《小石川メール通信 会員からの手紙》
◆ ケネディ演説は国家への奉仕を説いたものか
「国が何をしてくれるかではなく、自分が国に対して何ができるかを問うべきだ」というケネディの大統領就任演説は、よく「国家への奉仕」あるいは「大きな政府ではなく小さな政府」「公助ではなく自助を」などと説くものとして引用される。小石川を含む都立中高一貫校で使われている育鵬社版公民教科書『新しいみんなの公民教科書』においてもそのような使われ方がされている。
第3章「私たちの生活と政治―民主政治と政治参加―」第1節「民主政治のしくみ」3「国民の政治参加」の中で、「福沢諭吉が『一身独立して一国独立す』と説いたように、私たち国民は国に守られ、国の政治に従うだけではなく、主権者として政治を動かす力をもっていることを忘れてはなりません。同時に、憲法で保障された権利を行使するには、他人や社会への配慮が大切であり、権利には必ず義務と責任がともなうことを忘れてはなりません。
(中略)イギリスの政治家・法学者のブライスは、民主政治を健全に運営するためには、長い歴史を経て築きあげてきた、国や地域社会を愛する心、法を守る精神などの伝統が必要だと述べています。(後略)」と記したその頁の側注に「演説するケネディ大統領」の写真を載せ、その下に演説のこの部分を引用し、「と、国民に国への積極的な協力と献身をよびかけました。」と記している。
しかし、このような使われ方は正しいのだろうか? ケネディはどのような趣旨でこの部分を述べたのであろうか。前後のコンテクストを見る必要がある。
インターネットでこの演説の日本語訳を見てみると次のように訳されている。
(前略)
市民同胞の皆さん、われわれの進路の最終的な成否は、私よりも皆さんの手の中にある。この国が建てられて以来、米国民の各世代は、国家への忠誠を証明することを求められてきた。軍務の召集に応えた米国の若者たちの墓は、地球を覆っている。
今、われわれを召集するラッパが再び鳴っている。それは、武器は必要ではあるが、武器を取れとの合図ではない。われわれは闘争の中にあるが、戦闘に参加せよとの呼びかけでもない。それは、年々歳々、「希望に胸躍らせ、苦難に耐えて」長いたそがれの闘いの重荷を引き受けよ、との呼びかけである。その闘争は、人類の共通の敵である圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものに対する闘いである。
われわれは、これらの敵に対抗して、より実り多い生活を全人類に確保することのできる、南北の、東西の壮大な世界的同盟を築きあげることができるだろうか。皆さんは、その歴史的な努力に参加してくれるだろうか。
世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機にさらされているときに、その自由を守る役割を与えられた世代はごく少ない。私はその責任から尻込みしない。私はそれを歓迎する。われわれの誰一人として、他の国民や他の世代と立場を交換したいと願っていない、と私は信じる。われわれがこの努力にかけるエネルギー、信念、そして献身は、わが国とわが国に奉仕する者すべてを照らし、その炎の輝きは世界を真に照らし出すことができるのである。
だからこそ、米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。
世界の市民同胞の皆さん、米国があなたのために何をするかを問うのではなく、われわれが人類の自由のために、一緒に何ができるかを問うてほしい。
最後に、あなたが米国民であれ、世界の市民であれ、今ここにいるわれわれに対して、われわれがあなたに求めるのと同じ力と犠牲の高い基準を求めてほしい。善良な良心を唯一の確かな報奨として、歴史をわれわれの行為に対する最後の審判として、神の祝福と助けを求めながらも、この地球上における神の御業を真にわがものとしなければならないことを知りつつ、われわれの愛するこの土地を導いていこうではないか。
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-kennedy.html(米国大使館HP)
これを見てわかるように、決して「国への奉仕」とか「権利には必ず義務と責任がともなう」、「国や地域社会を愛する心、法を守る精神」といった小さなことを求めているのではない。
「人類の共通の敵である圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものに対する闘い」「その自由を守る役割」「人類の自由のために、一緒に何ができるか」「その歴史的な努力に参加してくれる」ことを求めているのである。
育鵬社教科書は、歴史教科書も同様だが、自説に都合の良い事例を、全体のコンテクストを無視して勝手に拾ってきて、全体を決めつけるやり方が多い。いわば「木を見て森を決めつける」やり方である。
このような教科書を使わされている中学生はいい迷惑だと思う。これを使って教えなくてはならない先生方のご苦労も察して余りある。
この教科書を採択した教育委員の責任は重大だ。次回の採択においては、各方面からの批判を充分に検討して、学校の先生方の意向に沿った、正しい採択をしてほしい。
♪♪ 小石川メール通信 ’14.6月号 ♪♪
♪♪ 2014年6月28日発行 ♪♪
♪♪ 発行責任者:松本 昌介 ♪♪
♪♪ HP: http://www.k-yuusi.jp ♪♪
♪♪ブログ:http://kyuusi.blog.fc2.com ♪♪
◆ ケネディ演説は国家への奉仕を説いたものか
小俣 三郎(014A)
「国が何をしてくれるかではなく、自分が国に対して何ができるかを問うべきだ」というケネディの大統領就任演説は、よく「国家への奉仕」あるいは「大きな政府ではなく小さな政府」「公助ではなく自助を」などと説くものとして引用される。小石川を含む都立中高一貫校で使われている育鵬社版公民教科書『新しいみんなの公民教科書』においてもそのような使われ方がされている。
第3章「私たちの生活と政治―民主政治と政治参加―」第1節「民主政治のしくみ」3「国民の政治参加」の中で、「福沢諭吉が『一身独立して一国独立す』と説いたように、私たち国民は国に守られ、国の政治に従うだけではなく、主権者として政治を動かす力をもっていることを忘れてはなりません。同時に、憲法で保障された権利を行使するには、他人や社会への配慮が大切であり、権利には必ず義務と責任がともなうことを忘れてはなりません。
(中略)イギリスの政治家・法学者のブライスは、民主政治を健全に運営するためには、長い歴史を経て築きあげてきた、国や地域社会を愛する心、法を守る精神などの伝統が必要だと述べています。(後略)」と記したその頁の側注に「演説するケネディ大統領」の写真を載せ、その下に演説のこの部分を引用し、「と、国民に国への積極的な協力と献身をよびかけました。」と記している。
しかし、このような使われ方は正しいのだろうか? ケネディはどのような趣旨でこの部分を述べたのであろうか。前後のコンテクストを見る必要がある。
インターネットでこの演説の日本語訳を見てみると次のように訳されている。
(前略)
市民同胞の皆さん、われわれの進路の最終的な成否は、私よりも皆さんの手の中にある。この国が建てられて以来、米国民の各世代は、国家への忠誠を証明することを求められてきた。軍務の召集に応えた米国の若者たちの墓は、地球を覆っている。
今、われわれを召集するラッパが再び鳴っている。それは、武器は必要ではあるが、武器を取れとの合図ではない。われわれは闘争の中にあるが、戦闘に参加せよとの呼びかけでもない。それは、年々歳々、「希望に胸躍らせ、苦難に耐えて」長いたそがれの闘いの重荷を引き受けよ、との呼びかけである。その闘争は、人類の共通の敵である圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものに対する闘いである。
われわれは、これらの敵に対抗して、より実り多い生活を全人類に確保することのできる、南北の、東西の壮大な世界的同盟を築きあげることができるだろうか。皆さんは、その歴史的な努力に参加してくれるだろうか。
世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機にさらされているときに、その自由を守る役割を与えられた世代はごく少ない。私はその責任から尻込みしない。私はそれを歓迎する。われわれの誰一人として、他の国民や他の世代と立場を交換したいと願っていない、と私は信じる。われわれがこの努力にかけるエネルギー、信念、そして献身は、わが国とわが国に奉仕する者すべてを照らし、その炎の輝きは世界を真に照らし出すことができるのである。
だからこそ、米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。
世界の市民同胞の皆さん、米国があなたのために何をするかを問うのではなく、われわれが人類の自由のために、一緒に何ができるかを問うてほしい。
最後に、あなたが米国民であれ、世界の市民であれ、今ここにいるわれわれに対して、われわれがあなたに求めるのと同じ力と犠牲の高い基準を求めてほしい。善良な良心を唯一の確かな報奨として、歴史をわれわれの行為に対する最後の審判として、神の祝福と助けを求めながらも、この地球上における神の御業を真にわがものとしなければならないことを知りつつ、われわれの愛するこの土地を導いていこうではないか。
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-kennedy.html(米国大使館HP)
これを見てわかるように、決して「国への奉仕」とか「権利には必ず義務と責任がともなう」、「国や地域社会を愛する心、法を守る精神」といった小さなことを求めているのではない。
「人類の共通の敵である圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものに対する闘い」「その自由を守る役割」「人類の自由のために、一緒に何ができるか」「その歴史的な努力に参加してくれる」ことを求めているのである。
育鵬社教科書は、歴史教科書も同様だが、自説に都合の良い事例を、全体のコンテクストを無視して勝手に拾ってきて、全体を決めつけるやり方が多い。いわば「木を見て森を決めつける」やり方である。
このような教科書を使わされている中学生はいい迷惑だと思う。これを使って教えなくてはならない先生方のご苦労も察して余りある。
この教科書を採択した教育委員の責任は重大だ。次回の採択においては、各方面からの批判を充分に検討して、学校の先生方の意向に沿った、正しい採択をしてほしい。
♪♪ 小石川メール通信 ’14.6月号 ♪♪
♪♪ 2014年6月28日発行 ♪♪
♪♪ 発行責任者:松本 昌介 ♪♪
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