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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「Nスペ 拝謁記」に対する様々な疑問

2019年09月09日 | 平和憲法
 ◆ <報道に異議あり>「Nスペ 拝謁記」は胡散臭い!
   再放送・拡大版は眉に唾を付けて見たい

   皆さま     高嶋伸欣です


 1 8月に放送されたNスペ「スクープ・昭和天皇は何を語ったかー初公開・秘録『拝謁記』-」(以下「Nスペ・拝謁記」)の拡大版(90分)が、今夜11時~12時半、ETVで放送されるとの情報です(しかも再放送の予告付きです)。
 2 NHKにとってはそれほどの自信作ということでしょうか。

 3 けれども、私は8月に放送された本編について、様々な疑問をもっています。
 4 疑問は大別すれば、内容についてと番組の公正さについてです。

 5 内容については、すでにあちこちで疑問や批判がされていますが、重複を避けて、一点だけ挙げておきます。
 6 それは、下記に8月20日に発信した私のメールで指摘した天皇自身の発言にある「従来のようにカモフラージュでゆくか、ちゃんと実情を話すかの問題」という部分の「従来のカモフラージュ」という文言に、この番組は触れるのを意図的に避けていると思える点です。
 7 なぜ「意図的」と判断するのか、その理由は、8月20日の私のメールから読み取って頂きたいとおもいます。
https://wind.ap.teacup.com/people/14221.html
 一言でいえば、この「カモフラージュ」の実態とその政治的意味が明白に知られることとなったら戦後レジームの虚構性が露見してしまうので、NHKにはそうした度胸がないか、あるいは「カモフラージュ」の意味そのものに気付いていないのではないかと思われます。
 *<拡大版>でもこのことについての言及はありませんでした

 8 番組の公正さへの疑問は山ほどあります。とりあえず主なものを挙げておきます。
 9 番組冒頭部分で「番組では一言一句忠実に再現していく」と、ナレーションで、わざわざ強調しています。ドキュメント番組であれば当然のことで、これまでの「Nスペ」ではあまり前例の記憶がありません。
 ともあれこのナレーションと同時に、前出の「従来のようにカモフラージュでゆくか、ちゃんと~」という『田島日記』の記述部分とそれを白字の字幕で示す画面にななります。そしてナレーションは続けて「従来のように」とその字幕を読み上げたながら「カモフラージュ、うやむやでゆくかちゃんと実情を話すのか」言い換えているのです。
   *<拡大版>では、「番組では一言一句忠実に再現していく」という字出ましたが、場面は全く別のものでした。従って「カモフラージュ、うやむやでゆくか」というナレーションも消えました。本編の失態をカモフラージュした?
 10.画面の字幕に気を取られていると「カモフラージュ」の次に「うやむや」の語が加えられているのに気づけません。
 今夜の拡大版ではここがどうなっているか、要注意です。
   *<拡大版>では、この部分が丸ごと削除されていました。不都合と局内でも気づいた?
 11 ちなみに、「カモフラージュ」に「うやむや」の意味はありません。GHQや日本の保守派、皇室崇敬者などは結果として、昭和天皇の政治的・法律的責任を「うやむや」にできたと思っているので、つい本音を言ってしまったのかもしれません。
 12 ともあれ、「一言一句忠実に再現していく」と言った直後に、勝手に「一言」言い足して意味を変えているのですから、支離滅裂。
 「これ本当に『Nスペ』?」という気分です。

 13 次の疑問は、先行研究を無視している点です。田島道治が毎年の手帳に昭和天皇とのやりとりを詳細にメモしていた『田島日記』の存在とその内容については、すでに月刊『文藝春秋』2003年7月号(添付参照)で加藤恭子氏が明らかにしていて、同論考を元に加藤氏が数冊の単行本も出版しています。
 けれどもそのことを、本篇では全く明らかにしていません。

 14 加藤氏の上記の7月号論考によれば、『田島日記』に当たる手帳は空襲で
焼けた分より後の昭和19年から死去の43年までの25冊で、横書きにびっしりと書かれているとのことです。
 15 ところが番組本編では「手帳6冊」「大学ノート12冊」が新たに「発見された」とし、これらを『拝謁記』としています。
 16 先行研究で『田島日記』という称されているのに、それを全く無視して手帳と大学ノート一括して「新発見資料」といい、しかも番組の中ではこれら以外にも次々と単独の文書を持ち出しています。それらの文書の出どころは語っていません。
 それら文書も含めて『拝謁記』という今回の本篇の表現からは、先行研究との整合性を図ろうとする姿勢が伺えません。
 17 それに、1952年5月3日の講和条約発効記念式典直前のところまで本篇では扱っていて、「手帳6冊」とあるのは、田島道治が初代宮内庁長官に就任した1948年からの6冊という意味と思われますが、加藤恭子氏は『田島日誌』が1944年(昭和19年)以後のものが遺されているとしているのですから、その内の「1948年以後の6冊」という説明があってしかるべきです。
 先行研究無視の姿勢がここにも表れているように思えます。

 18 こうした本篇の編集・制作姿勢を天皇制研究者の原武史・放送大学教授は「もし学者の論文で同じことをしたら完全に倫理違反で、クビになってもおかしくない」(『週刊文春』8月29日号、添付参照)で指摘しています。
 19 これに対して、『拝謁記』の解読と分析をした「分析プロジェクト」の中心と本篇で紹介された古川隆久・日大教授は「Nスペの最後に取材協力で加藤さんの名前をあげている。事実関係を最初に報じた加藤さんの研究をリスペクトしています」と語ったそうです(前同『週刊文春』)。
 20 けれども、本篇最後のの「取材協力者」は15人の姓名が羅列されている中に加藤氏の名があるだけで、これではまるで視聴者に「リスペクト」の意味が伝わりません。
   *<拡大版>でも同じでした。

 21 それに「分析プロジェクト」の「研究者」たちはについては姓名や肩書などの紹介が皆無です。本当に専門家?
 今夜の拡大版ではどうなっているでしょうか?
   *<拡大版>では姓名・肩書を表示してました。本編ではなぜ伏せたのでしょうか?
 22 前出の03年7月の『文藝春秋』掲載の加藤氏の論考では、『田島日記』のメモが「達筆すぎて内容が判読できない」ために、次男の田島恭二氏が9000日分以上を読み、「その半分ほどを清書した」とあります。
 「分析プロジェクト」と研究者たちは「達筆」を苦も無く読み取ったのでしょうか。それとも恭二しが清書したものを利用した?
 清書したものの存在にも触れていない8月17日のNスペ本篇は、やはり疑問点だらけです。
 23 Nスペ『拝謁記』拡大編は、眉に唾をつけて見ることにします

  以上 文責は高嶋です。

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