以前から…)、私にはたどる轍がなかった。「先生」とお呼びできる方には沢山出会えたけれど、「モデル」となる人には出会っていない。
自分は自分のできることをするしかないのだと感じ、クライアントさんと向き合い続けることによって自分と向き合い続け、開業10年以上過ぎても日々が試行錯誤である。
同じところに留まることはできない私はどこに行くのだろう? 何もわからないけれどその探求の道を楽しむだけであり、「道こそがゴール」であるというマジェンタの補色のオリーブグリーンのキーワードを生きることになるのだ。
そして多分B25を選ぶ多くの方々は、環境や程度の差こそあれそのようなチャレンジをされているのだと感じる。
それこそが真摯に日常を生きることで魂を磨く、身魂磨きなのだと思うのだ。
そしてそういう人のサポートをすることが私の喜びであり、私にとっての身魂磨きだと思っている
