《子どもと教科書全国ネット21ニュースから》
★ 中教審「審議のまとめ」では学校は変わらない
西村祐二(にしむらゆうじ 岐阜県立高等学校教諭)
2024年5月、中教審「質の高い教師の確保特別部会」が、およそ1年にわたる「審議のまとめ(以下、審議まとめ)」を公表した。
私は岐阜県立高校に勤務する傍ら、SNSやオンライン署名、書籍等で教師の長時間労働等について発信を続けてきた。本稿では、審議まとめに対する一教師としての率直な意見を書かせていただきたい。
今回の中教審の目的は、過酷な労働環境が明らかになり、すっかり人気が低迷してしまった教職の魅力を向上し、教員採用試験の倍率を回復させることにあった。が、審議まとめを見るにつけ、残念ながらその目的を達することはできないと思われる。
その最大の理由は、今回の方針では教師の過酷な長時間労働が大きく改善することはないということだ。「ほんの少しだけ手取りは増えたが、残業地獄は何も変わらなかった」という未来しか見えない。
果たしてこれで教員志望の若者が安心して教員採用試験を受けるようになるだろうか。答えは否である。
■「定額働かせ放題」は継続
決定的な過ちは、この数年「定額働かせ放題」としてすっかり教師のブラック労働の代名詞となった、給特法の抜本的改善に踏み込まなかったことである。
給特法(正式名称「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」)は1971年に制定、翌年施行された法律で、教師に残業代を支払わない代わりに教職の特殊性を踏まえ月給4%を教職調整額の名目で一律支給するというものである。
給特法ができた当時は、月の平均残業時間が8時間程度であり、4%もそれに見合うものとして一定の納得感があった。
しかし2022年度に実施された教員勤務実態調査の結果、授業期間中の10~11月に関して、平均残業時間が小学校は約64時間、中学校は約83時間、高校は約64時間となっており(持ち帰り仕事を含めた場合小学校は約82時間、中学校は約100時間、高校は約81時間)、この事実一つ取っても、半世紀前に作られた給特法に正当性がないことは明らかである(なお2022年度教員勤務実態調査をもとに教職調整額を求めると、単純計算で32%~40%となる)。
給特法の問題は、どれだけ残業しても残業代が一切支払われず、不払い残業の温床となっていること。また、残業はそもそも労働とすらみなされず、残業の責任が教師本人に帰せられてしまうことである。
給特法に基づいた公立教員の残業は、2019年1月25日の中教審答申(「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について」。以下、2019年答申)において「自発的勤務」と定義されており、せざるを得ない膨大な業務に押しつぶされ心身を破壊したり、最悪の場合過労死に至ったとしても、業務を課した側の責任が正しく認定される保証はない(業務を課した側とは、狭義には校長および教育委員会。学習指導要領をまとめる立場として文科省の責任も大きい)。
実際、過労死が公務災害として認定されず、「死んでも自己責任」と扱われる事例が多発してきた。
審議まとめでは教職調整額を「10%以上」とすることを提言した。しかしそうしたところで、残業時間に見合った対価が支払われない問題や、残業が教師の自己責任とされてしまう問題は一切改まらず、「定額働かせ放題」の状況は継続するのである。
■勤務間インターバルは機能するのか
一方、審議まとめでは働き方改革に向けた施策として、11時間の勤務間インターバル導入を「進めることが必要である」とした。
勤務間インターバルとは退勤時刻から次の出勤時劾まで一定時間を空けて休息時間や生活時間を確保するものであり、審議まとめが導入を強く促したこと自体は一定評価できる。
しかし大切なのは、給特法の下で勤務間インターバルを導入したとして、果たして正しく機能するのかということである。問題は、それが守られなかった場合の責任が誰にあるのかということだ。
残業が自発的勤務であるとすれば、それが守られない場合も教師の自己責任とされてしまうのではないか。
それを考えるためのヒントは、2019年の法改正で導入された時間外勤務の上限指針である。
2019年当時、給特法の問題が国会で審議され、「公立教員の残業は自発的勤務であるものの、働き過ぎを防ぐために、民間同様に月45時間・年360時間の時間外勤務の上限を設定する」こととなった。
しかしこの数年、果たしてそれが機能しただろうか。2022年教員勤務実態調査からは、小学校の64.5%、中学校の77.1%が月45時間の残業上限を超過していたことが明らかとなっている。
問題は、残業上限を超えて働いたときに業務を課した側の責任が問われないということだ。
残業は自発的勤務であるからと、働き過ぎが教師本人の責任とされており、管理職からは「子どものために頑張って下さり有り難いですが、先生方で働き方を見直して、遅くとも19時には学校を出るようにして下さい」といったようなことしか言われない。
今後、学校現場に勤務間インターバルが導入されても同じことが起きるだろう。
管理職から「子どものために頑張って下さり有り難いですが、先生方で工夫して、勤務間インターバルはしっかりとって下さいね」と言われるのが関の山である。
■職員室の分断を促す「新たな職」
審議まとめの中で、今後議論を呼びそうだと感じるのが、「新たな職」の創設である。
審議まとめでは、「若手教師へのサポート」や「校内研修、情報教育、防災・安全教育、道徳教育」といった「学校内外との連携・調整機能を充実」させるために「新たな職」を創設する必要があるとする。そしてそれは新しい主任を置いて主任手当で褒賞するのではなく、「給料表上、教諭とは異なる新たな級を創設する事が必要である」としている(39~40頁)。
学校が多機能化していることは事実として、本来はそれを問題視し、教員の職務内容を限定する方向に向かうべきであった。それは2019年答申の「教師が担う業務に係る3分類」が示した方向性だったはずである。
仮に職務の増加を容認するとしても、「新たな職」はなぜ主任手当の増産で対処できないのだろうか。
それは、そもそもの目的が「給料表上…新たな級を創設する」ことにあるからだろう。教員を「上位の主任教諭」と「下位の教諭」に分化し、基本給に差をつけることで、過酷な長時間労働への不満を分散させる狙いがあるものと思われる(「メリハリある教員給与」構築は2006年以降の国の方針である)。
上の図とグラフは、中教審の中で先行事例の自治体として紹介された東京都の資料である(中教審質の高い教師の確保特別部会第10回資料「東京都における主任教諭制度について」をもとに筆者が作図し直したもの)。
かつて85%を占めていた教諭は、37.4%の主任教諭と45.9%の教諭に分けられ、教諭の基本給が下げられるという結果を招いている。
30代以降は主任教諭になるかならないかを迫られ、主任教諭となった場合は「自発的」なサービス残業が、教諭に留まることにした場合は昇給頭打ちが強いられる。本当にこれが正しい改革なのだろうか。審議まとめの作成過程で、長時間労働に苦しむ教員や、不安を抱える教員志望の若者の思いが反映されたとは言えない。
このままでは、「管理側にとって都合の良い学校現場」が出来上がるだけで、公教育の危機を救う手立てにはならない。今後、教員は力を合わせて声を上げないといけない。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 157号』(2024.8)
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