KIN104黄色い宇宙の種(存在 持ちこたえる 越える/開花 目指す 気づき)
(以前に書きかけてた、ヘビーな長文です。すみませんです。)
先日、ゆいかさんにシータでいろいろ私の背後を整理していただいた時(→☆)
「何につけても代償が必要だと思っている」
と言われました。
それは、受容性に関するブロックになります。
何かを代わりに差し出さないといけないと感じるので、受けとることがすごく怖いのです。
対価が必要ない地球や自然の豊かさを受けとることさえ、無意識のうちに躊躇していたようです。
また、常に「与える側」でいないと不安…とかいうことも関係しています。
その原因となった過去世の出来事をゆいかさんはつきとめて解放してくださったのですが、そのストーリー自体には殆どピンときませんでした。
でもシータが働いている時の、脳のある部分が解放されたエネルギーはしっかり感じました。
「代償」と聞いて一番思い浮かんだのは、現世での父との関係でした。
幼少時の経済的困窮の中で、何百回と聞かされてきた父の決まり文句・・・
「誰が食わせてやってると思ってるんだ!」「誰が養ってやってると思ってるんだ!」…的な。
実際は数十回だったとは思いますが、気分的には何百何千回も言われました!
更に人生とは苦しいものだとか子どもを持つなんてろくでもないとか、口に出さなくても両親のネガティブ感情を受けると、苦しくて子どもは病気がちになり医療費がかかって余計に困窮するため、生まれてきたのは罪深いことだという自責の念も強くなります。
そして代償として差し出すものがない子どもに要求されたのは「隷属」で、いつでも命令を受けて動くことを要求され、「自分でいる」ことが許されないので、24時間身の置き所がありませんでした。
病気の時だけその支配を逃れられるので、病弱なメリットはそこにありました。
でもその理不尽さと、自尊心を傷つけられた怒りが成長する毎に大きくなり、10代後半にもなれば、父とは警察沙汰寸前の派手な喧嘩も何度も繰り広げました。
(若気の至りであの時殺さなくてマジ良かったわ!と思います。更に厄介なものを背負うところでした。ちなみに私は過去世で父に殺されており、そんな父親を選ぶ自分の勇気は評価しときます。)
えぇ、何があっても子どもは絶対にそんなことを言われる筋合い、ナイですから!
実際、親御さんはこれだけは言っちゃいけないと思いますねー。
私は望まれた子どもで愛情を受けていても、このとおり無条件の愛ではなかったわけです。
父は単純に「愛」や「尊敬」が欲しかっただけなのですが、家系的に愛05が皆無なため、こういうお粗末な表現しかできません。
無理強いや恐怖政治で愛や尊敬が発生するわけがなく、生まれるのは恐れと怒りのみです
子どもは無償で養われる権利があるのだということを知ったのも学校に行ってからで、私に何かを与えようとする大人に対しては、
「この人は一体私に何を要求しているのか!?」
と身構えて疑うので、私にはいわゆる子どもらしい可愛気は全くなかったと思います
このことが自分の性格形成に多大な影響を与えていることは、よーくわかります。
そして、誰にも何も要求されずに自分だけでいられるスペースが欲しくて、早く家を出ました。
私が過去一番嬉しかったのは、部屋を借りて実家を出た、この時です
ここに書けないトラウマもあり、それは生存の可否と関係していますので、私の第1チャクラのブロックは大きかったです。
そうなると地球から生命エネルギーを受けとれずエネルギーはいつも不足していますから、やはり虚弱になります
愛05はレッドとピンクのエネルギーだと感じますのでまさに第1チャクラなのですが、そのエネルギーの器を整えることは大事なわけですね。(以前こんな記事を書きました→☆)
愛がMAXでも器が形状を持っていないとか、あっても蓋をしてあれば受けとれずダダ漏れかも?です。
そして、私は受けとるのが怖くて蓋をしていたのでしょう!
これまでに色々なプロセスを経てそのブロックを解放し、愛とエネルギーの器の蓋をとって、より地球とつながっていられるようになりました。
それがクラニオのコース直前だったのも意味深いです。
より地球とつながれば、よりヒーリングエネルギーがはたらくようになりますから。
そして今では私のことを「虚弱」と感じる人は、あまりいないんじゃないかしら?(決して頑健ではないですが)
今では父のことも、
「愛を知らない3歳児なのに、家族を養うのは大変だったよね~。うん、よく頑張った!」
程度な寛大な気持ちを持てるようになっています 病身で、もう年ですし。
私は本当に大切なモノゴトに関しては、きちんと対価を払うことが大切だと思っています。
お金は自分の価値に対して払うものですから。
でも自然や人との関係性や分かち合いなど、プライスレスで差し出されているものは、誰に憚ることなく、堂々と代償ナシに受けとって良いのですね。
自分にそれだけの価値があるので、差し出されたものなのですから。
それにしても
「俺のものは俺のもの、人のものも俺のもの」と言って憚らない、ジャイアンって自己価値すごいなー!と昔から思ってる次第。
(以前に書きかけてた、ヘビーな長文です。すみませんです。)
先日、ゆいかさんにシータでいろいろ私の背後を整理していただいた時(→☆)
「何につけても代償が必要だと思っている」
と言われました。
それは、受容性に関するブロックになります。
何かを代わりに差し出さないといけないと感じるので、受けとることがすごく怖いのです。
対価が必要ない地球や自然の豊かさを受けとることさえ、無意識のうちに躊躇していたようです。
また、常に「与える側」でいないと不安…とかいうことも関係しています。
その原因となった過去世の出来事をゆいかさんはつきとめて解放してくださったのですが、そのストーリー自体には殆どピンときませんでした。
でもシータが働いている時の、脳のある部分が解放されたエネルギーはしっかり感じました。
「代償」と聞いて一番思い浮かんだのは、現世での父との関係でした。
幼少時の経済的困窮の中で、何百回と聞かされてきた父の決まり文句・・・
「誰が食わせてやってると思ってるんだ!」「誰が養ってやってると思ってるんだ!」…的な。
実際は数十回だったとは思いますが、気分的には何百何千回も言われました!
更に人生とは苦しいものだとか子どもを持つなんてろくでもないとか、口に出さなくても両親のネガティブ感情を受けると、苦しくて子どもは病気がちになり医療費がかかって余計に困窮するため、生まれてきたのは罪深いことだという自責の念も強くなります。
そして代償として差し出すものがない子どもに要求されたのは「隷属」で、いつでも命令を受けて動くことを要求され、「自分でいる」ことが許されないので、24時間身の置き所がありませんでした。
病気の時だけその支配を逃れられるので、病弱なメリットはそこにありました。
でもその理不尽さと、自尊心を傷つけられた怒りが成長する毎に大きくなり、10代後半にもなれば、父とは警察沙汰寸前の派手な喧嘩も何度も繰り広げました。
(若気の至りであの時殺さなくてマジ良かったわ!と思います。更に厄介なものを背負うところでした。ちなみに私は過去世で父に殺されており、そんな父親を選ぶ自分の勇気は評価しときます。)
えぇ、何があっても子どもは絶対にそんなことを言われる筋合い、ナイですから!
実際、親御さんはこれだけは言っちゃいけないと思いますねー。
私は望まれた子どもで愛情を受けていても、このとおり無条件の愛ではなかったわけです。
父は単純に「愛」や「尊敬」が欲しかっただけなのですが、家系的に愛05が皆無なため、こういうお粗末な表現しかできません。
無理強いや恐怖政治で愛や尊敬が発生するわけがなく、生まれるのは恐れと怒りのみです
子どもは無償で養われる権利があるのだということを知ったのも学校に行ってからで、私に何かを与えようとする大人に対しては、
「この人は一体私に何を要求しているのか!?」
と身構えて疑うので、私にはいわゆる子どもらしい可愛気は全くなかったと思います
このことが自分の性格形成に多大な影響を与えていることは、よーくわかります。
そして、誰にも何も要求されずに自分だけでいられるスペースが欲しくて、早く家を出ました。
私が過去一番嬉しかったのは、部屋を借りて実家を出た、この時です
ここに書けないトラウマもあり、それは生存の可否と関係していますので、私の第1チャクラのブロックは大きかったです。
そうなると地球から生命エネルギーを受けとれずエネルギーはいつも不足していますから、やはり虚弱になります
愛05はレッドとピンクのエネルギーだと感じますのでまさに第1チャクラなのですが、そのエネルギーの器を整えることは大事なわけですね。(以前こんな記事を書きました→☆)
愛がMAXでも器が形状を持っていないとか、あっても蓋をしてあれば受けとれずダダ漏れかも?です。
そして、私は受けとるのが怖くて蓋をしていたのでしょう!
これまでに色々なプロセスを経てそのブロックを解放し、愛とエネルギーの器の蓋をとって、より地球とつながっていられるようになりました。
それがクラニオのコース直前だったのも意味深いです。
より地球とつながれば、よりヒーリングエネルギーがはたらくようになりますから。
そして今では私のことを「虚弱」と感じる人は、あまりいないんじゃないかしら?(決して頑健ではないですが)
今では父のことも、
「愛を知らない3歳児なのに、家族を養うのは大変だったよね~。うん、よく頑張った!」
程度な寛大な気持ちを持てるようになっています 病身で、もう年ですし。
私は本当に大切なモノゴトに関しては、きちんと対価を払うことが大切だと思っています。
お金は自分の価値に対して払うものですから。
でも自然や人との関係性や分かち合いなど、プライスレスで差し出されているものは、誰に憚ることなく、堂々と代償ナシに受けとって良いのですね。
自分にそれだけの価値があるので、差し出されたものなのですから。
それにしても
「俺のものは俺のもの、人のものも俺のもの」と言って憚らない、ジャイアンって自己価値すごいなー!と昔から思ってる次第。